119.あなたは世の光

聖書箇所 [マタイの福音書5章14−16節]

 あなたは今輝いていますか。家の中だけでなく、世の中でも、どこでもあなたは光り輝くことができます、というのがこの箇所のメッセージです。いかにしてこのことが可能か、ともに考えて参りましょう。

升を取り除き、燭台を使う

 パレスチナでは7.24リットルの升が一般的でした。ところで升をなぜ燃えている光にかぶせるのでしょうか。まさかそんなことをする人なんていないでしょう。そうです。いないはずです。でもいるのです。升、とはブツブツや不平不満、怒りや憎しみなどを指しています。イエスさまを心に受け入れると、あなたの心は光り輝き始めます。そうです。もう光り輝いています。でも・・・。どうかブツブツや不平不満、怒りや憎しみなどをやめてください。人々はあなたの輝く光に期待しています。
 お母さんが子どもにこう言っていました。「なぜ、教会に行かないの。前から言っているでしょ!クリスチャンになりなさいって」。子どもはこう応じました。「だって、僕、お母さんみたいになりたくないんだもん」。このお母さんは子どもの顔を見れば、ガミガミ、ブツブツ、いつもいらいらしていました。

 ノーベル賞を受けたカレル博士は「悩みに対処する方法を身に付けていないビジネスマンは若死する」と言いました。ビジネスマンだけではありません。主婦だって、学生だってそうです。悩みを抱えることは仕方がない、問題に直面することは仕方がない。地震が起きることは避けられない。ならばどのように対処するかを考えなければなりません。あまり悩み込むないことです。
 心理学者のルシャンがこう言っています。「癌になった人を調べると明らかに一つの傾向が見られる。絶望感、悩み込むこと、物事を悪い方へと考える、この3つが顕著である」。
 ケイツ博士の実験によると人が吐く息は液体空気で冷やすと、怒っている人の沈澱物は茶色、苦悩している人のは灰色、悔やんでいる人のは薄い赤、精神的に安定している人のは無色でした。怒っている人の沈澱物をねずみに注射したら、数分後には死にました。人間の体は確かに製造工場ではありますが、場合によっては毒物を製造もするのです。升は取り除かれなければなりません。
 箴言のことばを紹介しましょう。「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす」。どうか燭台の上に灯を置いてください。燭台とは神さま、愛の神さま。「私は神さまに愛されている、イエスさまに愛されている」と信じつづけることです。

イエスさまのご性質という新しい灯心を燃やす

 あなたは古い灯心を燃やしていませんか。古い灯心は力強く燃えません。湿っていたり、固くなっていたりして。生まれながらの人の性質はそうです。罪によって湿っています。もし全く燃えていないときは、その灯心はさらに冷たい印象さえ与えます。罪を持ったままでいると、罪責感が胸を締め付けます。あなたはいかがですか。罪に悩みませんか。
 イエスさまのご性質と言う新しい灯心とは聖さです。輝きますよー、聖さがあるとき。
 パウロは初代教会を建てあげた偉人です。彼はユダヤ教徒であって、正統派を自ら任じていました。でも心の中には大きな、決して無視できない葛藤がありました。人は葛藤があるときには、一番身近な人を攻撃するものです。ユダヤ教とキリスト教とは極めて近い関係にあり、彼にとって格好の標的となりました。でもイエスさまとの決定的な出会いがあって、彼はすっかり変えられてしまいました(使徒9章以降参照)。彼には厳しい罪との戦いがありました、でもこれが幸いしました。イエスさまのあがないの意味が非常にあざやかなものになりました。明治時代には立派なクリスチャンたちが輩出しております。
 植村正久は末弟が謀殺罪で死刑の判決を受けて、深く悩みました。「私には殺人者の血が流れている」。
 内村鑑三は一人の子どもがすでにいながら離婚をしたことに悩みました。でもこの種の悩みに悩むことは幸いです。事実から逃げない人は幸いです。事実を直視する人は幸いです。イエスさまによって聖められるからです。

神のみこころという油をいただく

 あなたは灯心自体は燃えてはいないことをお忘れではないと思います。いや、燃やしてしまってはいけないと言ったらいいでしょうか。燃やすべきは油です。でも灯心を、すなわち自分を燃やしてしまう人は少なくありません。たこが自分の足を食べて生きようとするようなものです。
 最近はワーカホリック・チュードレンということばをよく聞きます。5つの特徴があります。

