49.信仰から信仰へ

●聖書箇所[ローマ人への手紙1章16−17節]

 すべてのものを創造された神さまには力があります。信仰はその神さまの力を招くものです。どの程度の力をいただくことができるかは、その信仰のレベルに連動します。天上においても地上においても受ける恵みは違って参ります。今日はどうしたら信仰のレベルをあげることができるかを考えてみましょう。

歓迎されているあなた

 多くの人が自分の生に満足していません。「どうしてこんな自分なんだろう」と、つぶやきながら生きています。つぶやきからひとつの不幸が生まれます。そこで遊びに走ります。お金を費うことに奔走し、物質的に豊かな生活を追及します。ただし限界に気付きながらです、少なくとも無意識のうちに。「もっといい道、もっといい生き方はないだろうか・・・きっとどこかにあるはずだ・・・」と。
 あなたの生みの親である神さまがおられます、そしてあなたを愛していらっしゃいます。あなたは愛されて今この時代に生を与えられました(詩篇139:13−16、エレミヤ1:5、エペソ1:4、5)。あなたが夫、妻、子、親、会社員、学生、市民、また日本人(その他の国も含む)であることなどはその神さまがお与えくださった立場です。もしあなたが信仰の階段を上に登って行こうとされるなら、現在立っている段、つまり上記の立場があなたの体重を支えることができなければなりません。神さまの、愛に基づく摂理を信じてください。今のあなたにとってそれを受け入れることは大変な困難なことであるかも知れません。それでも信仰によって受け入れましょう。
 神さまは現在の状況の中でイエス・キリストと出会わせてくださいました。そしてあなたには何の功績もないのに永遠のいのちをくださいました。神さまのあなたへの愛は非常に現実的です。父なる神さまにとって最も大切な一人子をあなたのために苦しませ、また死なせなさいました。このときあなたが負うべきあらゆる呪いが消えたのです。あなたはこのことを受け入れますか。あなたの生そのものへの呪いも消えたのです。神さまが真実に願っていらっしゃることはあなたが永遠の幸福を得られることです。それは永遠のいのち。これを受け取るためにはまずイエス・キリストを信じて自分の生が神さまから歓迎されていることを知り、その神さまの権威に基づいて(注意してください、あなたの権威ではありません、あなたがどのように思ってもこのことにおいてはあなたには何の権威もありません)自分自身を受け入れなければなりません。

隣人のために生きる

 与える者は受けます(ルカ6:38)。特に、人の弱さを理解し、同情し、助けることができるならそれはたいへんすばらしいことです。それは金銭的な援助を言っているのではありません。神さまの力をイエス・キリストへの信仰によって自分で直接受け取れるように導いてあげることです。
 隣人とは身近な人のことです(ルカの福音書10章25−42節をお読みください。だれが隣人であるかが示されています。伝統的には「困難を覚えている人、かわいそうな人」を指すと考えられていますが、それは誤解です。あなたがいつもお世話になっている人を隣人と言います)。恩を忘れずにいつも祈り、親切でありましょう。神さまはあなたを祝福してくださいます。他者への無関心は他者の幸福を願っていないことであるとも言えます。ねたみの火は燃え上がっています。その燃料はエゴイズムであって、火とは欲求不満です。周囲が自分の思い通りになってくれることは多くはないのでいつもイライラ。時には病気にもなります。これは自我が悪魔の言いなりになっているとも言えます。

どうしたら隣人に愛を持つことができるでしょうか。

 第1に、神さまに聞くこと。心をニュートラルにして、神さまのお考えを伺いましょう。私はこういう質問をたびたび受けます、「なぜ、私には答えが来ないのでしょうか」。私は「もうすでにあなたはそのことについて自分で決定してしまっているのではありませんか」と注意を喚起するようにしています。もしそうであるなら聞く必要はないでしょう。神さまを試すことは失礼なことですから。
 さて神さまはあなたに非常に難しいことを求めることはなさいません。多分私の考えではあなたの現在持っている力の20%増ぐらいです。経験的にそれ以上のことは不可能に近いと思われます。今あなたの持っている、すなわち与えられている力の100%を使えばこの20%増の内容に答えることができるはずです。あなたは神さまを信じていますか。愛の神さまを信じていますか。それなら勇気を持って信じていることをあかししましょう。すなわち示されたことを実行しましょう。神さまが完成させてくださいます(ピリピ3:16、2:13、14)。

