79.エリヤ

●聖書箇所[第1列王記17ー19章]

 親が子にあてがいたい書物と言えば偉人伝でしょうか。今日は、悪名高いイスラエルの王アハブの治世に活躍した一人の偉人、預言者エリヤから学びましょう。

正しく生きる人

 王妃イゼベルによって熱心に推進される偶像バアル礼拝を彼は激しく非難し、「真の神さまに仕えねばならない」と説きます。強大な力を持つ専制君主に向かって、これはなんという大胆さ。たとえ正しいことをしているとは言え、一瞬恐ろしくなりました。彼は身を隠すことが許されます。しかし、再び3年後神さまのご命令を受け、メッセージを携えて王の前に出ることができます(18:1、2)。こうして、正しく生きる者には必ずその道の安全が保証されることが分かります。
 反対に正しく生きずに、うしろめたさを持つ者はいつも不安な思いや罪責感に支配されます。これらは人の心を暗くさせ、無意識のうちに人生を失敗の道へと導きます。
 相対主義もはやっています。「赤信号みんなで渡れば怖くない!」 みんながやっているから、というのが行動を起こす正当な理由でしょうか。あなたの人生の決断をなぜ他の人に委ねるのでしょうか。もし何かことがあったときに自分が責任をとらなければならないのですから、自分で青信号か赤信号かを正確に判断できなければいけないはずです。
 ではどうしたら正しく生きることが可能なのでしょうか。エリヤのやり方を見てみますと神さまからみことばの保証を受け取っています(17:2、8、18:1、19:9、11、15)。今日あなたには聖書が与えられています。祈りつつ聖霊に導かれつつ、個人的にみことばをいただきましょう。忠実に従うときそれはあなたを正しい行動へと駆り立て、それゆえやがてそれにふさわしい祝福の実を刈り取ることができます。神さまは決して悪人に良い報いをお与えになりません。

心身の健康が守られた人

 彼はたった一人で450人のバアルの預言者とカルメル山において勝負をします。一体どちらがほんとうの神なのか、命を賭けての激しい戦いでしたが、ついに勝利を勝ち取ります(18:18〜40)。
 では彼は以来凱旋将軍のように優雅に勝利感と満足感とに酔って過ごしたのでしょうか。いいえ、そうではありません(19:1〜14)。たった今まで神の人であったのに今日は実にみじめな姿なのです。このていたらく。
 心理学者はこうなった原因を肉体の過労だと言っています。一生懸命やった。力を出し切った。もう歩けない。疲労こんぱい。このようなときイゼバルの脅かしは効果てきめんでした。疲れているとき、空腹のとき、睡眠不足のとき、風邪を引いているとき、霊的にも失速してしまいます。でもそれだけでもないのです。衆人監視の中で勝利をおさめた彼を、しかし同胞のイスラエル人はひややかな目で見たのです(19:14)。「みんなのためにやったのに感謝してくれない」と、もし周囲の人々の反応によって生きるとついこのようにつぶやかざるを得ません。周囲の人々に自分の生き方を決めさせることは良いことでしょうか。ほめられ感謝されているときは調子がいいが、そうでないときはまったくの低空飛行です。これは他の人々の奴隷となる生き方です。決して精神的に健康な生き方ではありません。
 詩人ブラウニングは「愛国者」の題でこう言います。「紙吹雪を浴びて凱旋将軍がやってくる。一年たって再び同じ道を逆の方向へ刑場に向かって引かれて行く」
 人々の考えはその都度変わるものです。このようなものに基準を置くとすると非常に危険です。エリヤの心の内部にはイスラエル人に大きく期待する部分がありました。だから裏切られては心傷つき、また身体的にもいままでの疲れがどっと吹き出てきます。こうして心身の疲れが彼をうちのめしたのです。健康には注意しなければなりません。
 どうしたらそれができるのでしょう。神さまから預かったものであると受け入れることです(第1コリント6:19)。だれでも他の人から預かっている物を粗末にはしないものです。まして大好きな尊敬する恩義のある方に対してはいわずもがな。神さまはエリヤにからだにためには食事と睡眠、心には休息と祈りを導いておられます(19:5〜9)。神さまはよくご存じです。

目標を常に持った人

 彼が疲れた原因がもうひとつあります。目標を失ったことです。バアルとの戦いに勝利した後、精神的にガクッと来たのです。まるで定年を迎えたサラリーマンのようです。そこで神さまは新たな目標をお与えになりました。「あなたの後継者を育てよ」というものでした。
 決して錯覚してはいけません。エリヤもあなたも失敗者ではありません。次の目標を設定しさえすれば良いのです。そのためには神さまからあなたへの召命を受け入れることです。男、女、親、子、夫、妻、会社員、先生、教会員、指導者など、あなたは今どのような立場においでですか。神さまは召命に沿って必要な目標を与えてくださいます。預言者であるエリヤにとっては後継者を育てることが最後の目標となりました。目標を掲げている人はいつも溌剌としているものです。完全燃焼の、「ほんとうに生まれて来て良かった!」と言える生涯を送りましょう。

援助と愛情とを心から感謝して受け取れる人

 さあ有名な、ツァレファテのやもめとカラスが登場します(17:2〜24)。エリヤはかなりの自信家に見受けられます。健康にも本来は自信があったようです。大勢に一人で立ち向かうからには心身ともに健康であることが望まれるでしょう。そして彼はなによりも大きな可能性の与えられている人でした。
 神さまはこのような人を用いようとなさるときにはまず自我を砕くことからお始めになります。はじめの訓練はカラスに養われることです。彼はきっとこう考えていたことでしょう。「わたしは特別に選ばれた神の預言者だ」 プライドがあります。ところが律法によって汚れた鳥とされているカラスに養われているのです。カラスには食料を貯蔵する習慣があるそうですが、それにしてもなんとみじめでしょうか。
 次には何の希望も持っていないやもめのいそうろうになれと言われます。彼はまたこうも思ったことでしょう。「この私が、なぜこの私がこんなみじめな処遇を受けねばならないのか」その屈辱感は女に死を覚悟させるほどのひどい貧乏と一人息子の病死を目のあたりにして最高頂に達します。しかし自我の砕かれた彼は3年後神さまから呼ばれます。3年に及ぶききんによってるいるいと横たわる死体を横目に神さまの力の大きさを再度確認しながら、やがて王の前に大胆に出ます(18:1、29)。自我と有害なプライドとは砕かれ、謙遜を身に付けたエリヤは神の力を帯びて堂々と進みます。
 すべての良いものは神さまから来ます。直接来るものもあれば間接的に与えられるものも多いのですが、出所は一つです。自我が強く、異常にプライドが高いとき、人は、神さまが恵みを与えようとして用いておられる人を拒むこととなるのです。神さまはイスラエル人を救うためにエリヤを用いられましたが、エリヤを助けるためにやもめを遣わされました。人々に愛されることは大事です。人々からの援助を感謝して喜んで受け取ることができるのも大事です。そしてあなたへの神さまの愛を信じるなら、あなたの周囲にいらっしゃるすベての人々から学ぶことは大事です。なぜなら神さまがあなたに送ってくださった人々だからです。


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