痩せ神さま
原作 風野真知雄 『大江戸落語百景』より
脚本 里沙
松 ♀ 竹 ♀ 貧乏神・亭主1 ♂ 阿部長明・亭主2 ♂
2:2ではありますが、1:2でも大丈夫です。ただ、その場合は男性演者様が大変なことになります。頑張れ(棒読み)
1 | 松 | あら、お竹。久し振り。 |
竹 | お松ちゃんじゃないの。半年振りかしらね。 | |
松 | そのくらいになるかしら。会いに行こう行こうと思ってるうちに月日が経っちゃうのよねぇ。 | |
竹 | ほんとほんと。 | |
松 | ねえ、ちょっとそこのたもとの甘味屋にでも入って話さない? | |
竹 | いいわね。 | |
松 | あたしあんみつ。 | |
竹 | あたしも! | |
松 | 大盛りにしてね。 | |
10 | 竹 | あたしも同じく! |
松 | ねえ、お竹。言っちゃ悪いけど、また肥(ふと)った? | |
竹 | 言いたくないけど…肥ったわよ…。 | |
松 | だよねー。だって向こうからやってきた時、顔の造作も判らないうちから、あ、お竹かしらって思ったもの。 なんだかつくしんぼの間から筍(たけのこ)が生えてきたみたいだった。 |
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竹 | やあね。そう言うお松だってそうよ。人混みの中からあんたが出てきた時、林の間から満月が登ってきたのかと思ったもの。 | |
松 | 酷くない!?でも、やっぱりそう!? けど、夏に太るってどういうのかしらね。普通は汗いっぱいかくから痩せるんじゃないの? |
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竹 | 水、飲むでしょ? | |
松 | そりゃあ喉渇くもの。馬みたいに飲むわよ。 馬っていっぱい水飲むのかどうかは知らないんだけど。 |
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竹 | 水だけ飲めばいいのよ。 お松、その時何か食べるでしょ。 |
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松 | 少しだけよ。せいぜい羊羹一本とか、猫の頭ほどの饅頭(まんじゅう)一個くらいよ。 | |
20 | 竹 | そうよね。あたしもそんなもの。 でも、それが水を吸って身体の中でふくれるのよ。羊羹て、水を吸わせると一本でも小振りの墓石(はかいし)くらいにまでふくらむってよ。 |
松 | 墓石ってのは嫌な喩(たと)えねぇ…。 | |
竹 | 墓石に『虎屋』とか書いてあるみたいなもんよ。 | |
松 | 栗きんとん入りとか? | |
竹 | 饅頭だって猫の頭が虎の頭くらいに…。 | |
松 | それ、怖ぁい… | |
竹 | 身体の外に出てから膨れてくれれば良いんだけど、中で膨れるのよ。ぱんぱんに! | |
松 | ああ、嫌だ。 | |
竹 | でさ、また亭主って夏になると痩せない? | |
松 | 痩せる痩せる。なんだかあたしに当てつけてる見たいに痩せるのよ。 げっそりして、食欲がないとか言ってる。 |
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30 | 竹 | そう、それで昔は「ふっくらしたお前が好きだ」とか言ってたくせに、最近じゃ、「女はやっぱり柳腰だ!」とかぬかしてるのよ。 店の前通る若い子に鼻の下なんか伸ばしちゃってさ! |
松 | うちも一緒!そう言うものなのよね、男って。年々助平になってってるわ! | |
竹 | 何か腹が立つとお腹空くわね。 | |
松 | うん。 | |
竹 | おじさん!あんみつ、もう一杯!超大盛りで! | |
松 | あたしも!密ダクにして! | |
竹 | でも、痩せたいわよね。柳腰まではいかなくても、やっぱりすっきりしてないと何着ても似合わないもの。 | |
松 | ほんと。着物作るのにも一反じゃ足りないし。…あたし、この春着物作ったら、二反要ったのよ。亭主に大きな鯉のぼりが作れるなって言われたわ。 | |
竹 | あたし達、もう少し肥(こ)えると空に浮かぶかもねー。あっはっはっ……。 …笑ってる場合じゃないか…。 |
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松 | (声を潜めて)でも、いい方法はあるのよね… | |
