51.忍耐から得られるもの

●聖書箇所[ヘブル人への手紙10章35、36節]

 百貨店などのおもちゃ売り場では子どもがお母さんにねだっている姿がよく見受けられます。親はそのすべての願いをかなえるわけではないので、子どもにとってはかなり辛いことのようです。
 大人でも同様でしょう。お祈りしてもなかなか思うようにならない、つまり希望がかなえられないもどかしさがあります。正直のところすぐに欲しいのです。でも待たされます。結論を言ってしまいましょう。愛の神さまはこのときあなたに忍耐を求めていらっしゃいます。何をお考えなのでしょうか。
 今回は忍耐の意味を学びましょう。

人としての豊かさ

 あなたの人としての豊かさを忍耐は実現してくれます。それらは、あなたの中に確信されるべき、義(正しいこと)と信仰と愛と平和です。私たちは何が義であるかを判断することができます。
 でも義だからといってそのまま主張すると隣人や友人をおうおうにして傷つけてしまうものです。このような義は小さい義であり、神さまがあなたに期待していらっしゃるのは、他者を傷つけない、いや祝福する大きな義、大義です。あなたの中にやがて大義名分が宿るとき、神さまは働き始められます。

 平安について。平安は魅力的です。希望の学校に入れた、結婚できた、子どもが与えられたなどなど。このような喜びのとき、心は平安になるでしょう。しかしこれらのものは一時的なものです。なぜなら環境から来るものだからです。真に永続的な平安は心の内側からしみ出てくるものでなければなりません(ヨハネ4:13、14)。

 信仰について。はじめはだれも小さな信仰しか持ちません(マタイ17:20)。目標としての信仰は「山を動かす」(同)ほどの力を持ったものです。ここに来るまでには神さまとけんかすることもあるでしょう。あるときは疑いの心を持つこともあるでしょう。まさに山あり、谷ありです。しかしこれらを栄養素としてあなたの信仰は成長して行きます。

 愛について。イエスさまを受け入れましょう。神さまの愛、真の愛があなたの心に宿ります。しかし失望しないでください。だれもはじめから大きく愛を使えるわけではありません。

 さてこれら義や信仰や愛や平和を得て行くには時間が、つまり忍耐が必要なことは明らかです。とても大きくまた価値あるものであればあるほど。あくまで神さまを信頼して追い求め続けることです。主はあなたを必ず祝福してくださいます(マタイ7:7−11)。あなたの追い求める姿勢に神さまは必ず答えてくださり、忍耐は無駄ではなかったとあなたはやがて知るのです。
 神さまはあなたを愛しておられることの証拠に大切な御子をくださったではありませんか。忍耐によって、あなたという器はより大きくされ、より大きな祝福を受け取れる準備となります。小さな器に大きなものは入りません。あなたの忍耐は神さまの知るところです。

