107.劣等感をやっつけろ

聖書箇所[ペテロの手紙第1 2章24節]

 「サイコ・サイバネティックス」(心のかじ取りの意味)を提唱しているM・マルツ医学博士が人に劣等感を持たせる実験を紹介しています。「今から解答してもらう問題は普通の人ですと10分程度で出来ますが、50分用意しました。では始めてください」と具体的にはこのようにやります。本当は10分では解答出来ない問題なのですが、優秀な生徒でも何人かは「私は劣っている」と思い込むのです。
 あまり気分の良い実験ではありませんね。しかし私たちは無意識のうちにこのようなことをしています。他者に向けてある基準(自分にとって都合の良いものを選んでいる)を当てるとき、その人は優越感に浸り、返す刀で自分に向けるとき(今度は、自分にとって都合の悪い基準を選んでいる)、劣等感に捕えられます。今回はこの劣等感がテーマです。克服などというと少しおとなしすぎるかなと思いこんな表現にしました。救い主イエス・キリストにあがなわれた者にはふさわしいテーマであると確信します。劣等感に捕えられると、気持ちは沈み、荒れてきます。劣等感を克服できた人にはそのようなことはありません。常にはつらつ、決して無理のない、喜びの生活、気持ちの良い毎日を過ごすことができます。それは芝居やパフォーマンスではないのです。さあ、劣等感をやっつけましょう。

感謝する[テサロニケ人への手紙第1 5章18節]

 あなたは感謝していますか。「ありがとう!ありがとう!」とどんなことにも感謝できる人は劣等感を克服できている人です。劣等感はストレスの一種ですが、ストレス研究の大家ハンス・セリエは「感謝すること、すなわち恩を知ること。これは東洋の美徳ですねえー。これが大切です」と言っています。もちろん聖書も勧めています。
 どのようにしたら感謝できるでしょうか。あなたに与えられている分を好意的に認識して感謝することができます。「うん、これが私に与えられた分だ!」。
 ところがこのようにお話ししてきますと、必ず疑問が提出されます。「あの人の方が私の分よりも多いではありませんか」と言うのです。確かにこれは事実です。でも神さまは決して不公平ではないことを知っていただきたいのです。
 私は牧師です。世界には偉大な牧師がたくさんいます。でも私は劣等感を持ったりしません。「彼らはああいう種類の牧師だ」と思うだけです。たとえばビリー・グラハムやチョー・ヨンギ。あなたは彼らの伝記を読んだことがおありでしょうか。実に厳しい試練を経験しています。そうです。あれだけの器はあれだけの試練に会わなければならないのです(と私は考えました)。私は「今の状況で満足です。あまり苦しい思いはしたくはありません」と神さまに申し上げました。
 もう一つ理由があります。私たちの人生は地上のものがすべてではないということです。自分の分が少ないという人はこの点を勘違いしています。もし地上で取り分が少なかったら、あなたは天国で多くを受けます。どうか心配しないで、感謝をしてください。もし5タラントを与えられている人がいたら、その人は5タラントの働きをして、それにふさわしい報いを受けます。それは1タラントの人が1タラントの働きをしたのと同じです。さあ、あなたに問題をあげましょう。両者ともに2タラントの結果を出しました。天国ではどのように報われるでしょうか?あなたにはもう答えがおわかりです。感謝することによって、あなたの心は落ち着きを取り戻すことでしょう。

賜物を発見し、育てる[テモテへの手紙第21章6節]

