16.世界一の自由人

 世界一の自由人はクリスチャンであるというとかなり挑戦的でしょうか。「世界一 かどうか分からないけど私は自由よ!」日本という国は実にありがたい国であって、 何に対しても、だれに対しても自由に批判できます。たしかに私たちは自由です。 しかし今回学ぶ自由はこのようなものとはちょっと趣きが違ううものです。まずは新約 聖書・ヤコブの手紙第1章19節から27節までをお読みください。

語ることにおいて自由

 語ること・しゃべることはそれなりに意味のあることです。ストレス解消、相手 に何かを伝えたい時の手段など。しかしもし私たちが「言いたいから言う。」、「し ゃべりたいからしゃべる。」ということなら、きっと私たちは自由ではないでしょう 。というのは後にその実を刈り取らなければならないからです。たとえば相手を傷つ ければいつかしっペ返しがあるものです。
 真に自由な人は相手の心を傷つけないばか りか、かえって励まします。したがって降ってくる火の粉から逃げ回る必要もありま せん。
 どのようにして私たちは「語るにおそく」(1:19)、つまり語ることの自由 、あるいはセルフコントロールを得られるのでしょうか。それは「聞くにはやい」( 同)お方、神さまを私たちが知るときです。神さまは私たちの悩み、苦しみをすべて 知り、私たちの心の内側を理解していて下さいます。このようなことはお祈りの中で 非常にはっきりと経験できます。お祈りとは会話であって、自分の側から一方的にし ゃべることではなく、少なくとも同量の時間耳を傾けなければなりません。また私た ちが神さまのおことばをよく学ぶ習慣があるとき、「あのときのことばは全く悪いも のだった・・・・」と自分勝手に自己嫌悪感に陥ることを防いでくれます。神さまは ときに「あのことばは悪いものではなかった!」と教えられることもあります。また 神さまを信じて、父と仰ぎ、互いに兄弟姉妹となるとき私たちは互いに「聞くことに はやく」、つまり聞き上手になるのでこれもまた大きな助けとなります。

怒ることにおいて自由

 私たちは不正を見聞きして怒ることがあります。しかし多くの場合怒りは自分中 心と短気が原因です。自分の思いどおりにならないとか、自分のプライドが傷つけら れたとか。
 あるお医者さんのところに若いお母さんが診察を受けに来られました。「 先生、この子の具合が悪いんです、いったいどうしたんでしょう?」一生懸命に調べ ましたが、全く原因が分かりません。お医者さんはふと思いついたように尋ねました 。「ご主人とはなかよくやっていますか?」そしてすべてが分かりました。この若い お母さんはオッパイをやりながらご主人とひどいケンカを繰り返していたのです。お 医者さんは言いました。「人間の体は一種の製造工場のようなもので、ひどく怒った り、憎んでいたりすると有毒物質を製造するんですよ。」
 この種の怒りは決して良い ものを作り出すことはありません。(1:20)あなたはいかがでしょうか。怒りや憎 しみをコントロールすることが自由でしょう。22節から25節をもう一度お読みくださ い。「自分を欺いて、ただ聞くだけのものであってはいけません。」、つまりここで は、今怒ってはいけないと良心が知っているのにコントロ−ルできずにいてはいけま せん、と教えています。実行する人が祝福される、と教えています。
 金持ちケンカせ ずと言います。怒りやすいときとはいわゆる空腹のときです。満腹になったら人は怒 ることをやめるものです。今神さまの愛で私たちの心を満腹させましょう。神さまは たった一人しかいない息子を十字架にクギづけされました。私たちの罪のせいです。 ここにあなたへの神さまの大きな愛があります。この愛を思い出すときあなたは愛の 大金持ちになって怒ることをコントロールすることができるようになります。またそ ればかりではありません。先に書いたように怒ると有毒物質を製造して困るのは怒る のは私たち自身であることを知って、かつ自分を愛するようにとの神さまのお考え を学び、怒るのをおそくなるようにもなるのです。

汚れや悪から自由

 ある若い女性がこう言いました。「私はどこへ行くのも全くの自由だわ。」彼女 はいかがわしい歓楽街に出入りしていることを弁明したかったのです。友人は心配し てこう助言しました。「確かにそれはあなたの自由ね!でも私は昨年、友だちとグル ープで炭鉱を見学したときのことを思い出すわ。ある人が真っ白な服装をしていたの で、私が注意すると、彼女は案内の坑夫さんに『白い服では入れませんの!?』 と イライラをぶつけました。『大丈夫ですよ!でも白いままで戻ってくるのはなかなか 大変ですよ!』
 もし私たちがイエスさまを心に迎えるなら、して良いこと、しては良 くないことなど、私たちの心に教えて下さいます。イエスさまはあなたを愛していて 下さるので、あなたにとって益となるようなことだけを案内して、あなたの人生を祝 福して下さいます。何とありがたいことでしょう。
 今の時代老いも若きも悪い習慣に 悩んでいます。賭け事、飲酒、タバコ、異性との不健康な関係など。問題がさらに問 題を生みます。そして大きくなって行きます。こんな環境から脱出できる者こそ自由 人です。自らを救い出せたからです。21節をお読みください。どのようにして自由に なれるのかは次の項目でともに学びましよう。

律法から自由

 律法というのは人類の心に共通して与えられているルールです。これはたいがい 道徳とか宗教とかの形で私たちは教えられます。すなわち「こういう悪いことはして はいけません、これはいいことだからしなければいけません。」というものです。し たがって少数の変な宗教を除いて大体道徳的な教えを唱えます。
 ところで教会に来ら れる方はまじめな人が多いのです。つまり上に書いたような道徳に真剣に憎んでいる 人たちです。「どうして私にはこの正しいことが行えないのだろうか?」と。27節 のおことばは真実です。もし私たちが本当の自由人であるなら、このような悩みから も自由であるはずです。あなたの中に住んでいらっしゃるお方がカギです。十字架で 死なれたけれども、三日目によみがえられ今あなたの中で生きておられるお方、イエ スさま。彼はあなたの中で聖霊さまと呼ばれます。このお方があなたに力を与えます 。真の礼拝の心とともにあなたの中に働かれます。

世界一の自由人としてのあなたに祝福を祈ります。