27.心の平安

 あなたには当然のことながら名前があります。ところで人にだけでなく時代にもあります。今の時代は心の時代というのだそうです。物やお金を追いかけて来た時代は去り、人々の関心は心に向かいつつあります。確かに落ち着いた心、平安な心、豊かな心に代わるものはないに違いありません。心の平和は生活必需品です。そしてあなたが何か新しいことに取り組もうとなさるならこれまた必要なものです。というのは平和な心はキャンバスのようなもので、いろいろな夢を描くことができます。神さまはあなたに夢をくださる方です。まずは平安な心を得るように考えてみましょう。

罪から解放される

 罪を犯すと良心に不安が入ってきます。こどもの時の記憶がいつまでも残っているように良心も罪を忘れないで覚えています。そればかりではありません。悪いことをしたら罰を受けなければならないということも知っています。
 ローマ人への手紙2章14、15節をご覧ください。お分かりでしよう。とにかく罪を犯したままにしていると心が落ち着きません。私たちの生活は小さいころから犯して来た罪の記憶によってかき回されます。通常潜在意識の働きと言います。このような状態から私たちを助け出すことができるのはこの世界で神さまお一人だけです。
 どうぞヨハネの第1の手紙1章9節をお読みください。つまり主はこういうことをおっしゃっておられます。「私のところに来てその罪を隠さないで正直に話しなさい。私は世界で唯一罪を赦すことのできる者である。あなたに赦しを宣言しよう。」
 もちろんそのためにはひとつの手続きが必要です。神のひとり子イエス・キリストのあがないを感謝して受け入れるということがなければなりません。しかしこれは本当に大きな恵みです。ただ正直に告白し、謝るだけでいいのですから。即座に赦されます。

重荷を神にゆだねる

 生きていると種々雑多な重荷があります。そして苦しくてたまりません。どうするべきでしょうか。この世界には愛の神さまがいらっしゃる事実をまず知ってください。このお方は生きておられ、あなたを励ますためにおことばをくださいます。それが聖書です。
 たとえばローマ人への手紙12章18〜21節をお読みください。このおことばはだれかを憎んで苦しんでいる人にとって助けになるものです。イザヤ書53章4節もお読みください。病気で悩んでいる人のために役に立ちます。
 このようなみことばを自分自身のものと信じるとき、すなわちこれが重荷を降ろすことですが、その恵みはあなたのものとなります。これが信仰による祝福です。
では信じることができないときはどうしたらいいのでしようか。まず祈ってください。あるいは断食をしてください。あなたにはあなたにふさわしいおことばが必ず与えられます。そこに平安があります。

足ることを学ぶ

 人と比較しながら生きるくらい辛いことはありません。
「この人ができるのにどうして私にはできないのだろう。」
「あの人には与えられているものがどうして私にはないのだろう。」
 これが比較をするということです。決して感謝はなく、不平不満とぶつぶつだけがあります。つぶやいてばかりいる人は祝福されません。この神さまはいつも良いものをくださるし、良いことをしてくださいます。これを信じることが信仰の名にふさわしいのです。
したがって足ることを知ってください。感謝をしてください。今のあなたはあなたにとって最高に祝福されているのですから。ここに平安があります。

ねたみとさい疑心とを捨てる

 人と比較して生きているとうらやむ心や憎む心が出て来ます。そのとき平安はありません。
 聖書はこう教えています。「喜ぶ者といっしよに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」(ローマ12章15節)。そして愛が一番大切(1コリント13:13)。これも聖書のメッセージです。
 威厳があっても、力があっても、大きな声があっても、大きなを夢を描いても、表面上親切にしても愛がないなら無意味です。もしだれかに対して怒りがあり、ねたみがあり、赦せない心があったなら、神さまの前で悔い改めてください。そのときあなたは平安に包まれます。

聖霊に満たされる

 いままで4つの方法を説明して来ましたが、頭の中では分かっても実際は難しいかもしれません。とするならそれを実践する力はどこから得られるのでしょうか。
 答えは聖霊さまです。聖霊さまは今生きておられ、今あなたの中に住んでおられます。イエスさまは十字架の上で死なれましたが、三日目によみがえりなさって、父なる神さまのもとにおられ、今度は聖霊さまをあなたの中に送り、そして私たちの間に住まわせられます。その聖霊さまのお働きはあなたを励まし、平安であなたを包むことです。実に聖霊さまこそ平安の出所です。
 ヨハネの福音書14章27節をご覧ください。キリスト教会初の殉教者ステパノはその死の直前、こう叫びました。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」(使徒7:60)。自分が殺されようというときになんという強固な平安でしょうか。
 パウロはあるとき、牢の中にいました。飢えと不衛生と暗闇の中でシラスとともに神さまを賛美をすることができました。そうすると近くにいた人々も同じように賛美を始めるではありませんか。そればかりではありません。看守たちの間にまで広がって行ったのです。刑務所全体が賛美に包まれてしまいました。これがまさに聖霊さまの平安に包まれた状態と言えるばかりでなく、支配された状態です。聖霊さまに満たされるとはなんという幸せでしょうか。

 あなたが本当に平安を求めて、聖霊さまの力とその恵みにあずかりたいのでしたら、聖霊さまに好かれるようにしなければなりません。あなたの中の聖霊さまはあなたの中で語りかけます。たとえば、「これは罪ですよ!」、「これをあなたはすべきなのですよ!」「今決断してください!」などなど。
 もしこのような思いが来たときにあなたが素直に「ハイッ!」と言ってすぐに反応し、応答すると、ますますあなたは聖霊さまの導きに敏感になります。そして聖霊さまの導きにしたがっている限りあなたはいつも平安でいられるのです。

あなたにいつも聖霊さまによる平安がありますように!