名探偵ポワロとマープル
『安マンションの謎』
原作:アガサ・クリスティー 台本化:里沙
(2:2:1)
エルキュール・ポワロ | ♂ | アガサ・クリスティーが生んだ名探偵。 ベルギー警察を退職後、ロンドンで私立探偵事務所を開いた。トレード・マークは、ポマードで固めた八の字型の口ひげ。 恰幅(かっぷく)のよい体型に似合わず、身のこなしは軽い。ユーモアがあり話もうまい、古きよき時代の紳士。 |
50 |
ヘイスティングス | ♂ | ポワロ探偵事務所の探偵助手。 原作ではポワロの古くからの友人だが、アニメでは20代の若者に設定。 体術が得意で、本人はポワロ以上に有名になるチャンスを狙っている。メイベルとコンビを組み、ポワロの手助けをしながら難事件を解決していく。 |
26 |
メイベル | ♀ | マープルの甥レイモンド・ウエストの娘。 好奇心にあふれ行動力もあわせ持ち、時には失敗もするが、いつも元気な16歳。当代一の女探偵をめざし、ポワロ探偵事務所のドアをたたいた。 オリバーと一緒に、あるときはポワロの新米助手として、またあるときは尊敬する大伯母を手助けしながら、探偵としての腕を磨いていく。 |
56 |
ジェーン・マープル | ♀ | ロンドン近郊のセント・メアリー・ミード村に住む老婦人。ミス・マープルと呼ばれている。上品だが、おしゃべりが大好き。 ゴシップも含め、村のことなら何でも知っている。その鋭い観察眼で、難事件も鮮やかに解決。質素な生活を営み、編物とガーデニングが趣味。 |
8 |
ミス・レモン | ♀ | ポワロの事務所の秘書。めがねを掛けた、冷たい感じのする女性だが、心根は優しい。行くところのないメイベルを自宅に泊める。 | 13 |
エルザ・ハート | ♀ | モンタギューマンションに住むブロンドの美女。何か秘密を持っている。(マープル、ミス・レモン、エルザはすべて被り) | 18 |
マンション案内係 | ♂ | マンション入り口にいるギャルソン。(ヘイスティングスと被り推奨) | 4 |
N | 不問 | ナレーター。 | 27 |
* ポワロ、メイベル、ヘイスティングス、マープルの紹介は、『名探偵ポワロとマープル』公式サイトから引用しました。
001 | メイベル(M) | 私は今、ロンドンに向かっている。 やっぱり、あの息の詰まりそうな女学校は飛び出してしまった。 父は怒ったけど、後悔はしていない。自分の未来は、自分で決めたいから。 |
N | 汽車に乗って、ロンドンへと向かうメイベル。窓の外の流れる景色を見つめながら、メイベルは先ほどまでのことを思い出していた。 セント・メアリー・ミード村でのことを。 |
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メイベル | さっきまで私は、マープル大伯母様のところにいた。 私の父、レイモンド・ウェストの伯母はとても頼りになる大切な人だ。 |
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マープル | そう。ついに辞めたのね、学校を。 | |
メイベル | うん…。お父さん、すごく怒ってた。 | |
マープル | ふふふ。でもね、あなたのお父さんは頑固だけれど、案外柔軟な頭の持ち主よ。 | |
メイベル | そうかしら。 | |
マープル | ええ。 まあ、いいでしょ。あなたのためですものね。私からうまく取りなしてあげるわ。 |
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メイベル | ほんと?マープル伯母様! | |
010 | マープル | ええ。 |
メイベル | 伯母さま、ありがとう! | |
マープル | 応援はしてあげるけど、時々お父さん達に顔を見せてあげなさいね。 | |
メイベル | はい。 | |
マープル | それじゃ、一人暮らしのこつを教えてあげましょう。 一つ。どんなことがあっても必ず食事をきちんと取ること。 |
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メイベル | はい。 | |
マープル | がんばってね。 | |
メイベル | (M)これからどうなるのかは判らない。でも私は、大伯母様の言葉を信じようと思う。 (バスケットの中のオリバーに向かって)これから新しい未来が始まるのよ、オリバー。 |
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N | 汽車は、期待に胸を弾ませたメイベルを乗せて、走り続ける。 やがて、喧噪あふれるロンドンの街に着いた。 メイベルがたどり着いたのは大きなマンションであった。その中の一室のドアをノックする。 出て来たのは、少し冷たい感じのするめがねを掛けた女性であった。 |
