167 人生設計の立て方

聖書箇所 [出エジプト記3章9ー12節]

 春になると、衣替えのせいかも知れませんが、町をさっそうと歩く人を見かけますね。見ていて気持ちの良いものではありませんか。今回は人生をさっそうと歩く方法についてご一緒に考えましょう。人生、それは神さまからの愛のプレゼント。しっかりと生きて行きたいものです。聖書からモーセ*の人生を参考に学びましょう。彼は120年生き、それを40年ずつ三等分できます。キーワードとともに順に見て行きましょう。

自分を知ること

 最初の40年です。彼はあるとき、突然、「私はイスラエル人だ、エジプト人ではない」と目覚めました。彼はゆえあってエジプトの王宮で王子として育ちました。王宮からは眼下に同胞であるイスラエル人たちが奴隷とされ大変な苦しみにあっていました。イスラエル人であると名乗り出ることは彼の立場に伴うすべてのものを失うことを意味します。それでも彼はそれを公に実行に移しました。40才のときでした。

 四十歳になったころ、モーセはその兄弟であるイスラエル人を、顧みる心を起こしました。(使徒7:23)

 自分に目覚める、自分の本来の居場所を知ることをアイデンティティと言います。私は十代の後半にはこれに激しく悩み始めました。いったい何のために生きているのか?今、ここに自分がいることが良いことなのか?真剣に悩みました。ある人は今自分がいる家庭において居場所がないと悩んでいます。リストラされた場合、居場所はまったくなくなったと言うことができます。このようにアイデンティティの問題は非常に大きなものです。では私たちの居場所はどこでしょうか。何をするべく現在の場所にいるのでしょうか。それに対する解答は、神さまに造られた、造られた目的があるという立場です。神さまがメーカーです。メーカーは明確にその目的を持ってものを作ります。たとえば洗濯機メーカーはそれを汚れものをきれいにするために作ります。どんなに洗濯機が美しいからと言って玄関のど真ん中に置いても意味はありません。いや、邪魔で仕方がないでしょう。お風呂場や洗面台の近くに置き、汚れ物を洗うのがその務めです。マイクは人の声を遠くまで聞こえるようにするものであって、それで人の頭を殴ってはいけません。あなたは神さまに造られました。あなたは何か使命とともにこの世界を生きるべく、神さまはあなたに一つの人生を用意してくださいました。使命を知るためには、どうしたらいいでしょうか。こうしてください。愛と善意と誠実の神さまが私を造ってくださったと信じてください。前向きにいろいろなアイディアが湧き、かつそれらに取り組んで行くことができます。先に書きましたように、私は悩んでいましたが、そのきっかけは自分の能力のなさに意気消沈していたからです。「私には何のとりえもない!」という思いでした。あなたはいかがですか。同じように考えたりしていませんか。何のとりえもなければ生きていることに意味はありませんね。私の悩みは深刻でした。でもあるときイエスさまが私の代わりに十字架で苦しまれた、すなわち神さまが私を愛しておられると分かったときから、私のものの見方が大きく変化してしまいました。積極的に、肯定的になって行きました。そうして22年前に大宮駅前で路傍に立ち、教会建設のスタートを切りました(開拓伝道と言います)。私にとって大宮市(現在はさいたま市)は生まれてはじめて来たところで、何の人脈もありませんでした。でも会社の勤めを終えてから路傍に立ちました。私には健康な体があり、日本語が話せ、無料のトラクトも与えられていました。そうして道行く人々に福音を語りました。私はまったく否定的ではありませんでした。すべては、愛と善意と誠実の神さまが私を造ってくださり、私のスポンサーであるという確信から来た勇気の産物でした。現在までに数カ所に教会堂を建築しました。あなたも神さまの愛から勇気をもらってください。あなたの人生において無から多くのものを産み出すようになるでしょう。

