165 十戒の奥義

聖書箇所 [出エジプト記20章1ー 23節、ガラテヤ人への手紙3章23ー26節]

 十戒って何でしょうねえ。それは栄養のいっぱい詰まったエキス、そうして養育係(ガラテヤ3:24-25)。霊の親である私たちの父なる神さまからの愛のプレゼント。それはいつあなたの手に入りますか。「信仰が現れた」ら、つまりイエスさまを信じたら、です。これはあなたへの約束です。ではどんな祝福があなたに成就するのかを見て行ましょう。

第一戒 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。[20章3節]

 これは、天地の造り主なる神さまとあなたが相思相愛の関係になる、という恵みです。愛しあっている間柄って、周りから見てもうるわしいものですねえ。たとえば夫婦。さて愛しあっている恋人たちは喫茶店で、お金がないせいもありますが、一つしかオレンジジュースを注文せずに、二本のストローをさして、チューチュー。なんてかわいらしい光景。お互い好きあっているから。でもこうしているうちが花。『星の王子さま』で有名なサンテグヂュペリがこう言います。「愛とは互いに見つめあうことではなく、同じ方を見ること」。やがて二人は結婚して、「今月の家賃の支払いはどうしよう!?」と悩みます。好きから出発し、愛は成長します、苦労の末。その苦労のゆえに愛は美しいものです。私たちは人生の中でイエスさまの尊い十字架の上における犠牲に気がつくときが来ます。そのとき、私たちは父なる神さま、すなわち天地の造り主なる神さまと相思相愛の関係に何の無理もなく入ります。
 かわいい少女が泣きべそをかきかき家に帰って来ました。理由を聞くと、クラスの仲間が「『お前の母さん、おばけ!』って言う」と訴えます。確かにお母さんはみにくい顔をしていました。おかあさんは理由をゆっくりと説明し始めました。「まだ、あなたが赤ちゃんだった頃ね、家が火事になったの。すっかり火に囲まれて逃げられないと思ったわ。そのときのおかあさんはね、あなたを毛布にくるんで火の中に飛び込んだわ。そのときにこんなふうに焼けてしまったの」。この話を聞いた少女は顔を上げてうれしそうに「お母さん、大好き!」と抱きつきました。私のお母さん、ここにいるお母さん、世界でただ一人!って言いたかったのです。
 父なる神さまはたった一人の子イエスさまをあなたのために捨ててくださいました。これこそが地上最高の愛。あなたはこの愛にどう答えますか。

第二戒 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。[20章4節]

 これは、天地の造り主なる神さまこそ私のすべての問題の最終解決者であると確信できるようになる、という恵みです。聖書の物語の舞台であるパレスチナやギリシアにはたくさんの偶像が存在します。偶像現象は決して日本だけではありません。世界中至るところに偶像は存在します。そして私たちを誘います。
 私は以前会社に勤めていましたが、同僚があるとき、定期入れを見せてくれました。そこにはカードが七枚も入れてありましたが、「井上さん、これ、何だと思う!?」と聞きました。私がいぶかっているとよーく見えるようにして見せてくれました。どれも新興宗教の会員証でした。思わず「なぜ!?」って聞いてしまいました。彼はこう言いました。「どれか、効くかなあーと思って」。
 彼は車によく乗るものですから、交通安全のことを考えているのです。でも「どれか、効くかなあー」とは結局どれも信じてはいない」という意味ではないでしょうか。私たちは人生の中で、天地の造り主なる神さまこそ私のすべての問題の最終解決者であると確信できるようになるときが来ます。そのとき毎日平安に過ごす事ができます。18世紀の文豪と言えば、ゲーテと並んでシラーが有名ですが、彼にはこういう逸話があります。
 ある日の夕方、友人のカールと森の中を歩いていると、夕日の光線が木々の間をぬうように、あるいは枝をかすめて、辺りを美しく照らし、なんとも言えない雰囲気を醸し出していました。シラーは感動のあまりついこう叫びました。「カール。なんという美しさ!ぼくの持っているもの、すべてを捨てても後悔しない。こんな美しさ、何にも代え難い!」。
 さすがー、と言いたいですねえ。こういった感動の瞬間を愛の神さまはあなたに用意してくださっています。それはイエスさまを救い主と分かる瞬間。神さまこそ私のすべての問題の最終解決者であると確信できます。

第三戒 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。[20章7節]