 パウロが自信をなくしている若い牧師テモテを励ましています。注意深く読んでください。以前は元気だったのです。賜物の存在を忘れるとき、人は劣等感の虜になります。パウロは年配者の心得を説いているようですね。豊かな人生経験を駆使して若い人の中に眠る才能・タレントを発見するように、です。でも自分自身でもそう努めなければなりません。
 アブラハム・マズローはこういうことを言っています。人間は基本的な欲求の階層を心の中に持ち、低次な欲求から順に満足を求め、より高次な欲求充足へと進む。すなわち、生理的欲求、安全欲求、所属と愛情の欲求、尊敬(自己と他者への)欲求、自己実現欲求です。特に最後の自己実現欲求は今書いていることと深い関係があります。賜物が認識され、それを十分に活用している人は自己実現をしています。しかし劣等感に囚われている人はそうではなくて欲求不満です。
 アドラーはこう言っています。「人はだれでも身体に劣等なところを抱えており、それゆえに劣等感がある。それでこれを慰め心の安定を取り戻そうと、他者と競走し打ち勝つために仕事に専念するか、あるいは心の病気(神経症や心身症など)に逃げ込み周囲を自分の思い通りにしようとする」。
 簡単に言い直してみましょう。だれでも劣等感は持っているということが一つ。劣等感に対応する仕方が2種類あることが二つ目。
 後者について、一つは健康な形で戦う、今回はこちらが私たちのテーマです。もう一つは逃げる。逃げるにも2つの方法があります。一つは他者を攻撃する(空腹な人がいらいらして周囲の人に当り散らす心理。欲求不満−攻撃説。ミラーとドラードによる)。もう一つは病気になる。よく聞くのは下にあかちゃんが生まれた時に上の子の足が動かなくなる例です。ほんとに筋肉が硬直して動かなくなります。ほおっておくと入院させなければならなくなります。初期症状であれば、治療は簡単です。抱きしめてやればいいのです。愛情が欲しいと訴えています。それまでは一身に愛情を集めていたのに−−−という事情を知ってやらなばなりません。
 もっともこのようなことは大人にも日常茶飯事ではないでしょうか。自分がほおっておかれたなーと思えば寂しいものですし。このようにして見て来ますと、劣等感はほおっておいてはいけない、対策を施さないでいてはいけないとわかります。賜物を発見して、磨くための方法をお話ししましょう。

1.事実を認識する。
ピリピ人への手紙3章16節をお読み下さい。自分のできること、できないこと。持っているもの、持っていないもの。これは謙虚になってはっきりと認識しなければなりません。自分が持っていないものをまるで持っているかのように思い描くことは危険です。物を落とせば、床に落ちます。重力が働くからです。どのように考えるのも人の自由ですが、落ちてほしくないからと考えて、「落ちない!」と考えるのは間違っています。
2.神さまのアイディアであるかどうかを確認する。
同2章13節をお読み下さい。もし真実にあなたに神さまから与えられ、それをあなたが願うなら、必ずあなたには実行する力が伴います。もしそうでなければ神さまがあなたにしてほしいと願っていらっしゃることではないので、別の願いに変更しなければなりません。
3.1と2を確認できたら目標を目指して、さあ、まっしぐら。
寄り道をしてはいけません。目をきょろきょろさせてはいけません。ピリピ人への手紙3章14節をお読み下さい。

人を思いやり、愛する(ペテロの手紙第一2章24節)

 人の話を聞き、悩みに耳を傾けてみましょう。ともに祈り、考え、共感しましょう。するとどうなるのでしょうか。「ヘェー、私と同じことを悩んでいる!」とわかります。
 劣等感に悩んでいる人は狭い世界に生きています。受験競争の中にいる生徒は世界で自分だけがこんな苦労をしていると錯覚しがちです。もしそうなら、受験競争など起きないではありませんか。劣等感の中で生きている人の世界は狭いのです。でもあなたは人を愛します。すると広い世界が広がってきます。そしてこれはすばらしいイエスさまのおこととばに接することとなります。
 マタイの福音書25章40節をお読み下さい。あなたはイエスさまの苦しみに思いを馳せます。「辛かったでしょうね。痛かったでしょうね」と(第1ペテロ2:24)。人を思いやり、愛するとき、私たちは変わります。

