18.幸福の沸き上がる井戸

 ハレルヤ!神さまのお名前をたたえます。まず新約聖書・ヨハネの福音書第4章5節 から30節までお読みください。スカルの井戸の女、あるいはサマリアの女と通常呼 ばれていた彼女はある意味でとても積極的な人と言えます。なぜなら幸福を求めて何 度も環境を変えた人だからです。確かにこれは利口な1つの方法と言えるでしょう 。しかし困ったことにちっともうまく行かないのです。むしろ幸福への渇きは大き くなるだけで一向に不満な状態から解放されません。そしてついにイエスさまと運 命的な出会いをします。彼女は今までに経験したことのないものを味わいます。それ らのものが彼女を心底から喜ばせました。どのようなものでしょうか。

アガペーと呼ばれる愛

 愛はとっても響きのいいことばです。ギリシア語ではこの語がいくつにも表現さ れます。日本人は花と魚が大好きですから、多くの名前をそれらに対して付けていま すし、また実に良く知っています。ギリシア人は愛に強い関心がありましたので、い くつもの名称を考え出しました。エロス(男女間の愛)、フィリア(友人間の愛)、 ストルゲー(親子の愛)など。しかしこれらの人間同士の愛はどれほど純粋なのか については常に不安が伴います。
 先に彼女は何度も環境を変えたと述べましたが、そ れは夫を変えたということです(17、18節)。一緒に暮らしてみて、あるいは結婚して みて、こんなはずじゃあーなかった、と今や6度目の夫です。けれどもちっとも期待し たようなものは得られない。イエスさまはこのような彼女の思いを見抜いておられま した(18)。そして彼女が真の幸福に「渇いている」ことも。本物に出会うとき人は 「これこそ私の探していたものだ!」と感ずるものです。
 イエスさまは罪のある、つ まり計算高い”親切”をする私たちと違って、純粋に与える愛、つまリアガペーを 用意しておられます。与える愛とは、お返しを期待しないで施すものです。イエスさ まはあなたの罪と罪が生む罰とを背負い、十字架で自らの命を捨てられました。決し てあなたのお返しを期待してのものではありません。ただ純粋にあなたをいとおし いと思っておられるのです。
 このアガペーがあなたの過去の傷をいやします。人はだ れでも育って来る過程で傷つくものです。というのは人間で完璧な完全な親などどこ にもいないからです(ヘブル12:7−10)。イエスさまのアガペーを感謝しつつ心に 思い巡らすことは、ちょうど擦り傷にオロナイン軟膏を塗り続けるとだんだんと皮膚 がきれいになって行くようなもので、あなたは癒されます。幸せとは心の問題です。 イエスさまのアガペーを真実に感謝し、受け入れる者は実際に幸せを経験します。

平安

 彼女はこう言い放ちました。「先生、あなたは預言者(神のことばを語る人)だ と思います。私はキリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています。」(19 、25)。ついに出会うべき者に会った!ここに彼女の驚きと喜びが表現されています 。彼女は今まで掘るべき井戸を間違えていたのです。だから幸せも平安も来ませんで した。20、21節をお読みください。方向を彼女は間違えていたのです。
 続けて20、21節までお読みください。正しい方向とは「霊とまこと」を持つこと であると分かります。「霊とまこと」を持っての礼拝とは「罪を悔い改めて」の 礼拝です。
 詩篇32篇3、4節をお読みください。イスラエルの王であったダビデは 大きな罪を犯しました が、それを黙っていました。詩はそのときの辛さを表現したものです。罪を告白し ていないとき、私たちにはいつも恐れがあります。何かいいものを得てもすぐに失う のではないか、取り上げられるのでないかと。
 あなたには隠している罪はありませんか。人を恨んだり、赦さなかったり、 陰口をたたいたり、ブツブツ不平不満ばっか りだったり。神さまに赦しを乞いましょう。告白をするときに即座に赦され、併せ て赦されたことの確信を得、平安に満たされます(32:5、10、11)。イエスさまの 血潮はあなたに平安を勝ち取らせます。

よろこび

 いつも喜んでいなさい、とは神さまのご命令です。とは言ってもお芝居をしても 意味がありません。無理なくできなければいけません。私たちの内側から沸き上が って来るものでなくてはなりません。
 あなたは本当に楽しいと思ったことは黙ってい ることはできないでしょう。きっと周囲の人々に話してしまうに違いありません。こ れが彼女にはありました。28節と29節を見てください。彼女は大切な水がめも忘れ て町へ行ってしまい、「私の中に起きた変化を見てください!」と叫んでいます。 これは本物です。
 私たちに喜べるものがいくつかあります。まずイエスさまを信じる 信仰が与えられたこと。信仰は天国行きの確実な切符です。終わりよければすべて良 し、と言いますが、あなたのしたことのすべてが正確に記録されて報いを受けられる のが天国です。
 しかしそれだけではありません。信仰の威力をもっと知るべきです 。「あなたがたの信じるとおりになれ!」とイエスさまはおっしゃいました。ヘブ ル人への手紙11章1節では「信仰をどう定義したら良いでしょう。それは願い事が必 ずかなえられるという不動の確信です。また何が起こるかわからない行く手にも望み 通りのことが待ち受けていると信じて疑わないことです。」(リビングバイブル) とあります。信仰をもって祈る祈りは聞かれます。
 喜ぶべきもうひとつのものは聖 霊さまがあなたの中にいらっしゃることです。聖霊さまの力はとても大きいもので す。あなたがなぜ喜べないか、その理由の1つは、良いと分かっていてもできずに 、悪いことと分かっていてもしてしまうことです。
 信仰の達人と言われるパウロでさ えこのことに深く悩んでいます(ローマ7:14−25)。聖霊さまはまさに救世主です 。彼女はイエスさまに会い、聖霊さまのお働きに触れました。聖霊さまに十分に満足 すると(これを聖霊充満と言います。)、そこにはひとつの顕著な証拠があります 。イエスさまを伝えたくなり、良いことをして行きます。さらには試練の中でも喜べ るようになります。
 彼女はいままで次から次へと男を変えるという生活をして来ま した。これを精算するにしてもいままでの悪い評判はどうしたらいいのでしょうか。 彼女にとっては試練に違いありません。でも聖霊さまに導かれるときすべてが分か ります。このハードルを越えたとき、もっと大きな自分に、もっと大きな祈りがで きる者に、もっと大きな愛を持つ者に、もっと難しい問題さえ解決できる者にさせ ていただくことができることを。
 あなたが掘るべき、堀り下げるべき井戸はイエス さまです。イエスさまにこそあなたが探し求めていたものがあります。決して渇か ない、飽きることのない、別のものに目移りさせる必要のない、どこまでもどこま でも幸福の沸き上がる井戸です。

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