31.良いコミュニケーションの基本

 ペテロの第一の手紙2章24節をお読みください。コミュニケーションの失敗からさまざまな問題が生まれてきます。親子、夫婦、友人の間で火花が散り、決して穏やかではいられません。
 私たちは社会の中で現実に生きていますし、実際に社会の中でしか生きることができないのですから、このテーマを真剣に考えなくてはいけません。しかしいかなる人と言えども、人を教えるには限界があります。はるかに高いレベルの知恵と見識とが必要です。良いコミュニケーションを得るために、この世界と人間とを造られた神さまに聞きましよう。

第一に、時間が必要です。

 ピレモンヘパウロが書いた手紙があります。主人であるピレモンから逃げ出した奴隷オネシモへの寛大な取り扱いを依頼したものです。彼らはともにパウロの信仰の「こども」であるので(したがって育てるためには相当の手間ひまをかけた)かなり強い希望を彼は述べることができます。パウロは実際多くの時間をかけて良い人間関係を築く人です。
 良いコミュニケーションを得るには時間が必要です。この時間の中で人は人にもなるし、成長もします。心の病に悩む方は少なくありませんが、専門家によって次のようなことが言われています。生後八か月までの間に問題があると分裂病、1年半までの間では躁鬱病、次の3年目までの間は神経症になりうると(ただし神さまはリターンマッチのための時間を用意してくださっているのでご安心を!)。その問題とは親との、とくに母親との関係です。愛情をスキンシップなどでたっぷりと感じさせる必要があると言われています。つまり良いコミュニケーションが求められています。幼児期に幸せな子供は幸せな大人になります。
 ここではこれ以上詳しく述べる余地はありませんが、お互いに幸せを感じられる関係が必要であり、それには手間ひま、つまりは時間をかけなければいけません。あなたの良いコミュニケーションと人間関係とはあなたがそのための時間を用意するところからスタートします。

第二に、適当な距離が必要です。

 パウロはあくまで両人のために助言をしているのですが、きちんと親としての権威を保って発言をしています。密着しすぎるのもいけませんが、離れすぎてもいけません。
 幼児期にある問題で、過干渉(あるい過保護)も、放任も、ともに良くありません。人間関係の種類に従って適切な距離を設定しなければなりません。
 神さまにより造られたこの社会には人と人との間に必要なかつ適切な距離があります。たとえば親子間よりも夫婦間の方が短くなければならないとか。「子はかすがい!」などと言って、夫婦を結び付ける役目をさせるから定年後や老後の夫婦関係が不安定になりやすくなります。子供はある一定の期間だけ神さまから親に預けられ、大人に育て上げてのち手離すというのが正しい在り方であり、またこれがその距離です。まず親が人として自立する必要があります。自立した者同士が作る社会がもっとも安定しています。また自立した人は自分と他の人とは違うということを受け入れることができます。
 必ずしも人(たとえ肉親でも)はあなたの(あるいはあなたが期待している)ように考えたり、行動したりはしません。これは当然のことではありますが、受け入れるのは実際のところ容易ではありません。つい自分ができていることを基準に、他の人をさばきます。他の人の持つ基準についてはこれを無視しやすく、「自分の目の中の梁に気づかず、他の人の目の中の塵にはうるさい」(ルカ6:41)のです。「親しき仲にも礼儀あり。」と言います。交際相手との間に適切な距離を置くことをお勧めいたします。

第三に、両面通行が必要です。

 コリント人への手紙第一12章18節をお読みください。私たちは人生の生きて行く現場ではお互いを必要としています。このことが分からないと相手を自分の目的を果たすための単なる道具と考え、役に立たなければ捨てようとします。今あなたの隣にいる人はあなたの手であるかもしれないし、足であるかも知れません。であるならもっと大切にしなければなりません。
 話し合う時に大切ないくつかのことを述べましょう。きちんと向き合って相手の目をしっかりと見てことばを交わしましよう。ことばを交わし、と言いましたが、決して一方通行ではいけません。あなたが話した時間と同じだけの時間相手には話す権利があります。口はひとつだが、耳は二つある、とはよく言われます。いかに聞くことが難しいかを表現してもいるのでしょう。良いコミュニケーションの秘訣は野球のキャッチボールの要領です。話すときは話し、聞くときは聞く。
 ところで変化球は受け取りにくく、ビンボールもいけません。前者は皮肉やいやみなど、後者はプライドを傷つけることです。私たちには罪があり、弱さがあります。ついこういう形でことば使いに失敗をします。「ゴメンナサイ!」を気楽に言えるように自分を訓練してください。あなたの心の中にその用意があるとき、人はまずあなたを受け入れようとするものです。やさしくしようとする者はやさしくされ、気持ちを理解しようとする者は気持ちを理解してもらえるものです。

第四に、人の自由意志を受け入れることが必要です。

 あなたがあるすばらしいことを知ったとしましょう。きっとだれかに伝えたくなるでしょう。「分かってほしい!」。ここにあなたの誠実さがあります。でも実際のところなかなか分かっててもらえないとも言えます。この場合の心理を考えてみましょう。
 自分は「これはイイ!」と考え、感じたということです。しかし人は同様の反応はしなかつた。いつのまにかあなたの心に人をさばく思いが出て来てはいませんか。あなたと他の人とは違う、これをわきまえることが大事です。ただ誤解しないでください。あなたのものと違っている考えや態度を正しいと認めなさいと言っているわけではありません。あなたには賛成する自由もあれば、賛成しない自由もあります。さて、とすれば相手の人にもあるはずです。これが自由意志です。「あの人は私の思いどおりにならなければならない!」と考えるのはあなたの傲慢です。あなたがあの人の思いどおりにならないのと同様に、あの人もあなたの思いどおりにはなりません。この姿勢が良いコミュニケーションを保ち続けさせてくれます。

 良いコミュニケーションを持ちたいと願っている私たちにとって結局は何が課題でしょうか。それは相手を受け入れることです。一度あなた自身が「受け入れられた!」という深い経験が必要です。ペテロの手紙第一2章24節に示されるような、罪を赦される経験が今と未来とを救います。未来において地獄を避けることができ、今の生活においてジメジメ、ジトジトした関係が避けられます。
 十字架と復活の救い主イエス・キリストだけがあなたの心と気持ちとを癒すことができ、それゆえあなたに他の人とうまくやって行くことができる余裕を与えます。


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