@仕事中毒
A周囲の人々も仕事は楽しいと誤解
B能力があり業績を上げていれば周囲の人々は自分の思い通りに動いてくれると誤解
C家庭を振り返らない
D過労死寸前まで働きつづける

です。確かに有能かも知れませんが、このように幼稚っぽい人は間違いなく治療の対象です。自分を燃やし尽くそうとしています。伸び切って、切れてしまったゴムはもう使い物にはなりません。復元できなくなるようになる直前で緩めることによってゴムのゴムとしての存在価値は保証されます。もし切れてしまったら、もはやゴムではなく、単なるゴミです。
 自分を燃やしつくしてしまう人の一つの特徴は試練にはもはや耐えることができないということ。試練は確かにうれしい経験ではありませんが、私たちには必要なものです。試練によって人格は磨かれ、大きくされ、魅力的にされます。このような恵みを、自分を燃やすことによって捨ててしまうことは利口ではありません。
 燃やすべき燃料としての油は何でしょうか。神のみこころです。パソコンにはパソコンの役割があります。その役割を果たさなくなったら、捨てられても文句は言えないでしょう。あなたは一人の人間としてこの世に生を受けました。神さまによって。あなたがあなたとして本来の輝きを持つためには神さまのみこころにそわなくてはなりません。神さまのみこころこそあなたが光り輝くための燃料です。どうかへりくだって、神さまのあなたへのみこころを求めて下さい。
 ツレファテのやもめ女の話を思い出します。残りのすべてである粉を食べて死のうと考えていた彼女はそれを神の人エリヤに全部ささげてしまいます。ところがなんといつまでも瓶の中の粉も油も尽きないではありませんか。不思議なことです(第1列王記17章を参照)。神さまはあなたから何かを欲しいのではありません。あなたの信仰を見たいとお考えです。その信仰によってあなたを祝福したいと願っていらっしゃいます。

輝くために正しい動機を持つ

 輝くためには正しい動機が必要です。あなたはご自分を輝かせたいとお考えですね。どのような動機によってでしょうか。人に見せたいのでしょうか。「立派な人ね!」と関心を引きたいのでしょうか。16節の後半をお読み下さい。神さまをお喜ばせしようとすることが大切です。
 ロバート・シーモアは乱暴者で有名でした。あだなはアニマル。刑務所に入れられても相変わらずそのひどさは続き、ついに独房へ。5日目、一人の人が入って来ました。少なくとも彼にはそう見えました。イエスさまでした。彼はイエスさまのなんとも言えないその姿にショックを受け、すっかり人が変わってしまいました。看守はおそるおそるドアを開けると、そこには全くの別人とも見えるロバート・シーモアがいました。彼はいま、伝道者をしています。
 どうかイエスさまをあなたにとって一番大切な存在として認めてください。あなたは効果ある動機で光り輝くことができるでしょう。
 「村理論」をご存知でしょうか。いつの場合も親しく交際できる人数枠は決められている、というものです。その人数は2−3人。ある人たちは多くの人々の間を渡り歩いて親しい関係を求めます。でもしばらくして言います「私には親友がいない!」。それはこの理論によれば当然です。人には人間関係上の一定の容量があるのですから。仮にそれを10としましょう。10人と交際すれば一人につき容量として1しか割り当てることしかできません。薄っぺらい関係でも仕方ありません。もし3ー5を割り当てることができたらどうでしょうか。それだけのエネルギーを費やすことができたら。この理論はもう一つのことを教えています。すなわち人間関係における優先順位です。あなたにとって一番大切な人はだれですか?2番目は?私に助言できることは一番にイエスさまを据えてください、です。
 国際弁護士の佐々木満男さんは弁護士になって6年目に、忙しさから離れ、人生を見つめなおそうとメルボルンに留学しました。そのときに出会った新婚夫婦がこう証ししたのを聞いて感動しました。「私は今とても幸せです。私は妻を愛しています。でも妻よりももって愛している者がいます。イエスさまです」。妻も同じように言いました。佐々木さんの生き方はこのときをきっかけに変えられました。いま光り輝いておられます。あなたも光り輝きます。


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