ドン・ウィルソン物語
いんた〜ぷりぃてっど By 元加賀さん
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第1話 (秘技!?10弦テケテケ道編)
ドナルド・リー・ウィルソン、通称ドン・ウィルソンは、1933年2月10日、
ジャクリーンとサリー姉妹に挟まれた、第二子としてワシントン州タコマに生を享けた。
その家系は混血であった。
彼の家族の数世代は米国で生まれたが、彼の父ウッドローはウェールズとアイリッシュ系である一方、
母ジョシーの最初の世代はスウェーデン人であった。
ドンの音楽に対する初期の関心は、ビッグバンドと“カントリー&ウェスタン”に始まった。
彼が12歳の頃、彼の母はティップル(10本の弦を張ったウクレレのようなもの)を彼に教えた。
母ジョシーはそれを、どう演奏するのかを知っていた。
ギターと比較した場合ティップルは12弦に相当し、彼はいくつかのコードを知っており、
近所の友達たちと、いつもいっしょに演奏した。
第2話 (ソルジャー・ボーイ編)
ドンは常にグレン・ミラー楽団を聴くことを楽しみにしていた。
しかし彼のアイドルは、トミー・ドーシーであった。
なぜならば彼は、芳醇なトロンボーンの音色を好んでいたため。
このことは、ドンにトロンボーンのレッスンを受けることを促した。
中学校に入学してからも、彼はトロンボーンを演奏し、校内オーケストラにも参加した。
高校に入学してからは、一方において彼の興味はスポーツに広がり、レスリングでは
1年生の時(註:3年制と想定して)、112ポンド(約50.8kg)級の州選手権者となった。
ドンは陸軍に入隊すると、再びトロンボーンを手にする機会は訪れなかった。
第169歩兵部隊では、19ヶ月間ドイツに駐留し、連隊バンドで活動した。
この間彼は、以前ギターを弾いていた軍隊仲間から、いくつかのコードを教わった。
除隊後、家に戻り、中古車セールスマンとして働き、ボブに出会い、中古車を売りながら、
単にわずかなコードを知っているだけでありながらも、互いにギターを弾くことに興味を持っていることを知った。
第3話 (ヴァーサトーンズ編)
ドンはボブといっしょに建築の仕事を始め、彼らの友情は発展していった。
1958年後半、彼らはギター教則本と、中古ギターを質屋で購入し、ギターの練習を始めた。
コードと基礎的なギター演奏の知識を深めた後、彼らは2本の新品フェンダーギターを購入した。
(キャッシュで支払う余裕が無かったため分割払い)
そして、建築の仕事を続ける傍ら、夜はクラブでの演奏を始めた。
彼らは、最初ベンチャーズとして知られていたわけではなく、当初のギグではヴァーサトーンズを名乗っていた。
ドンのサウンドはレス・ポール、チェット・アトキンス、そしてデュアン・エディのスタイルに色濃い影響を受けた。
最終話 (唸れ!テケテケ編)
ドンとボブは、ドンの母ジョシー・ウィルソンの支援により、シアトル/タコマ地区でのローカル・リリースとして、
彼らのレコードレーベル、≪ブルーホライズン≫よりレコードを発売した。
チェット・アトキンスにより演奏されたウォーク・ドント・ランを、自分たちのアレンジを用いることにより、
それはその後、ベンチャーズサウンドとして認識される根拠となった。
その曲は、電波に乗り、やがてドルトン・レコードより全国的なリリースへと展開されていった。
すぐ後にウォーク・ドント・ランは、200万以上のレコードを世界的に売り上げ、全米で第2位のレコードとなった。
ベンチャーズは世界中の全ての時間で売り上げる、インストルメンタルグループの道に、さしかかっていた。
彼らの人気は日本において、60年代全盛期のビートルズとの間に2倍の売り上げを記録した。
あとがき
日本にエレキをもたらしたと言われるザ・ベンチャーズ。
しかし、エレキ・ギターはベンチャーズだけが弾いていた訳ではありません。
その中で何故ベンチャーズだけが、40年後の現在も人気を維持しているのか。
それはベンチャーズこそが正に日本にテケテケをもたらしたグループであったからに相違ありません。
それは単にカッコよかった。それがすべてではないでしょうか。
音楽とは洋の東西を問わず肌で感じるもの。
それを体現して示してくれたギタリストがドン・ウィルソンでした。
ドンはこの40年間。家族の不慮の事故による帰国を除き、日本においてテケテケを弾き続けています。
彼は今だかつて“グループの都合によって公演をキャンセルしたことが無い”という事実にプライドを示します。
それでは彼は、そのプライドのためだけに弾き続けているのでしょうか。
イヤ、彼はそこに一人でも待っているファンがいるからこそ、弾き続けるのだと私は信じます。
この冬のツアーでは、キャラバンでのドラムソロの間、そっと腰を落としている彼の姿が目に焼き付いています。
この夏もくれぐれも健康には留意し、無事長いロードを乗り切り、日本列島に彼のテケテケが炸裂することを期待します。
(5.23.2001.元加賀)