40 | 竹 | なに? |
松 | ほら、お梅っていう子いたでしょ。 | |
竹 | お梅…お梅…ああ、あの隣町のおデブちゃん。 | |
松 | そう。あたしらより肥ってた子。あの子、今すっきりしちゃってるわよ。 | |
竹 | ほんとに? | |
松 | もう、別人みたいよ。元が元だから痩せてもそう綺麗じゃないけど。 | |
竹 | どうやって痩せたの?やっぱり食べることを我慢したんでしょ?あたし、それだけは出来なかったんだけど…。もう、食べたくて食べたくて…。 | |
松 | そうじゃないの。 | |
竹 | じゃ、なによ。 | |
松 | あんまり知られたくないのよ。お梅も秘密にしてたんだけど、たまたま他の筋から聞いたの。 | |
50 | 竹 | やぁだ。変な薬とかじゃないの? |
松 | 違うわよ。実はね……神様に祈ったの。 | |
竹 | は?神様? | |
松 | 霊験あらたかな神様よ。その名も『痩せ神さま』。 | |
竹 | 痩せ神さま?そんな神様いるの? | |
松 | 聞いたこと無いでしょ。 | |
竹 | 初めて聞いたわよ。 | |
松 | 白雪(しらゆき)神社ってあるでしょ? | |
竹 | うん。洲崎(すさき)の手前にあるわね。近頃本殿を建て直して、見違えるように綺麗になったって噂になってる。 | |
松 | あそこの神主が見つけたのよ。 | |
60 | 竹 | 見つけた? |
松 | そう。 | |
竹 | 神様って、見つけるものなの? | |
松 | 境内(けいだい)の隅にぽつんと祠(ほこら)があったじゃない。まるで目立たない祠。 ずいぶん昔からあったみたいだけど、そんな力があったなんて誰も思わなかったのよ。 |
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竹 | へぇ。 | |
松 | 大人しい神様だから出しゃばることもしなかったらしいわよ。 ところが、神主が御神体などを色々調べて、改めてちゃんと拝んで貰うようにしたら、これが凄い効き目だったってわけ。 |
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竹 | でも、白雪神社の神主って、あの、背が高くて馬みたいな顔をした人でしょ? あの神主信用出来るの?全満寺(ぜんまんじ)の南念和尚(なんねんおしょう)と、あの神主は何考えているか判らないって話を良く聞くわよ。 |
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松 | それは言えるわね。でも、神主が胡散臭くても、神さまさえしっかりしていれば良いんじゃないの? | |
竹 | それはまあね。 | |
松 | 相撲取りでいえば神主なんてまわしの前の下がりみたいなものじゃない。 | |
70 | 竹 | それで、神社に毎日通うとか? |
松 | 毎日通うのは無理でしょ。だから、お札(ふだ)を貰って、それを毎日一生懸命拝むんだって。 | |
竹 | それだけ? | |
松 | それだけなんだって。 | |
竹 | 拝むだけで痩せられるの? | |
松 | 拝むだけで痩せられるの。 | |
竹 | あたしの知ってる人が、紐を巻くだけでも痩せられるって不思議なことを言ってたけど、それよりも楽よね。 | |
松 | 全然楽よぉ。ていうか、なに、その紐を巻くだけって。 | |
竹 | でも高いんでしょ?ほら、お布施じゃなくて、お賽銭…じゃなくて、寄付…じゃなくて…なんてったっけ? | |
松 | 玉串でしょ。一両だって。 | |
80 | 竹 | 一両!? そりゃ高いわね。 |
松 | でも、一両の他はびた一文受け取らないそうよ。 | |
竹 | あら、そうなの? 一両払えば後はお札を拝むだけで痩せられるのかぁ…。 |
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松 | ねえ、一緒に行ってみない?あたしも行きたかったけど一人じゃ行きづらくて。お竹が一緒なら…。 | |
竹 | うーん…でもなんか怖い気もするわね。 | |
松 | どんなことにも怖い部分はあるでしょ。だからといって怖がってばかりじゃ何も上手くはいかないでしょうが。 | |
竹 | そうね。あのお梅もうまくいったって言うなら行ってみようか。 | |
