22.これが道だ、これに歩め

 まずイザヤ書30章21節をお読みください。モラトリアムという言葉が一世を風靡(ふうび)したことがありました。これは決断を避けて生きる人のことです。何かの場面に出会ったときに、決断を先送りしてしまうのです。
 しかし決断するべきときにはしなくてはいけません。そればかりではありません。正しく選択し決断することも必要です。なぜならそのときの選択は将来における結果の選択になるからです。従って結果は私たち自身が選び取るものと言えます。
 今回学びたいことはすべてを知っておられる神さまが示してくださる道を間違いなく選ぶことができたとするなら、その結末は当然のことながらすばらしいものに違いない、さあ決断していきましょうというものです。神さまはあなたを愛してくださっています。もちろん実はあなたのものです。ただし神さまが願っておられることは、それをあなたの自由意志、また信仰によって選ぶことです。今回は選ぶ価値のある道についてご一緒に学んで参りましょう。

みこころの道

 詩篇40篇8節をお読みください。さて困難があります。なぜなのでしようか。困難は相対的なものです。相対的ということの意味は人によって随分と受け止め方が違うということです。でも当の悩んでいる人にとっては絶対的です。「困ったなあー、こんなことになって・・・」。原因はどこにあるのでしようか。
 ひとつの大きな原因は自我のわがままです。「俺の思いどおりにする!」「私の好きにしたい!」。このわがままが挫折を招きます。この世界は秩序の神さまに造られましたから、きちんとした秩序があります。自然界をみるとこのことはすぐに分かります。地球の周りを太陽が回ることはありません。人間の世界、すなわち社会にもルールがあります。人生のルールは神さまのみこころというものです。これはふたつのすぐれた点を持っています。ひとつは神さまによる完全な保護が保証されること、もうひとつは美しいこと。これらを簡単に表現すればこうなるでしよう。「私はあなたにだけ用意した人生があります。どの人のものとも同じではありません。」。いかなる人のコピーでもありません。このことを知ってほしい一存でイエスさまはあなたの罪を十字架に背負い、犠牲となられました。

単純な道、明るい光の道

 マルコの福音書5章36節をお読みください。単純な道を指しています。道が暗い理由は複雑さがその原因です。十分に光が入らないのです。これは罪の道、悪習慣の道でもあります。この道を歩いている人は100%疲れています。言い訳ばかりしているからです。言い訳は結局ウソです。このウソが自分を疲れさせます。信仰によって単純な道を行きましょう。神さまは私に対して良いことをしてくださると信じる道です。これがあなたに奇跡を運びます。

豊かな実を結ぶ道

 ガラテヤ人への手紙5章19節から24節までお読みください。さていろいろとやっては見るのですが、成功しないことがあります。ひとつの原因は人を意識しすぎることにあリます。人生において決して忘れてはいけないことは自分自身の人としての中身です。聖霊の実を結ばなくてはいけません。「神の国を相続することはできない。」というのは神さまがあなたに用意した良いものをあなたが受け取ることができないという意味です。

力の道

 良し悪しは別にして人には力があります。罪を犯して私たちが心配しなければならないのは、自分を破壊する力です。人を憎んだり、赦さなかったり、裁いたり、そしてその結果身近な人々を私たちは傷つけます。なんと情けないことでしょう。これが罪人の真実の姿です。自分で問題を作り出し、それに苦しんでいる姿がです。そういうものではない正しいことをさせ、神さまと人とを愛させ、どんな問題をも解決させる力、これこそ私たちが望むものでしょう。祈るときにも力が必要です。

 ではどのようにしてこれらの四つの道を私たちは進むことができるでしょうか。コロサイ人への手紙1章13節をお読みください。「キリストのご支配の中に」いることです。あなたの心の王座にキリストを迎えてください。自分自身をキリストの所有としてください。そうするときあなたはすべてに足るようになります。弱いところが強くされます。クリスチャンであるということは人生における強力な武器を持つことです。キリストを王座に迎えてください。
 マタイの福音書14章に5000人の給食の話があります。夕方になって弟子たちは食事のことが気になって気になって仕方がない。イエスさまは、じゃあ、あなたがたが上げなさい、とおっしゃいました。このとき弟子たちが悟ったことは先の四つの道です。

  • 第1に、食事を上げることは神のみこころです。食べなければ人は死にます。
  • 第2に、空腹時に食事が必要であることは実に分かりやすい単純な道です。
  • 第3に、人は空腹であるとイライラしてきます。胃袋を一杯にすることは、人格を高めるのに貢献します。いにしえの人は言いました。「衣食足りて礼節を知る。」。
  • 第4に、人はそれぞれこの地上で使命、生きる理由を持って生きなければならない。人は肉体の中に自分自身を持ち食事はその肉体を生かします。
 ところでこのとき弟子たちの問題は何だったのでしょう。食事を上げるだけの力がない!に尽きます。あなたはいかがでしょうか。必要なときに必要な力がありますか?このときの光景をイメージしてみてください。イエスさまを中心に群衆は集まっています。イエスさまのすぐ周りには弟子たちが囲んでいます。もしヘリコプターに乗って上から見ることがでさるならイエスさまが中心点で、それを12人の弟子が小さな円で囲み、群衆がさらにその周囲を大きく取り囲んでいるのが見えるでしょう。ここでキリストは「彼らを祝福してください!」とお祈りなさいました。父なる神さまから力が下り2匹の魚と5つのパンが極端に増えて人々に与えられていったのです。主の御手から祝福がこぼれ、まず弟子たちにそれが移りました。弟子たちの手からカゴに移り、そのカゴから人々にと移っていきました。これは主ご自身がなさったことでした。弟子たちがすべきことは何だったでしょうか。たったひとつです。イエスさまに従順になることだけでした。

 今あなたの中心にキリストを招いてください。あなたは四つの恵みの道をひた走ることができるのです。祝福をお祈りしています。