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ミス・レモン | どちら様ですか。 | |
020 | メイベル | こんにちは。私、メイベル・ウェストと申します。 あの、エルキュール・ポアロさんにお会いしたいのですが。 |
ミス・レモン | お約束は? | |
メイベル | いえ…それは…。 | |
ミス・レモン | とりあえず、どうぞ。 | |
メイベル | あ、はい。 | |
ポワロ | おや、君はこの間の。確か、メイベルだったね。 | |
メイベル | あ…はい。メイベル・ウェストです。 あ…あのっ! |
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ポワロ | ん? | |
メイベル | ポワロさん!私を助手にして頂けないでしょうか!? お願いします。ポワロさんの助手になりたいんです。何でもします! そうだ…たとえば、家出した飼い犬の捜索とか。私、動物と仲良くなるの得意なんです。 |
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ヘイスティングス | おはようございまーす。 んあ?あれ、君。 |
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030 | メイベル | おはようございます。宜しくお願いします! |
ヘイスティングス | はあ? | |
ミス・レモン | ポワロさんの助手になりたいそうです。 | |
ヘイスティングス | ええ?君が? | |
メイベル | はいっ!宜しくお願いします!ほら、オリバーもお願いして…。 | |
N | バスケットに入れられていた子アヒルのオリバーが顔を覗かせ、ミス・レモンとヘイスティングスに向かってクアッと鳴き声をあげる。 二人は呆気にとられたような顔でそれを見ているだけであった。 |
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ポワロ | メイベル。 | |
メイベル | はい。 | |
ポワロ | この仕事には危険が伴うのでね。悪いが、帰ってくれたまえ。 | |
メイベル | 危険は承知してるつもりです。ですから! | |
040 | ポワロ | だめです。お帰りなさい。 |
メイベル | あ…。助手になりたいんです!どうしてもだめですか? | |
ポワロ | だめです。 | |
N | 取り付く島もなくポワロに断られたメイベル。 だが、こんなことでめげたりしていられないと、前向きな気持ちでポアロの事務所を後にする。 まずは住むところを見つけなければ。不動産屋の前で、メイベルは部屋を探し始めた。 |
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メイベル | はあ。どれもこれも家賃が高すぎるわ。 ……あっ? えぇっ!ナイツブリッツの近くなのに、年にたったの80ポンドですってぇ!? |
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N | 格安の募集を見つけたメイベル。早速不動産屋の主人に掛け合う。 不動産屋の主人が言うことでは、モンタギューマンションの3階の4号室で、そこに住む夫妻(ふさい)が部屋の又貸しがしたく、希望者を求めているという。 だが、何人もの応募があったので、もう決まっているのではないかと言うことだった。 不動産屋を後にしたメイベルは、モンタギューマンションの前にいた。比較的大きなマンションで、入り口には案内係が常在している。 |
|
メイベル | あの、すみません。お部屋を借りたくて来た者ですが。 | |
エルザ | お名前は? | |
メイベル | メイベル・ウェストと言います。あの、もう決まっちゃいましたか? | |
エルザ | ずいぶんお若いようだけど、お幾つかしら? | |
050 | メイベル | …16です…。 |
エルザ | 借りるのはあなたお一人で? | |
メイベル | そ…そうです。 | |
エルザ | お帰り下さい。 | |
メイベル | えっ、そう仰らず、面接だけでも! | |
N | 食い下がるメイベルの前で、ドアは音を立てて閉められた。 | |
メイベル | やっぱり16じゃだめなのかなぁ…。 | |
N | 溜息をついて戻ろうとしたメイベルであったが、エレベーターに乗る前に一組の夫婦が降り立ち、メイベルとは入れ違いのように先ほどの4号室のベルを鳴らした。 部屋を借りたいと申し出たロビンソンという名の夫婦に、部屋の女主人が愛想良く迎える。 |
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エルザ | まあ、ようこそいらっしゃいました。さあ、どうぞお入り下さい。 | |
メイベル | どういうこと。全然態度が違うじゃない。 | |
