118.あなたは良い働き手

聖書箇所 [マタイの福音書9章]

 18節から26節の話は大変有名です。どんなことが書かれてあるかといえば、死んだ人が生き返った、そして着物に触ればいやされると信じていた人がいやされたことです。
 ところでこの箇所だけを取り上げて読む人々に、おうおうにして問題が発生します。どんな問題かと言いますと、「あなたは信仰が足りないから、いやされないのです!」と他者を裁くことです。注意してください。文脈を無視してはいけません(8章もあり10章もありますが、あまり広げない方が焦点がぼけないでいいでしょう)。37節と38節がこの章の言わんとしていることです。すなわち先の話に登場したものは私たちが収穫できる多種多様な祝福の2つの例でしかありません。人それぞれ個性があります。したがって得る収穫も千差万別です。肝心なことは良い働き手であることです。
 今回はそれを学びましょう。

柔軟性[1−17節]

 あなたはご自分を柔軟性のある者だと思いますか。柔軟性がある人はマイナスをプラスに変えることができます。
 1−3節のやり取りをご覧ください。会話が噛み合っていませんね。9−13節をもご覧ください。取税人や罪人(当時あった一種の分類法)とどうして同じ席にいるのかとパリサイ人は全く理解しない様子です。14−17節も、ヨハネのの弟子たちですから悪意はないものの、これもコミュニケーションギャップが明らかです。
 およそ人には言動や行動において一定のパターンがあります。少し観察していれば、それも認識できますし、したがってその人は次に何を言い、何を行動するかを予測することができます。一定のパターンを持って生きることは生活する上で大変便利なことではありますが、これが余りにも硬直してしまいますと、すなわち柔軟性を失いますと祝福を得損ないます。これは問題です。あなたの目の前にある「実りは多い」のですから(ルカ10:2)。
 魚のカマスの話をしましょう。水槽に水を張ります。まん中にガラスの仕切りを置きます。片方には空腹のカマスを入れます。もう片方には大好物の餌をぶら下げて置きます。想像がつくと思います。カマスは餌めざして突進します。しかし鼻を強く打つばかりでいっこうに餌にありつけません。カマスが同じことを何度も何度も繰り返した後にガラス板を外します。カマスは、ここぞとばかりに餌に食い付いたでしょうか。そうではありません。目の前に餌があっても何の反応ももはや示しません。
 私たちはカマスの行動を笑うわけにはいきません。「いままでこう考え、行動して来た」と言い、私たちはそのパターンからなかなか脱却できないものです。先入観と言ってもいいでしょうか。偏見、思い込みとも言えるでしょうか。でもこれが目の前の祝福や実りを逃すことを招来します。柔軟性が求められています。「もう、ダメ!」とどんな場合もそう決めつけないでください。神さまは何でもおできになる方であって、まさに何が起きるか分からないのですから。この箇所では死人が生き返ったではありませんか。着物に触ればいやされると信じた人がいやされたではありませんか。柔軟性を持つ者が収穫できます。

 柔軟性を持つために2つのことを確認しましょう。1つは私たちは日本に生まれ、生活していて運がいいということ。国連難民高等弁務官の緒方さんは「日本ほど恵まれた国はまれだ」と言っておられます。世界中を見て来られた方の発言だけに説得力があります。このメッセージを準備している間にもタジキスタンで停戦監視団の一員として活動していた秋野豊さんが射殺されたとの報が耳に飛び込んできました(1998.7.24)。プロテニス選手の伊達公子さんは「日本人で良かった。日本はほんとうに恵まれている」と言いました。ツアーで多くの国を転戦してきた彼女はこう言っています。あなたが日本に生まれたこと、そして生活していることは決して偶然ではありません。ユニセフによれば、1000人あたりの乳幼児死亡率は6人です。ソマリヤでは211人です。なんと5人に一人は5歳までに亡くなるのです。国中にお母さんの泣叫ぶ声が聞こえるようではありませんか。アメリカでは14分に1人が銃殺されています。日本はチャンスの多い国です。欠点は恵まれ過ぎて人々は有り難味を理解しなくなっているということでしょう。
 もう1つはだれにでも欠点や弱点や困難はあることを自覚していないということ。「苦しんでいるのはきっと私だけ」という思い込み、すなわち柔軟性のなさがあなたの心を暗くします。1年間に登校拒否の中学生は6万人、高校中退者は10万人、離婚件数は20万組、自殺者は2万人、寝たきりの人は80万人、アル中は220万人などなど、数え上げればきりがありません。みいーんな悩んでいるのです。
 欠点の話もしましょうか。ナポレオンはクラスで一番背が低かった。ピカソは雑誌に文章を発表したところスペルが間違いだらけだった。ベートーベンはかけ算ができなかった。ノーベル賞を受けた朝永博士は登校拒否児だったなどなど。どうか、欠点がある、問題を抱えているということで否定的な結論を出さないでください。
 心理学者のウイリアム・ジェームズは「私たちの持っている欠点が私たちを助けてくれる」と言います。カール・ルイスは2才年下のキャロルには子どもの頃から頭があがらなかった。彼女は十代のはじめには全米チャンピオンになっており、彼は劣等感の中で悶々としていた。しかしあるとき奮起して一生懸命に練習を始め、ついにロスアンゼルスオリンピックでは4個の金メダルを獲得し、陸上界のスーパースターになった。心理学者アドラーはこう言いました。「人間が持つ驚くべき性質の一つはマイナスをプラスにする力である」。どうか欠点や弱点やないものに目をとめないであるものに目を留めてください。
 電車の線路に飛び込んで日本の足と片腕を失った田原米子さんは「私には3本も指がある」といつも前向きです。以上の2つのことを覚えて柔軟性のあるあなたであってください。収穫はいっぱい得られるでしょう。

