14.お祈りが聞かれるために

 今回は新約聖書マルコの福音書11章12節から25節までを学びましょう。まずは皆さんでお読みください。もしかするといくつかの話が重なっているので分かりにくいかもしれません。簡単になぞってみましょうか。
 二つの話があります。ひとつはイエスさまご一行がエルサレムに着かれ神殿にお入りになったところ、不道徳が信じられない程はびこっていることに気が付かれ、イエスさまはそれに激怒されたというものです(15〜18)。
もうひとつは22節から25節にあることで「心の中で疑わず、ただ信じるなら、そのとおりになる。山だって動かしてしまうことができる。」というもので、お祈りに関することです。
 この二つのお話を「実らないいちじく」の話がセメダインの様にくっつけています。いちじくにとってはちょうど実るはずがない時期−過越の季節、つまり4月の半ば頃で通常は5月か6月にならないと実をつけないでちょっと理解し難い部分もある箇所ですが、ひとつ確実なことはお祈りというテーマがあり、実らない、つまり祈りが聞かれないことくらい全く不自然なことはないというメッセ一ジが含まれているということです。この箇所からどのような場合に祈りが聞かれるかを学んで行きましょう。

神と人とに尊敬の気持ちを持つ

 神さまは偉い!この人もあの人も立派な人!という思いを持たなければなりません。ピリピ人への手紙2章3節を皆さんでお読みください。神を正しく知ると他の人に対してもバランスの取れた接し方をすることができるようになります。
 しかし当時神殿の中ではこんなことが平気で行なわれていました。両替人の罪といわれるものです。敬虔なユダヤ人は年に1度は現在の邦貨に換算して約1万円を献金しました。ただし通常の通貨でではなく、神殿用のものでなければなりませんでした。ところが 両替の手数料が4000円もしたのです。それだけではありません。犠牲としてハトを捧げる必要がありましたが、市場では1万円の所15万円もしました。全くひどい話です。ならば自分で買ってきて捧げたらいいのにとお思いになるでしょうか。だがこれはもっと難しいことでした。もし自分で犠牲のハトを持ってくるなら係の者はいろいろと難癖をつけていずれかの部分を「キズ」と判定をしてしまうのですから。神さまに捧げるのに「キズ物」はいけません。
 いちじくの木、それはこのような悪習慣を排除できないイスラエル人、を指していました。実る、つまり祝福される、はずがありません。私たちは互いに偉ぶったり、エゴイストであったりしてはいけません。神さまはあなたの心の中を見ておられ、知っておられます。イエスさまは天におられましたが、先程の続きをお読みください、ピリピ人への手紙の2章4節から11節です。神(創造者=格が上位)でありながら、謙虚にも人(被造物=格は下位)となって私たち(もちろん被造物)の間に住まわれました。プライド高いお方ではありませんでした。謙虚な人を神は祝福されます.

信じて祈る

 あなたの願いは何ですか。解決してほしい問題は何ですか。更に別の質問もあります。祈るときにあなたは信じて祈りますか。真に期待して祈りますか。「どうせ聞かれないんだから・・・」というように祈ってはいませんか。少なくない人が初めから諦めて形だけ祈っています。
 「聖別された(聖められた)ガメツサ」というものを覚えましょう。「私を祝福するまで離しません。」(創世記32:22〜32)と言ったヤコブを見習いましょう。なぜならこういう約束があるからです。マタイの福音書7章7〜1節をお読みください。どうかすぐに諦めないでください。神はあなたを愛しておられます。神はあなたに 何が必要であるか御存じでいらっしゃいます。ただ”時とあなたの熱意” が必要です。「神さまだってこのことはできないだろうな・・・・」と考えることを「神を小さく考える。」あるいはそういう神を「小さい神」と表現します。
 あなたの神さまの大きさはどのくらいですか。大きいですか。小さいですか。真ん中へんですか。それはあなたの選択です。「山」(23)とは通常動かないものです。でも動くのは「動くと信じる信仰」のせいです。最後は信じる者が勝利するのです。何を信じる者ですか。「神さまから私への個人約な祝福」を信じる者です。あなたの「山」は動きます。

人の罪を赦す

 あなたに悪いことをした人がいますね。その人の罪を赦してあげてください。赦さないのは罪です。罪を無くすとあなたはそのとき聖められて神さまと波長が合うようになります。神さまは聖いからです。と同時に神さまについて「解った!」と叫ぶ瞬間を経験します。それはちょうどあなたがラジオのダイヤルを回して、お目当ての放送局を探し当てるようなものです。「ガーガー、ピーピー・・・、突如はっきりした声と音」そんなような経験です。
 もし今あなたが罪を感じるなら神さまに向ってはっきりと悔い改めてください。必要なら人に対してもしてください。神さまはイエスさまの十字架の功績により赦してくださいます。それも即座にです。なんと有難いことでしょうか。イエスさまはご自身の上にあなたの罪を引き受けられ、厳しい罰を甘受されました。それゆえにあなたの人生からは罰や呪いや裁きが通りすぎなければなりません。「即座の赦し」という特別の恵みにあずかったあなたは今や神さまとの太いパイプを持ったのであり、大胆にあなたの必要を訴えることができます。ヨハネの手紙第1の1章9節をお読みください。あなたのお祈りが聞かれますように。

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