 これは、天地の造り主なる神さまを一番に尊敬できるようになれる、という恵みです。相手を尊敬すると、あなたはその人から尊敬されます。神さまを神さまとして認めると、あなたは必ずや神さまの実力を思い知るでしょう。みだりに、の意味はいいかげんに接する、軽くあしらう、の意味です。英語では神やイエス・キリストということばが悪い意味で使用されることがあります。日本でも似たようなことがあります。たとえば「アーメン、ソーメン、ヒヤソーメン!」などと言う人がいます。クリスチャンならこれには怒りを禁じ得ないでしょう。みことばへの尊敬が必要です。あなたもあなたの尊敬する人に対して、その発することばには一目も二目も置くでしょう。
 ローマ皇帝アウグストは皇后の言うことにとてもすなおだったと言われています。決して恐妻家ではありませんでした。そこで多くの女性たちからうらやましがられ、宮中の女中さんがついにこう質問しました。「どのような秘術でお上をこのようにご自由にあやつりあそばすのでしょうか?」。彼女の答えはこうでした。「私が従順であることによって」。
 従順、これは当時のキリスト教が強く訴えていた徳の一つでした。みことばでした。みことばへの尊敬はみことばを発する方への尊敬を表しています。だから不思議な事が起きるのです。

第四戒 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。[20章8節]

  これは、あなたが自分を愛することができる、という恵みです。休息の価値を私たちは知らなければなりません。休息を十分に取らないで病気になったり、まして死ぬなんて、これは罪です。冗談ではありません。確かに罪です。というのは神さまはあなたに所有権を持っておられます。神さまはあなたのオーナーです。あなたの心身はあなたのものであって、あなたのものではありません。他者のものを不親切に取り扱って良いでしょうか。大事に扱わなくても良いでしょうか。私は団塊の世代です。競争相手がたくさんいる世代です。少し休むと遅れる、という強迫観念がついてまわります。あまり良くない性分です。一生懸命に努力して休もう、休もうと自分に言い聞かせています。場合によっては休む事に罪意識を持つことさえあるのですが、というよりも私にはありましたが、今は解決されました。悪習慣なども自分の体を、ときに心も傷つけますのでオーナーである神さまには申し訳ないことです。互いに自分を大切にしたいものですね。どうかあなたのオーナーが天地の造り主なる神さまであることを忘れないようにしてください。あなたはこのお方によって立派に造られたのですから。しかも立派な作品として。

第五戒 あなたの父と母を敬え。[20章12節]

 これは、家族との良好な関係をいつも持つようになれる、という恵みです。いったい真の幸せってどこにあるのでしょうか。『警告』という題のゲーテの詩をご紹介しましょう。

 なぜ、あなたはいつも遠くへばかりさまよいでるのか。見なさい。良いものがこんなにも近くにあるのを。幸せのつかみ方さえ知ればいいのだ。幸せはいつもあなたの目の前にあるのだから。

 そしてもう一つ有名な詩。カ−ル・ブッセものです。名訳上田敏でどうぞ。

    山のあなたの空遠く     「幸」住むと人のいふ。 
    ああ、われ人と求めゆきて 涙さしぐみ、かえりきぬ。
    山のあなたのなほ遠く   「幸」住むと人のいふ。

 メーテルリンクの『青い鳥』は彼の幸福についての考えを表現したものです。チルチルとミチルの兄弟が幸福を象徴する青い鳥を求めて出かけるのですが、それは疲れて帰って来ると家でさえずっていたというお話です。真の幸せは極めて身近に、すなわち家庭の中にあります。互いに愛し、互いにいつくしむ家族の中にあります。落ち着いた家族の中で私たちは幸せを楽しむことができます。その、家族の基本はお父さんであり、お母さんです。両親に私たちは感謝しなければなりません。というのは幸せな家族とは人との適切な距離の測り方を教えてくれるものだから。 哲学者ショーペン・ハウエルが『山あらしの物語』を紹介しています。寒い冬の朝、寒さでこごえそうなカップルが互いに暖をとろうと近付きます。すると確かにあたたかいのですが、互いのとげがささって痛い。そこで離れると痛くはないのですが、寒い!というわけで、少しずつ適切な距離を見つけだすというお話。こういうことを教えてくれるのが家庭であり、それを始めてくれた両親をあなたが尊敬しなければならない理由です。恩を感じるあなたはきっとそうできるでしょう。中には、私にはできない、という方もいらっしゃるかも。それは私にも分かります。深ーく心が傷つけられた過去をお持ちですね。その部分へのいやしが必要です。そのための祈りがあります。

第六戒 殺してはならない。[20章13節]