謙遜さ

 忍耐はあなたを謙遜にさせます。だれがこの世界で一番偉いのでしょうか。多くの方々が意識的にしろ、無意識的にしろ「私です!」と叫んでいます。忍耐させられている間、あなたはこのように主張することから生まれる葛藤や苦しみを心の中で体験しなければなりません。
 神さまだけが偉いお方です。このルールが無視されるとき、どんなところでも争いは絶えません。どこの世界にもルールがあります。たとえテロリストの世界であっても、首狩り族の世界であっても。私たちの生きる環境である、時、場所、人間関係において祝福を得たいと考えるなら、最高のルールである神さまのルールを学びましょう。そうでなかったらいつまでも待たされます。神さまを神さまにしてこそ神さまはしもべたるあなたを認めてあなたのために働いてくださいます。こうやって神さまの力を解放しなければなりません。
 アダムとエバは「私たちは神さまの地位につこう」という高慢な思いとともに堕落しました。以来夫婦喧嘩は絶えることなく、兄が弟を殺す家庭となって行きました。愛し合う夫婦や兄弟、助け合う家庭と言う夢は無残にも砕かれてしまいました。
 いったい人間の中でだれが完璧な計画を立て、かつ寸分違わず実行できるでしょうか。神さまだけが私たちの希望です。これを受け入れるとき、あなたは神さまにしもべとして扱っていただくことができます。しもべがしもべらしくあるとき、神さまはご自分のしもべのために最高の恵みを報いとしてお与えになります。それは主人としての責任でもあります。
 私たちは勘違いをすることがあります、社長、親、夫、など上の立場にある者たちが良いものをくれるというふうに。ほんとうのところは、神さまの恵みを運ぶパイプであり、器でしかありません。この真理を信仰によって受け止めるとき、あなたは神さまのしもべとなることができます。このような意識へあなたを導く働きを召命と言います。あなたは何に召されたのですか。親ですか、子ですか、夫ですか、妻ですか、会社員ですか。それぞれの立場で−なにしろ神さまが用意して下さった立場なのですから−神さまの豊かなお働きの恩恵にあずかることができます。今一度この召命というものを時間をかけて確認しましょう。
 結局謙遜とは、すべてのものの所有権は神さまにあり、とするものです。人は自分自身の身体を含めて、管理を一時的に委ねられた者でしかありません。「求めるものを得てしまったらだれにも触れさせない!」とするなら、神さまはあなたに与えることを躊躇なさるでしょう。少なくともしばらくの間は。この間、あなたは忍耐を経験させられます。神さまのものは神さまのものです。使わせていただいていることに感謝しなければなりません。
 ところで神さまは確かにある人々には早くお与えになります。しかし早く与えられる者にはそれなりの責任が求められていることも知らなければなりません。神さまの世界に、神さまのなさることに不公正や不平等はありません。まず私たちがしなければならないことは心からの感謝をささげることです。すべてのことに、またすべてのものに。神さまはいつも最善をなさいます。世界にたった一人のあなたのために。あなたがほんとうに謙遜を学ばれるなら、すばらしい祝福があなたには臨むことでしょう。神さまはあなたに謙遜を学んでほしいと願っていらっしゃいます。

目標への最短コース

 忍耐からあなたは目標達成への最短コースを学ぶことができます。一生懸命に努力しても間違った手段や行動をとっているならそれは成功しません。もし間違った道を歩んでおられるなら、神さまはあなたを愛してくださっているので、成功するようには助けては下さいません。願う目標ばかりではなく、同時に手段も正しくなければなりません。
 神さまはあなたにイエスさまの犠牲を無視していた頃という、以前の人生を思い出させようとしていらっしゃいます。自分だけの都合を考えて他者を無視し、おもいやりもありませんでした。心と生活は乱れ、葛藤とつぶやきと不安が支配し、ときには病気にもなりました。
 神さまはあなたの忍耐のときに無駄に時間を過ごしていらっしゃるのではありません。大義名分を掲げても動機が不純であるなら、神さまはあなた自身のために正そうとされます。感謝の心を持って神さまのお考えを知ろうと努めてください。従順になることです。
 バベルの塔(創世記11:1−9)は人々の高慢さの現われでした。人々は神さまを世界から追い出そうとしました。その象徴としてこの塔を建て始めました。失敗したのは当然です。不従順から来ている願いを捨てることが主のお心です。不従順の原因は自分の力への過信です。忍耐し待つ間に、神さまはあなたにメッセージを送っておられます。「だれに祈りますか?」「だれに頼みますか?」「もし自分に、であるなら、自分でやってみなさい」というような。
 あなたが自分に頼る間、神さまのすぐれた頭脳で用意された、あなたに関するすばらしい計画は進展しません。愛の神さまはあなたの磐石な幸福のために悪い面を矯正しようと時間をかけてくださっております。正しい神さまは正しい者を祝福するのに躊躇なさることはありません。すぐにも応答があります。たとえ遅いように見えても、ほんとうのところ主の祝福がやって来るのが遅いということはありません。主を信じる者に空しく過ぎ去る時間は一秒といえどもありません。あなたが自らの心のうちを探られ、主の豊かな祝福を早く受け取れるように主の御名によって祝福いたします。


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