103.もし、私に従って歩むなら

聖書箇所[レビ記26章3−13節]

 天地の造り主なる神さまはあなたを愛してくださっています。さて、もしそれが本当ならその証拠をみせてもらいたい、と思うのは本音でしょうね。今回学ぶ箇所にはその証拠となる祝福が紹介されています。舞台は荒野、その中をイスラエル人は進みます。イスラエル人はあなたを、荒野はあなたの人生の現場を表しています。実際、荒野には種々の危険があります。たとえば、襲い掛かってくる敵、天候の異変、食料の問題、身内の争い、はては危険な猛獣もいます。でもこの荒野においてあなたの神さまはあなたを祝福してくださるのです。どんなものかを見て参りましょう。

経済的、物質的祝福[4−5節]

 私は一万円を持って17才のときに親から独立しました。この年令は社会についても、生活の糧を得るための会社についても無知です。右も左も分からない私を主は導いて信仰の世界へと進ませてくださいました。それまで混乱し混沌としていた私の思いや生活が立派に秩序づけられて行くのを感じました。やがて結婚し、子どもも与えられすべて順調に歩んできています。自宅を購入するお金も与えられ満足しました。さらに与えられたので教会を建てました(教会のためにささげました)。そうしたらなおさらに新しく追加して主はお金を下さいました。「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒20:35)、「与えなさい、そうすれば与えられます」(ルカ6:38)というみことばをたびたび体験しています。どうか経済的な物質的な祝福も大胆に求めてください。

恐怖からの解放[6−8節]

 いろいろの種類の恐怖心があります。もっともやっかいなものは「私の人生は祝福されないかも知れない」という思い、あるいは確信です。漠然としたものである場合もありますが、実際に悪いことが起きると「やっぱり!」と奇妙にうなずいたりします。
 イエスさまはおっしゃいました、「あなたがたの信仰の通りになれ!」(マタイ9:29)。このおことばは真実です。信じた通りのことが結局は起きるのです。肯定的なことを信じていればいいのですが、もし否定的なことや消極的なことを考えたりしていると大変です。これをマイナスの信仰と言います。信仰とはいえ、マイナスですから、どうか気をつけてください。前向きに、積極的に明るい内容を信じてください。
 でもそうは言っても実際に悪いことは起きますね。イスラエル人が奴隷にされ始めた頃の話です。出エジプト記1章13節をごらんください。ここの「苛酷な」という単語に注目してください。これはヘブル語でベファレフですが、ていねいに発音するとベフェラフ、つまり「やさしい口調で」の意味になります。ある学者は実際のエジプト人の態度は後者のようであったと主張しています。と言うのは10節に「彼ら(イスラエル人のこと)を賢く取り扱おう」という表現が出てくるからです。イスラエル人に同情したふりをして、彼らに近づき、レンガ作りを手伝いながら、優しい口調で高品質で効率の良いレンガ作りのアイディアを引き出し、その一日が終わったところ、がらっと態度豹変、「さあ、あしたから今日と同じようにレンガをつくれ!」と命令した。これが彼らの「賢さ」だったと言うのです。
 あなたにもきっと似たような経験があるでしょう。あなたが心を開き話したことが、その人によって尾ひれをつけられ、また悪い解釈を施され。回り回ってあなたの耳に戻って来る、ということが。あなたは深く傷つき、赦せない思いに悩みます。でもあなたは安心。というのは真実を神さまは知っておられると分かっているから。神さまが正しくおさばきになると知っているから。もっとも私たちは罪人ですから逆の事もありますね。あなたが罪を犯すことが。でもその場合もあなたは安心です。十字架の力をあなたは知っているから。こうしてあなたはもはや悪い運命をあなたに関して予想をしません。

平和[6節]

