46.変身

●聖書箇所[第1サムエル記10:6]

 「私は変わりたい!」と思う方はきっとたくさんいらっしゃるでしょう。変身願望と言い、非常に強力な欲求です。実際に変わることは可能でしょうか。聖書は常に肯定的かつ積極的です。あなたは変わることができます。
 今回はどのようにして変えられて行くのかをご一緒に考えましょう。

「私は変わりたい」

 「私は変わりたい」という強い欲求を表明しましょう。少なからぬ人々が「私はどうせ変わらない!変われるはずがない」と心で思い込みあるいは確信し、そのままことばにします。心の中のほんとうの願いを正直に口にしましょう。心とことばとは車の両輪であって、どちらが欠けても前進できません。イエスさまは告白することを求めていらっしゃいます(マタイ7:11→8:2−3、参考ローマ10:8−13)。変わることを真に求めるなら口で告白しましょう。「私は変わりたい!」と言うのが変身への切符です。

みことば

 さてあなたが変えられるとしてまず何が変えられなければならないのでしょうか。それは罪が赦されていない状態が、です。人は本来幸福に生きる存在として造られていますが、「神なんか要らない!」と絶縁宣言をしたときから変えられなければならない者となりました。
 いま神さまに対して私たちが無関心な者であったこと、反逆の心を持った者であったことを認めましょう。そうすればイエスさまのあがないによって新しい者としていただくことができます。
 イエス・キリストはあなたの罪を背負い十字架に死なれ、また3日目によみがえられました。こうして本来あなたが受けるべきすべての災いや呪いを受けなくてもよいようにしてくださいました。この十字架の上で示された神さまの愛を受け入れることが変身の記念すべき一歩となります。人を不幸にする源としての罪を滅ぼさない限り決して変身への実際的なスタートをすることはできません。
 さてこの経験をあなたはみことばによって自分のものとすることができます。さあみことば(第2コリント5:17、ヨハネ1:12など)を信じましょう。同じようにして他の変身内容を保証したみことばも読みましょう。もちろん理解できない部分も少なくないでしょう。それでも忍耐を持って読み進みます。メッセージや入門講座などの助けを得ながら期待を持って読んでみましょう。読むときに、すでに神さまの子になったあなたにとって最も頼もしい助けは人格あるお方であり、かつ聖書の著者であると言ってもいい聖霊さまによる教えや導きです。祈りつつ、瞑想する中で直感などによってそれは与えられます。聖霊さまはあなたの心の中で働いて、あるみことばをあなたへ個人的に与えてくださいます。それはあなたに対して新たな変身を保証したことを意味しています。

神さまのご性質と交換

 旧約時代、祭司のところへ人々は犠牲の動物を携えてやって来ました。その動物にはささげた人の罪が儀式により転嫁されたとみなされました。と同時に無傷かつ高品質である動物の持つ性質もささげた人に移されたとみなされ、すなわち両者は交換されたとみなされました。これはプロトタイプであって、やがて本物が現われなければなりません。イエス・キリストこそそれです(ヘブル10:24)。
 十字架において人々の持つ罪と罪の呪い、すなわち恐怖、不安、争い、病気などもろもろの不幸を一身に引受け、代わりにキリストの聖さ、愛、平安、健康を人間の側にお与えになり、交換作業は完了されました(ヨハネ19:30)。神さまのこの知恵はたった今もあなたによって受け入れられ用いられることを求めて叫んでいます。
 どうしたらこの恵みを受け取ることができるでしょうか、すなわち神さまのご性質とあなたの罪の呪いとの交換をすることができるでしょうか。そのことのためには「止まる、求める、待つ」という3拍子が必要です。
 イザヤ書40章31節には「新しく」ということばが使われていますが、その意味は鷲の羽毛が抜け代わるときに、古いものが少しずつ、そしてやがてまったくなくなってしまって完全に新しくなるというものです。そのためにはどんなに忙しくても立ち止まり、冷静に自分を見つめ、肉のやり方を排し、信仰によって解決することを確認しなければなりません。その間に必要なのは、従って悔い改める信仰です。他者を責めたり裁く態度を捨てることを決意し、自分の高慢、いたらなさ、自我の強さ、貪欲、罪深い態度を悔い改めましょう。こうしてあなたは、「私は真剣に変身を求めています」というアピールをしただけでなく、神さまがあなたに与えようと用意してくださっている魅力的なご性質との交換品を準備できたと言えるのです。

大切な人を神さまに向かって解放

 あなたの大切な人を神さまに向かって解放してください。人とは自分を含めてすべての人です。人を手の中に握り続けるのは疲れるものです。思いバッグをいつまでも持ち続けていると辛いように。
 まず欲望や感情に支配されている自己を解放しましょう。みことばを心に刻む者は解放されます。聖霊さまのお働きの恩恵です。
 次に身近にいる人々を解放しましょう。夫、妻、子、親などに対して利己的な動機から自分の所有物視することはやめましょう。高給、名誉ある地位、大きな家、財産などこの世の成功と見られるものを第一にすることはやめましょう。
 一人の女性が「あなたの夫は再起不能です」と医者から宣告されてしまいました。それまで幾度となく手術を重ねていましたが、その間彼女は神さまにつぶやき続け、かつ反抗していました。「なぜ、私の夫がこの病気に選ばれたのでしょうか」と。ところがこのときの宣告で彼女の目から鱗が落ちたようでした。「父なる神さま、私の夫を解放します。いままで自分の夫のイメージを自分勝手に作り上げ持っていたのを今きっぱり捨てます」不思議なことが起きました。まもなく癒されました。病人から健康人に変身しました。しかし最も深い意味で変身したのは彼女でした。神さまへの反抗者から神さまを信頼する者へと変えられたからです。
 あなたの持っている、この世の価値観から身近な人々を解放してあげましょう。永遠の価値や命を持たないこの世のものは偶像であって、あなたを捕えその中に閉じ込め、ストレスや病気に誘います。しかしあなたの愛する神さまに向かって人を解放するとき古いあなた自身が解放されて新しい環境の中に変身しているあなた自身を見ることができるのです。神さまの愛と善意と誠実とを受け入れすべてをお任せしましょう。神さまのなさることはときにかなって美しいのです。

「私のために祈ってください」

 どの人も誕生から死亡まで、いつでも他者から恩恵を受けています。クリスチャンになることも同様です。神さまは働き手を送ってくださるお方であり、その人々を通じてみことばは伝えられ、一人のクリスチャンが誕生します。他者に依存する弱さを率直に認め、告白しましょう。するとどうなるのでしょう。弱い者こそ強いのです(第2コリント12:9、10)。こうして自分の弱さという部分も神さまの強さと交換していただくことができ、変わることができます。
 この種の変身のために有効なのは友人による祈りです。強情と高慢という性質を持った私たち罪人は他の人の前にへりくだることを通してより一層変えられ易くなります。神さまはあなたを愛しておられるので、たくさんの援助者を送ってくださいますし、彼らの祈りを通してあなたは弱い者から強い者へと変えられ、求める者は何でも得られる者に変身もします。