《白雪神社》 | ||
阿部 | そりゃあもう、嘘のように効きまっせ! | |
松 | そう言う噂を聞いたから来たの。 | |
90 | 竹 | でも、玉串っていうの?一両も取るんでしょ? |
阿部 | はいー。逆に言うと、一両を出せるくらいじゃないと、効き目は出ないんです。 | |
松 | どういうこと? | |
阿部 | いや、まあ、そういう神さまなんだっしゃろな。なお、うちは玉串とは言いよりまへん。神さまへの贈りものと称しています。 | |
竹 | あらそう。神さまも喜んでくれそうね。 | |
阿部 | そりゃ神さまだってやる気が違いまっせ。 | |
松 | どうする?やってみようか? | |
竹 | そうだね。試しにやってみようか。 | |
阿部 | はいはい、太鼓判押しまっせ!自信を持って保証しまっせ! ただ、拝み方にいくらか気を付けなければならないことがあるので、それは申し上げときます。 お札は蔵や金庫の近く、それとお店をやっている家なら、お店の方には貼らないでください。台所に貼り、毎日拝んであげてください。 それだけでっせ。 それだけで見る見るうちに効果が現れます。旦那も惚れ直すこと請け合い!いやあ、楽しみでんなあ。 |
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《松の家》 | ||
100 | 松 | えーと、何だっけ。お店の方に貼らないでって事だったわよね。台所台所っと。 良し、これで良いわね。 (柏手を打って)痩せ神さま。どうか私を痩せさせてくださいませ。 |
《竹の家》 | ||
竹 | 蔵や金庫の傍はダメ。お店もダメと。 …うちの台所はお店の裏なんだけど、店じゃないんだから大丈夫よね? さて。 (柏手を打って)痩せ神さま。どうか私を痩せさせてくださいませ。 |
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《???》 | ||
貧乏神 | ふっ。ふっふっふっ…… 俺を拝むのかい。正体を知ったら驚くだろうねぇ。なんせ俺は普通言われているところの貧乏神なんだから。そりゃあ痩せるって。貧乏神がとりつくんだから。 それを「痩せ神さま」だって言いやがる。 あの京から来た神主は商売が上手いよなぁ。嘘を言ってる訳じゃないんだ。ほんとに貧乏になって、みんなげっそり痩せるんだから。 しかも絶妙の名にするからなぁ。これが〈げっそりさま〉じゃ駄目だよな。〈腹減りさま〉だって駄目だ。〈腹ぺこさま〉〈へろへろさま〉〈ひょろひょろさま〉、〈ガリガリさま〉みーんなだめだ。 やっぱり〈痩せ神さま〉だよ。何か美貌と健康の神さまみたいじゃないの。この貧乏神の俺さまが……ぷっ(笑) |
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貧乏神 | この神社だってあの神主が来る前は白雲(しらくも)神社って言う名前だったんだぜ。拝むと頭にシラクモが出来そうとか言われて、女なんか拝みに来たためしがなかったよなあ。 それを白雪神社だと。響きが良いんだろうね。白雪。どこかのお姫様の名前みたいだよ。白雪姫さまだ 名前変えたら女の参拝者も激増したもんなぁ。 ここで拝むと肌が雪のように白くなる!とか、男遊びが過ぎた身体も生娘(きむすめ)のように戻る!とか言ってさ!ほんとかよ!ツッコミドコロ満載だろ! |
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貧乏神 | 玉串だって神さまへの贈りものときたもんだ。贈り物とか言っちゃうと、神さまとほんとに繋がりが出来た気になるらしいねぇ。 鳥居も聖なる門とか呼び方変えたりしてさ、俺もくぐる時襟を正したくなっちまったよ。 だいたい神主からして名前変えやがったからな。あいつ、本名は黒原泥蔵(くろはらどろぞう)って言うんだぜ。 それを阿部長明(あべのちょうめい)と来たもんだ。お前は陰陽師かっつうの! |
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貧乏神 | でもあいつ、この俺に着物まで用意してくれたからな。顔に似合わずそういう細かい配慮は出来るんだよな。 大島紬の仕立て下ろしだよ……着たって誰にも見えねぇっつうの。ま、それだって気持ちだよな。 なんつったって大島紬だもの。貧乏神が大島紬着たら、マズいんじゃねぇのか?って、あれ、俺、声、はずんでる? 嬉しいんだよ。やっぱり、お洒落したかったんだよ。貧乏神だって良い着物着たかったんだよ。悪いかよ! 恵比寿とか大黒(だいこく)とか羨ましかったからなぁ。あいつら良い着物着てるし。お供え物も多いし…。 |
