63.神はあなたを愛しておられます

●聖書箇所[各段落ごとに表示]

 乳児は母親と一体感を持っているようです。やがて母親を自分とは違う存在であると気づきますが、この時が社会との初の接触となります。とすると母親の態度は非常に重要です。冷たければ人間社会は冷たいものだと乳児は受け取り、愛を受け取りにくい人生を生きるようになります。でも人はだれでも愛を求めています。少年少女たちの暴走する心は愛に飢える心です。その証拠に彼らは決して人里離れたところで騒いだりはしません。愛が必要です。
 さて今回は地上にあるどの愛よりもすばらしい愛で、すなわち神さまの愛で変えられた人々を、併せて変えられた結果についてもご紹介しましょう。

人間性の回復[ルカの福音書19章1−10節]

 彼の住んでいるエリコという町は物質的にとても裕福でしたし、彼もまたそうでした。彼は高い教育を受けていました。特技は数字の計算。日銭に潤う、町の金満家です。しかし彼の心の中にはいつも冷たく虚しい風が吹き抜けています。彼の名はザアカイ。収税人です。納税者からあくどくピンハネする、ローマ帝国の走狗であり、最も嫌われた職業の一つでした。しかし悩みは職莱のことではありません。心の問題です。
 あるとき噂を聞きました。一人の若いラビ(先生)が多くの人々を魅了し、彼らの内面に変化が起きていることを。もしかしたらと思う彼ははるか遠くであるにもかかわらずそれと思わしきお方をすぐに認め、走り寄ろうとします。けれども背は低く、また普段から憎まれてもいるため、ここぞとばかり人々は陰に陽にいじわるをし、彼は近付くことができません。彼は会いたさ一心でいちじく桑の木に登ります。するとなんと不思議。イエスさまがこちらに向かって来られるではありませんか。生涯における決定的な瞬間です。「ザアカイ。さあ、降りて来なさい。今日はあなたの家に泊まることにしてあるから」寝食を共にすることは親しさを表していました。
 彼はまず自分の名が知られていることに驚きます。そればかりではありません。悩みが知られているのです。イエスさまの温かい、愛に溢れた優しいまなざしに彼は圧倒されてしまいます。握ったイエスさまの手からいのちが流れ込んでくるのが感じられます。家への途上、ありったけの質問をぶつけます。こうしてザアカイの心はまったく変わってしまいました。人間性を回復したのです。心はいやされました。
 「主よ。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。まただれからでも私がだまし取った物は4倍にして返します」だれもが驚きました。奥さんも、常日頃憎んでいる町の人たちも。ザアカイの変身ぶりだけではありません。「汚れた」人々に近付くイエスさまに対してもです。人々は往々にして無責任に人の生き方を批判するものです。しかしこのような余計な雑音は一切ザアカイの耳にはいりません。強制されてしているのではなく、内側の生まれたばかりの美しい人間性が彼をしてそうさせています。当時は自己申告(自首)するなら盗った分だけ返せば良かったのですが4倍にして返すとまで言います。翌日の彼の仕事は印象深いものだったに違いありません。秘書に呼んで来させた、怯えた目の、しかし恨みの心を持つ人々は驚きあきれてしまいます。「これは私がいままで余計に受け取った分の4倍の額です。どうぞ受け取ってください。私はいままであなたを自分の利益のための道具とみなして来ました。でもこれからは違います。あなたは私の友人です。あなたも私もともにかけがえのない、神さまに愛されている者です」と話す彼に。

 物質的には豊かだが、人間性を失っているのが現代人だとはよく言われます。大量生産技術の開発により、人間はロボットや機械じかけの人形のように取り扱われます。欲望は計算づくめで開発され、その充足のために私たちは多くのお金を払わねばなりません。人は社会という仕組みの中で単なる一つの部品になっています。物扱いされてどうして喜んでいられるでしょう。しかし神さまの愛は人間性を回復します。

人生の重荷から解放[ヨハネの福音書4章3−30節]

 水汲みに来ることはこの「サマリヤの女」の日課です。女性の仕事とはいえ、かなりの重労働です。しかし彼女の重荷は別にあります。外からは見えない重荷を背負いつつ、単調かつ重労働の毎日。これが人生なのかも知れません。併せて彼女に対しては厳しい目を向ける者たちも少なくありません。そんなことにも怯えていました。だからこそあえて遠い、町外れの井戸にしかも暑い盛りに、つまり人に会わないで済むようにしていたのです。
 ところが神さまの愛のご計画はこの女の気づかないところで進行しています。人目を忍んでやって来た井戸の傍らにはイエスさまがあいにく座っていらっしゃいました。そればかりではなく当時は考えられにくいこと、すなわち日中に、男の人が女の人に声をかけること、更にはユダヤ人がサマリヤ人(敵対関係にあった)に声をかけることをイエスさまはなさったのです。疲れていらっしゃいましたが、この女に深い関心を向けられました。
 常に周囲の目に怯える彼女も他の人のものとはまったく違う目と態度に自分の心が動くのを感じます。イエスさまは私たちをありのまま受け人れてくださる方です。決してつくろう心要がありません。すべてをご存じでいらっしゃいます。この方は私を責めない、と彼女は直感しました。しかし彼女の傷は深かった。いやされたいがその可能性さえ見出すことができません。
 イエスさまは提案なさいます(4:10−14)。「傷が傷であることを認めなさい。そしていやされるためのいのちの水を神さまから受け取りなさい」神さまの恵みは無条件で、私たちには子どものすなおさがあればいいのです。一時彼女は求める気持ちを持ちながら、小さな勇気を欠いて、話を宗教一般にそらします。イエスさまは真実に生きようとし、求める心を持つ者を決して見捨てることをなさいません。「私を信じなさい。・・・今がその時です。・・・キリストと呼ばれるメシヤが来られる・・・あなたと話しているこの私がそれです」(4:21−26)。求める者に神さまは現れてくださいます。彼女は受け入れ、そして変わりました。メシヤが来た時にはすべての根本的な問題を解決してくださる、という予備知識があったことは幸いでした。置き忘れ去られた水瓶は、人生の重荷から解放された彼女を証言しています。神さまの愛は人生の重荷から私たちを解放します。

惜しみなく与える人を生み出す[ヨハネの福音書12章1−8節]

 小さな村べタニヤでひとりの青年を生き返らせるという前代未聞のできごとに、人々は感謝の気持ちをもって晩餐会にイエスさまを迎えます。この時マリヤはじいーッと聞きいっています。周囲は誤解しそうです。彼女はひらめき、全財産の300デナリ(300万円)もする香油で御足を拭います。すべてのものを憎しみなく注ぎました。愛とは計算しないものです。
 さて彼女の行為には秘密があります。マリヤはイエスさまがこの世に来られた目的を知っていました。あがないとなられるイエスさまを知っていました。彼女はイエスさまから愛を余りにも多く受けました。この大きな、たくさんの愛が彼女を動かしました。神さまの愛は惜しみなく与える人を生みます。

あなたにも同様のことが

 紹介をしました3人が受けた愛は今あなたにも向けられています。そしてこの神さまの愛があなたの人生にも奇蹟を起こしますす。いかがでしょうか。あなたも神さまの愛に触れてみては、いや触れてもらってはいかがでしょうか。あがないのイエスさまを通してあなたは大きな豊かな温かい愛を受け取ります。あなたに祝福をお祈りいたします。


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