060 | N | 夕方、公園のベンチで、メイベルは一人途方に暮れていた。 |
メイベル | はあ…。私、甘かったのかな…。 | |
マープル | 『どんなことがあっても、必ず未来を信じること』 | |
メイベル | はあぁ…。 | |
ヘイスティングス | あれ、こんなところでなにしてるの? | |
メイベル | あ…ヘイスティングスさん。 | |
ヘイスティングス | ヘイスティングスで良いよ。隣に座っても良いかな。 | |
メイベル | どうぞ…。 | |
ヘイスティングス | 元気ないね。 | |
メイベル | お部屋がどこも借りられなくて、困ってるんです。 | |
070 | ヘイスティングス | そうだったのか。 |
N | そこに、先ほどの夫婦が通りかかった。 どうやら、ミセス・ロビンソンとヘイスティングスは知り合いのようである。 談笑する彼らの話を聞いていると、夫妻は先ほどの部屋を、家具付きで借りられたと言う。 そんな話を聞いて、メイベルの顔が曇ったのだった。 |
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ポワロ | その後あのお嬢さんは? | |
ヘイスティングス | 公園で別れたっきりですけど、今頃どうしてますかねぇ。 | |
ポワロ | ふぅむ。 ところでさっきの話ですが、ナイツブリッツのモンタギューマンションと言えば、かなりの高級物件です。 |
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ヘイスティングス | ええ。ロビンソン夫人も大喜びでしたよ。明日すぐに引っ越すそうです。 | |
ポワロ | それほど良い条件の物件が、何故なかなか決まらなかったんでしょうねぇ。 | |
ヘイスティングス | もしかすると、お化けでも出るんですかね。あははは…。 | |
ポワロ | メイベルの時は何故面接すらしてもらえなかったんでしょう。 | |
ヘイスティングス | そりゃあ、未成年ですし。 | |
080 | ポワロ | そのロビンソン夫人の特徴は? |
ヘイスティングス | は?ああ、そうですねぇ。背が高くて、美人。髪は実に美しいブロンドで、それから目はブルー。 とっても血色が良くて…。 |
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ポワロ | まさしく君のお好みと言うことですね。 | |
ヘイスティングス | いやぁ、あはは…。まさしく!あははは(笑) | |
ポワロ | 彼女の名は? | |
ヘイスティングス | ステラ・ロビンソンですけど。それが何か? | |
ポワロ | ステラというのは、星のことです。すばらしいじゃないですか。 | |
ヘイスティングス | はあ? | |
ポワロ | 星は光を与える。 明日からしばらく留守にしますよ。 |
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N | 夜。公園近くの橋の上。 メイベルは部屋を借りられずに、ずっとここでぼんやりしていた。 |
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090 | メイベル(M) | 私、何やってるんだろ。これが新しい未来? ポワロさんの助手になれなかっただけじゃなく、住むところまでなくて。 |
N | 悲しそうなメイベルを、オリバーが励ますように元気よく鳴く。 そんなオリバーにありがとうと呟いて、優しく抱きしめるメイベルであった。 朝。メイベルはポワロの事務所前に居た。ドアの前で蹲り、寝込んでいるところにミス・レモンが声を掛ける。 |
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ミス・レモン | こんなところで何をしているんですか。 | |
メイベル | (寝起きで)んぁ…。あっ!お、おはようございます! | |
ミス・レモン | …で、これからどうするつもりなんです? | |
メイベル | 助手にしてもらうまで、何度でも来るつもりです。 | |
ミス・レモン | ポワロさんはしばらくここには戻ってきませんが…。 | |
メイベル | えっ?………やっぱりずっと待っています。 | |
ミス・レモン | ここでですか? | |
メイベル | ご迷惑でしょうか? | |
100 | ミス・レモン | はい、かなり。 |
メイベル | …でも、私他に行くところがないんです。 | |
N | その言葉通り、メイベルは事務所のソファに座ったまま、何をするでもなくずっと待ち続けた。ヘイスティングスとミス・レモンが仕事をする中、メイベルも手伝いを申し出るのだが、ことごとく断られたのだ。 そんな頃、ポワロはモンタギューマンションに足を運んでいた。案内係に会釈をして、話しかける。 |