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貧乏神 | 大黒なんか『お前もたまには頑張れ』だと。 大黒、てめぇバカ野郎!打ち出の小槌持ってるからっていい気になってんじゃねぇよ!俺が頑張ったら、世の中の人間全部貧乏まっしぐらだぞ! 恵比寿!てめぇも隠れて弁天と付き合ってんじゃねぇ!バレバレなんだよ!みんな知ってんだよ! |
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貧乏神 | そういえば、俺、お供え物なんて貰ったことあったっけ?あー…あ、ある。去年の春くらいによく来ていた永代寺門前(えいたいじもんぜん)のおみやげ屋の婆ぁ。 俺が貧乏神と見破ったのかね。ぶよぶよに湿(し)っけた煎餅だの、腐った豆腐だのを置いてったよ。 でも、効果あったよ。あれやられてから、俺はあの婆ぁの店の前通りたくないもの。 だからあの婆ぁのおみやげ屋、大繁盛だって言うじゃねぇか。 |
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110 | 貧乏神 | けど、こんなに喜んで貰えるとは思わなかったよなぁ。 ずっと嫌われてばかりの人生…いや、神の生涯だったけど、喜ばれるのって悪くないよな。やっぱり嬉しいよ。貧乏神だって人に好かれたいもの。 神々の人気投票やると、毎年ビリだもんなぁ。不動のビリ。定番のビリ。確定のビリ!安定のビリ! それが今では俺に祈るのに、一人一両だって! |
貧乏神 | 神主のやつ、一両出せるくらいじゃないと効き目ないとか言ってやがったが、そりゃそうだわな。 貧乏人は端(はな)からあんなに肥(ふと)らねぇって。しかも、貧乏人に貧乏神が憑いたって、たいして変わりねぇし。 嬉しいことに、今の俺を拝んでくれるのはだいたい若い女から、まあ、どうにか大年増あたりまで。 それが潤んだような、きゅるるんとか、うるるんとかいった目でまっすぐ俺を見詰めて祈りを捧げてくれるんだもんなぁ。 もちろんぎゅっと抱きしめてやってるんだぜ。…見えねぇ触れねぇ感じねぇけどな…。 |
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貧乏神 | そうだよ。痩せた方が良いって。 ちっとくらい貧乏になっても、その方が身体にとっても良いんだから。 感謝したくなるよ、俺に。 俺もあの神主に感謝しても良いかも知れねぇな(笑) |
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《一年後》 《お松の家》 | ||
亭主1 | おーい、お松。いるかい。 | |
松 | (声に力無く)ふぁい… | |
亭主1 | 去年の帳簿を持ってきておくれでないかい。 | |
松 | はいー…ただいま。 | |
亭主1 | お前、大丈夫か?また痩せてるじゃないか。声に張りも無くなっちまって、蚊の鳴くようなってのはこのことだよ。 | |
松 | そうですねぇ。 | |
120 | 亭主1 | そうですねぇじゃないよ。医者に診てもらえ。この一年でそんなに痩せるのは変じゃないか。何か悪い病でも憑いちまったんじゃないのかい。 |
松 | 大丈夫ですよ。具合が悪いところなんかありませんから。 | |
亭主1 | だったら良いんだが…。去年の今頃はもっと肥っていたのに、何だってそんなに…。 | |
松 | そんなことより、売り上げ、また落ちてるんでしょう? | |
亭主1 | ああ。全く、去年の秋の地震がなぁ…。 あの地震でうちの商品の瀬戸物が大半割れてしまって、急いで仕入れた商品がこれまた粗悪品が混じっていたらしくて、苦情が相次いだからなぁ。 水漏れなんてしたら、そりゃ苦情が出るもんだが、仕入れの大半がそれだったから余計だよ。 四割落ちているな。 |
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松 | 去年と比べて? | |
亭主1 | ああ。 | |
