55.主は生きておられる

●聖書箇所[各段落ごとに表示]

 イタリアのルネッサンスを代表すると言われるミケランジェロに一人の弟子がおりまして、彼は長いことかかって一つの天使像を彫り上げました。会心の作と思い、おそるおそる大先生に採点を乞いました。じいーっと先生は見て、一言。「一つだけ足りない」彼は失望して不眠症になってしまいました。その一つは「いのち」でした。どんなに優れていても、いのちがなければ空しいのです。
 あなたはイエス・キリストを信じていらっしゃいますか。それも生きている方として信じていらっしゃいますか。あなたの主イエスさまは十字架で死なれましたが、3日目によみがえられ、今生きていらっしゃいます。「イエス・キリストはきのうもきょうもいつまでも同じです」(ヘブル13:8)と言われます。それがどういう意味なのかを今回はご一緒に学んで参りましょう。

人を真に理解

[コリント人への第2の手紙8章9節]

 主イエスさまは人の弱さに同情し理解してくださいます。人の弱さはそれ自体罪ではありませんが、罪へ向かわせるものであり、人を悩ませます。広辞苑によりますと弱さとは第1に「力不足」。第2に、「意思が弱い」。三日坊主のことです。多くの人がそれは自分のことだと思っています。
 さて良い行いを決心しておきながら、実行できないのは人の弱さです。同情するためには力も意思も必要です。聖書は禁酒を主張してはいませんが、もっと良いものに酔うように勧めています(エペソ5:18)。正しい禁欲主義(正しくない禁欲主義とは無意味な禁欲項目を列挙するもので、正しい禁欲主義は人の健康を心身ともに保護するものです)はその禁欲された部分の代わりになるものをしかももっとすばらしい性質のものを人に提供するばかりでなく、禁欲するための非常に優れた力をも提供します。それは聖霊さまです。イエスさまを信じて、そして聖霊さまに酔う(満たされる)まで人は悪いものに酔わざるを得ず、心身の健康を損ねてしまいます。こうして弱さは人を不幸にして行きます。
 イエス・キリストは真実の同情者となられるために、真の人となられました。もしもはるか遠い天に留まり続けられたとすればだれもその同情や理解をことば以上のものとは思わないでしょう。口先だけと思われても仕方のないことです。愛とは何でしょうか。私の尊敬するサンテグジュペリはこう言いました。「互いに見つめあうことではなく、同じ方向を見ることだ」イエスさまが真実の理解者であられるのは私たちと同じように弱さを持つ者となられたからです。まことの神さまでありながら、人となりたまい、しかも一介の貧しい労働者の子としてお生まれになりました。イエスさまは私たちと同様の日常の生活上の悩みを体験されたからこそ真の理解者、同情者なのです。もちろん生まれながらの私たちにも人を同情する力や理解する力がまったくないわけではありません。けれども限界があります。

  • 第1に自分の死。
    立派な親もやがては子どもたちよりはやく死にます。
  • 第2に、死後の生活への無知。
    単に現在だけを同情するだけでは不十分です。人生は地上だけではありません。
  • 第3に、忘却、そして経験する悲しみの種類の少なさです。
    喉元過ぎれば熱さ忘れると言われる通りに辛い経験も少しずつ忘れ去られて行きます。あまけにあらゆる種類の悲しみをだれも経験できるわけではありません。
  • 第4に、人は無意識のうちに他者からの同情を排除してしまうことがあります。しかしイエスさまは私たち人の持つあらゆる弱さを自ら体験なさったので真実に同情することがおできになるのです。その同情の極致が十字架です。あなたは決して孤独ではありません。人間のだれから捨てられても、イエスさまはあなたの痛みや悲しみや辛さを分かってくださいます。

問題を解決

[ヘブル人への手紙7章24、25節]

 イエスさまはあなたの問題を解決してくださいます。親切ではあっても、限界がどの人にもあります。しかしイエスさまはそれを越えてくださいます。
 ところで問題の根本的な根は何でしょうか。それは人の中に発生する罪です。まことの神さまから離れているという、アダムの罪(原罪)です。個々の罪はここから生まれ、人は問題の海の中に投げ込まれ不幸になります。アダムとエバは愛しあうことを中断し、不仲になり、この夫婦の子どもたちの中から史上初の殺人者が生まれました。
 でもこのような生き方はうその生き方です。神さまのかたちに造られた私たちには似つかわしくないのです。罪があなたの真実の人生を覆い隠しています。今のあなたはほんとうのあなたではないのです(コロサイ3:3)。「いかなる悪事もうそから始まる」(イギリスの詩人)、「うそをつくと同時に良い記憶力が必要となる」(フランスの作家)、「ひとつのうそを守るために他に20のうそが必要になる」(イギリスの作家)などなど。うそはうそを招き、うその大合唱となり、人生全体をうそのものとします。この世界の造り主を認めないうそはあらゆるうその根っこです。しかし私たちを愛してくださるまことの神さまは私たちに真実の実り豊かな人生を取り返させるために、イエスさまを送り、十字架の上にそのうそ・罪を負わせられました。ここに根本的な人生の解決はなったのです。ですから日々生きる悩みの問題が個々に祈りによって成就して行きます。
 随筆に「アメリカ人の心」というものがあります。白井義男は戦後まもなく敗戦および国土の荒廃にうちひしがれていた時代に4度続けて防衛したボクシングのフライ級チャンピオンです。彼のコーチはアメリカ人のカーン博士。ある人は功名心の強い人と思っておりましたが、実はファイトマネー(3分の1はコーチ兼マネージャーとしての彼の取り分)をまったく受け取らなかったというのです。あるときアメリカから特別高価な血止め薬を取り寄せました。カーンは白井の前で自分の手首を剃刀で斬って、その薬を塗り、効き目を納得させようとしました。白井はこのことがあってから、私はこの人のためなら何でもしようと決心したというのです。しかしイエスさまは手首を斬った方ではなく、いのちをお捨てになった方です。ご自分のいのちと引き換えに、あなたに真のいのちを与えようとなさいました。ですから主イエスさまを信じるとあなたには4つの救いが約束されます。罪の持つ悪魔的な力から、危険から、病気から、神の断罪から。ここにあなたのあらゆる問題の根本的な解決があります。

あなたの人生に勝利

[ローマ人への手紙8章37節]

 イエスさまはあなたの人生に勝利を与えてくださいます。イエスさまとともに歩むあなたは、イエスさまの中にいらっしゃるあなたは人生の勝利者です。なぜなら彼は十字架で死なれたばかりでなく、死を滅ぼしてよみがえられました。もはやイエスさまにある者には恐れも空しさもありません。
 ところでこれらの恐れと空しさとは私たちの人生の無価値性と非永遠性とに起因しています。一生懸命に生き、働いても無用のものとして捨てられてしまうかも知れないという思いです。しかしイエスさまを信じる者の功績はすべて価値あるものとして永遠に保存されます。それの根拠になるのが永遠のいのちです。イエスさまを信じることによってのみ与えられるものです。神さまはこれをあなたに与えてあなたの人生を勝利に導いてくださいます。
 ところでイエスさまを信じる信仰がこうしてあなたを勝利させますが、信仰自体が守られ、強められる必要があります。イエスさまは今日あなたに聖霊さまを送り、あなたの中に豊かに働いてあなたの信仰が立派に動くように助けて下さいます。祈って聖霊さまを歓迎して参りましょう。あなたの人生はあらゆる問題にもめげず、たくましく何事にも積極的で多くの収穫を得る性質のものとして輝き続けるでしょう。


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