156 もっと上のクリスチャンへ

聖書箇所 [使徒の働き13章2節]

 だれにも成長欲求があります。「このままではおれは終わらないぞ」、「こんな私はほんとうの私じゃあーない!」きっとあなたもそのようにお思いではないでしょうか。今回はパウロからもっと上のクリスチャンへ、という題で学びましょう。彼は実に成長欲求の強い人です。決してクリスチャンに対してだけではなくて、人としても知るべき重要なことをお話しましょう。
 
人に助けてもらうこと

 私たちの尊敬するパウロはどのようにして誕生したのでしょうか。それは人々に助けてもらってです。使徒の働き9章を見てください。高慢であったパウロをイエスさまの光が打ち、彼は地に倒れ伏しました。目が見えない彼を助けたのがアナニヤでした(10-19)。次に彼を助けたのがバルナバでした。いままでクリスチャンたちを迫害していた者が突然クリスチャンになったとしても、おいそれとは信じられないのが人情ではないでしょうか。そこでバルナバが保証人になりました(26、27)。なんとありがたいことであったでしょう。こうして偉大なパウロはキリスト教界にデビューできたのです。ところでパウロはプライドの高い人です。そのような人は二つの特徴を持っています。一つは、私は何でも知っている。もう一つは私には助けは不要、です。人を助けてやることはあっても助けてもらうことはない。実は私もこのような性格でした。何でも自分でやらないと気が済まないという思いです。でも決してすべてが成功するわけでもないのです。というよりも成功しない方が多かったのですが、それを認めることが不得手でした。でもだんだんイエスさまに打たれて、パウロと同じです、鼻を折られました。高慢な者は、神さまに用いられるために試練に会います。次に示されるように。

 主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」(15、16)

 どうか他の人に助けられることを拒否しないでください。その人もある大切な一つのことに取り組んでいます。あなたがいなければ目的を達成できません。それは愛すること。そうです。彼は愛する練習をしています。あなたがその愛を受けてくれなければ上達しません。あなたが愛を受ける時、あなたは一人の友人を得たと言えます。結局私たちの人生では友人たちの助けがなければ何もできないのです。どうか謙虚であってください。私は他の人の応援なんか要らないんだなんて言わないでください。友人とは神さまからあなたへのプレゼントなのですから。

赦すことに苦しむこと

 あなたは赦すことに苦しんでいますか。そうです。難しいことですねえ。
 2001年10月11日の日本経済新聞に日本軍の捕虜になったオランダ人たちが損害賠償を求めて訴訟を起こしたこと、および東京高裁の控訴審判決が下ったことが載っていました。日本軍はきっと悪いことをしたのです。でもオランダ人たちもインドネシアを植民地にしたり、悪いことをしたのです。ここに人間の持つ性質が明らかです。自分の犯した罪は忘れやすく、犯された罪を決して忘れない、という。つまり赦すことはほんとうに難しい!パウロはこういう人の典型です。赦すことが難しく、さばくことが得意。しかしここで一つの重要なことを指摘したいのです。さばきやすいとは成長欲求が強いことを意味しているのです。成長欲求の強い人こそが目の前にあるものが気になって気になって、ことごとく障害物に見えたりします。先に話しましたバルナバとの関係ですが、使徒の働きという書物の中でのことですが、はじめはバルナバとパウロ(15:26)というふうな主語表現だったのが、だんだん逆転して来て、パウロとバルナバ(35)、という言い方になって行きます。そういう微妙な時期ではありましたが、ついに大げんかになってしまいます。それは15章36ー39節にあります。それにしてもけんかをすることはないのです。ここにまだまだ成長途上のパウロの姿があります。かつてパウロはクリスチャンたちを一生懸命に迫害していました。ここにも彼の赦せない性質がいかんなく発揮されています。パリサイ人としてユダヤ教の本流中の本流を自他共に認める彼は新興教派の勃興や発展を赦すことができません。啓示(神さまから人間に向けて示される情報)は進展します。創世記の頃の啓示の量と質は時代が進むに連れて少しずつ増し、新約時代には膨大なものになります。ちょうどその著しい増加の時代にパウロは生きていました。そうしてそれを受け入れたのがクリスチャンであり、そうしなかったのが、パウロでした。彼からするとつい足を引っ張りたくなる、というのが心理でしょう。守旧派と言ったらいいでしょうか。保守派とでも言いましょうか。これが迫害の主役になったいきさつです。人間というのは、なんて自分を変えることが難しいのでしょうか。先を行く者の足を引っ張ってしまうものなのでしょうか。おれができないことをするなとつい言いがちです。今私たちの課題は赦すというテーマです。そうです。だから苦しむのです。
 コーリー・テン・ブームはその著書『私の隠れ場』で自分の妹をナチに売った婦人を赦す戦いを記しています。赦す戦いをし、ついに赦す。これが彼女を大きく成長させました。そうです。苦しんで苦しんで大きく私たちは成長させてもらえます。しかし一方で苦しみ続けるのは辛い!のはほんとうです。事実です。どのようにしたら耐えられるでしょうか。それは神さまのハートに触れること。
 動物園のさるを観察していた精神科医がある発見をしました。母ザルが子ザルを抱き上げる回数は42回、そのうち40回は左腕で抱き上げました。右腕ではたった2回でした。次には一つの実験をしました。左腕で抱き上げるグループと右腕で抱き上げるグループとの間に生育に影響の違いはあるかというものです。ありました。前者は順調に成長しましたが、後者は情緒不安が顕著でした。実際は感情については視床下部(脳の下にある)が重要な働きをすると言われていますが、でも人間の心をハートと言うように、心臓の近くに感情やら気持ちを表現し、伝達する何かがあるようです。母親の気持ちや愛を伝達されて成長するのです。神さまはあなたを愛しておられます。あなたは神さまに愛されています。そのことをいつも忘れないでいてください。それが苦しみの時もあなたをして忍耐させ、ついには赦す喜びの世界へとあなたを誘います。