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ポワロ | どうも。今日、3階の4号室にロビンソンという夫婦が引っ越してきましたか? | |
案内係 | ロビンソンさん?3階の4号室? | |
ポワロ | そうです。 | |
案内係 | あなた、何言ってるんですか。引っ越しも何も、ロビンソンさんは半年前からずっとここに住んでいますよ。 | |
ポワロ | え?半年前から住んでいる? | |
案内係 | ええ。 | |
ポワロ | 間違いないかね? 私が言うロビンソン夫妻の奥方は、背が高くてブロンドの。 |
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110 | 案内係 | その通りですよ。 |
ポワロ | ふぅむ。 | |
N | ポワロの事務所。ヘイスティングスがポワロからの電話を受けている。 | |
ヘイスティングス | え?あのマンションをですか?そうですか。はい、判りました。すぐ向かいます。 レモンさん、僕もしばらくここには顔を出しませんよ。 |
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ミス・レモン | どういうこと? | |
ヘイスティングス | ポワロさんがモンタギューマンションに部屋を借りたから、今すぐ来てくれって。 | |
メイベル | 私も行きます!行かせてください! | |
N | メイベルの勢いに、ヘイスティングスもミス・レモンも反対することは出来なかった。 モンタギューマンション。ポワロが借りたという部屋で、ポワロが窓から外を眺めている。 |
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ポワロ | いいかね、ヘイスティングス。 君は今日からここに寝泊まりして、ロビンソン夫妻とこのマンションを出入りする人たちを監視するんだ。 |
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ヘイスティングス | 判りました。 | |
120 | ポワロ | 頼みましたよ。 ところで、どうして君はここにいるんだね。 |
メイベル | あの、私もお手伝いしようと思って! | |
ポワロ | 助手にはしないと言ったはずだが? | |
メイベル | それは判ってます!でもっ! | |
ヘイスティングス | まあ、いいじゃないですか、ポワロさん。 彼女、泊まるところもなくて、夕べは事務所の前の廊下で眠ってたそうですよ。 雇うかどうかはともかく、ひとまずここに置いてあげてもらえませんか。 |
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N | そのとき、窓の下から車の音がした。 引っ越し社の車だろう。いくつかの家具を乗せたトラックが、マンションの前に止まる。 |
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ヘイスティングス | ロビンソン夫妻です。 | |
N | 車から降りたロビンソン夫妻の元に、ブロンドの女性が近付いていった。 にこやかに挨拶を交わす。 |
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メイベル | あ、あの人。私には面接すらしてくれなかったのに、ロビンソンさんにはすぐ部屋を貸したんですよ。 | |
N | 女性はロビンソン夫妻と何事かを話して、鍵を渡すとそのままマンションを後にする。 彼女の後ろを、一匹の黒猫が横切っていくのが見えた。 |
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130 | ポワロ | うん。黒猫が横切るのは幸運の証か。 |
メイベル | え? | |
ヘイスティングス | ポワロさん、どちらへ? | |
ポワロ | 後は頼みましたよ。 | |
N | その日から、メイベルとヘイスティングスは朝から晩まで交替でマンションの前を見張り続け、ロビンソン夫妻の元に誰が来たか、どんな人物がマンションに来たかを記録し、ポワロに報告し続けるのだった。 熱心にマンションの窓から通りを眺め、監視続けるメイベル。 そんなメイベルを、ポワロはじっと見守っていた。 |
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メイベル | エルザ・ハート? | |
ポワロ | ロビンソン夫妻に部屋を又貸しした女の本名です。まあ、それすら本当の名前かどうか怪しいものですが。 | |
ヘイスティングス | どういうことなんですか? | |
ポワロ | スコットランド・ヤードの友人から仕入れた話なんですがね、エルザ・ハートはアメリカで売れない歌手をやっていたのです。 しかし、その正体というのは国際的なスパイらしいのです。 |