 これは、他の人を尊敬できるようになれる、という恵みです。イエスさまによれば憎むことをしていれば、それでもうすでに、殺人です(マタイ5:21,22)。なんてきびしい!とお思いですか。憎むという心の中身は「あんたなんか、存在しなくてもいい!」というものではないでしょうか。あなたが逆にそう判定されるとすればどのようにお感じでしょうか。尊敬すれば尊敬される、このことを知ってください。デンマークの民話をご紹介しましょう。
 昔、昔、ある所に鍛冶屋さんがいました。日曜日の朝、村の教会の入口で集まった男性たちに向って、「礼拝がすんで出て来た女性たちの中で一番の美人にキスをする」と言い出しました。「そんなこと、できるか?」「いや、やってみせるよ!」「それなら、賭けるか?」「いいよ、賭けるよ」。こうして礼拝が終り、女性たちが出て来ました。だれもが注目する中、ついに一人の女性に彼はキスをしました。彼の奥さんでした。「これでは、彼の勝ちとは言えないぞ!」、と不満が渦巻きます。というのはお世辞にも美人とは言えなかったからです。彼は言いました。「私もそのことは知っている。でも私には彼女が一番!」
 なんと幸せな奥さんなのでしょう。というよりも互いが尊敬していることがよーく分かる、のでは。

第七戒 姦淫してはならない。[20章14節]

 これは、家庭を愛することができるようになれる、という恵みです。夫婦の間に他の異性が介入することはよくありません。そのことをわきまえた夫婦は良い家庭の基本的な条件を満たしています。子どもは親の生き方を見て育ちます。真似をします。特に性道徳が乱れている現代、この戒めは重みを持つと言えるでしょう。不倫も浮気も当然乍ら悪いことです。悪いことが悪いことであるとと当然のように言えることが大切です。これも幸せの決定的な条件の一つです。

第八戒 盗んではならない。[20章15節]

 これは、あなたがセルフコントロールできる者になれる、という恵みです。御霊(聖霊)の実は?9つありますね(実際は単数ですが)。御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です(ガラテヤ5:22,23)。ギリシア語では一番重要度の高いものが一番はじめに登場しますが、二番目は二番目ではなくて最後に登場します。つまり愛が一番大切、二番目は自制です。あの人は愛があるけれども、自制心がない、というのはあり得ないことです。自制心がないのは、実際的には愛もないのです。自制心がないと金銭、時間、賜物をコントロールできずに人生は空しいものになります。たとえば金の亡者と言われたり、仕事だけが人生と思って家庭を顧みない、あるいは過労死するとか、甲子園での活躍で高校球児が突如英雄になって堕落して行くとか。これらはすべて自制心を失った場合に起きることです。あなたの持つ金銭、時間、そして賜物はあなたのものと思うと失敗します。神さまのコントロール下におけばいいのです。御霊(聖霊さま)の実は文字どおり、聖霊さまの領分ですね。あなたは聖霊さまの恵みに十分にあずかることができます。

第九戒 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。[20章16節]

 これは、あなたは誠実な人柄を身につける、という恵みです。神さまはあなたを愛してくださっていますから、いつも良いものを提供してくださいます。その、良いものの中に試練があります。
 ライオン歯磨の小林富次郎は事業に失敗して自殺まで考えました。ふとポケットに手をやると葉書があることに気がつきました。それは牧師が彼に宛てたもので、こう書いてありました。

 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(ヘブル12:11)

 一念発起し、ついに事業家として成功しました。あなたに苦しさがありますか。辛い思いのときがありますか。神さまはあなたを愛しておられます。

第十戒 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。[20章17節]

 これは、あなたが毎日感謝の生活を送ることができる、という恵みです。
 江戸時代後期に備前の国(今の岡山県に)小山与一兵衛という人がいました。しかし人々は決して彼を本名では呼ばず、有難与一兵衛と呼んでいました。というのは何があっても、いつでも「はあ、ありがたい!」と言うからです。「今日もふとんから起きられる、はあ、ありがたい」。食事をして、「はあ、ありがたい」。「来客?はあ、ありがたい」、友人の顔を見て、「はあ、ありがたい」。ころんでも「はあ、ありがたい」。一時が万事こんな調子。あるとき道でお侍さんとぶつかってしまって、「はあ、ありがたい」と言ったところから大変なことになりました。「はあ、ありがたい」とは何ごとか、ただではすまさぬッ!」。でもまた「はあ、ありがたい」。それを聞いて、「もしかすると、お主は、あの有難与一兵衛!?そうか、お主が……。これは、これは、とんだ失礼を……」。そうして互いに詫びあい、それを見た周囲の人々は大笑いしてしまったと言います。
 私たちの世界は神さまがお造りになった世界であり、今もご支配くださっています。神さまのおことばと正義は生きています。いつもいつもあなたには良いものを与え、かつ満たしてくださっています。他者をうらやむ必要はありません。神さまはあなたを愛して良いものであなたの人生を楽しませ、祝福してくださいます。