29.幕屋の秘密

 人生にはさまざまな苦労があります。こんなことがあって良いものかなどと考えます。真に良くないものであるならそれは裁きであり呪いであると考えられます。どのようにしてそれから逃れることができるでしょうか。聖書は明確に応えています。それは罪の処理を誤らないことです。罪とは人間性の病気であり、その処置に十分気をつけなければなりません。
 イザヤ書1章11節から20節までをお読みください。ユダ王国に向かってイザヤを通して語られた神さまからの警告です。しかし謙虚でなかったユダはその罪のゆえに滅んで行きます。指摘されていることは当時なされていた礼拝がいかに形骸化していたかということです。礼拝において最も重要なことに罪が正しく処置される事でなければなりません。当時の礼拝は神殿の中でなされていましたが、その原型は幕屋にあります。
 今回はその幕屋における礼拝(儀式)を再現してみましょう。そして恵まれる礼拝に迫りましょう。

祭壇

 入口から入ってすぐ祭壇があります。いけにえの雄牛又は雄羊を殺してその上で焼きます。神さまにお会いするにはまず血を流さなくてはならないことを初めから人々に学ばせられました。私たちが犯す罪をその犠牲の動物の中に移す意味で手を置いてのち焼きました。この犠牲の動物はイエス・キリストを表しています(ヘブル9:22、10:11、12)。イエスさまはあなたの罪を受け取り、身代わりに苦しい死を経験されました。あなたはあなたの罪をきちんと十字架の上で処理されましたか。もしそうならあなたに愛の神さまと会っているのです。

洗盤(エペソ5:26、テトス3:5)。

 祭司は次に洗盤に近づき、ここで手と足とを洗いました。幕屋は神さまがいらっしゃる所であって、とりなしをする者自身の清さが求められました。新約時代に入って旧約時代のような祭司は必要なくなりました。イエスさまが根本的な最終的な完璧な祭司(というよりも大祭司・祭司の中のリーダー)になられたからです(ヘブル7:24−28)。
 今あなたがすることは日毎罪を聖めることです。あなたは今人を憎んではいないでしょうか。汚れた計算で心が荒れてはいないでしようか。人の悪口を言ってはいないでしようか。洗盤は聖霊さまです。聖霊さまに示していただき悔い改めましょう。神さまのご臨在を強く体験することができます。

香壇

 これはイエスさまがあなたを父なる神さまにとりなしていることを表しています。祭司は至聖所(神さまの臨在される所)の手前であるここで香を焚きました。なぜ焼香をしてはいけないのか。香を焚くことは祈りであり、礼拝です。その対象は天地の造り主であられる神さまお一人です。
 さて祭司の胸当てには12部族の名が記された宝石が縫い付けてあり、その名を読み上げます。今日私たちの大祭司はだれでしょうか。イエス・キリストです。彼を通してあなたの名はいのちの書(黙20:15)に名が記され天国に行くことができます。そればかりではありません。神の子としていつも大祭司によってとりなされるので毎日が祝福されます。ペテロは弱い人でしたが、大祭司イエスさまの祈りによっていつも助けられていました(ルカ22:31−34)。あなたもいのちの書に名前を登録なさることをお勧めします。

燭台と机

 何を見るにも光が要ります。真実を知るのにもです。この台には7つの皿があります。これは完全数ですから完全な光の意味です。光は油によって得られますが、この油は聖霊さまを象徴しています。聖霊さまによって燃やされ得られた光によってパン、すなわちみことばを理解します。12ケのパンを置きました。12部族、すなわち神の子たちすべてを示します。毎週新しいパンをささげ、その後食べます。みことばが聖霊さまの光で解釈され、霊の家族とともにいただくのが正しいのです(ヘブル10:25)。正しく理解されたみことばがあなたの中でエネルギーとなります。

至聖所と垂れ幕

 青、紫、緋色でできていました。人々はそのうつくしさにより、神さまの手の中にある人生のうつくしさを想像します。でも当時はそれまで。今はイエス・キリストのみわざにより既に垂れ幕は取り除かれました(ヘブル10:19−22、マタイ27:51)。大胆に神さまに近づき祈りましよう。イエスさまの名によって問題を解決して参りましよう。

あかしの箱

 至聖所は神さまの玉座です。その中にあかしの箱(契約の箱、神の箱、アークなどいくつかの呼び名がある。)があり、この中にはモーセを通して与えられた十戒を記した2枚の石の板が入っていました。
 しかし今や新しいモーセであるイエス・キリストは新しい戒めを与えられました(ヨハネ13:34)。それは愛し合うことです。罪を赦された者は真に愛し合うことができるようになるのです。
 今あなたが礼拝をささげることができるのはいかに神さまがあなたに対して寛容であるかを証明しています。謙遜さと感謝をもって祝福される礼拝をして参りましょう。     

注:聖所における実際の儀式には何種類ものやり方があり、詳細部分は異なっています。