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メイベル | !スパイ!? | |
140 | ポワロ | 半年前のことです。 ワシントンのアメリカ海軍施設から重要な機密書類をフィルム化したものが盗まれました。 機密書類は他国に売れば金になりますからね。盗んだのはイタリアンマフィアの一員ルイジ・ヴァルダルノ。 だが、しばらくしてルイジはニューヨークで射殺体で発見されました。 同じフィルムを狙っていたエルザに殺されたのです。 フィルムを奪ったエルザは共犯者と共にアメリカを脱出し、イギリスまで逃げてきました。 そして、このロンドンでロビンソンと名乗って潜伏していたわけです。 |
メイベル | ロビンソン…。 | |
ポワロ | それから半年の間、スコットランド・ヤードもこの物騒な二人組を追っていたと言うわけです。 | |
メイベル | でも、どうして部屋の又貸しなんか? | |
N | メイベルの質問に答えたのは、オリバーの鳴き声だった。 しきりに窓の外を見て、鳴いている。 |
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ポワロ | 待っていた客が来たようです。 解けない謎はない。真実は私に微笑む。 |
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N | 3階のエレベーターのドアが開き、一人の男が降りてくる。 男はまっすぐにロビンソン夫妻の4号室の前まで行くと、徐(おもむろ)に拳銃を取り出した。 陰から見張っていたポワロがヘイスティングスに頷き、それに頷き返したヘイスティングスが男の元まで一気に走り、男が驚愕している間に首筋に手刀を当てる。 声もなく、男は倒れた。 |
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ポワロ | 怪我はないかね、ヘイスティングス。 | |
ヘイスティングス | 大丈夫です。 | |
ポワロ | ロビンソン夫妻を殺しに来たんだな。 | |
150 | メイベル | ええっ!? |
ポワロ | マフィアは何でも銃で解決しようとする。なんと無粋な。 私は拳銃を見るのも嫌でね。 ヘイスティングス。これは私たちの部屋に置いておく。 メイベル。 |
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メイベル | あっ、はいっ!? | |
ポワロ | 君はスコットランド・ヤードのシャープ警部に連絡して、至急この住所に来るように知らせてくれたまえ。 | |
メイベル | はいっ! | |
N | 夜。裏寂れた通りに立つ古びた家の前に、一台の車が止まった。 降り立ったのはポワロとヘイスティングスである。 |
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ポワロ | 段取りは判ってますね。 | |
ヘイスティングス | はい。 | |
N | 二人はポケットからハンカチを取り出し、顔を隠すようにマスクする。 そしてその家のブザーを押した。 長いブザー音の後に、男の声で『こんな時間に誰だ』という応(いら)えが返る。 |
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ポワロ | 先生にお会いしたいのですが。家内が病気になったもので…。 | |
160 | N | ポワロのその言葉に、男が怪訝そうな声音で『ここには医者なんて…』といいながらドアを開けてきた。 その瞬間、ヘイスティングスが体当たりでドアごと男を吹っ飛ばす。 衝撃で、正面の階段下で男はのびている。そのまま二人は部屋の中へと入っていった。 |
エルザ | ちょっとお、何騒いでいるの。 | |
N | 騒ぎに気が付いたのか、一人の女性が階段上から現れた。 マスクをして顔を隠した男二人、ポワロとヘイスティングスを見て、女性は息を飲む。 |
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エルザ | なんなの、あんたたち! | |
ポワロ | ロビンソン、いや、女スパイ、エルザ・ハート。 手間を取らせてくれたな。 |
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エルザ | はっ!まさか、マフィアの…。 | |
ポワロ | その通り。お前が殺した俺たちの身内、ルイジ・ヴァルダルノから奪ったフィルムを返してもらいに来たのさ。 | |
エルザ | 何のことだかさっぱり判らないねっ! | |