訓練

 次の40年です。訓練の期間でした。あーあ、訓練もいいけれど40年もあるんじゃあー、かなわないな、なんて言わないでください。文字どおりの40年ではありますが、新約聖書の光に照らせば、完全数であって、その人にとって必要な時間という意味です。各テーマによって異なりますが、4分かも知れないし、4年間かも知れません。さてモーセは40才のときに同胞のために自らリーダーとして立ち上がりましたが、同胞から肘鉄をくらい失敗に終りました。そのあたりの事情を見ましょうか。

 そして、同胞のひとりが虐待されているのを見て、その人をかばい、エジプト人を打ち倒して、乱暴されているその人の仕返しをしました。彼は、自分の手によって神が兄弟たちに救いを与えようとしておられることを、みなが理解してくれるものと思っていましたが、彼らは理解しませんでした。翌日彼は、兄弟たちが争っているところに現われ、和解させようとして、『あなたがたは、兄弟なのだ。それなのにどうしてお互いに傷つけ合っているのか。』と言いました。すると、隣人を傷つけていた者が、モーセを押しのけてこう言いました。『だれがあなたを、私たちの支配者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、私も殺す気か。』(同24-28)

 こうして日がたち、モーセがおとなになったとき、彼は同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。そのとき、自分の同胞であるひとりのヘブル人を、あるエジプト人が打っているのを見た。あたりを見回し、ほかにだれもいないのを見届けると、彼はそのエジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠した。次の日、また外に出てみると、なんと、ふたりのヘブル人が争っているではないか。そこで彼は悪いほうに「なぜ自分の仲間を打つのか。」と言った。するとその男は、「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか。」と言った。そこでモーセは恐れて、きっとあのことが知れたのだと思った。パロはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜し求めた。(出エジプト2:11-15)

 同じ一つの事件を二人の証言から聞くと立体感がありますね。モーセはまだリーダーとしては訓練が不十分でした。そこで

 モーセはパロのところからのがれ、ミデヤンの地に住んだ。(同2:15)

 このことばを聞いたモーセは、逃げてミデアンの地に身を寄せ、そこで男の子ふたりをもうけました。(使徒7:29)

 ミデアンの地に40年間亡命し、そこで訓練が終了したときに神さまはついにモーセをお呼びになりました。

 見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」モーセは神に申し上げた。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」(出エジプト3:9-11)

 これを読んでお分かりのように40年の間に彼は謙遜になっていました。リーダーになることは確かに神さまのおこころではありましたが、彼は時を間違えていました。でもついにその時はやって来ました。立派にイスラエル人をエジプトから解放しました。訓練をしっかりと受けると自信が付きます。ここでは訓練の恵みについて二つだけ触れましょう。一つはタレントが磨かれます。私は本来人前で話をするのが苦手です。でも今は自由に話せます。要は場数です。場数を踏むことこそ訓練です。もう一つは新しいタレントの発見。モーセは亡命の地で家庭を持ちました。これはいいことですね。独身は気楽です。自分の好きなことができます。でも結婚したらそうは行きません。何ごとも相談しなければなりません。相手の意見や都合や気持ちを配慮しなければなりません。さらに子どもが与えられたら、家庭は一番弱い子どもにペースを合せて行動しなければなりません。良い社会の条件の一つが弱者への配慮であるとすれば、モーセは貴重な経験を積みました。
 神さまはあなたにも種々訓練の機会をくださいます。いくつか紹介しましょう。
 1)基礎教育。この機会を大切にしましょう。私たちの住んでいる日本という環境は実に恵まれています。明治維新が成功したのもすでに日本全体に寺子屋という私塾が普及していたからです。昔も今も日本は識字率は世界最高です。ちなみにモーセはこう言われています。

 モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにもわざにも力がありました。(使徒7:22)

