48.人間関係の奥義

●聖書箇所[ヤコブの手紙4章12節]

 神さまがこの世界をお始めになったとき、アダム一人だけでなく助け手としてエバを置かれました。人格である人間には交わりが必要であるとの観点からでした。
 人類の歴史は社会の歴史です。確かに仙人のような人もおりますが、社会から完全に隔絶されているのではなく、必ずだれかと交わりを確保してあるものです。アリストテレスは「人間は社会的な動物である」と言いましたが、それは真理です。このように私たちは交わりを必要としてはいますが、この交わりがすなわち人間関係が実際のところ難しいのです。もしこのわずらわしさがなければ人生いかに楽であろうかと思わされます。しかし私たちが生きる上で避けられない種類のものであることは言うを待ちません。
 しかしもっと肯定的にこう言うことができます。人間関係の中でのみ徳の向上、つまり人間として備えるべき種々の条件が満たされる。決して犬や猫が代われるわけではありません。それではいかにしてより良い人間関係が得られるか聖書から学びましょう。

自分の位置

 神さまからあなたの位置や立場を教えていただきましょう。最初の人アダムに神さまは「あなたはどこにいるのか?」とお尋ねになりました。この問いは「いまあなたの立っている位置や立場は本来のものではありませんよ」の意味にほかなりません。
 人間関係のつまずきは、たとえば2人の人がいたときに、互いにあるいは片方が相手の人の領域を侵したことから始まります(2)。相手の人が少し身を引いたと思って自分が前に出ると、彼は「無断で私の領域に泥靴で上がり込んで来た」と抗議してきます。これはすぐに感情的なものに発展し、拡大して行きます。自分のいるべき位置や立場が明確に分かっているときにこのようなことは起こりにくいのです。船が大洋を航海するときに、星を見て現在の位置を確認することができ、進むべき方向や速度を決定します。人生という海を無事に航海しようとするなら、造り主なる神さまを星として、各人が自らの位置を確認し、修正すべきは修正し、また正しい位置にあるならそれをそうと自覚していることが安全の継続のためにも求められます。

 では神さまの前における位置とはいかなるものでしょうか。

  • 第1に、私たちは罪人であることです。これをわきまえないときに、自分や隣人に完全さを求め、裁いてしまいます。他の人と同様に自分も罪を犯すし、失敗もするという人間観が前提として私たちには必要です。この前提こそが健全な人間関係を作り上げる基礎であることを覚えてください。
  • 第2に、私たち人間はその周辺にあるものも含めて、他のすべての存在と同じく神さまの被造物、被所有物です。私たちは誤解して、夫、妻、子ども、お金、車などを自分のものだと思っていますが、実はあらゆるものは神さまの所有であり、いっときこの肉体で過ごす間、私たちはその管理を任されているにすぎません。神さまはかつて一度も所有権の移転を宣言なさったことはありません。しかもこのような恵みの数々を楽しむ主体であるいのちそのものが神さまのものです。私たちが争いを経験するのはこのようなこともわきまえずに、天井のない貪欲さを愛するからです(2)。「これは俺のものだ」「これは私のものよ!」と言って、自分だけのものにしようとし、あるいはこの人は私の描いたイメージ通りにならなければならないと定め、鋳型にむりやりにはめこもうとします。
 もし私たちが日常生活で使用している物が壊れて使用に耐えられなくなったら捨ててしまうでしょう。幸いなことに私たち人間は神さまにとって壊れた机ほどの存在ではありません、神さまはあなたを愛しておられます。それでもなおこれをわきまえないなら、従ってこれは神さまと争うことであり、その結果として他の人々と争いを起こします。
 今謙虚になって神さまの前にへりくだりましょう。あらゆる罪を悔い改め、あらゆるものを神さまに解放して自分の思い通りにすることをやめましょう。人々はあなたの変化に驚き、それゆえにあなたと友人になりたいと思い、あなたの話すことには喜んで耳を傾けるようになるでしょう。あなたの人間関係は祝福されたものとなること請け合いです。

