78神の御名

●聖書箇所[ヨハネの福音書17章3、12節]

 聖句では、永遠のいのちを持ったあなたは御名の中で守られると言っています。このいのちは喜びに溢れるいのちですから、御名を学ぶことを通してあなたはおおいに喜びに溢れるようになるでしょう。

エロヒム

 旧約聖書ではじめて登場する御名です(創世記1:1)。エルが語源で、力強いの意ですから、「全能の神」です。1章1節から2章4節まではその全能の力による創造の場面ですのでエロヒムだけが登場します。宣言する力と契約に関係しています。エロヒムが約束、あるいは承認なさったら、世界中いつでもどこでも通用するという意味になります。
 このようにエロヒムの名には慰めと励ましとがあります。神さまは無から有を生みだし、その有は祝福を内容とするのであって、あなたに与えるべく契約を結んで下さり、自らの権威と力と責任とをもつて履行して下さいます。
 創世記17章7節には記念碑的な契約を見ることができます。ここでアブラハム家と契約を交わされたのがエロヒムです。「わたしはあなたと契約を結ぼう。この契約は子々孫々にまで及ぶ。」アブラハムのひい孫ヨセフはこのことを承認しています(創世記50:24、25)。
 時が移り変わり人も世界もすべてが変わってもエロヒムは決して変わらない。いつまでも誠実に約束を果たそうとされます。しかもこの契約はクリスチャン(アブラハムの真の子孫であるゆえに。ガラテヤ3:29)に対しても有効だと言います。エレミヤヘ啓示された(エレ31:31、33、32:40、41)この約束は、今日聖霊さまによってあなたのものになります。聖霊さまはイエスさまの救いを受け取るあなたに、確かに真の霊的なアブラハムの子孫であるという信仰をあかししてくださいます。
 エロヒムは今日も神さまを愛するあなたに約束を履行しようとなさいます。祝福の人生を導こうとなさいます。みことばをいただき聖霊さまによって無から有を、無秩序から秩序を、困難から解決を得て参りましょう。求めるものをあなたに与えてくださるのがエロヒムの神さまです。

ヤーウェ

 新改訳聖書では太字の「主」で表わされます。従来はエホバと発音されていましたが、その発音は学者の研究により間違いであったと判明しました。
 ヤハウェは絶対自立自存のお方です。創世記2章3節までは創造神エロヒムですが、4節からはヤーウェが登場します。実存的なお方としてイスラエルへ啓示なさるお方として。どういうことかと申しますと、イスラエル人が「ヤハウェさまーっ!」と呼べば、「はーい!ここにいるよ」と応えてくださるということです。もちろん永遠の昔からヤーウェはいらっしゃったのですが、ある時にある人にある場所に現れてくださいます。これを(実存的な)出会いと言います。
 ではどのようにしてあなたはこのヤーウェに出会い、交わりを持っていくことができるでしょうか。それは道徳律をもって。義と聖です(エペソ4:24、創世記1:27)。神のかたちとは義と聖です。一体正義とは何だろう、聖さとは何だろうと考えるのが人間ですから神さまの本物の義と聖を知る時に、すなわち私たち自身のものと比較し検証する時に出会います、交わりのはじめがあります。参考までに神のかたち(創世記1:26、27)のない動物との間には成立しないことは言うまでもありません。
 具体的には罪を犯した(と人が認識した)時にヤーウェと出会います。逆説的ですが、罪を犯して神さまから離れていることを直観し、かえって神さまに近付き得るのです。
 イスラエル人の歴史を見ますと、罪を犯して罰を受けて再び出会います。人がいろいろな災いを受けるのは自らの罪のためです。けれどもヤーウェは心を痛めて、なんとか救いたいとお思いになります。しかし罪に目つぶしを食わされた人の目はヤーウェを認めることができず、その御名を口にするのがはばかられます。実は堕落のときに、サタンとエバを相手に登場するのはエロヒムです。それでも最後には神である主(ヤーウェ)は人に呼び掛け、仰せられます。「あなたはどこにいるのか。」(創世記3:9)。
 ヤーウェはあなたの罪をあがない、赦し、受け入れてくださる方です。アダムの子カインとアベルが棒げる時、ヤーウェは血を流すいけにえを喜ばれました。そのように御子イエス・キリストの尊い儀牲によってあなたを救ってくださり、罪、不義、不聖からくるすべての不幸を取り除いてくださるのがヤーウェの神さまです。信仰をもって幸福な生活を勝ち取って参りましょう。

エルシャダイ

 シャダイとはシャド(乳房)から来ていると言われています。パレスチナは「乳」と蜜の流れる地と言われますが、乳とは豊かさの象徴です。良い物を憎しみなく与え、子どもの幸せのためには何でもしようという神さまがエルシャダイです。
 この名が初めて登場するときに出てくる一人の男の人の話をしましょう。あるときエルシャダイに示されて新しい土地に向かいました。約束ももらいました。あなたとあなたの子孫とは充分に祝福を受けるだろう、というものです。しかし約束の地で子どもは生まれず、その気配もありません。そこで彼は人間的策を弄して問題を起こします。アブラハムのことです。13年後ついに実子イサクが奇蹟的に与えられます。彼が自らの無力を真に悟ったときでした。
 もうひとりヨブについて。旧約聖書にこの御名は48回出てきますが、そのうち21回がヨブ記です。彼は中東一の財産家でありながら、そのすべてを失いました。試練の学校で学んだことは我が身の小ささと無力さでした。学び終えた後、エルシャダイは彼を祝福し2倍の財産をお与えになります。もしあなたも同じ学びをなさるなら確かにエルシャダイは現れてあなたに多くの祝福をくださいます。

アドナーイ

 主、あるいは主人と訳されます。アドナーイは複数形(単数形はアドン)であって、三位一体を表していると言われます。「私のご主人様」というふうに人についても使われますが、アドナーイ(またはアドン)で呼ぶときは、「私はあなたのしもべです。何でもご用をお言いつけください」の意味になります。
 アブラハムはこの世においてはたくさんのしもべたちを使い、彼らに対しては主人(アドン)なのですが、神さまに対してはしもべであることを認めています(創世記15:2「神、アドナーイよ)。
 私たちもアブラハムの態度を見習うべきでしょう。「私のご主人(アドナーイ)様。ご命令をいただきたいと思います。何でもおっしゃってください、その通りにいたします」と。
 人の助言、知恵にはいろいろ限界があるものです。アドナーイにこそ聞くべきです。彼こそ人生についての真の永遠の完璧な先生また親です。迷いやすい、うつろいやすい羊である私たち罪人が聞くべき方はアドナーイただお一人です。
 当時奴隷には2種類ありました。お金で買われたものと雇われたものです。前者は家族同様の取扱いを受けます。主人との間には理想的には愛の関係があったはずです。奴隷が「私のご主人様」と呼ぶとき主人は奴隷の全生活に責任を持たなければなりません。あなたのアドナーイは御子キリストの御血によって買い取られたあなたを愛し、あなたの人生に責任をもってくださいます。

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