80.力を受ける道

●聖書箇所[ヨハネ14章12−17節]

 総理大臣には強大な力があります。
 さて日本の総理大臣はだれによって選ばれたのでしようか。もちろん民主主義国家ですから国民によって選ばれたことは間違いありません。それでも私たちはそれがたぶんに建前であることに気づいています。というのは自民党の総裁が指名されるのであって、しかもその総裁は党内の派閥の力学により決定されるからです。ある場合には最大派閥の領袖というだけで決定されてしまうとさえ考えられています。いずれにしても彼には国の運命を左右する力があるのです。しかし力というものは中立的であってことを悪くもできれば良くもできるのです。
 さて私たちは悪くすることに関心はありません。良くするための力を求めています。どうしたらこの子をうまく育てることができるだろうか。どうしたら仕事がうまくいくだろうか。どうしたら人を愛することができるだろうか。
 今回はだれが必要な力を受けることができるのかを学びましょう。この聖書箇所からまず理解しなければならないことは、力をあなたに授けるお方は三位一体の神であることです。

父なる神のみこころを生きる

どのようなものかを整理してみましょう。

第1にいつも喜んでいること

 パウロは「いつも喜んでいなさい」と言っています(ピリピ4:4等)。なんと獄中での叫びです。人生で起きるすべてのことは私にとって益となる(ローマ8:28)と信じるなら喜ぶことができます。

第2に大胆に恵まれるように望むこと

 もちろん天国は筆舌に尽くし難いほどの祝福です。しかし地上においても恵まれなければなりません。苦しいのを締め、悲しいのをがまんし、不本意と知りつつ貧しく生きることは決してみこころではありません。今日、今週、今月の生活に心とからだの両方において恵みを求めて参りましょう(第1ヨハネ2)。

第3に思い煩わないこと(ピリピ4:6等)

 近くも遠くも将来に、自分に悪いことが起きるのではないだろうか、と思うのは神さまへの不信頼、不信仰です。すべてのことを良くして下さるのがあなたの神さまです。(第1ぺテロ5:7) 第4に感謝(ピレモン4)。イエスさまは父なる神さまに食前の感謝のお祈りをささげていらっしゃいます(マルコ8:6)。あなたは毎日小さなことに至るまで感謝していらっしゃいますか。あらゆるものが神さまから来ています。人を通しても通さなくてももともと全部が神さまのものです。衣食住のすべてが神さまからのプレゼントです。


それでは次に父のみこころを忠実に生きる秘訣について。

第1にロで告白

 心で思い考えているだけでは不十分です。「わたしは喜んでいます。助けてください。信じています。感謝しています」と口で告白しましょう。みこころを行えるようこころを教育することができます。

第2に主日礼拝

 世界の創造は6日間でなされ、7日目に神さまは休まれました。でもお疲れになったのではありません。もしそうだったら私たちには救いはありません。神さまは力に満ちた方です。いつも両手にたくさんの良い物や贈り物とともにそれを持ち、誰か熱心に求めて来る者はいないかと待っていらっしゃいます。あなたは一週間のはじめの日、力を証明する復活の記念日において、心とからだを安息させるのみならず充電していただくために必要です。

第3にバプテスマを受ける

 「水と霊」(ヨハネ3:5)の両方のバプテスマによって父なる神さまの子らしくなります。

第4に献金

 貨幣経済の時代ではお金なくしては生きられません。神さまが給与を下さるから生活できます。献金はその感謝の気持ちを形にすることです。また信仰告白でもあります。

第5に奉仕

 今できる小さなことから始めましょう。あなたはキリストのからだの一部です。小指のように小さくても立派な働きができます。あなたがこれらのことをして力を持つ理由はあなたの真の親である父なる神さまに対して従順で素直であるからです。親は子を守る責任があります。すなおな子ほどその恩恵にあずかります。

聖霊のみこころを生きる

 聖霊さまはあなたが生きるにあたって必要なことすべてを教えてくださいます。生きる上で最も基本的な召命は聖霊さまによってはじめて納得できます。すなわち性(男性であることあるいは女性であること、以下同様)、子、親、夫、妻。これら与えられた立場に確信がないときに人生は失敗します。あなたはいかがですか。納得行かない人は人に頼ります。恋人、子、親、夫、妻などに自分の存在する意義を証明するよう迫ります。もちろん思い通りにことは運んでくれません。そこで悪口を言い憎んでしまいます。愛が憎しみに変わる時です。これらの罪が神さまとのパイプを詰まらせます。
 聖霊さまはあなたにあなたへの召しを納得させてくださいます。しかも心理的に何の無理もなく(ピリピ2:13)。与えられた召しはすでにあるいは後に与えられる志によって育てられます。それは野望と違ってあなたを高め、隣人の幸福に寄与し神さまの栄光を現わすものです。それはまた正しい目標であり、そこへ目指しての今日の生き方を教えられることでもあります。しかもなんとすばらしいことにそれは必ず実現するのです。従って日々の生活にはりがあります。力があります。
 どうしたら聖霊さまのみこころを知ることができるでしょうか。よく祈ることです。それも何でもその通りにします、というニュートラルの信仰が必要です。上位の者つまり神さまの意見を審査しないのが礼儀です。高慢になってはいけません。そうしてこそ聖霊さまはあなたのその聖められた良心に直感や聖句をもって答えてくださいます。聖霊さまこそ聖書の原著者であり真の意味を教えることのできる唯一のお方です(証明とか啓明とか言います)。このような経験は訓練されるべき性質のものでもあります。聖霊さまのくださる志、目標こそあなたに力を与えます。

イエス・キリストのみこころを生きる

 父なる神さまは子なる神さまのお顔に免じてあなたに良いものをやろう、とおっしゃっておられます。イエスさまの目的は失われた人を捜して救い、助けることです。
 生まれながらのすべての人が失われていますが、多くの人がこれを余計なおせつかいだと言っています。自分のことがよくわかっていません。一人で生きられると豪語する者もいます。全く不可能なことです。どんなに自信家の男性でも家庭の世話で育てられ、やがて妻子が欲しくなります。互いを必要とするのが人間です。
 しかもイエスさまはあなたの根本的な必要を満たそうとしていらっしゃいます。それは永遠のいのちです。永遠の幸福を約束するいのちです。真の幸福はお金では買えません。なぜならそれは物質的なものではないからです。心の満足こそ絶対の条件です。イエスさまは心の不満、空しさを解決し、埋めるためにあなたの住むこの世界に来てくださいました。それらの原因であり震源である罪を背負い、あなたに代わって十字架でいのちを棄ててくださいました。このイエスさまの御足の跡に従う者こそ空しさを吹き飛ばし、力に満たされていきます。イエスさまのように人を助けて行く者が力に満たされていきます。
 しかし人を助けるとは容易なことではありません。ひとつだけ方法があります。しかも完璧なものです。すなわち十字架と復活のイエスさまを伝えることです。そのためにはまずあなた自身が救われなければなりません。イエスさまの愛を受け入れましょう。受け取った分だけ力を受けます。神さまの愛こそ力の源泉です。あなたはいま力ある者になります。

 最後に私たちは三位一体のお方とそれぞれの位格と個別に交わることができるわけではありません。たとえばあなたがお祈りをなさる時、父に向かって伝えたり受けたりしますが、それは法的には御子が仲介してくださるからありうることですし、聖霊はそのときにその情報を実際に運んでくださいます。あなたが救われるのは父の発案に始まり、御子がその案を実行され、聖霊があなたの心にそれが理解されるように働き掛けられたからです。あなたが過去・現在・未来において真に恵まれるのは三位一体のお方のおかげです。


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