101.あなたが追い求めるべきもの

聖書箇所 [コリント人への手紙第一13章13節、第24章18節−5章3節]

 顔は前を見て背筋を伸ばし、エネルギッシュに進む姿はどこから見ても美しくかつ頼もしいものですね。
 一人の男性が自殺しました。実は彼はこのように見られる人でありました。彼の自殺の原因は何であったのでしょう。会社が倒産したためで した。彼はリッカーミシンのトップセールスマン。ちょっと角度を変えて、会社ではなく、理念を見ていればきっと自殺などしなくても済んだのに、と私はこのとき考えました。あなたはいかがお考えでしょうか。
 さてご一緒に聖書の世界をのぞいてみましょう。上記の箇所を合わせて読んで見てください。目に見えないものをこそ −理念とはこのようなものです− 追い求めるべきであり、それは信仰、希望、愛であると分かります。重要なものから順に学んで参りましょう。

愛とは長い目で見て待っててあげる心だ
冬の夜更けの霜の終着駅で待っててあげる心
雨の風の雪のやむまで待ってる心
杏の梨のふどうのいちじくの熟れるのを待ってる心
短気を起こさずに 気短にならずに 舌打ちせずに いらいらせずに
それぞれをそれぞれの時まで待っててあげる心
愛とは長い目で見てじっと待っててあげる心だ


 これは詩人塩田章の作品です。
 愛って何でしょう。愛とは待つこと、そして受け入れること。
 愛の世界、愛の織り成す世界を追い求め、そこで生きることこそあなたに真の平安と喜びとを与えます。
 ノブレスオブレッジという言葉があります。もともとフランス語ですが、「高貴な者に伴う責務」と訳されます。高貴な者は、持てる者として持たない者と分かち合うべきであるとする考えです。与えられる者もこの場合劣等感を持つ必要はないし、ひけ目を感じる必要もありません。これは聖書の思想です。
 たとえば「年寄りをしかってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。若い人たちには兄弟に対するように、年とった婦人たちには母親に対するよ うに、若い女たちには真に混じりけのない心で姉妹に対するように勧めなさい。やもめの中でもほんとうのやもめを敬いなさい。」(第1テモテ5:1-3)
 「兄弟たち。あなたがたに勧告します。・・・小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。」(第1テサロニケ5:14)。
 「もしあなたがたの国に、あなたといっしょに在留異国人がいるなら、彼をしいたげてはならない。あなたがたといっしょの在留異国人は、あなたがたにとって、 あなたがたの国で生まれたひとりのようにしなければならない。あなたは彼をあなた自身のように愛しなさい。あなたがたもかつてエジプトの地では在留異国人だったからである。わたしはあなたがたの神、主である。あなたがたはさばきにおいても、ものさしにおいても、はかりにおいても、分量においても、不正をしてはなら ない。」(レビ記19:33、35)。
 「あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。あなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を 打ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。ぶどう畑のぶどうを収穫するときは、後になってまたそれを摘み取って はならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったことを思い出しなさい。だから 、私はあなたにこのことをせよと命じる。」(申命記24:19-22)など。

 このような愛の世界を生きることができる人はどのような人でしょうか。自分を受け入れる人です。
 ところが・・・「時々自分をダメな人間であると思う・・・47% 」。これは4,000人以上の小中学生に自分へのイメージを調査した結果です。自分を待ってやれない・・・んですねー。自分を待つのって、愛ではないでしょうか。先の トップセールスマンがそうであったように見る対象を間違えています。人(自分も含めて)を見ないでイエス・キリストを見てください。あなたをありのまま受け入れて下さったではありませんか。そしてあがないとなってくださったではありませんか。あなたがあなたをそのまま受け入れるときあなたは愛をしっかりと追い求め ることができ、かつ愛の世界で生きることができます。

