キリスト教入門講座・全16課
第二課 神

 「神」と言えば多くの人が「八百万の神々」を思い出すでしょう。これらは、それぞれ担当する領域が定められています。たとえば商売繁盛は氷川神社、クイズに当たるには久伊豆 (ひさいず−クイズと読める)神社、色白美人になるには庚申神社。最近は競争が激しく、互いに領域を侵して活動しています。しかし、これらはほんとうの神さまなのでしょうか。この課では、ほんとうの神さまについて学んでまいりましょう。

第一に、ただおひとりであり、全世界をお造りになったお方です。

 「初めに、神が天と地を創造した」(創世1:1)。  「唯一の神以外には神は存在しない……すべてのものはこの神から出ており、……すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです」(第1コリント8:4−6)。

 ご自身を除いたすべての存在は、神さまが構想を練られ、その設計図面に従って創造されました。この創造とは、無から有を生み出すことです。人は神さまに似せて造られたのでいろいろなものを作り出しますが、それとは異なるものです。人のアイディアは神さまのもののイミテーションであって、既存のものの組み合わせを変えることでしかありません。このただおひとりの神さまは、いのち、魂、心、時間、物質など、文字通りすべてのものをお造りになったのですから、したがってあなたの過去、現在、未来のすべてをご存じです。もちろん、それらを今同時にご覧になることさえおできになります。
 ある人々は、自分のことはよくわかっているとおっしやいますが、はたしてどうでしょうか。たとえば五年前、十年前、十五年前に真実と考えたことは今日も変わってはいないでしょうか。きっと変化、いや成長なさったに違いありません。それにしても、私たちはなんと多くの制限に取り囲まれていることでしょう。しかし少なくとも自分に関しては、それらを越えることができないものでしょうか。
 もしあなたがほんとうの神さまにお尋ねになるなら、事情は変わってまいります。あなたがご自分の未来に熱い関心を持たれ、最善のものにしたいと願われるなら、愛であり善意のお方である神さまはあなたに知恵をお与えくださり、最も優れた道を歩めるようにしてくださいます。神さまはあなたの親なのです。

第二に、生きておられるお方です。

「主は生きておられる。ほむべきかな。わが岩。あがむべきかな。わが救いの神」(詩篇18:46)。ということは、神さまは物ではないということです。物にはいのちがないからです。また人格を持っておられる、ということでもあります。

 「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません」(ヨハネ4:24)。人格があるとは、そのいのちが善意、誠実、真実、愛などを意識していることです。人は人格を持つためにこのような精神活動をしますが、これは神さまの下さった能力なのです。
 まことの神さまは私たち人間と、そうです、あなたと交わり、コミュニケーションを持ちたいという意志を持っておられることを知ることができます。人格と物との間に真のコミュニケーションは成立しません。物はあくまで物であり、必要がなくなれば捨てられても構わないのです。しかし、人格と人格の間には、このようなことはあってはならないのです。必要がないからといって、わが子をごみ箱に捨てることは許されないのです。それは人格の持つかけがえのなさであり、世界にただひとつの存在という価値に起因するのです。
 神さまが生きておられるとは、善意と誠実と真実と愛とを持っておられるお方が世界にたったひとりのあなたといのちの交流を持ちたいと願っておられることを意味しているのです。実はこのような願いは、創造のはじめからであって、以来ずっと呼びかけ続けておられるのです。「なぜ、わたしが来たとき、だれもおらず、わたしが呼んだのに、だれも答えなかったのか。わたしの手が短くて贖うことができないのか。わたしには救い出す力がないと言うのか」(イザヤ50:2)。

 では、なぜ多くの人々に、その呼びかけが聞こえてこないのでしょうか。チャンネル、周波数を合わせないからです。人には立派な霊の電波を受信できる受信機、すなわち心があります。もし心から「神さまはいらっしゃる。私を愛して語ってくださっている」と受け入れるなら、神さまとの交わりが回復され、それを楽しむことができます。「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示3:20)。

 ところで、なぜ私たちと神さまとは交わりを持つ必要があるのでしょうか。それは神さまが私たちの魂の親だからです。親というものは一緒にいようがいまいが、常に子どもを心配し、子どものためならあらゆる犠牲をもいとわないものです。そして子どもは、親から離れては育たないものです。
 さて、不安、葛藤、争い、憎悪、妬み、病気の中で人々は苦しみ、不幸を経験していますが、これらは魂の親である神さまから離れているときに現れる症状なのです。神さまは今、あなたに向かって和解を提案しておられます。もし受け入れるなら、あなたには人間性豊かな、愛と誠実と真実とに満ちた、いきいきとしたいのちある生活が回復されるのです。

第三に、あなたを愛しておられるお方です。

 「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた」(エレミヤ31:3)。愛は愛する対象を求めます。神さまは愛であり、その愛の対象としてあなたは造られています。だからあなたは、誠実を尽くし続けられるはずなのです。
 ところで人格と人格との間が破壊される大きな理由の一つは、口ばっかりで中身がないというものです。中身とは証拠のことです。「愛!愛!誠実!誠実!」と声を大にして叫ばれても私たちは納得できません。神さまが私たちを愛してくださっている証拠はあるのでしょうか。「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(第1ヨハネ4:9ー10)。愛の深さは犠牲の大きさによって知られますが、神さまはあなたを愛している証拠として、ご自身の最愛のひとり子イエス・キリストを示されるのです。
 私たちの不幸は、私たち自身の責任に帰します。その原因は、まことの生きておられる神さまと交わりを絶っているというものです。これを罪(特に原罪と呼ぶ)と言います。愛の神さまはこの現状に心を痛め、この罪の責と罰を御子キリストがあなたの代わりに受けることによって赦そうとなさるのです。この十字架のあがないをあなたが受け入れるなら、御子キリストの尊い犠牲のゆえにあなたの罪は全く赦され、神の子として新しく生まれるのです。イエス.キリストが死に打ち勝って三日目によみがえられたように、あなたは真実の愛の人として新しく生まれ変わるのです。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(第2コリント5:17)。
 愛とはすばらしいものです。愛には何ものをも変える力があります。まずあなた自身を造り変えて新しく生まれ変わらせ、次に家族や友人たちを、そしてやがて全世界を変えるのです。神さまの愛を受け入れて幸福な日々を送られるよう、主の御名によって祝福いたします。

*メモ* 神について私たち人間は、完全に知ることはできません。もし知りうるなら神は人間以下の存在でしょう。しかもことばの持つ制約もありますから、完全な神の定義は不可能です。そのことを承知の上で有名な「ウェストミンスター小教理問答書1647年、イギリス)の問答を抜き書きしてみましょう。

 問四 神とはどんな方ですか。

 答  神は霊であられ、その存在、知恵、力、聖、義、善、真実において、無限、永遠、不変の方です。


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