43.目標を持って生きる

●聖書箇所 [ヘブル人への手紙11章1−12章2節]

 目標を持って生きることはとてもすばらしいことです。
 今回はこの主題について聖書から整理して学びましょう。

目標を持つことの意義

 一言で言って、目標を持って生きることこそ信仰者の生き方と言えるでしょう。11章1節では、信仰とは「望んではいるが、まだ見ていないものを必ず手に入れることができると信じる」のが信仰だと言っています。代々の信仰者はこのような信仰によって賞賛され、また成功しても来ました。
 たとえば75歳の老人アブラハムは神さまから全く未知の土地に行きなさいと言われます。彼には当時こどもがおりませんでしたが、同時に与えられた「私はあなたを大いなる国民としよう」(創12:1〜4、これらが目標)のお約束を信じて出て行きます。現実はアブラハムを失望させるようなことばかりで、地のちりも、星も、海の砂も彼を励ますどころか不信仰の材料になってもおかしくはありません(創13:16、15:5、22:17)。
 しかしアブラハム100才、妻サラ90才のとき通常考えられないことが起きました。息子イサクが与えられたのでした。ノアの時代に神さまから親切な警告がありました。でも人々は耳を傾けません。彼を先頭とするわずかな数の人たちだけが、まもなくやって来る大洪水から救われること(これも目標)を信じて行動し救われました。モーセはエジプトの将来を担う者として期待された王子でしたが、その特権と栄誉を捨てて、社会の底辺に生きる奴隷イスラエル人のエジプト脱出および新しい土地獲得(これも目標)を信じて導きました。昔の人々の賞賛された信仰とはこのように未だ見ていないものを確信する信仰です。
 さて神さまによって造られたこの世界が共通して持っている目標は何でしょうか。私たちが信仰によって神さまの力と栄光をあらわすこと、ただこのことのためにのみこの世界はあります(詩篇119:1)。世界はこの目標を与えられて生を受けました。あなたが選ばれたのもこの理由です。こうしてあなたは今日生きていること、そして信仰が与えられていることの重大さを確認することができます。目標こそ人生から不平不満、思い煩い、感謝しない心を追い出して、健康な明るい日々を与えてくれます。時々ふと周りを見ては通過駅(短期の目標)を確認し、間違いのない道を歩んでいることを知ります。
 イエスさまはこのことにおいても模範者でした(ヘブル12:2)。彼の生きる目標は「失われた人を探して救うためです」(ルカ19:10)。このことのためには彼は「懲らしめ」(イザヤ53:5)られねばなりませんでした(通過駅)。そして十字架という目標を目指してまっしぐらに進んだのです。父なる神さまは彼の功績により復活という勝利のプレゼントをくださいました(ピリピ2:9)。それだけではありません。イエスさまの信仰により私たちは代価なしに永遠のいのちを得ることができるようにされました。
 目標を持った生き方こそ自己と他者を愛し、何よりも神さまを愛するものです。あなたが目標を持って人生を歩まれるならあなたとあなたの身近な人々が大きく豊かに恵まれます。

 次に正しい目標はどのようにしたら掲げることができるのでしょうか、これを考えてみましょう。

率直に、夢を描く

 この場合は制限を設けません。心と頭をキャンバスにし大きな夢を描きましょう。イマジネーションの世界です。あなたの中に住んでくださっている聖霊さまが導いてくださいます。楽しい祈りのひとときでもあります。

夢に愛という名の網をうつ

 愛こそ永遠に価値ある動機です(第1コリント13:13)。あなたにとっても人々にとっても利益になることであるかをチェックしてみましょう。エゴイズムを満足させるもの、他者を見返してやろうというもの、あるいは単なる自己満足は目標としては不適切です。
 みことばを学びましょう。聖書には夢の材料がふんだんにあり(宝庫と呼ぶにふさわしい)、あなたは読むたびに新しい発見をするでしょう。謙虚になって、聞く耳を持ちましょう。聖霊さまがあなたの心を聖めてくださいます。人には個性(私はこの部分が他の人と違うんだという肯定的なもの)があります。イエスさまを信じることは個性をなくすことではありません。逆にこれを聖めることにより伸ばすものです。
 聖められた個性こそ目標を持った豊かな人生へとあなたを導きます。というのは、聖められた人格こそ愛が働く場であるからです。
 さて愛という名の投げ網、一体これは何でしようか。これは人が救われることを決して忘れないということです(マタイ4:19)。最大の愛とは人を救い(人がイエスさまのあがないにより永遠のいのちを得ること)に導くものです。
 あなたのイマジネーションの夢に愛の網をうってみましょう。もしあなたが立派な真実の家庭が得られるようにという夢を持たれるなら、家族のみんなが救われるようにと願うのが正しいのです。というのは救いの中に真実に平和で喜びいっぱいの家庭という恵みも含まれているからです。こうしてあなたの夢は具体的な現実の目標となって行きます。

現状から出発

 パウロは一心不乱に自分の目標を目指しますが、しっかりと現状を踏まえています(ピリピ3:16)。神さまの秩序は明らかです。種は蒔かれた後に芽を出します。実がなるためには、「はじめに苗、次に穂、さらに穂の中に実がはいります」(マルコ4:27)。
 目標を高くしすぎてはいけません。疲れてしまわないためです。まず身近な小さなものを設定してみて自分の現在の信仰の量を測るのがよいでしょう。これがさらに大きな目標へ向けてのトレーニングになります。一つずつ達成して、神さまの導きを知るようにしましょう。
 あなたは無用な重荷を、すなわち限度を超えた目標を避けるべきです(マタイ11:28)。また身近なものを持たないとつい観念的な信仰になってしまいます。無目標と同じことです。目標を掲げることは、「神さま。一緒にやりましょう。結果は任せます」のアピールです。
 まずあなたの賜物の棚卸しをしてみましょう。今何を持ち、何を持たないのか。何ができ、何ができないのか。正確に自分を評価することです。過少評価する人もいれば、過大評価をする人もいます。どちらもよくありません。次には新たな賜物を追加したり、磨きをかけたりというステップも必要です。こうして少しずつ大きな目標が見えてきます。これらの作業を通じて貫かれなければならないのが、神さまへの謙虚な心です。不遜と高慢と貪欲は罪であり、祝福された人生の敵です。

目標達成を信じる

 私たちはヨハネの福音書1章12節のみことばを信じた時に永遠のいのちを受けました。天国のいのちを得ました。信じる者にこそ与えられます。「できますように、できますように」だけの祈りではなく、強く確信する必要があります。「できます!」と言いましょう。聖霊さまに導かれた目標を大胆に告白して参りましょう。もちろん信じられないこと、時があります。
 原因の第1は信仰不足です(目標に関連した信仰が、です)。信じる力を増すために祈りが必要です。場合によっては断食が必要です。
 第2にみこころでない場合。2つあります。1つは今その時期ではないというもの。2つは神さまが別のものを用意してくださっているとき、第3に高慢。エゴイズムで願う時です。神さまを愛しましょう。神さまを礼拝し、人々を愛する生き方を大切にしましょう。
 第4に人真似の信仰です。人は各人各様の信仰を持ちます。単純なコピーは身についた信仰ではありません。「あの人と私は違う。神さまは私に私だけの信仰の生涯をくださったのだ」と受け入れましょう。あなたは世果にたったひとりの存在です。神さまはそのあなたを心から愛しておられます。神の愛に答えて参りましょう。神さまからすばらしい目標をいただき人生を豊かにして参りましょう。
 「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって賞賛されました」(ヘブル11:1、2)