35.恐れ制御術

 ●聖書箇所 マタイの福音書14章22−33節

 恐怖の感情はだれでも経験します。心が萎えてしまって行動がにぶり、それ以上前進できない。これが問題です。ただし功罪というように功の部分もあります。ある種の恐れは役に立つ、どころか必要でもあります。この人と結婚してもいいのだろうか。多少とも恐れがあった方が安全かも知れません。道路を歩くときにも恐れがなかったら事故にあいやすいでしょう。
 しかしどのような種類のものであれ、恐れは神さまご自身が与えてくださった感情であり、あなたの人生を豊かにするためには上手に、すなわち適度にこの感情を制御できることが必要です。神さまがあなたを愛しておられ、祝福された人生を送ることを願っておられます。恐れをどのように制御できるかを学びましょう。

イエスの存在を思い起こす

 26節をお読みください。あなたを愛しておられるイエスさまの存在を忘れていると持つ必要のない恐れを持ってしまいます。幽霊など実際には現れていないのです。
 この箇所から分かる2つのことは恐れを感じた環境の中にイエスさまがおられることとそれを弟子たちは忘れているもしくは知らないということです。イエスさまはあなたを、そしてあなたの置かれた環境を知っておられます。私たちは恐れを感じると、「ああ、もうだめだ!」といともに簡単に結論します。だからもはや耳も聞こえず、目も見えません。助言を受け付けることができなくなります。たとえイエスさまが語っておられてもです。もしあなたが何かに怒れを感じているなら、イエスさまがあなたのそばにいらっしゃることを思い起こしてください。そして耳をすませてください。ペテロとあなたはどのような声を聞くべきでしょうか。「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」です。
 ではイエスさまが期待しておられる応答はどのようなものでしょうか。あなたはこう言わなければなりません。「確かにあなたは神の子で、キリストです。救い主です。あなたこそ私を助けてくださるお方です。あなたが私の手を引いて問題から脱出させてくださいます」
 あなたはこのように告白できますか。イエスさまは十字架であなたの持つすべての罪を、したがって罪から来る罰や呪いを、そしてもろもろの不幸を背負ってくださいました。したがってあなたがこのような告白をすることをイエスさまは願っておられます。

環境を見ないでみことばに焦点を当てる

 正しくない焦点とは環境のことです。環境をじっと見てしまうと心とからだの自由が奪われます。28節をご覧ください。
 ペテロは言った。「主よ。もしあなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」
「主よ、もしあなたでしたら」という信仰、「もし」イエスさまが救い主であったら、「もし」神さまであったら、「もし」力があったら、「もし」全能であったら。この「もし」というのがくせもので、これが当時のペテロの信仰でした。彼が当てている焦点は正しくなく、それは周囲の環境です。風が吹いている、波がある、船が揺れている、幽霊がいる(これは思い込みですが)。これらはすべて環境です。でも彼には少しの信仰があったのでイエスさまを試みています。イエスさまはやさしくも声をかけてくださいました。そのことばを信じている間は、彼は沈んではいません。悪い環境こそ一番の強敵です。よく見てください。ペテロは沈んではいません。みことばが信じられている間、つまり有効な間は沈みません。でも有効性が失われたとき、つまり信じることをやめたときに彼はズブズプと水の中に沈んでいきます。
 私たちにとって合わせるべき焦点とは何でしょうか。それはイエスさまの約束、というみことばです。ペテロはイエスさまのみことばをきちんと信じていなかったので、スキができ、環境の奴隷になってしまいました。
 聖書には7,000から10,000もの約束があると言われています。たとえば「イエスさまを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)。救いとは天国に行けるばかりではなく、あらゆる恵みを意味しています。それも家族全体に保証されるというのです。だから中途半端でなく、そのまま信じてください。約束を信じることはあなたの心と体とを本当に休ませます。親はこどものためには何でもしようとします。それと同じです。神さまはあなたの親なのですから、当然のことです。信じてください。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します」とはヨハネの第1の手紙4章18節にあるみことばです。神さまの愛を信じればすべての恐れがあなたをよけて行くのです。臆病でいる必要がありません。あなたはイエスさまがあなたに何を約束しておられるかを神さまに導かれて学び、助けを期待すべきです。聖霊さまの内なる声があなたに勇気を与えます。

信仰を正しく持つ

 「主よ、助けてください」とペテロは言っています。30節です。風を見てこわくなり、沈みかけたからです。イエスさまの「来なさい!」の声で彼は確かに水の上を歩いたのです。不可能が可能になりました。神さまはご自分が必要とお考えになるとき何でもなさいます。「イエス・キリストはきのうもきょうもいつまでも同じです」(ヘブル13:8)。十字架で死なれましたが、3日目によみがえられて今生きておられます。あなたに生きる力を与えてくださいます。イエスさまはおっしゃいました。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか」(31)。
 もしあなたが信仰を豊かにして行くのなら、恐れをコントロールすることができます。神さまの恵みは信じる者に与えられます。「あなたの信仰があなたを直したのです」(マタイ9:22)とはイエスさまのおことばです。信仰があなたの問題を解決します。あなたはすべての波を乗り越えて進んで行くことができます。当時ペテロはその信仰を正しく働かすことをしませんでした。これは彼にとっては訓練であり、練習であったのでしょう。神さまはあなたにもそのようなときをくださいます。

整理してみましょう。

  • 第1に、あなたのそばにイエスさまがいらっしゃいます。
    あなたの今の状況を知っておられます。というのはなぜ弟子たちは夜中の3時にガリラヤ湖にいるのでしょう。イエスさまがこうおっしゃっておられたからです。「私は先に行く。向こうで落ち合おう。だからあなたがたは先に船で行きなさい」と。イエスさまがあなたを訓練しておられます。楽な道が正しく、良い道であるとは限りません。良薬口に苦し。実際、困難や試練から私たちは多くのことを学ぶものです。
  • 第2に、みことばに期待しましょう。嵐の真っただ中に弟子たちはいますが、彼らはイエスさまに期待することを忘れています。イエスさまは救い主のはずです。
  • 第3に、イエスさまは状況を見て一番良いときに救い手として登場してくださいます。早くもなければ遅くもありません。信じてください。