森は静かに
                 里沙:作

(3:2:1)

美奈子 深い森の中にある洋館に暮らす少女。人形のように美しいが、その心はどこか狂っている。自分が欲しいと思ったものをコレクションする。 15
美奈子の父。美奈子が狂っているのを知りながら、娘可愛さのあまりに全てを隠してきた。 20
美奈子の母。父と同じく美奈子の気狂いを知り、苦悩する。だが、やはり何も出来ずに口を噤んでしまう。 13
和哉(かずや) 近在の村に越してきた少年。森の中の洋館の噂を聞いて、好奇心で見に行ってしまうが…。 27
真吾 和哉の友人。森の中の洋館の話を和哉にしてしまう。 19
ナレーター(N) 不問 人数的には母、もしくは真吾が兼用しても可。だが、大変なのでお勧めはしない。 16

 

 

 

001

   N   

時は大正から昭和に移り変わる頃。東京からそう遠くない某県境(けんざかい)の片隅に、今はまだ手入れの為されていない深い森がある。
離れた村の人たちは口を揃えてこう話す。
『あそこにゃ東京のお偉いさんが建てなすった、そりゃあ立派な館(やかた)がある。粗相が合っちゃなんねぇから、近付くでねぇ』
『あの館にゃ旦那さんの一人娘っちゅうお嬢さんがいなさるが、お体が弱いからずっとあそこで療養しとうとよ』

だが……森の近在の村人たちは一様に口重く、ぽつりと呟く。
『あの森は入っちゃなんねぇ。あの森に入ったもんは、白い館に喰われちまうだよ』
『森に入るな。森の中の白い館にゃ近付いちゃなんねぇ。あそこに近付いたもんは、犬でも鳥でも二度と姿を見ることがねぇ』

その森に入るのは黒塗りの一台の車だけ。昼間でも薄暗いその森は、他人が入ることを拒んでいるかのようだ。
深い深い森の中。
その少女はひっそりとそこにいた。

 

美奈子

「ね。ほら。綺麗でしょう。こんなに綺麗」
  「ああ、綺麗だね。これでまたお前のコレクションが増えたんだね」
  「……あなた……」
  「美奈子。今月はこれで3つもコレクションしてしまったねぇ。これではいつかお前の気に入るものがなくなってしまうよ」
  美奈子 「そうかしら?でも、まだ何か足りない気がするの」
  「足りないもの?それは何かな?お前の言うように、色々取り寄せた筈なんだが。今日のこれなんかは遠い外国から取り寄せたものだったんだよ」
  美奈子 「ええ。とても可愛らしかったわ。でも、本当はこんなにも綺麗だってことを知ってるから、お父様にも見て頂きたかったの」
  「……ねえ、美奈子さん…もうこれ以上コレクションを増やすのは、止めた方がいいと思うの…」
010 美奈子 「どうして?お母様。館の外にはもっと素敵なものがあるのでしょう?私、そういうのをもっと見てみたいし、欲しいと思うわ」
  「でも、このお部屋ももう一杯ですし……それに…」
  「まあ良いじゃないか。美奈子が満足するなら、また何か探してきてあげよう。
だから美奈子はこの館を出てはいけないよ。お前は体が弱いから、ここを出たらきっと倒れてしまう。そうなったら、コレクションどころではないからね」
  美奈子 「ええ、お父様。大丈夫よ。私、この部屋にいるだけで楽しいし。ね。また外国のお話ししてくださる?外国にはどんなものがあるの?」
  「そうだね。この館の外は美奈子にとって悪いものばかりだからね。お話は今夜の夕食の時で良いかな?お父様は少し仕事が残っているからね」
  「お母様もお父様のお仕事を手伝わなくてはいけないの。だから、このお部屋でおとなしくしていてね。後で美奈子さんの好きなチョコレートを持ってこさせるから」
  美奈子 「チョコレート、大好きよ!嬉しいわ、お母様。お父様も、お夕食の時を楽しみにしているわ」
  「ああ、それではまた後でな」
  「お部屋から出ないようにしてね。美奈子さんは体が弱いのだから……」
 