 当時のエジプトは超先進国です。そして王子として最高の教育を受けました。最高でなくても基礎教育を受けていれば成長の可能性は非常に大きいのです。
 2)実践の場。私が教会を始めた頃、ギターやドラム等ができる人はいませんでした。でも今は立派なバンドがあり、毎週活躍してくれています。へたでも毎週実践の中で続けてくれたので上手になりました。
 3)負荷プラス20%の原理。これは経験則であり、心理的かつ心理学的なものです。いままでやってみたことはないけれど、挑戦してみたい気はする、というのがそうです。無理をして50%増や100%増にするのは良くありません。失敗する確立が高いし、そうすれば劣等感の虜になる可能性が高いのです。すべてのことは少しずつするのが良いのです。20%増で成功すれば今度は120%が新しい100%です。更に続けて20%増にできます。
 4)試練。これはだれも好かないものですが、感謝なものです。

    「あらゆる逆境の中でもっとも哀れな種類の不幸は、いままで幸福であったことである」
                                         (古代ローマの詩人ポエティウス)
    「逆境こそが最上の教師」
              (19世紀にユダヤ人としてはじめてイギリスの総理大臣になったディズレーリ)
    「予、壮年より、艱難という艱難にかかりしゆえ、いまどんなことに出あうとも動揺は致すまじ。
   それだけはしあわせなり」                                    (西郷隆盛)
    「多かれ少なかれ、苦痛という代価を払わずして得られる幸福に、この世にあるだろうか」
                                              (マーガレット・オリファント)
 荒野をヘブル語でミドバルと言いますが、親戚の語でダバルがあります。これはことばという意味です。荒野は試練の代名詞、すなわち試練のときにこそ、みことばを私たちは聞くのです。
 5)与えること。与えることは罪ある人間には本来苦痛なことです。なぜって、少なくとも手にあるものが少なくとも一時は目に見えて減るからです。与えるには勇気が要ります。だから訓練。

    「与える手はどれも美しい」                             (ポーランドの俚諺)
    「牛乳を飲む人よりも、これを配達する人の方が健康にある」      (ヨーロッパのことわざ)
    「私のマッサージによって、一番健康になるのは、私です」    (あるマッサージ師のことば)
    「風呂の湯を手で向うに押しやれば、こちらへ戻って来る。手前に引き寄せれば、向うへ行って
    しまう」                                              (二宮尊徳)

 もし与えるチャンスがあったら大いに活用しましょう。

相続

 最後の40年です。良いものを残して世を去りたいものですね。それはあなたが生きて来たことのあかし。
 モーセは、
 1)ヨシュアという立派な後継者、
 2)試練に負けない信仰、
 3)常に夢を持つことを忘れない信仰、
 これらを次の世代に残しました。

 あなたは何を?いくつかのことをご案内しましょう。
 1)親としては子ども。木は実を見て分かります。伸び伸びと育てましょう。
 2)夫婦としては理想の夫婦像。ああいう夫婦になれたらなあーと次の世代からうらやましがられるのはす
   ばらしいことです。
 3)職業人としては誇りを持った働き方。自分の仕事に誇りを持っているのはすばらしいことです。会社な
   どは私たちが生きるのに必要なものを生産しています。
 4)リーダーとしては後継者を用意しなければなりません。

 こういう話があります。想像の話ですからそのつもりで。

 イエスさまが地上を去って、天のお父さまのもとに帰られたときのことです。ねぎらいつつも、ちょっと浮か
ぬ顔でした。
 「ひとつだけ気掛かりなことがある。全人類の救いという大事業を任せた相手は、ペテロをはじめ、なんと
も頼りないなあ」
 イエスさま、ちっとも動じずこう言われました。
 「お父さま、ご安心下さい。もちろん彼らは弱い器です。でも聖霊さまが彼らとともにいらっしゃるので、い
つも励まして使命をまっとうするでしょう」

 人生は白いキャンバス。神さまがあなたを愛して用意してくださったものです。あなたはこの白いキャンバ
スに自由に描く事ができます。どうか聖霊さまとともに美しい、楽しい、自分も友人も一緒に喜んでくれるよ
うな絵を描いてみてください。神さまの祝福をお祈りしています。