ポワロ | ははっ、しらばっくれるなら言ってやる。 お前達は、ルイジを殺した後このロンドンに身を隠したが、いずれは俺たちに見つかると思っていた。 そこで考えたのは、身代わりを立てることだったのだ。 格安の家賃であのマンションの又貸しを持ちかけ、応募してくる夫婦を面接する。 幸いロンドンにはロビンソンという名前の夫婦も、背が高く、ブロンドの女も大勢居るからな。 そうやって自分たちの身代わりを捜し出し、俺たちに殺させようとした。 身代わりが殺されればお前達はもう安全だ。 それに、身代わりはフィルムの在処なんて知るはずもない。 すべては闇の中というわけさ。 |
|
エルザ | …っ! | |
170 | ポワロ | そこでだ、エルザ。取引をしないか。 |
エルザ | 何ですって。 | |
ポワロ | 素直にフィルムを渡せば、俺がロビンソン夫妻を始末してやる。 後は俺が黙ってさえいれば、もう組織から狙われることはない。 自由になれる。 |
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エルザ | 断ると言ったら? | |
ポワロ | お前を始末してフィルムを探す! | |
エルザ | ……!!……くっ…。 | |
ポワロ | さあ、どうする。 | |
エルザ | ……っ……! | |
N | 鋭いポワロの言葉と、胸元に手を入れたままのヘイスティングスの姿に、エルザは苦悩していた。 フィルムは惜しい。苦労して手に入れたのだ。これがあれば大金が手に入るだろう。 だが、何よりも命が惜しい。死んでしまっては元も子もない。 エルザが一言NOと言えば、胸元に手を入れたヘイスティングスが銃を取り出し、彼女を撃つのだろう。 ポワロとエルザの声なき対決が続く。 だが、先に諦めたのはエルザの方であった。 |
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エルザ | ……くっ…。判ったわ。くれてやるわよっ! | |
180 | N | それを受け取り、ロケットペンダントになっているそれを開けてみれば、そこには確かにフィルムが入っていた。 満足そうにポワロが頷き、二人ともマスクを取り払った。 |
エルザ | ああっ!イタリア人じゃないわね!? | |
ポワロ | 私はベルギー人です。失礼。 優秀なスパイを問いつめるには、芝居でも打たないとだめだと思いましてね。 |
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エルザ | ああ…。 | |
ポワロ | イギリスの古い言い伝えを知っておいでですか? 黒猫が目の前を横切ると、幸運が訪れると。 |
|
N | 言い終わると共に、駆けつけてきたシャープ警部が率いる警官達が現れた。 | |
エルザ | ちくしょう! | |
ポワロ | あなたの身の安全を保証してあげたのですよ。 刑務所という、もっとも安全な隠れ家でね。 |
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N | 女スパイエルザ・ハートは逮捕され、ロビンソン夫妻も無事。そうして事件は解決した。 ポワロの事務所で、みんなが集まって話している。 |
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ヘイスティングス | ポワロさん。どうしてあの家にエルザが居ると判ったんですか。 | |
190 | ポワロ | あの引っ越しの日、鍵の引き渡しをしたエルザの後を付けていったのですよ。 ヘイスティングス。探偵とは、地道なことの積み重ねが大事なんです。 さて、ミス・レモン。今日の依頼は? |
ミス・レモン | 飼い犬が行方不明になったので、探して欲しいという依頼が来ていますが。 | |
ポワロ | ふぅむ。ではその件は、メイベル。君に頼もうとするか。 | |
メイベル | えっ? | |
ポワロ | 二日で頼むよ。 | |
ヘイスティングス | 良かったね、メイベル。 | |
メイベル | はいっ!…っあっ、でも、まだ住むところが…。 | |
ミス・レモン | 私(わたくし)の家に一部屋空きがあるわよ。 | |
メイベル | え? | |
ミス・レモン | 良かったら使う? | |
200 | メイベル | ほんとですか!? |
ミス・レモン | その代わり、掃除と料理は当番制ですよ。 | |
メイベル | はい!ありがとうございます! | |
203 | メイベル(M) | その三日後、マープル大伯母様から手紙が届きました。そこには、父からのメッセージが。 『お前が選んだ道なら、やってみなさい。ただし、時々はマープル伯母様のところに顔を見せに行くこと。 父。』 ついに始まったんだ。私の新しい未来が。 |
次回予告 | ||
メイベル | ある日、ポワロさんに届いた奇妙な手紙。それが、驚くべき事件の幕開けだったなんて! 次回。 |
参考 『名探偵ポワロとマープル』キャスト
エルキュール・ポワロ:里見浩太朗/ミス・マープル:八千草薫/メイベル:折笠富美子/ヘイスティングス:野島裕史/ミス・レモン:田中敦子