松 | そうなると、これから仕入れる品物の質も落ちて来ちゃうわね。 | |
亭主1 | まったくだ。手代もあと二人、暇を取らせるか。 | |
松 | そうなると、残りは繁蔵(しげぞう)だけ? | |
130 | 亭主1 | そういうことになるな。 |
松 | …そう。さすがに70過ぎた繁蔵を辞めさせる訳にゃあいかないよね。年だからかわいそうだしねえ。 …あたし、身の回りのものを処分してくるわ。 |
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亭主1 | 処分? | |
松 | ええ。質に入れたり、古着屋に持っていったりしてくる。 | |
亭主1 | すまねぇな…。 | |
松 | いいのよ。今まで贅沢しすぎてたんだから。 ただ、着物だけはもっと作っておけばよかったって思ってるんだよ。 |
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亭主1 | どうしてだい? | |
松 | 去年の着物を仕立て直したら、二枚分どころか、子供の分まで出来たのよ。一体どれだけ肥っていたのかと思って、ガックリきちゃったわ。 | |
亭主1 | 確かにあの頃はえらく肥っていたけどね、今の痩せ具合は見ていて心配になるくらいだよ。 あの頃とまではいかないが、もう少し肥っても良いんじゃないかねぇ…。 ま、そろそろ昼だから、何か簡単にでも用意しとくれ。 |
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松 | はい。でもあたしは食欲無いんですよ…。 | |
140 | 亭主1 | 無理にでも食べないと、また痩せちまうよ。それ以上痩せたら骸骨だよ。 景気が悪くなって、あの店の亭主は女房になにも食べさせてないなんて噂が立ったら、とんでもないことだよ。前みたいにとは言わないから、少しは肥っておくれな。 ああ、いらっしゃいませ。なにをお探しでしょう。 |
松 | そんなこと言われても、食べたくないのは食べたくないんですよ。 はあ…そろそろ痩せ神さまに退散していただかなくちゃいけないとは思うけど、ついつい癖になって拝んじまうんだよねぇ…。 お札(ふだ)もべったり貼っちゃったから剥がしたくても剥がせないし。 そういや、あの神主にお札は蔵の傍には貼るなって言われたけど…うちの台所は蔵のすぐ脇にあるんだからしょうがないんだけど…これは関係あるのかねぇ…。 お竹はどうなったんだろう。景気が悪くなってからは遊びに行く暇もないから会えなくなったけど、ちょうどいい按配(あんばい)に痩せたのかねぇ…。 |
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《お竹の家》 | ||
亭主2 | おおーい、お竹! | |
竹 | なあに? | |
亭主2 | こっちきて下ろすの手伝ってくれ。 景気が悪くなって手代も小僧も暇を取らせたから、何でもかんでも俺たちがやらなきゃいけねぇんだ。まったく、たまったもんじゃねぇ。 |
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竹 | ちょっと待ってよ。ん…どっこいしょ…っと。まったく。立つのだって大変なんだから。 | |
亭主2 | 早く来いよ!なにぐずぐずしてるんだよ! | |
竹 | しょうがないでしょ。なかなか立てないし、廊下が狭くてつっかえるんだから | |
亭主2 | 廊下は狭くないだろうが。なにも変わっちゃいねぇ。お前が幅を取りすぎてるだけだろ。 | |
150 | 竹 | ううん、狭いのよ! ちょっと…またずいぶん持ってきたわね。まだ昨日のが余ってるんだよ。 |
亭主2 | しょうがねぇよ。向こうに置いていたって腐ってしまうだけだ。ニワトリの数減らしたってのに、ポコポコポコポコ生みやがって、追いつきゃしねぇ | |
竹 | ここに置いても売れないよ。 | |
亭主2 | ああ。ちっと日本橋の料亭でも回ってくるか。 | |
竹 | 料亭からの注文も減ったね。 | |
亭主2 | 暑いからかなぁ…。 | |
竹 | 去年と比べたら二割程度でしょう。 | |
亭主2 | お前に言われなくても判ってるよ。 そんなことより、景気が悪いってのに、お前、また肥ったんじゃねえのか?普通は逆だろうが。 |
