キリスト教入門講座・全16課
第一課 聖  書


 英語のBIBLE(バイプル)はギリシャ語に起源があり、書物一般を指していましたが、後に聖書だけを意味するようになりました。「書物の中の書物」という評価が定着したのです。このことは歴史を支配なさるまことのただひとりの神さまが、聖書は特別な書物であることを私たちに教えておられるのです。この課では、神のことばと呼ばれている聖書について学びましょう。

第一に、神さまのご見解とお約束とが書かれたものです。

 人のことばはいつも変更され、訂正される可能性を含んでいます。三浦綾子さんは戦時中教師をしておられましたが、真実のこととして教えてきたことを、敗戦と同時に「間違いでした。」と生徒たちに訂正したときの胸の痛みを述懐しておられます。しかし神さまのことばは決して反故になることはありません。ここに私たち人間の生きる意味と希望とがあります。さてご見解とお約束はどのように示されるのでしょうか。第1に、直接お語りになったおことばによってです。「神は、『‥‥‥人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられた。」(創世1:26)。「その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。‥‥‥」(創世12:1ー3)第2に、文脈によってです。聖書の中には次のようなことばもあるのです。「神はいない。」(詩篇14:1)。しかし前後を見てください。「愚か者は心の中で‥‥‥言っている。」のです。サタンのことばも収録されています。文脈からほんとうの意味を知りましょう。次にご見解とお約束の内容とをわかりやすく整理してみましょう。世界の歴史について−やがて世の終わりがやって来ること、またその時に正しく生きてきた者に報いを下さること。

人間について−どの人の心も汚れていて、そのために幸福ではないが、真に人間らしく幸福に生きることのできる道があり、求める者には確実に、かつ無料で与えられること。

イエス・キリスト−彼は神のひとり子であり、この世に人として来られ、私たちの幸福な人生の鍵を握るお方であることなどです。 

第二に、まことの神さまの愛のご性質が書かれたものです。

 私たちが聞きたいのは、自分が得する話だけです。プレゼントがもらえる。試験に合格できる。病気が治る。お金が儲かるなど。言いかえると、私たちはいかに愛に飢えているのかと言えます。
 さてあなたは、あなた自身が気がつかないときにも、心配してくれる人をお持ちでしょうか。ご両親、ご主人、奥様、お友達、先生など、もしお持ちでしたらそれは感謝なことです。愛の神さまはあなたを愛して、いろいろな人たちをあなたの周囲に置いて助言を下さる方です。ではあなたを心配してくださる方々は、一体だれに心配してもらっているのでしょうか。
 大手ミシンメーカーに勤めていたトップセールスマン(家庭においては父親です。)が先ごろ自殺しました。会社が倒産したために唯一の心のよりどころを失ったのです。会社も人で構成されており、人が人の相談相手となることの限界を教えてはいないでしょうか。
 ところが、いつでも、なんでも、心の底から心配をしてくださる方がいらっしゃるのです。「あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださった。」(エペソ2:4)。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し‥‥‥。」(第1ヨハネ4:10)。「神は愛です。」(第1ヨハネ4:16)。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ3:16)。「永遠の愛をもって、わたし(神)はあなたをを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」(エレミヤ31:3)。
 神さまはあなたを、いつでも、どこでも、あなたが気がついていても気がついていなくても、永遠の愛をもって愛しておられます‥‥‥と語る書物が聖書です。 

第三に、幸福を得るための方法が書かれたものです。

 人には愛が絶対に必要です。私が中学生だったころ、義務教育であっても教科書は無償で与えられませんでした。新しい学年の授業が始まるとき、教室では皆がいっせいに真新しい教科書のページをめくる音がパリパリッとしたものでした。しかし隣にすわる私の友人は、近くの養護施設から通って来ており、彼のは何年も使い古されボロボロのものでした。私はそんな彼に同情し、できるだけ音がしないように開こうと努力しました。しかし同時にまた、私には真新しいものを買ってくれる両親がいたことをうれしく思ったものでした。
 無条件で受け入れてくれる親がいるとは、なんとすばらしいことでしょう。親は帰宅する子をいちいち審査して、「今日は子として認めてやろう。だが明日はわからないぞ!」と脅すことはないのです。失敗を見ても、醜い心の内側を知ってもなお受け入れます。愛とは無条件です。無条件に良いものを与えるのです。

 実は、神さまが愛であるとはこのようなことなのです。あなたは今のあるがままの状態で受け入れられます。しかし神さまがほんとうに愛のお方であるなら、そのあかしがあるに違いありません。イエス・キリストこそそのあかしです。「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(第1ヨハネ4:9−10)。
 永遠のいのち・幸福をあなたに与えるために、神さまは罪のない御子キリストを十字架につけて死なせられました。魂の親であるまことの神さまから離れているというあなたの罪を背負われたイエス・キリストは、罪の刑罰、呪いを代わりに受けて死なれ、それらを滅ぼして三日目に復活なさいました。もしあなたが身代わりの死と復活とを受け入れるなら、たった今永遠のいのちを手に入れることができ、また幸福な生活のスタート台に立ちます。

 オランダは、国土の25パーセントが海面より低い国です。ですから国をあげて海を埋め立て、堤防を築いてきました。このことに対する国民への教育も、大変行き届いています。
 あるとき、10歳になるハンス少年は、遊んでいるうちにあたりが暗くなり帰ろうとしました。ところが、なにか水の漏れるような音が聞こえてくるではありませんか。行ってみると彼の想像したとおり、堤防には小さな穴があいていて、そこから水が流れ出ていました。思わず上着を脱ぐと、それを穴に差し込みました。ところが水圧の強さには勝てず、飛ばされてしまいました。そこで脱いだズボンを腕に巻きつけて、穴に再び差し込み、大声で叫び、助けを求めました。すでに日は落ち、あたりには彼の声を聞く者はだれひとりいませんでした。ハンスは、やがて心配して探しに来た両親によって見つけられたときは気絶しており、からだは冷たく凍死寸前でした。村人はこの話を聞いて鷺きました。ハンス少年の働きによって自分たちのいのちが守られたと知ったからです。

 イエス・キリストは、あなたの身代わりに十字架で死なれました。それは、「御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)のです。あなたに神さまの祝福をお祈りします。


*メモ*聖書は職業、身分、学歴、出身地がさまざまな、神さまに選ばれた約40人の記者たちにより、紀元前1600年ごろから紀元100年ごろまでの間に書かれたもので、旧約聖書39巻と新約聖書27巻(3×9=27と覚えます。)とに分かれます。約とは「人はこのようにすれば、わたしは必ず幸福にしてあげますよ。」という神さまのお約束のことです。旧約聖書はヘブル語、新約聖書はギリシャ語で書かれています。開くと数字に気がつきますが、大きい数字は章を、小さい数字は節を表わしています。もちろん便宜上あとでつけられたもので、原典にはありません。世界中でなんと2089語に訳されております(日本ウイクリフ聖書翻訳協会調べ1990年6月)。

こちらに確認テスト を用意しております。
確認テストの添削をご希望の方は、フォームに記入後、送付ボタンを押して下さい。担当者が添削をいたします。