 第2に、みことばを紹介すること。みことばを信じる者には聖霊さまの力が伴い(聖霊さまの息吹によってみことばはみことばとなったのですから)、そのみことばの持つ祝福が移ります。

 第3に、祈ること。たえず祈りましょう。祈りは交わりであり、会話です。特に人格的なもの、すなわち愛や忍耐などが伝染してきます。お祈りの中でイエス・キリストを信じ受け入れたら最高です。ここに祝福の三角形、あなたが隣人に愛を与えることによってあなたへの祝福が増幅されるという、神さまの法則が完成します。これはイエス・キリストが手本を示しなさったことでした。まことの神さまでありながら、親切にも汚れた私たちの世界に来てくださいました。あなたの救い、幸福のためでした。父なる神さまはこの偉大なへりくだりのゆえにイエス・キリストを高く高くあげてくださいました(ピリピ2:2−11)。イエス・キリストは私たちの信仰の創始者であり、完成者です。あなたも隣人への親切によって高く高く上げられます。

誠実な生活態度

 怠けは滅びを招きます、しかし誠実は勝利をもたらします(箴言28:10口語訳では「誠実な人は幸福を継ぐ」)。まじめに働く人には祝福が約束されています。これは決して休暇や休日を否定するものではありません。神さまはご自身に必要がないにもかかわらず、天地創造後の最初の日に休まれました。休暇や休日は神さまの立てられた秩序の中でも非常に重要なものの一つです。
 特に日曜日は通常の勤務を休み、身体や心を休ませ、礼拝をささげることによって霊肉両方の一家だんらんを楽しみつつ、たましい(霊魂)を休ませなければなりません。つまり第1の誠実は神さまへの礼拝です。礼拝とは被造物がなしうる最高の行為です。人間にしかできないたいへん美しい行為であり、またそれゆえあなたの幸福を産み出すものです。あなたは人生の高い水準をあなたの信仰によって得ることができます。
 第2に、自分のできることはする。たとえば夫婦にあって大事なことはそれぞれ自分の責任を果たすことでしょう。これが誠実です。この場合2つの力不足が考えられるでしょう。はじめに、「あちらの誠実が先」という考えに負けること。次に実際に誠実であろうとしても現実的に難しいということ。前者は霊的病弱を表わしていますが、天国信仰を持つことにより越えられます。天国においてはもはや夫婦ではなくなります。それぞれ独立した個人としてそれぞれの段にいるのです。あなたはあなた個人として信仰者の勝利を勝ち取りましょう。それでこそ神さまがくださったあなたの親や子や配偶者や友人との関係は祝福されます。後者については力が足りないことを率直に認めて神さまの力をいただきましょう(ピリピ4:13)。たとえあなたが失敗しても神さまはあなたを応援することをおやめになることはありません。神さまはあなたの失敗を「いつまでも覚えていて、忘れずに、断罪なさる」お方ではありません。どんな失敗もイエス・キリストの十字架のゆえに受け入れ、忘れ、消してくださいます。
 復活のイエス・キリストがあなたのイエス・キリストです。あらゆる失敗を恐れず、常に新しい人として大胆に行動してこそ信仰はそのレベルを上げて行くことができます。失敗は許される、これがキリスト教信仰の世界です。もう一度のトライ、いかがでしょうか。

結果を神さまに委ね、感謝

 最善を尽くしたあと、どのようであるかはおのずから決まってしまいます。コンピューターと同じで何を入力するかによって出力の内容は決まってしまいます。神さまはだれにも不平等なく正しく報われる方です。あなたの最善に対して最善を報いてくださいます。天のお父さまは立派なお方です。受け取った恵みに感謝して、さらに上位の恵みを求め、以上の信仰の作業を繰り返して参りましょう。神さまは日々年々高いレベルの信仰をあなたに養ってくださいます。神さまの豊かな祝福があなたにありますように。