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竹 | 言わないでよ、それ…。 | |
亭主2 | あんまり肥るな。さっきも、そこの道で若い娘の二人連れが、『玉子って肥る食べ物なんだね。ここのおかみさん見たらそう思うよ』って言ってたぜ。 | |
160 | 竹 | しょうがないでしょ。あたしだって、肥りたくて肥ってる訳じゃないんだから! ああ、もうやだやだ。こんなに肥って。牛が毎日牛肉をたらふく食ったみたいに肥っちまった。なにもここまで肥らなくたっていいじゃないか。 |
亭主2 | 何言ってやがる。 だいたい、お前の浴衣なんか合わせのところが足りなくなって、前が開いてみっともないから前と後ろで一枚ずつ袖通して、二枚重ねて着てるだろうが! このくそ暑いのに二枚も浴衣なんか着て、情けないったらありゃしねぇ。 町を歩いていてもみんなから嫌な目で見られるって愚痴ってたのはどこのどいつだい。 |
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竹 | ふん!その内こういう着方が流行るかも知れないだろ! | |
亭主2 | そんな訳あるかい! | |
竹 | だいたい、うちの玉子屋が景気が悪くなったのは、お上が『玉子は贅沢品だ』とか何とか名指しされてからだろ。 おまけに玉子を食べると変な風邪を引くとかおかしな風評まで出はじめて。 売れなくなったって、ニワトリはそんなこと知ったこっちゃ無いからどんどん玉子を産むし、売れなくたって捨てるのは勿体ないから自分で食うしかないじゃないか。 |
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亭主2 | オレもガキどもも玉子なんざ飽きちまって、1日数個が限度だってのに、お前は一体いくつ食ってんだよ。20個くらい食ってねぇか? それにニワトリも餌代が掛かって勿体ないからって、少しずつつぶして食べるようにしたのはいいが、あれも肉やら何やらが結構な量が出るし。 |
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竹 | 飽きただろうが何だろうが、ただ捨てるのは勿体ないじゃないか。 お前さん達が食べてくれないから、仕方なくあたしが食べてるんだよ。最近じゃ米の飯も我慢して、朝昼晩と玉子と肉しか食べてないんだからね! |
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亭主2 | はいはい、わかったわかった。 それじゃあ、ちょっくら料亭回ってくる。行ってくるぜ。 |
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竹 | はいよ、いってらっしゃい。 | |
亭主2 | たまにゃあ魚でも食いたいもんだがな。 | |
170 | 竹 | ふん。こんなに肉や玉子が余ってるのに、魚なんて贅沢だよ、 はあ…それにしても、何日か前に苦労してお松に会いに行ったけど、お松は凄いすっきりしてた。あれじゃあたしは恥ずかしくて声なんか掛けられないよ。何言われるか判ったもんじゃない。 いいなぁ、お松は。色が白いからネギみたい。それに比べて今のあたしの体型はどう見たって土手カボチャ。 お松はあんなに効いたのに、何であたしは…。痩せ神様にだって1日何度も拝んでるのに。痩せるどころか肥る一方だよ…。 |
貧乏神 | ぷっ。松と竹が今じゃネギとカボチャだってか? | |
竹 | お札、貼るところが悪かったのかねぇ。 蔵やお店から離して貼るようにって言われたからそうしたけど、でも、うちの台所はお店の真裏なんだ。それが良くないのかねぇ。 痩せ神さま。どうかあたしにお力お貸しください。 こんなにぶくぶく肥ってしまって、これじゃ陸(おか)に上がったクジラじゃないですか。お松に与えた力を、どうかあたしにもお願いします。(柏手を打つ) |
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173 | 貧乏神 | あーあ。駄目だよ。店の裏なんかに貼ったら。あんた、俺を拝めば拝むほど店の売り物を食う羽目になって、どんどん肥っていくよ。 蔵の傍に貼ったって、蔵の中のモンがダメになっちまうのは当たり前だろ。 オレぁ、痩せ神じゃなくて貧乏神なんだからさ。 |