 正しくは「この地に…いる…あなたがたの間に」です。なんとありがたいプレゼントでしょうか。平和、安心、平安。神さまがあなたにくださるものです。
 でも平和を得ることはなかなか難しい。なぜでしょうか。1998年5月にインドが核実験をしました。5つの核保有国が言い続けて来たことは、そして今度も言ったことはこういうことでした。「私たちは核を持っても良い、でもあなたはダメ!」こんな理屈が通るはずが在りません。小学生だって分かります。ここに人間の罪深さを見ることができます。つまり私たちは他の人を自分の思い通りにしようとするから平和を壊します。おまけに力づくで、となりますと戦争以外に行き着くところはありませんね。
 でも私たちはもっとすぐれた、人との付き合い方を聖書から知っています。それは仕えること。これは相手の気持ちを楽しませようとする心です。「私の為に提案してくれたんだ!」と思うとき人は動きます。
 荒野を導くリーダーはモーセです。彼は仕える者の模範です。男だけで60万人と言われる大集団が連日連夜彼のもとに助言を求めて来るのです。出エジプト記18章7−18節をお読み下さい。舅イテロは助言しました。22節にその内容が記されています。モーセの偉さはその提案に謙虚に耳を傾けたことです。助手を10人に1人の割合で任命するといった内容でした。でも彼のもう一つのすぐれた点はイテロの提案内容を改善したことです。「大きい金額の」事件と「小さい(金額の)」事件とを分ける(22節)、から「難しい(すなわち重要な」事件と「小さい」事件(26節)というふうに分類の仕方を変更しました。こういうことです。金額の大小ではなく、事の重大さいかんによって分ける、ということです。ここにモーセの哲学が見えます。人々に(ここに強調点)とって利益になるようにという哲学が。これこそ仕えることです。私たちは教会において互いに仕えることを学んでいます。だから平和が与えられています。

力(7−8節)

 力があるといいですね。祈り続けることができます。祈り続ければ願いごとは実現します。力については一つの原則が在ります、力は少しずつ貯えられるというものが。ある人は誤解して、物事が解決に向けてさっと展開するようにスーパーマンのような力を常にいつも求めています。もちろん神さまは奇蹟をなさる方ですから、時にそのようなことをしてくださいます。でも必要に応じてです。多くの場合は少しずつその力をあなたの中に溜めて、やがてあるとき、大きな現れを見せてくださいます。それは神さまのわざです。信仰生活をしているあなたの中に着実に力が貯えられています。しかしこれが意外にも見落とされてしまいます。
 シナイ山からモーセがなかなか降りてこないことがありました。出エジプト記32章1節からお読みください。常識的に考えて後継者はアロン(モーセより3才年上の優秀な人)であったはずです。でもわざわざ別に(すなわち偶像、鋳物製子牛に)期待したのです。ここに人間の悲しさが見えます。灯台もと暗しと言えます。あなたの中に主よりいただいた力があります。信仰生活や教会生活の中で育まれているものがあります。これは大きな祝福です。力があるときどんな問題にも太刀打ちできます。解決できます。

仲間の増加(9節)

 一人でいるのは寂しいものです。一人住まいの人や寂しがりやさんはテレビをつけっぱなしにしています。夜もなかなか寝つけません。夜更かししがちです。人は孤独には弱い。でも気の合う仲間が与えられ、増加すると約束して下さっています。あなたの中に愛が育っているからです。
 ある信仰指導者はこう尋ねられました。「先生はこんなにも沢山の人の話をお聞きになって、どうやって神さまにとりなしをなさるのですか」「私は話を聞くときには血が流れるようにして心に刻み付ける。そして神さまの前に一人出るときには、たった一つのことだけをする。胸を開いて、主よ、どうぞ私の中をご覧下さい」これは大祭司アロンの態度を継承したやり方です。神さまに人々の心を執り成す大祭司の胸には胸当てがあり、それには12個の宝石(出エジプト記39:14)が縫い付けてありました。それは12部族を表し、イスラエル人全体を表していました。彼は愛をもって人々に接していました。この本物の愛は神さまを礼拝することにより受け取ることが出来ます。
 あなたは礼拝をささげていますか。ならば今あなたの中に愛が育まれています。愛あるところ、人々は集まります。すなわち仲間が増加します。配偶者があなたには与えられ、子どもが与えられます。

もし私に従うなら(3節)

 さてこれらの祝福はどのようにして確実にあなたのものにすることができるのでしょうか。イスラエル人は荒野という現場に於てこの話を聞いていることを覚えてください。つまりあなたは物事に直面したその現場で「はい、従います、主のお心を行います!」と言うときにあなたは祝福されます。
 ユダヤ教のラビが弟子にこう質問しました。「安息日にはお金に触れてはいけない規定になっている。もし道を歩いていて、財布を見つけたとする、あなたはそれを拾うか?」 彼は「いいえ、私は拾いません」と答えました。「君はまだ学びが足りない!」 続けて来た弟子にも同じ質問をしました。前の弟子が叱られたのを見ていたので、元気よく「はい、拾います!」と答えました。「君もまだ学びが足りない!」とラビ。3人目の弟子が同じ質問を受けました。彼はこう答えました。「私には今どうしたらいいか分かりません。でもその時に正しく判断できることを願います」この答えを聞いてようやくラビは満足しました。そうです。私たちはその時、その場で、その状況で神さまのお心を行わなければならないのです。そうしてこそこの5つの祝福はあなたのものです。神さまに力を仰がなければなりません。そして神さまはあなたの願いを聞いてくださいます。


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