夫婦は少女の部屋を出ていく。後に残されたのは、美奈子と呼ばれた美しい少女ただ一人。
綺麗なコレクションだというそれを手に取り、うっとりと眺めているその姿をドアの隙間からしばしの間見つめた後、夫妻はその部屋から逃げるように遠ざかる。
少女の部屋から反対側の書斎まで来て、彼らは嘆くように深い溜息をついた。
020 「あなた……」
  「判っている。何も言うな」
  「でも、あなた。あの子をこのままにしておくんですか? この頃ではどんどんあの気味の悪いコレクションとやらが増えていくばかりではありませんか……」
  「言うな。私も判ってるんだ。だが、だからといって何がどう出来る。あの子は何も知らないんだぞ。自分がしていることがなんであるのか…」
  「ああ……私、あの子が恐いのです……。自分がお腹を痛めて産んだ娘だというのに、あの子の考えが判らない…。普通の子と変わらないのに、あの子の行動だけがどんどん奇妙になっていって……。いつかもっと恐ろしいことになるんじゃないかと、そればかりが心配でなりません……」
  「そうならないためにも、ここに屋敷を建てたのだ。ここなら人は近付かない。限られた使用人だけに囲まれて暮らしていれば、外の世界を知ることもない。
いや、知られてはいけないのだ…。あの子のためにも……私たちのためにも」
  「どうしてあんな風になってしまったのでしょう…。昔から生き物が好きだったけれど、あんな…あんなことを……」
  「判らん…。だが、今はあの子を隠すしかない。誰にも会わせず、誰にも知られず、外を知らせず、あの子が死ぬまでこの屋敷に閉じ込めるしかないんだ」
  「あんなおぞましい…。生き物を可愛がっているだけならまだいい…だけどあまりにも可愛がりすぎて殺したあげく、その身体を食べて骨だけを標本にするなんて…」
  「言うんじゃない!私だって恐ろしいのだっ!いつかあの子が動物だけでは飽き足らなく、人間にまで興味を持ったらと…」
030 「ああっ!そんなっ…そんなことっ…」
  「あの子ももう17歳。すでに嫁に行ってもおかしくない年だ。だが、あの子を貰ってくれるような男は…いや、あんな子を嫁になど出せるものか…。
今はまだ動物だけに興味が向いているから何とかなっているが…もし他人に興味が向いたら……。まともになってくれるならまだいい…だが…今までのように愛しすぎたあまりに殺して…そしてあんなように……。

しっかりしなさいっ!私たちが何とかするしかない。あの子の回りには年老いた使用人しか置かないようにし、他の人間を極力近付かせないようにするしかない。
なるべく外の世界には興味を持たせないように、本などは与えないようにな」
  「は、はい…。使用人たちにも、あの子とはあまり口を聞かないように硬く言い付けてありますから…」
  「私は……出来ればあの子が病気にでもなって死んでくれたらと願ってしまう……。あの子を愛しているが、それ以上にそう願ってしまうんだよ…」
  「私もです…。何度あの子を殺して私もと思ったことか…。でも、あの子の無邪気な笑顔を見ていると、それも出来ない……」
  「あの子は、善悪の区別が付かない、可哀想な娘なんだ……。狂っているという言葉じゃ片付けられない…。あの子は、鬼に魅入られてしまったんだ……」
 

がっくりと肩を落とす父親と、嗚咽(おえつ)する母親。彼らにとってたった一人の愛娘は、鬼か悪魔にでも魅入られた娘なのだった。

少女の部屋は豪華ではあるが、異様な雰囲気と光景であった。
30畳はあろうかと言うくらい広い豪華な部屋に、豪華な調度品
だが、部屋は紗(しゃ)のカーテンで外からの光が遮られ、風も澱んだように薄暗く、どんよりとした空気が部屋を満たしている。
そして、夫婦が顔をしかめる美奈子の『コレクション』が、その部屋一杯に飾られていた。全てが白い、ほっそりとしたそれ。