 次の文章は(『幸せのカルテ』三笠書房)からのものです。参考までに紹介しましょう。

 昭和39年2月はじめのある日、5,6歳のかわいらしい女の子が、母親におんぶされて九大心療内科にやってきました。この子の手足は生まれたての赤ん坊のように不自由でした。手足だけではなく、からだじゅうの筋肉がコチコチにこわばっており、かたく心を閉ざして警戒的でした。母親との間には、これがほんとうの母子なのかと思われるような冷たい壁がありました。母親が話しかけても、ろくに答えないばかりか、返事はきまって、「バカ」とか「イヤダ」でした。診断のしようがないので、ともかく、このサヨミを入院させることにしました。
 入院後にわかったことは、サヨミの症状が現われ出したのは、妹のチエちゃんが生まれてから一年半ぐらいたってからだということでした。しかも、妹に母親の愛情をうばわれたという、はげしい嫉妬がきっかけになって、足の自由がきかなくなっていました。
 これまでに入院した病院で、そのようなデリケートな子供心を、理解してもらえず、重いフトンをきせられて、寝たっきりの生活をしているうちに、両足は内反足(足首から内側にまがって固定した状態)になり、両手は固くにぎりしめて開かなくなっていたのです。これは、自分より下に、弟や妹が生まれたときに、よく子供たちに見られる、親の愛情をめぐる兄弟葛藤によるものです。
 子供たちにとって、母親の愛は絶対のものであり、それを弟や妹にうばわれると感じるときの嫉妬は、おとなには想像がつかないほど深刻なことが多いものです。サヨミの場合、内反足のままで固まりかけている足の位置をまず直さないと歩けませんので、整形外科に頼んで、足を正しい位置にもどした上で、ギプスで固定してもらいました。
 しかし、サヨミに対しては、手足の症状だけを医学的に除くだけでなく、母親との間の、つよい感情のしこりをほぐさなければ、本当には治せないことがわかりました。そこで、早川という看護婦にサヨミの世話を頼むことにしました。
 この早川看護婦は、不幸なおいたちの人で、受診の1年ほど前までは手足の不自由な子供たちの学園に勤めていたのです。昭和35年の5月に、げっそりやせ細り、生けるしかばねのようになって、大学の私の部屋を訪れたのですが、そのとき早川さんには、十に近い病名がつけられていたものです。しかも、彼女の最大の悩みは、世の中のだれの愛をも信ずることが出来ないということでした。
 ここでサヨミが現われたわけです。わたしは早川さんに、私どもがとくに力をいれているサヨミの治療をまかせてみました。これは、彼女にとっては、サヨミの治療をとおして、私どもの愛情を確保することになると思われたからです。事実、心の安定が生まれるとともに、早川さんの病気もほとんど治ってしまうことになったのです。
 早川さんは、サヨミの中に自分の過去、現在に共通する心のゆがみを見い出しました。そして、それが早川さん自身に自分をはっきりと見直させることになったのです。だが、もっと、たいせつなことがありました。早川さんがサヨミの手足を早く治すことにとらわれていたのは、先生たちの愛を得ようとする早川さん自身の愛情の欲求からだったのです。しかし、それではとうていサヨミを動かせないことに気づくようになりました。
 ここで困りきった早川さんは、「万一、先生から見すてられたらサヨミちゃんといっしょに死のう」という気持ちから、「サヨミちゃんがが歩けなくて、サヨミちゃんも、そして自分自身も、先生から見すてられてもよい自分は、一生サヨミのゆがんだ心をなおして、すなおな子にすることに努力しよう」と決心したのです。そのときから、早川さんは、ほんとうの愛情をもって、サヨミに対せるようになりました。そして、それをうつすようにサヨミの心の壁がとけはじめたのです。サヨミのギプスをはずしてから、たしかに内反足は治りましたが、しかし、長い間曲げ伸ばしすることのなかった腰やひざの関節は、こちこちになってしまっていました。早川さんはサヨミをおんぶして、バスで片道一時間の道のりを、郊外の手足の不自由な子供たちの学園に歩行練習に通いました。夜は夜で、床にはいってから、サヨミの手足のマッサージを連夜くりかえしました。もはやこの努力は、看護婦と患者という
間がらをはるかに越えた、献身的な愛のあらわれというほかはありませんでした。
 やがてサヨミは、しきりと母を慕うまでに回復しました。十月に母が来訪したときには、博多駅のホームにおり立った母にしがみつき、大粒の涙を流して喜びました。母も感きわまつて、人まえもはばからずにホームに座り込み、あふれる涙をぬぐおうともせず、サヨミのからだをしっかリとだきしめたまま再会の喜びと、ひしひしと通い合う母子の愛情に、身をふるわせていました。(これは私の著書『愛なくば』(光文社)の要点が、文部省の「道徳資料の手びき」の中に引用されていたものに、多少手を加えたものです)

 サヨミちゃんの心ばかりではなく、早川さんの心までがいやされました。あなたも劣等感から解放されるように主の御名によって祝福します。


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