いい顔といいことば

 次のみことばを見てください。

 このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。私たちの神の御前にあって、あなたがたのことで喜んでいる私たちのこのすべての喜びのために、神にどんな感謝をささげたらよいでしょう。私たちは、あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています。(。テサロニケ3:7-10)

 このように言うときのパウロの顔があなたには想像できるのではないでしょうか。やさしさいっぱい、思いやりに溢れ、穏やかな顔。私たちは人と会うとき、まず顔を見るでしょう。そしてことばを交わすでしょう。顔とことばは重要です。先日私はロスに行って来ました。炭疽菌騒動の最中、旅行会社の方には感謝されました。「このような時期によーくおいでくださいました」。だれもが破顔大笑。私ももちろん、言われて、感謝されてうれしくなりました。そしてこうも言われました。「来週も来てください」(半分冗談であったでしょう)。これに応じることは私には不可能でしたが、感謝の気持ちがよーく私には伝わって来ました。現地では旅行関係の人たちが失業しているのですから。でもこのよう場合に次のように言われたら、あなただったらどのような反応をなさるでしょうか。「今の時期こそ、あなたは旅行をすべきです。なぜならそれこそがテロに負けてはいないことをあかしするからです。あなたが正義を貫こうとなさるなら旅行をすべきです。ロスに来たのは当然のことです」。正義を振り回しすぎるとぎくしゃくするものです。
 かつてコカ・コーラが日本で販売を始めようと考えたのが、「飲め!コカ・コーラ!」でした。これでは日本では受け入れられないと日本側が考えたのが、「スカッとさわやか、コカ・コーラ」でした。顔、ことば、いずれも私たちの質の良い人生には重要なファクターです。そしていい顔といいことばくらい他の人に希望と愛と将来を与えるものはないでしょう。私たちはこれらに飢えています。人々の求めているものに答えることのできる者こそ成長している者の特徴です。では最後に私たちは成長を遂げるために何をすべきでしょうか。それは以下です。

 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。(使徒13:2)

 聖霊さまがあなたを助けてくださいます。あなたの中にイエスさまがおられますか。ならばいつも悔い改めて聖い生活をしていてください。あなたの中で聖霊さまは力強い働きをして成長をさせてくださるでしょう。
 ロシアの文豪トルストイは下にあるように、イエスさまの教え通りに生きようとしました。

 心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。(マタイ5:3ー)

 貴族であり、金持ちでしたが、財産全部を人々に分け与え、最後は田舎の小さな駅の待合室で亡くなりました。すばらしい理想を掲げましたが、ある一つの重要なことに気がついていませんでした。それが聖霊さまのお働き。あなたを真に成長させ、聖書の教える基準に近付けさせるのは聖霊さまのお働きです。
 あなたの人生に祝福をお祈りいたします。