9 おことば通りに

 聖書はなぜこんなにも多くの人たちに読まれているのでしょうか。その魅力は何でしょうか。実はその説明は簡単です。聖書の中にはたくさんの祝福が紹介されていますし、それを私たちはいただくことができるからです。ご一緒に詩篇第1篇2、3節 を読んでみましょう。
 今回は一人の女性に登場願って、どのようにして祝福を獲得していくことができるかを学びましょう。彼女の名前はマリヤといいます。有名なイエスさまのお母さんです。まずできごとの全体を知るためにルカの福音書第1章26節から38節 をお読みください。  

「私は主(神)のはしため(しもべ)です」と言いましょう

 この言い方は「私は神さまの前に謙虚になります」という意味ですが、そうすると神さまはその大きな力を発揮してくださいます。しかし多くの人がこういうことができません。神さまの存在や偉さを認めたくないからです。
 日本では長いこと進化論が真実であると宣伝されてきました。世界と人の歴史を説明するのには創造論(神により世界は造られた)という考え方もあるのですが、どうしてもこれが好きになれません。その理由が「自分より頭のいい、そしてそれゆえ私が従わねばならない神さま を認めたくない」という思いです。
 ある日天使ガブリエルがやって来て、ナザレ村の名もないひとりの処女マリアに祝福のことばをかけます(28、30−33)。実は天使のもたらした話は彼女が救い主のお母さんになるという恐ろしいまでの、しかし当時女性であるなら、だれもが望んだ事柄でした。それゆえ彼女はとまどいます。「この私が?!まさか。全世界の救い主の母親になるなんて。でも・・もしかしたら。ひよっとして?!」29節はそんなマリアの気持ちを正直に表しています。
 マリアの返答はこうでした。

 「ほんとうに私は主のはしためです。どうぞあなたのおことばどおりこの身になりますように。」(38節)。

 神さまの前にへりくだることができる人にはなんとすばらしい祝福が約束されていることでしょう。
 今あなたは礼拝をしておられることでしょう。礼拝をするということは、神さまへ謙虚になることです。どうぞ遅刻をしないで、元気に賛美し、感謝の心を忘れないで礼拝をしてください。へりくだって祝福を受けてください。  

神はあなたの人生を成功へ導くと知ってください

 人生の成功とは何か、あなたはどのようにお考えになるでしょうか。一般的な考えではきっと一流の大学を出て、一流の会社に入って、大きな家に住んで、高価な家具や置物に囲まれて、ということでしょうか。もしそうであるならイエスさまの人生は失敗であったと表現されてしまうでしょう。簡単にその生涯をなぞってみましょう。
 まずお誕生のときから歓迎されていませんでした。かいばおけに貧しく生まれ、ヘロデ(当時のユダヤの王)から命を狙われ、エジプトに亡命を余儀なくされました。長じてイエスさまは弟子団を組織されましたが、その12人はだれが偉いかで最後まで内輪もめする始末です。逮捕され、十字架刑をお受けになるときにはその弟子たちはことごとくが去り、また裏切りました。弟子作りもこのように困難だらけでした。結局イエスさまの心を本当に知る者はほとんどいませんでした。
 しかし彼は史上最高の成功者と言われるのです。なぜでしょうか。ご復活のイエスさまに会ったとき、弟子たちはイエスさまのお仕事の意味を知りました。
 「私の罪を引き受けて死なれ、私がもはや罰(地獄へ行くことなど)を受けなくてもいいように、また新しく生まれ変る(明るく元気に喜んで生きる人生へ・・・自分を憎み、悲しんでいる人がなんと多い ことでしょう。)ことができることを証明するために、三日目によみがえられ、こうしてすべての人に希望をお与えになる。」 という意味を。
 実際新しく生まれ変った弟子たちは信じられない程の力を発揮して各自立派な生涯を全うしたのでした。
 実際、「人を新しくするというプレゼント」は世界のどこにあるでしょうか。どうぞあなたも神さまがあなたの人生を成功させようとしていらっしゃること、そういう神さまがいらっしゃることを信じてください。信じることからすべてが始まります。   

神は目に見えないものを見えるものにすると信じましよう

 ある人たちは目に見えないものは存在しないと考えます。では空気はどうでしょうか。心はどうでしょうか。目に見えなくてもあるものはあります。今あなたが求めていらっしゃっていても、お祈りされていても今だ手に入らないと言われますか。しかし心配はいりません.今すでに神さまのみ手の中にそれはあり、まだあなたに手渡されていないだけです。
 私たちの今住んでいる世界もはじめはそうでした。創世記第1章1−3節を読んでみましょう。はじめ何もありませんでした。でも神さまの中にはすでに天地万物はありました。やがて神さまのみ手が動いたとき、そして私たちに手渡 されたとき、目に見えるようになりました。それだけではありません。もう一つ。

 「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常に良かった。」 (同1:31)

 神さまはただ無から有を産みだされるばかりでなく、それは私たちにとって良いものであるというのです。
 このことをマリアは知っていました。天使から(すなわち神さまから)

 「ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。 名をイエスとつけなさい。・・・・」(31〜)

 というおことばをいただいたとき、まだそれは実在するものではありませんでした。現実になるのは2章7節です。でもマリアはおことばをいただいたときにもう祝福を受け取っていたのです。
 あなたの目標は達成されます。あなたの問題は解決されます。あなたは聖書を読んでみましたか。お祈りをしてみましたか。そうですか。では個人的におことばをいただいてください。印象深いおことばがそれです。さあ、神さまを礼拝しましょう。現在目に見えなくても、善意の愛の神さまによって祝福は現実のものになります。
 神さまはあなたの成功を心から願っていらっしゃるお方です。最後に37と38節のおことばを一緒に読んでみましょう。


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