キリスト教入門講座・全16課
第三課 人間

「汝自身を知れ」とはソクラテスの座右の銘です。自分自身を知ることは非常に 大切ですが、案外よくわかっていないのが実情なのではないでしょうか。この課で はその中でも最も基本的なこと、人間とは何かについて学びましょう。

第一に、神さまに造られました。

 「神は‥…人を……創造された。……男と女とに彼らを創造された」(創世1: 27)。
 人間の超源については二つの説明しかありません。創造と進化です。
 進化は、日本の学校教育においては事実として教えられていますが、 実は最も重要な二つの質問に答えることができません。それは「生命の起源」と 「進化の過程、方法」です。
 後者について「突然変異説」「用不用説」「獲得形質遺伝説」「総合説」などが提案 されますが、それぞれ事実との乖離(かいり)があり、 学者間にも一致ありません。いった い、進化論とはどのようなものなのでしょうか。 わかりやすく説明してみましょう。
 二冊の本があるとします。たとえば電話帳と文庫本としましょう。両者を並べてみ ると大変よく似ています。表紙があり、日本語で書かれてあり、製本の仕方も紙の質 もほとんど同じです。さて進化論を唱える人は、これをどのように説明するのでしょ うか。文庫本から電話帳に進化したと言うのです。しかし、似ているのは製作者が 共に人間であるからとも言えます。
 同じ一つのことに対して彼らは、決して彼らの説 明以外を採ることはありません。証拠以前にすでに前提があります。それは「創造者 ・神はいない」というものです。つまり、進化論は一つのイデオロギーなのです。こ のイデオロギーの愚かさは、生命の誕生も現実の生も偶然であるというところにあり ます。
 辞書によりますと、偶然とは「思いもよらないこと」とあり、副詞として「た またま」「はからずも」とあります。「あなたははからずも生まれてきてしまいまし た。ご苦労さまです。実は、集まれても生まれてこなくてもどちらでもよかったの です。ほんとうに思いもよらなかったことが起きてしまいました。なんと悲しい言い 草でしょうか。希望など微塵もありません。
 しかし聖書は、人は神さまによって造ら れたと言っています。この事実にこそ希望があります。なぜなら、神さまは善意と愛 のお方だからです。神さまはその完璧な頭脳によって、構想を練り、あなたをこの世 界に送り出してくださったのです。疑問があるなら尋ねることができます。不足があ るなら求めることができます。天地の造り主であるただひとりの神さまを「私を造っ てくださったお方」と認めるなら、あなたには希望があります。神による創造は、 こうして生きる意味、目標を私たち人間に与えてくれます。

第二に、神のかたちに造られました。

 「神は……人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女 とに彼らを創造された」(創世1:27)。
 神のかたちとは何でしょうか。それは、理性と道徳性と自由意志をその内容とす る人格です。
 「新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至 るのです」(コロサイ3:10)。
 「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着る べきことでした」(エペソ4:24)。「人の血を流す者は、人によって、血を流さ れる。神のかたちにお造りになったから」(創世9:6)、つまり人は物事について 、善か悪か、聖いか汚れているかを十分に吟味し判別し、行動したなら、 その結果について自分で責任をとらなければいけないのです。
 ロボットを考えてみましょう。ロボ ットの目指すところは、人間そのものと言えるでしょう。ロボットの研究は続けら れ、確かに優秀なものが登場していますが、決して備えることができないものが神の かたちなのです。ロボットは、毎日絶え間なく続けられる単純な作業に空しさを感じ ることはありません。自分の組み立てた物が社会にどんな影響を与えるか考えること もありません。もちろん、仕事を始めたりやめたりする自由もありません。ですから 、結果について何の責任もないのです。結局、いくら人間に似ていても所詮、物で しかないのです。
 もし私たち人間が肉体だけの存在だったら、精巧なロボット・物 でしかないのです。人格こそ人間を人間たらしめていると言えます。人格があるから こそ、人間は肉体・物だけの存在とはならないのです。人格は、目に見えないけれ ども最も本質的、これをもって人を霊的な存在と言わせるのです。神さまがまず土で 肉体をお造りになり、それに生きている人格(もちろんいのちのない人格などあり ませんが)を備え、人間は生き始めたのです。(逐語訳でなく意訳なのでわかりやす い)リビングバイブルの説明を見てみましょう。「やがて神様が人間を造る時がき ました。まず、地のちりで体を造り上げ、それにいのちの息を吹き込んだのです。 そこで人は、生きた人格をもつ者となりました」(創世2:7)。こうして、神のか たちに造られた私たち人間は、人格だけが持ちうる価値、すなわち愛、誠実、真実 、喜びなどを追求しないではいられなくなるのです。
 もしあなたが人格的、すなわ ち霊的な交わりをまことの神さまとお持ちになる(礼拝すること)なら、しかもあな たの自由意志によってそうなさるなら、これらのものに満ちあふれるのです。  「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時で す。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、 神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません」(ヨハネ4:23 〜24)。

第三に、神さまの栄光を表わすために造られました。

 「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを 創造し、これを形造り、これを造った」(イザヤ43:7)。
 存在するものは、すべて神さまの栄光を現すためにあります。被造物の最高峰とし ての人間ほど、製作者である神さまのご性質やご計画やご愛のすばらしさを表現する のに最適なものはありません。しかも私たちを救うためにささげられた御子キリスト の犠牲は、人間の価値の高さを表しています。
 では、どのようなときに神さまの栄光 は現されるのでしょうか。たとえば、あなたが展覧会に出品して賞をとったとしまし ょう。人々はだれをほめるでしょうか。あなたの腕であり、あなた自身であるでし ょう。当然です。それは、あなたの血のにじむような努力のたまものなのですから 。しかも、それは世界にたった一つの作品です。実は、あなたという人間は世界に、 また歴史上たったひとりしかいない、しかもそれゆえにかけがえのない神さまの作品 なのです。
 「私たちは神の作品であって、……キリスト・イエスにあって造られたのです」( エペソ2:10)。
 そうであるなら、あなたが最高のすばらしい人生を送っているときに神さまの栄 光が現されます。そうです。これが神さまのみこころ (お考え、ご見解、ご意見)です。
 「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを 得、また健康であるように祈ります」(ヨハネ2)。
 あなたがいきいきとしている、輝いて生きている、満面に笑みをたたえて生きて いるありさまこそ、神さまの栄光が現されているときです。しかし人は、生まれなが らに神さまにそむき、交わりを断ち、そのために憎しみ、妬み、憤り、争いなど問 題の海の中で漂流しています。不幸です。その責任は人間自身にあります。
 「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出 て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、食欲、よこしま、欺き、好色 、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさ……」(マルコ7:20〜23)。
 今こそ、神さまご自身が言い出してくださっている和解を受け入れましよう。生ま れながらのすべての人は、まことの神さまと戦争状態にあります。これを罪と言いま す(罪については第五課で詳しく学びます)。イエス・キリストはあなたの罪を引き 受け、したがって罪のもたらすすべての罰や呪い、すなわち不幸を負ってくださった のです。最後に、もう一度リビングバイブルに登場してもらいましょう。
 「わたしの国民よ、起き上がれ。神の栄光がおまえから輝き始めた。世界中の国民 に見えるように、その光を輝かすのだ。夜のような暗やみが地上に住む者全部をおお うが、神の栄光はおまえから輝き出る。国々の民は、おまえの光を慕って来る。力 ある王たちは、おまえの上に輝く神の栄光を見るために来る」 (イザヤ60:1〜3)。

 イエス・キリストにあって真の幸福な人生を回復なさるよう、主の御名によって 祝福いたします。


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