キリスト教入門講座・全16課
第14課 信仰生活(教会生活)



 小学校一年生の国語の教科書を開きますと、字を書くときの正しい基本的な姿勢の写真が真っ先に目に飛び込んでまいります。武道にしても、スポーツにしても、学問にしても、まず身につけるべき基本があります。信仰生活(教会生活)も同様です。この課で学ぶことを謙虚に受け入れて、まことの神さまから大きな祝福をいただきましょう。

第1に、毎日聖書を読みましよう。

 「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長する・・・ためです」 (第1ペテロ2:2)。
 お祈りと組み合わせて、起床時と就寝前の習慣にするとよいでしょう。これをデボーションと言います。みことばはたましい(正確には霊であり、あなた自身のこと)の食物ですから、きちんと食べないと栄養不良となり、たましいの体調をくずすことになりかねません。
 読み方としては全巻をまんべんなく、というのがよいのですが、魚のように骨あり、尾ありで、初めは慣れないので指導者に教えていただくのがよいでしょう。みことばへの謙虚さと忍耐をもって読み進む者を主は祝福して、人生の指針や幸福な生活の知恵を下さいます。

第2に、毎日お祈りをしましよう。

 「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい」 (エペソ6:18)。
 お祈りは神さまとの会話とも、たましいの呼吸とも言われています。親とよく話し合い、おいしい空気を胸一杯吸える子は幸福です。信仰をもってできるだけ長く祈ってみるようにしましょう
。 内容には罪の告白(悔い改め)、感謝、願い、とりなし(他の人の救いや幸福を祈る)、賛美(神さまの偉大さや愛をたたえる)などがありますが、イエスさまの教えてくださった「主の祈り」を参考にするのも大変よいやり方です。そして祈るときには信じて祈りましょう。そうすれば神さまはあなたの祈りに答えてくださいます。
「『さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。』すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた」 (マタイ8:13)。

第3に、バプテスマ(洗礼)を受けましう。

 「信じてバプテスマを受ける者は、救われます」 (マルコ16:16)。
これは神さまによって定められた、聖餐と並ぶ2つの礼典のうちの一つで、公に、イエスさまを救い主と告白することであり、またキリストのからだ(教会)の一部分になったことをあかしするものです。そしてこれは主のご命令であり、従うかどうかは主を愛するかどうかのテストであると言われています。
「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません」 (第1ヨハネ5:3)。

第4に、あかしをしましょう。

 「わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます」 (マタイ10:32)。
あなた自身に対して「私はイエスさまに救っていただいた」と言うことから始めて、身近な人に向かって、イエスさまがあなたに下さった恵みの数々を口に出して言いましょう。どんな小さなことでも感謝をもってあかしする者に、主は喜んで恵みを下さるのです。

第5に、献金をしましよう。

 献金は寄付やさい銭とは違い、まことの神さまへの感謝のあかしです。感謝の心を養わない人の人生は空虚です。ささげ方には基準がありますが、与えられた信仰によってすべきであって、強制されるべきではありません。献金はすべてが神さまのお仕事の発展のために使われ、あなたはささげることによって神さまの協力者とされて天に宝を積むのです。
「わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ」 (マラキ3:10)。

第6に、主日礼拝を守りましよう。

 教会とは、基本的には信じる者の集まりを指し、信じる時に公同(普遍)教会(全世界の過去・現在・未来のすべての信者で構成されている)の一員とされますが、その信仰のあかしとして、いずれかの地域教会に所属することが主のみこころです。
 さて人の生活のリズムは神さまによって秩序づけられており、それは「一週7日間」です。一年の計は元旦に、一日の計は朝にあるように、一週の計は初めの日、日曜日にあるのです。この日を愛する霊の家族(すなわちこれが教会)とともに礼拝することにささげるとき、家族全体は一致と平安と勝利の生活へと導かれます。
 主日礼拝の伝統は主のご復活を記念しその力にあずかろうとした初代教会に起源があります。信仰をもって礼拝の恵みを受けて参りましょう。
「週の初めの日に、私たちは・・・集まった」 (使徒20:7)。

第7に、聖餐にあずかりましよう。

 聖い神さまの家族の持つ最も顕著な性格は聖さです。聖餐式は神さまの家族の中から汚れを取り除きます。アカンの例(ヨシェア7章)を待つまでもなく、ひとりでも罪に汚れた者がいると家族全体が祝福を失うのです。
 あずかるための資格はイエスさまの十字架上のあがないを信じていることと、その都度自分を吟味、すなわち罪の悔い改めをすることです。聖い者に神さまは限りなく近づいてくださり、平和な一生への確信を与えてくださいます。
「主イエスは・・・パンを取り・・・それを裂き、こう言われました。それはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。』・・・杯をも同じようにして言われました。『この杯・・・を飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。・・・もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい」 (第1コリント11:23−28)。

第8に、各種の集会に参加しましよう。

 「彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた」 (使徒2:42)。
「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか」 (ヘブル10:25)。
教会の集会は年齢、性、職業別などいくつかに分かれています。それぞれの関心事に沿って、アイディア、祈り、励ましの交換ができます。1本の矢は折れやすくても、3本なら折れにくいのです。愛する恵みと愛される恵み、祈る恵みと祈られる恵み、両方の体験があなたを成長させます。成長こそあなたが生きているあかしです。

第9に、奉仕をしましよう。

 「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです」 (第1コリント12:27)。
「私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し」 (ローマ12:6−7)。
 与えられた信仰と賜物に従って奉仕をすることは、キリストのからだ(教会)を建て上げることで、主の再臨、新天新地が現れる時まで続く行程です。指導者を敬い、その指導に従ってあなたの賜物を使うことは、あなたを成長させて、今まで知らなかった自分を発見したり、今までできなかったことをすることができるようになります。

第10に、神さまのご計画の中で人生の真の喜び、生きがいを見つけて参りましょう。

 祈りは先に学びましたようにとても重要です。この祈りにおいて、あなたは多くの願いを実現していきます。恵みを大胆に求めることは、神さまのみこころに一致しています。しかしバランスのとれた健全な信仰は、恵みそのものを人生の目標にしません。教育ママは子どもを人生の目標にしますが、やがて子どもは負担を感じ始めます。子どもの人生は子どものものです。人は夫、妻、親、子である以前に神さまの子です。神さまのために生きるべきです。これを献身と言いますが、祝福の実を結ぶための種となります。ご自分をささげましょう。「別の種は良い地に落ちて、あるものは100倍、あるものは60倍、あるものは30倍の実を結んだ」 (マタイ13:8)。
あなた自身を大胆に「聖い、生きた供え物としてささげ」 (ローマ12:1)て参りましょう。今祝福はあなたのものです。

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