26.十字架とは何か?

今回のメッセージは、一部生々しい強い表現を用いた部分があります。 ご注意下さい。

 町中に十字架が溢れています。赤十字や緑十字。薬屋さんに、工事現場に、避難所に、救急車にと至る所で使われています。これらに共通するものは何でしょうか。さあ考えて下さい。
 答えは、命を取り扱っている、ということです。十字は命の大切さを教えています。
 さていままでお話しして来た十字はタテヨコの寸法が同じです。しかし寸法の違うものがあります。タテが少し長いのです。実はこれが本来のもの、そしてキリスト教に発するものです。そして聖書に起源があります。タテヨコ3対2、これが正規の十字架です。十字架の意味を今回は学んで行きましょう。

神の正義のシンボル

 レビ記19章2節aとローマ6章23節とをお読み下さい。神さまは正義のお方であり、それゆえに罪を持つ者を裁かれます。このことを十字架は教えてくれます。

 あなたは『悪魔の飽食』という本をお読みになったでしょうか。満州にかつて展開した731部隊の生体実験レポートです。
 15年戦争では日本人は1千万人の中国人の命を奪ったと言われていますが、その一部は731部隊の「活躍」によりました。しかしそれはそれはひどいものでした。対象は捕虜となった中国人が主ですが、ロシア人や朝鮮人も含まれていました。彼らはマルタと呼ばれました。一体何がなされたのでしょうか。 たとえば・・・

  • 美食を与え、まるまると太った健康体にペストやコレラ菌を注射する。食事にペストやコレラ菌を混ぜて食べさせる。そして発病から死までの経過を見る。
  • 遠心分離機にかけて生き血を絞り取る。
  • 真空室にほうり込み、内臓が口、肛門、耳、目などからはみ出し破れる様子を記録映画に撮る。
  • 空気を静脈に注射し、どのように死ぬかを観察する。
  • 弾丸の貫通力を測るために銃撃する。
  • 焼き殺し。
  • 四方透明のガラス室に母と子を入れて青酸ガスを注入する。
  • 生きているまま、のどから下腹部までまっすぐにメスを入れ、生きた内臓を取り出す。
  • 赤ん坊の血を全部抜き取って亀のように小さなミイラにする。
・・・このような恐ろしいことが事実としてあったのです。さあ、私たちはどのように考えたらいいのでしょうか。日本は努力して近代化を成功させた。もたもたしている国はこのようにされても仕方がない・・・と考えるのでしょうか。(確かに欧米の強欲な帝国主義全盛の時代にいつ植民地にされるかもわからない日本が生き残るために厳しくも長い時代ではありましたが)
 少なくとも私たちの良心は「悪いことをした者は刑を受けるべきだ!」と納得しています(ローマ2:15)。確かに罪は罰せられねばなりません。
 しかしこのことに神さまはとまどいを覚えられるのです。というのは「すべての人は罪を犯し」(ローマ3:23)、この「すべての人」の中に神さまに愛され大切にされているあなたが含まれているからです。そこで神さまはあなたという人物から罪だけを分離し、イエス・キリストの上にそれを移し、あなたの代わりに罰せられました。神さまはこうして正義を貫かれました。このことはしたがってあなたにとっては大きなニュースです。
 あなたがイエスさまのこのあがないの業を受け入れるとき、人生の死刑すなわち死後に地獄に行くということからあなたは逃げることができます。永遠の命を受け取り、天国で生きることができます。これを知るときあなたの中にはこの世では得られない種類の喜びと平安が与えられます。ヨハネの福音書14章2節をお読みください。

神の赦しのシンボル

 生まれながらの私たちにはなぜかは分からなくても心の奥深いところに一種の欲求不満とも言えるものがあります。それは魂からの叫びでもあります。その正体は何でしょうか。もしこの叫びを放っておくと、すなわち自分自身で回答をきちんと持っていないと私たちはさらに新たな問題を抱え、そこから脱出することができません。
 その叫びの内容は実際のところどのようなものでしょうか。それは、「なぜ私は生まれて来たか。何のために生きているのか」というものです。でも生まれながらの私たちにはいくら考えても分かりません。それでも強情な私たちは「私はひとりで解決できる、神さまなど必要ではない。私の考えは正しい!」と考えてしまいます。これを原罪と言います。したがってその意味は、まことの神さまと断絶している、というものです。しかし十字架の上で神さまはあなたの原罪を赦し、それを消してしまいます。
 イエスさまは以上のような神さまのみこころを十字架の上でお祈りなさいました。「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか自分で分からないのです」(ルカ23:34)。彼らとは、ユダヤ人であり、あなた自身です。
 今この祈りの意味に気がつくとき、神さまの赦しのメッセージがあなたの心の中に入り、孤独を癒します。神さまはあなたのそばに、そしてあなたの中におられます。あなたはもう一人ではありません。神さまに受け入れられた、歓迎された自分を知るのです。

神の愛のシンボル

 ヨハネの福音書3章16節をお読みください。何かを手に入れようとするとき、それが良いものであればあるはど犠牲を多く払わねばなりません。それはお金であったり、また別のものであったりはしますが。
 では差し出すとして、最高に価値があるものとは何でしょうか。それは命です。ただし実践することが難しいのは言うまでもありません。だれでも自分が一番かわいいからです。ところが神さまはそれを実践なさったのです。それが十字架です。
 古代には4つの処刑の仕方が知られています。鞭打ち
  • 石打ち
  • 死体との抱き合わせ
    そして
  • 十字架です。
 この最後のもっともむごい刑に服しなさったのがイエスさまです。朝の9時に釘づけられ、12時になって地上は光を失って、真っ暗闇になり、午後3時まで続き、とうとうそのまま息を引き取られました。ローマの兵士が槍で脇腹を刺したとき血と水が流れたとあるのは心臓が破裂したためと言われています。3日目にご復活なさいましたが、それまでの間よみ(地獄のような所)において大変な苦しみを経験なさいました。
 イエス・キリストは父なる神のひとり子です。十字架のむごさはそのまま神の愛の大きさを表しています。それほどまでしてあなたを救いたい、と神さまはお考えです。愛は計算しません。お返しを期待しません。ただただ与えようとします。この愛をアガペーと言います。
 今の時代、命が安っぽいのです。軽いのです。いとも簡単に人を殺します。多くの人が餓死していくのをあまりにも多くの回数ニュースで流します。だんだんなれっこになってきます。「あー、また同じ話だ!」いったい人間の尊厳はどこにあるのでしょうか。一人の人の重みはどれほどなのでしょうか。
 イエスさまはこう言われました。「ひとりの人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」(ルカ15:10)。
 あなたはご自分を大切にしなければなりません。粗末に扱ってはいけません。あなたは神さまのとっておきの財産です。信じてください。そう信じる者には恵みがたくさんあります。(参考 申命記7:6)