神中心の家庭生活

 神さまを中心とした生活をしましょう。これはまず教会生活を指して言っています。家庭の中にはルールがあります。神さまを心から愛することと隣人を愛することです(マタイ22:37−39)。このルールが有効に作用するとき人間関係は常に平穏かつ健全です。

 愛するとは信頼することです。人生にはさまざまな事件が起きますが、あなたの信じるまことの神さまはすべてのことを良い方向へ導いてくださると知ってください。また隣人を愛するとは隣人を人格ある一人の人間として信頼し、尊重して行くことです。この人も神さまに造られた、世界でただ一人のかけがえのない愛されるべき存在だ、と考えることです。このような愛の交換が不幸な人間関係を生み出すことはありません。

 さらに神さま中心の家庭生活ではいくつもの共通体験ができます。祈りあいがあります。悩み、困難、苦しみなどを祈ります。家庭の中における聖められた相互の干渉を神さまはたいへん喜んでくださいます。どうして一つの家庭の中の兄弟姉妹がお互いに無関心でいられるでしょうか。神さまの愛は良い人間関係を通じて人々にもたらされます。小さな勇気とともに提案し、助言しあいます。祈りあい、助けあう姿は美しいものです。

 また会話を肯定的なものにしましょう(ヤコ3:2)。「このようにしようと思っている」「もう一度やってみたい」などの表現は聞いている方も気持ちの良くなるものです。否定的な会話は自分のみならず他者をも傷つけ、人生のイメージを暗いものにします。舌をコントロールする者には勝利があります。口によって徳を高めましょう。スポーツやハイキングなど健全な趣味も共有できます。神さまのお造りになった美しい自然の中で、本来の美しい人間関係を作り出すことができます。ゲームなどでもするといままで知らなかった良い面を互いに発見し、新しい建設的な交わりを生み出すでしょう。互いに胸襟を開き、真実を見せているとき、寛容は宝だと人々は互いに知ります。

 そして十字架に感謝する心も大切です。これこそ最高の共通体験です。聖餐式、イースター、クリスマスなどあらゆる機会に十字架を思い、罪が赦された恵みを喜びあうときに、どうして争いや裁きあいが生まれて来るでしょうか。十字架は永遠の和解のメッセージです。また祈祷会は聖霊さまとの交わりを深く体験させてくれます。神さまの家庭としての教会はこのように人間関係の腕を磨くための練習場です。この世は、立派に訓練を受けた平和の使者として、良い暖かな人間関係を新たに生み出してくれる者としてあなたを待っています。

人の敵サタンを追い出す

 人が不幸に陥ったのはサタンの誘惑によるのです。史上初の不幸な人間関係の現われはアダムとエバの夫婦喧嘩でした。サタンは本来天使であって神さまの次に力ある者でしたが、その強大な力のゆえに高慢になり、天から落とされてしまいました。サタンに対してはそのときすでに地獄が運命として約束されています。
 彼の働く意図はただ一つ。ともに地獄に行く者たちを一人でも多く獲得することです。互いに裁きあい、決して赦さず、徳を低めあうとき、サタンの思う壷です。
 誘惑の仕方は基本的にはたった一つです。「あなたは神さまのようになれますよ!」(創世記3:1、5)。もし次のような思いがあなたの心に沸き上がるなら間違いなくサタンの働きかけです。「あなたの意見は世界でもっとも優れている!」、「あなたが一番利口だ!」、「神さまなんか、必要ありませんよ。一人で立派にやっていけますよ」。

 ではサタンを追い出すためにはどうしたらいいでしょうか。

  • 第1に、主の前にへりくだりましょう。否定的な人生から肯定的な人生へとあなたを導き入れてくださったあがない主・救い主に感謝し、それゆえに否定的なことばを使用しないことです。良い神さまが良くないことをなさるはずがないからです。
  • 第2に、世を第一にするのはやめましょう(3−5)。お金や地位や名誉を一番大切なことと考えることは適切なことではありません。
  • 第3に、聖霊さまに満たされるようにしましょう。聖霊さまのお声にすなおに従いましょう。主があなたを一段と高いところに上げてくださり、すなわちあなたのことばも人格も変えられ、多くの人々にあなたは愛されるようになるでしょう。