キリスト教入門講座・全16課
第六課 イエス・キリスト(二)

 「あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。 彼はだれの子ですか」( マタイ22:42)。イエス・キリストについて正しい評価を下そうとする なら、 そのための常識的なルールがあります。
 学問の世界では、それは第一次資料を無視し ないことだと言われます。最も基礎的な資料のことで、いわば調査対象に直接触れた ものです。これに対して第二次資料と言われるのはいわゆるまた聞きのたぐいです。 イエス・キリストについての第一次資料とはまぎれもなく聖書(特に福音書)です。 六課ではこの聖書からイエス・キリストはいったい何者なのかを学びましょう。

第一に、「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して……語られましたが、こ の終わりの時(今の時代のこと)には、 御子によって、私たちに語られました」( ヘブル1:1ー2)。

 予言者(先見者)と預言者とは違います。前者は未来について 語る者ですが、後者はまことの神さまから未来のみならず、現在や過去の事実につい て、その解釈も含めて、啓示を受けて語る者です。イエス・キリストが預言者である ということは、父なる神さまからいろいろと情報を受け取って私たちに教えてくださ るということです。
 ここでちょっと触れたいことがあります。父なる神さまと子な る神さま(キリスト)との関係、あるいは聖霊の神さまを含めての三位一体について です。このことについて説明することは非常に雑しいことです。でもその事実はない などと考えないでいただきたいのです。私たちは空気を吸って生きていますが、その メカニズムについて十分に説明できなくても、確かにその事実はあるのですから。
 さて、三位一体とは唯一の神さまには、父、子、聖霊の三つの位格があって、 それぞれ 区別を持ちつつもひとりのお方であるということです。聖書は簡潔に言っています。 「わたし(キリスト)と父とは一つです」(ヨハネ10:30)、「主(神)は御霊 (聖霊)です」(第2コリント3:17)、「主は一つです」(エベソ4:5)。
 それぞれの働きについて簡潔に説明しますと、次のようになるでしょう。 「父は私たち 人間の不幸を見かねて、救い出すための愛のご計画を立ててくださり、御子は宣伝か つ実行なさり、聖霊は、真に神さまのわざであると、 ひとりひとりの人間が受け取 れるように心に働きかけてくださる」
 さて、イエス・キリストは、父なる神さまの愛 がほんものであることを示すお方ですが、どのようにこのお働きをなさるのでしょう か。第1に天地創造のわざによってです。「ことば(キリスト)は神であった。…… すべてのものは、この方によって造られた」(ヨハネ1:1、3)。 なぜならこれ らの造られたものは「非常によかった」(創世1:31)からです。
  • 第2に人となっ てこの世に住まわれることによってです。私たちの苦しみを知るためです。「ことば は人となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1:14)。
  • 第3に父とともに聖 霊を派遣して、記者に人生の道しるべとしての聖書を書かせ、読む者に意味を知らせ る(照明または啓明と言います)ことによってです。「助け主、すなわち、父がわた しの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え」(ヨハネ 14:26)。
こうしてイエス・キリストは預言者として何を私たちに語っておられ るのかがわかります。それは、神さまは力あるお方であり、その力を、愛のゆえに私 たち人間の幸福のために使ってくださるというものです。というのは人は堕落して、 世界と人(自分自身と他者の両方)とを傷つけ、本来あるべき調和や美を破壊し続け 、とどまるところを知らないからです。

第二に、祭司です。

「さて、私たちのためには、……偉大な大祭司である神の子 イエスがおられるのです」〈ヘブル4:14)。祭司とは、人々を代表して聖い神さ まの前に出て罪の赦しのための犠牲をささげる立場の人のことです。
 しかし、新約聖 書によると旧約時代のこの儀式は、「次に来るものの影であって、本体はキリストに ある」(コロサイ2:17)、「こうして……私たちをキリストヘ導くための私たち の養育係」(ガラテヤ3:24)と言われるのです。つまりイエス・キリストという いけにえこそ本命だと言うのです。これが十字架の死の意味です。「キリストは、た だ一度、今の世の終りにご自身をいけにえとして罪を取り除くために来られたのです (ヘブル9:26)。イエス・キリストは父なる神さまのご要請に基づいて、「傷も なく汚れもない小羊のような」(第1ペテロ1:19)、すなわち罪のないご自身をさ さげられたのです。
 更にもう一つ重要なことを見逃すことはできません。それは復活 です。 「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく 、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。……私たちは、すべての人の 中で一 番哀れな者です」(第1コリント15:17、19)。 復活は、父なる神さま の「わたしはこのいけにえで満足だ」という意思表示であり、私たちのすべての罪の 呪い、罰、つまり不幸の諸条件は全く滅ぼされたことの証拠なのです。 「キリスト は永遠に……変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分 によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも 生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです」(ヘブル7:24ー 25)。
 もしあなたが、神さまのもとに戻って本来の自分自身に返って、真に生き たいと願われるなら、祭司としてのキリストのとりなしによって即座に救われること を知りましょう。たった今もイエス・キリストはあなたを招いておられます。「見よ 。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、 わたしの声を聞いて戸をあけるな ら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食 事をする」(黙示3:20)。 イエス・キリストは神さまに近づく唯一の道なので す。「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。 わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」(ヨ ハネ14:6)。

第三に、王です。

王は、朕は国家なり、と言われるように、最高の権力者です。法 律を自由に定め、国民や財産は王のものです。 「王は自分の望むままを何でもする ……王のことばには権威がある。だれが彼に、『あなたは何をするのですか。』と言 えようか」(伝道者8:3ー4)。キリストは「王の王」(黙示19:16〉と呼ば れ、世 界の王です。
 さて、どのように王としての務めを果たしておられる のでしょうか。第1に天地万物の造り主として、
  • 第2に人となって地上に来られた(初臨)こと によってです。ただし初臨の時には人々は、キリストの「わたしは王です」という宣 言を受け入れませんでした。 「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民 は受け入れなかった」(ヨハネ1:11)。
  • 第3に再臨によってです。この時がいつ であるかは聖書は明示していません。しかし必ずやって来るのです。 なぜなら、「 二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られ」 (ヘブル9:28)、天国の恵みを報いとして人々にお与えにならなければならず、 また同時に、「のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために 用意された永遠の火にはいれ」(マタイ25:41) と宣言なさらなければならな いからです。この時、目を覚ましている者は幸いです。永遠の至福、天国に移されま す。
あなたが天国の国籍を持たれるよう、主の卸名によって祝福をお祈りいたします。

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