目標[18−22節]

 あなたには今、目標があるでしょうか。娘を亡くした会堂管理者は決してその命をあきらめません。12年もの間、病気で悩み、すべてのお金を費い果たしてもこの女性は回復をあきらめません。目標を持ち、目をはなさないでいる者は必ず達成するのです。
 ところでここで目標を持つことの意味を、またその性質を確認しましょうか。目標を持つとは、あえて不安定な状態にすることです。自由意志に反して不安定にさせるものを試練と呼びます。共通するものは成長というすばらしい結果を刈り取るということです。ある人たちは目標を掲げることが苦手です。無意識のうちなのでしょう。知っているのです。不安定になることを嫌っているからです。でも自分を成長させたいならあえて目標を掲げてください。
 人間と動物との違いは何でしょうか。人間だけが希望を持ちます。人間だけが夢を持ち、目標を掲げます。アメリカにサンダースという俳優がいましたが、「有名になれた、金持ちにもなれた、では私は何のために生きる?あー、分からない」と言って自殺してしまいました。アウシュビッツで「必ず生き抜くぞ」と戦ってきた人たちが解放されたとたんに、息絶えて行きました。お分かりでしょうか。なお生きた人々はさらに先の目標を持った人たちでした。今シーズン(1998年)は巨人軍の清原和博選手はまあまあの成績と言えるでしょうか。昨年は不振でした。それを予言した学者(理化学研究所・脳科学総合研究センターで脳型コンピューターの開発に取り組んでいる松本元)がいました。巨人軍に入団したときの様子を見てこう確信したそうです。「今年は不振だ」。私はその理由を聞いて感心しました。「彼は少年時代から巨人軍に入ることを夢見て来た。その夢はついに達成された」。オリンピックの金メダリストにもそういうことを話した人がいます。「金メダルを取った時、私は大変感激しました。国家の演奏を聞き、国旗が上がっていくのを見て涙が止まらなかった。でもその晩、ひどく憂鬱になりました」。
 どうか目標を常に掲げるようにしてください。もしあなたが先に学んだように柔軟性を持っておられるならば、聖霊さまのインスピレーションを感じるでしょう。あなたにはすばらしいアイディアが届けられるでしょう。ふたの閉じられた箱にはもはや何も入れることができないものです。この世界には不思議なことはたくさん起きるのです。神さまの世界だから。神が人となるとか、全くもって考えられないことが実際に起きるのです。あなたの罪を吸収して、代わりに死んで、苦しんでくださるお方がおられるということもあるのです。とにかく不思議がいっぱいなのがあなたの済むこの世界です。柔軟性に富むあなたにはインスピレーションが豊かに働くことでしょう。そのインスピレーションの行く先に、指し示す先に祝福があります。

価値[1−38節]

 あなたはご自分の価値を信じていらっしゃいますか。「私の人生は生きるに値する」「私の存在には価値がある」。「私はこの家族の中で、夫として、妻として、親として、子どもとしてその存在に価値がある」というふうに。
 イエスさまの哀れみの対象は何でしょうか。答えは人、です。特に2節と3節のやり取り、そして9節から11節のやり取り。32節と33節のやり取り。一方の当事者は律法学者であり、パリサイ人です。彼らはいったいこのような場面で何をしているのでしょうか。彼らは神学論争を好んで仕掛けようとしています(ヨハネの弟子たちはこれからイエスさまの弟子になろうとしている者たちですから、ただ単純に理解能力の不足と考えられます。14−17)。
 神学と人間、規則と人間、教会堂と人間、どちらが大切でしょうか。イエスさまのあわれみの心は12、35、36に表現されています。あなたももちろんイエスさまの哀れみの対象です。あなたはイエスさまに愛されています。イエスさまはあなたを優しい目で思いやりの目で見つめていてくださいます。
 最近人工受精や体外受精のことが話題になっています。いろいろなテーマがそこにはありますが、結局のところ自分の、正真正銘の自分の子どもが欲しいということに尽きるでしょう。つまり私たちは自分の子どもを特別な存在と認識しているのです。他人の子どもを自分の子どもと同じようには取り扱うことが難しいから議論が発生しているのです。いかに自分の子どもは可愛いか、特別な存在であるか、です。自分の子どものためにはどんな犠牲でも払うのです。
 あなた神の子です。そうですね。ならばあなたは特別に愛されています。私は日本語を一部改善すべきだと考えています。ものを人にあげるときに「つまらないものですが・・・」と言います。「つまらないもの」をなぜあげるのですか。もちろん私は知っています。謙遜の美徳です。でも、できるのに「できません」、知恵があるのに、「愚かな者です」と言うのは、うそであって聖書の思想と矛盾します。もしどうしても「私は愚か者です」と言いたければ、必ず「神さまと比較して」という枕詞を付けてください。
 神さまはあなたに良いものをくださっています。種々の賜物、タレント、能力をくださっています。あなたは「神のかたち」をもって造られました。壊れた、ゴミのような部品で造られたのではありません。あなたには価値があります。あなたの人生には価値があります。あなたの人生は生きるに値する人生です。


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