109.人間改造

聖書箇所 [主に民数記11−16章]

 気の弱い神父さんがおり、「私は天国に行けるのだろうか?」といつも悩んでいました。あるとき思い切って守護天使に向って、神さまに聞いて来てくれるように頼みました。首を長くして待っていた数日後、天使が「2つの良い知らせがあります」と言いながら帰って来ました。「神さまはどうおっしゃっていましたか?」「はい、神父さんは天国に行けます」「それでもう一つは?」「神父さんが天に召されるのは明日です」。
 このメッセージをお読みのあなたはきっとご自分が明日召されるとは思っていらっしゃらないでしょう。もっと長く生きられると。私もそう思います。そしてもしそうであるなら、神さまにはあなたへの期待があると言えるでしょう。
 その一つは「神のかたち」(創世記1:26、27)の回復。本来あなたはすばらしい内容を持った人間として造られました。でも罪がそれを破壊してしまいました。人生を生きるとは、この、神さまからいただいた「神のかたち」を回復しようとする歩みです。
 テキストは民数記です。舞台は荒野。ここに登場する人物、イスラエル人たちはあなたを表しています。どんな改善目標があるのかを見て参りましょう。ここで一つ注意。16章から11章へと逆に進みますが、その理由は最後に述べます。

先を行く者を尊敬する者になるように[16章1ー3節]

 なぜなら先を行く者からは多種多様の良いものを吸収して自分の中に取り込み、結果的に悪いものを除くことができるからです。これは十字架の精神に合致します。
 さて1−3節をご覧下さい。コラはモーセに率いられた体制派に叛旗を翻しています。その理由は「私たち聖なる者(イスラエル人)たちを指導するのは神さまご自身であって、あなたがた(アロンも含めて)人間がなぜ指導するのか。あなたがたは分を越えている(こういう主張は人民民主主義と言います)」と3節に述べられています。しかもこの反乱には名の在る人々250人が従ったのです。
 この反乱は神さまの怒りを買い失敗したのですが、反論の難しい正当な?理屈が展開されています。
 ところでコラたちはなぜこんなことをしたのか。言い伝えによりますと、彼らはかつてパロ(エジプト王)の収入役であって、高給取りで財産家でした。でも荒野へ赴かなければならなくなり、個人的に欲求不満を抱えていたと言います。ここに人間の弱点があります。個人的な欲求不満を大義名分を掲げて周囲の人々を巻き込んで晴らそうとする。
 実はコラの言い分には無理があり、従って不当な行為でした。神さまにより厳罰を受けています。15章40節をご覧下さい。ここにイスラエル人は「聖なる者にある」べき存在として言及されています。すなわち立場論と状態論とを混同させています。
 私たちは信仰を持つことによって立場上は神の子であっても、罪を犯す者であることに違いはありません。故に神さまから指導者が派遣される必要があります。
 コラたちによる叛乱にはもちろんモーセの落ち度もあったことでしょう。300万人もの大集団を荒野を導くのですから、並み大抵の指導力では勤まらないでしょう。当然彼の欠点が露呈された場面もあったと考えるのは自然です。
 たとえば20章1節以下をご覧下さい。ここで犯した彼の失敗が理由で彼は結局約束の土地に入れなかったのです。水不足が事件の発端でした。神さまの助言は「岩に話し掛けなさい」でした。でも岩を叩きました。これはみことばに反することでした。なんとも皮肉なことです。かつてまだエジプトにいたとき、争うイスラエル人2人に、「なぜ叩くのか」と止めた彼でした(出エジプト記2:13)。
 人には適切な助言をすることは出来ても自分では実行できない、これも人間の弱さでしょう。同情的に考えればお姉さんミリアムの死が、そしてそのことから来る落胆が彼の判断を狂わせたと言えるでしょう。お兄さんアロンとトロイカ体制を組み、特に彼はお姉さんっ子でしたから。
 しかし全体として彼はまれに見る傑出したリーダーです。さすが神さまがお選びになった器だと言えます。それについては27章16節以下をご覧下さい。モーセは後継者を祈り求めています。そして与えられたヨシュアに関しては「神の霊が宿っている人」と神は表現しておられます。これは「人々の気持ちの分かる人」という意味です。モーセはこういう後継者を求めましたし、また彼自身さらに条件を付けております。17節です。すなわち良い指導者は先を行き、戦いに勝ち、人々を連れ帰る者。そうです。モーセはすばらしい立派な有能なリーダーだったのです。
 神さまは私たちを愛してすばらしいリーダーをお立て下さいます。どうか尊敬することを通してあなたの中にすぐれた資質を養い育ててください。預言者エリシャは師エリヤに霊の分け前2つ(2倍)をくださいと言いました(第2列王記2:9)。あなたの中にすぐれた資質が取り込まれるように祈ります。

前向きに物事を解釈する[13章27、28節]