希望

 フランクルは第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所の中でなんとか生きのびようとする努力の中にユーモアの活用があったと言っています。収容者仲間と毎日少 なくとも1つはユーモアを言い合ったと言います。生き延びようとは、希望を持ちつづけようという意味でしょう。天使が飛べるのは心が軽いから、とよく言われま すが、希望は私たちの心を軽くしてくれます。
 ところで完璧な人はいません。失敗しない人はいません。あなたもきっと失敗してがっかりすることがあるに違いあり ません。どうか自分を励ましてください。
 ロンドンの貧民窟に育ったチャップリンはこう言っています。「人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇」。さすがユーモアの大家らし いことばです。あなたの心には笑いがありますか。ユーモアがありますか。ユーモアと笑いがあるところ、希望があります。エバーハート牧師が著書『ユーモアのあ る風景』の中でこんなことを書いています。

祖父
 「どお、うまくいってる?」 
犬小屋を作っている幼い少年
 「のこぎりを引いたけど、まっすぐに切れなかっ た。金づちで叩いたけど釘は曲がってしまった。でもあとはみんなうまくいってるよー」

 いかがですか。あなたはユーモアのある生活をしておられますか。私たちにはいつも希望が必要です。でも希望が真に希望であるためには1つの条件が要ります。 今の、地上の結論を笑うのですから、その結論が最終のものでないことの保証がなければなりません。つまり天国の存在を信じなければなりません。あなたはある1つの失敗をしたかも知れません、でもそれがあなたの人生における最終的な結論ではない、こう信じることができるときにあなたにはいつも希望があります。
 たくさんのお孫さんと共に棺の中を覗き込んだ未亡人。亡き夫の顔を見て、「あー、この人、いつもと違うわ!うちの人らしくない・・・」と言うと、お孫さんの一人がこう 言いました。「だって、おばあちゃん、仕方がないよ。おじいちゃん、はじめて死ぬんだもん」
 どうかあなたの顔を天国を見上げる顔としてください。どんな場合にもあなたには希望があるでしょう。

信仰

 信仰があなたに与えるものについて考えて見ましょう。
 第1に、聖さ。あなたは人に裏切られた、でも仕返しをしない。それは神さまの前で正しいことであると信じるから。あなたは友人に助言をした。でも彼は怒り、 傷ついたみたい。でもあなたには正しい動機であったことを証明してくださるお方がおられる。
 第2に、勇気。失敗したときに、でも私には神さまがついていてくださる、と信じることができると勇気百倍。「私は、私を強くしてくださる方によって、どんな ことでもできるのです。」(ピリピ4:13)
 第3に、神の家族の一員であること。学者によると私たちは所属欲求を持ってい るそうです。あなたは神の家族の一員です。祈り合う友がいます。支え合う友がいます。
 どうか神さまと2人きりの世界を満喫してください。これが信仰です。

 パスカルは若い頃、長い間、たましいの暗闇を歩いてきた人です。その彼が31歳の時、不思議な体験をするのです。それを『覚書き』に残し、上着の裏に縫い込 んだと言われているその文章をご紹介しましょう。

 アブラハムの神、イサクの神、ヤコプの神よ。あなたは哲学者や学者の神にあらず。感動、歓喜、平安!ああ、イエス・キリストの父なる神よ。あなたが私の神となってくださったとは!キリストの神がわたしの神。わたしは、あなたを除くこの世と、その一切のものを忘却します。福音書に示された神こそ実在の神です。わたしの心は大きく広がります。裁しき父よ、世はあなたを知りませんでした。しかし、私はあなたを知ります。歓喜、歓喜、歓喜、歓喜の涙!私はあなたから離れ、命の水の源を捨てていましたが、わが神よ、あなたは私を捨てたりなさいませんでした。どうか私が、これより後、永久にあなたから離れませんように。
 永速の命とは 、まことに、唯一の真の神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることにあります。イエス・キリスト。イエス・キリスト。わたしは彼から離 れ、彼を避け、捨てて、彼を十字架につけました。しかしこれよりのち、私が彼から離れることが永久にありませんように。福音書に記されたあなたこそ、実在の神 です。ああ、全き心。快い自己放棄。イエス・キリストよ。私はあなたとあなたのしもべたちに全く従います。わたしの地上の試練の一日は永遠の歓喜となりました 。わたしはあなたの御言葉を、とわに忘れません。アーメン。

神さまの豊かな祝福があなたにありますように。


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