 物事は結局あなたが解釈した通りになります。従ってどんなことでも前向きに解釈することをお勧めします。見知らぬ土地に入ろうとする時に偵察隊を派遣するのは常識的なことでしょう。でも13章1節以下に出てくるモーセによる第1回目は失敗しました。弟子であるヨシュアが実行した第2回目は成功でした(ヨシュア記2章)。
 違いに注目しましょう。後者は名の無い2人が遊女の家に入り、しっかりと目的を果たしました。前者は各部族の代表12名が堂々と選ばれています。今ならカラーの顔写真が張り出されて、大々的に壮行会が催されて出発した、そんな場面です。泊まるところは高級ホテルのスイートルーム。ところがこの作戦は見事に失敗しました。12人が40日間(40は完全数ですから、完璧に調べた、の意味)経って帰国報告会をしているのが13章25節以下です。よく読んで下さい。12人全員が正確な事実報告をしています。でも、ここが重要なところです。解釈が10人対2人に分かれました。結局後者は約束のものを手にしましたが、前者はそうできませんでした。
 いったいどこに違いがあったのでしょうか。両者はともに正確な事実報告をしています。違いはその観察された事実に対する解釈でした。後者はエフンネの子カレブとヨシュアで、彼らは前向きでしたが、前者は後向きでした。「神さまが私にプレゼントしたいと考えていらっしゃるものはたいそう立派なものだ。しかし・・・」(28)。この「しかし」が祝福かそうでないかの分岐点になりました。ヨシュア記14章7節以下をお読み下さい。この事件を回想してエフンネの子カレブが話している場面です。前向きであることは主に従うことであると分かります。「しかし・・・」と言わないことです。当然、主に従う者には祝福があります。

不平不満体質の改善[11章1、2節]

 神さまがひどくお怒りになったこの場面、この1節の部分を正確に訳しますと、「民はひどく不平を鳴らして主につぶやいた」ではなく、「民は不平を言う者、またはつぶやく者のようであった」です。両者には大きな相違があります。前者は「つぶやいた」のですが、後者はつぶやく体質や態度に言及しています。
 神さまは普通は正当な理由があれば、民がつぶやいてもお怒りになることはありません。たとえば出エジプト記16章の3節では「食べ物が無い」、同15章23ー25節や17章3節では「水が無い」とつぶやいていますが、主は即座に要望に応えておられます。もしつぶやきが即怒りの対象であったら私たちはお祈りができないでしょう。お祈りは要望を言うことなのですから。ですからこれらの節は彼らのそのような良くない体質や態度について注意を喚起しているのです。どうか日常の中で感謝することを忘れないで下さい。感謝することを通して神さまからたくさんの祝福をいただくことができます。
 1863年の事です。アメリカでは南北戦争中。北軍の中隊が南軍に包囲され孤立しました。毎晩兵隊達は歩哨に立ちますが、そのつど狙撃され、死んで行きました。ある晩ロバートが歩哨として立ちました。とっても明るい月夜の晩でした。彼は「どうして私はこんなところにいなければいけないのだろうか・・・」と不平と恐怖とで心の中は一杯でした。でも気持ちを変えて讃美歌を歌ってみました。「わがたーましーいーをーー愛すーるイエスよー♪」(日本語の讃美歌273B)。その晩彼は狙撃されることなく、無事に任務を終えました。それから20数年経って、彼は仕事でミシシッピー川を下っていました。船上では多くの人が歌を歌っていました。彼も誘われるままにこの歌を歌いました。そのとき、一人の男性が近付いて来てこう言いました。「もしかして、あなたはあのときの・・・」。彼はあの晩の狙撃兵でした。「私は撃とうとしました。でもあなたの隣にもう一人の方が見えたのです。私は撃てませんでした」。やがて戦争が終わって後、クリスチャンになっていた彼はその方がイエスさまであったと知りました。2人は抱き合って泣き祈りと感謝をささげました。あなたも讃美をささげますか。讃美は感謝です。
 アブラハムがあるとき宿営しました。お祈りして水も与えられました。そのおかげで豊かな収穫にもあずかることができました。彼はこう思いました。「こんなにも祝福されて、自分だけで楽しむのは申し訳ない」。彼は「旅人が通り掛からないかなー」と首を長くして待ちました。やって来ました。疲れ切ったふうでした。彼はテントに誘い入れてごちそうをふるまいました。旅人たちはたいそう感激して口々にアブラハムにお礼を言いました。アブラハムは、しかし、こう言いました。「感謝するなら天の神さまに向かってしてください」。でも彼らは神さまを信じない人たちでした。「私たちはごちそうしてくださったアブラハムさん、あなたに感謝したいのです!」「そうですか、それならお代を払っていただきましょうか」「おいくらでしょうか」「ぶどう酒は100万円、肉は200万円、パンは70万円ですね」。彼らはびっくりしました。「どうしてそんなに高いのですか」「砂漠のど真ん中でこれだけのごちそうにあずかれるのですよ。当然ではありませんか」「でも・・・さきほどは神さまからいただいたものを・・・とおっしゃったではありませんか」「お分かりですね。すべては神さまからのいただきものです。どうか神さまに感謝して下さい」不平不満の体質は改善されなければなりません。そうしてこそより多くの祝福にあずかる者となれます。

 さて、初めの約束を果たさなければなりません。章の順序を逆にお話したのはそれぞれ前のポイントが後の前提条件になっているからです。「不平不満体質の改善」を目指すならば、あなたは「前向きに物事を解釈」する必要がありますし、そのためには「先を行く者を尊敬」して良いものをたくさんあなたの中に吸収しなければなりません。
 改造された、あなたの新しい人間性に祝福がありますように。イエスさまはご自分のいのちをあなたに渡すほどにあなたを応援しておられます。


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