  美奈子 「本当に綺麗ね。ほら、お前たちも知らなかったでしょう?自分の中に、こんなに綺麗なものを持っていたなんて。
回りの衣を脱ぎ捨てたら、みんなこんな白くて綺麗なものを持っているのね」
  くすくすと笑いながら、少女は手近に飾られた動物の形をした骨格標本を愛しそうに撫でる。
  美奈子 「お前は外国からお父様が連れてきた犬だったわね。ふわふわした毛皮も、小さな身体も、きゃんきゃんと泣いてた声も好きだったけれど、やっぱりお前の中にあるこの白い宝石が一番好きよ。
こちらのお前は珍しい綺麗なお魚だったわ。赤と黄色の模様で、ひれがひらひらしていて…でも、本当のお前はこんなに綺麗なのに衣はとても苦くてまずかったわ。私、まだお前の味を覚えていてよ」
040 愛しそうに撫でて、その白い骨に口づけをする少女。
それは一種異様でいながら、神聖なもののようにも見えた。
  美奈子 「……でも、どうしてなのかしら?ずっとずっと、何かが足りない気がするの。こんなにもたくさん、私の大好きなおまえたちに囲まれているのに、お父様にもお母様にも大事にされて、愛されているのに……何かが物足りないって思ってしまうの……。
それがなんなのか判らないから、私はこんな変な気持ちになるのかしら?心の蔵の辺りがずっともやもやして、時々痛いの。
どうしよう…こんなこと言ったら、またお父様やお母様が心配されて悲しい顔をなさるわ…
ねぇ、おまえたち。私は一体何が足りないと思うのかしらね?こんなにもたくさんのおまえたちに囲まれて、とても幸せだと思うのに」
  部屋一面に飾られている様々な動物や魚の白い骨たち。まるで精巧な骨格標本の見本のように、けれどそれは全て本物の骨だけで組み立てられた、少女美奈子のコレクションなのであった。
  美奈子 「きっと今に見つかると思うの。きっとお父様が見つけてくださるわ。今までおまえたちを見つけてくださったのだもの。だから私はお父様やお母様の言う通り、ここでその子を待てばいいのだわ」

「大好きよ、おまえたち。生きている時のおまえたちも大好きだったけれど、こうしてこんなに綺麗な姿を見せてくれている今の方が、もっと好きよ」

  少女は笑う。
楽しそうに、愛しそうに、その白い骨たちをうっとりと見つめながら、なんの邪気もない天使のような笑顔で、ただくすくすと笑う。

少女のいる白い館の森から少し離れた近在の村。
村と言っても学校もあれば病院もある。東京から近いために、近年では色々と開けてきて、町という方がふさわしい景観になってきている。
それでもそこかしこに田畑は存在していたが。
そんなたんぼ道を一人の少年が歩いている。その後ろから走ってきたもう一人の少年が、前を行く少年の肩を叩いた。

  真吾 「よお、今日は一人でお帰りかー?しかもいつもと違うこんな回り道を」
  和哉 「真吾か。そう毎日誰かと一緒ってわけでもないよ。それに、一人の方が気が楽だ。こっちの道はみんなと方向が違うらしくて、助かる」
  真吾 「あはは。そりゃ毎日誰かしらの女の子に囲まれてたら、気疲れもするだろうさ。ま、他の連中からしたら人気があるお前は羨ましい通り越して妬みの対象になってるがな
さては、やっかんでる誰かが待ち伏せしようとしてたから、こっちの道を通ってるのか」
  和哉 「頭の痛いことを笑って言うなよ。不本意ながらその通りだ…」
  真吾 「そりゃ、ご愁傷様ってわけだ。まあ、連中の気持ちも判らんでもないさ。こんな田舎に東京からあか抜けた良い男が引っ越してきたってことで、初日から女どもの間で話題沸騰だったもんなー
それ以来、朝となく昼となく女に囲まれてるしな」
050 和哉 「言っちゃ悪いが、良い迷惑だよ…。
それに、別に珍しくもないだろう。先年の東京の大地震で疎開してくる人たちは、何もここだけじゃなくて近在では大勢だったらしいじゃないか」
  真吾 「まあな。でも、その大部分は東京が復興するに連れて戻っちまったりするだろ。入れ替わりのようにお前が来たもんだから、女どもが浮かれてるってわけさ」
  和哉 「親切にしてくれるのは良いが、押し売りみたいでなぁ…」
  真吾 「しょうがねぇべ?この村にゃお前くらいかっこいい男がいないからな」
  和哉 「真吾がいるだろ」
  真吾 「俺?俺はダメだぁ。許嫁(いいなづけ)の雪乃がいるからな」   (女の子の名前はご随意に変えて下さっても構いません。)                      
  和哉 「…鼻の下が伸びてるぞ、真吾」
  真吾 「いやぁ、雪乃がお前になびかなくて、俺は本っとにホっとしたんだせ。下手すりゃ、許嫁も親友も無くすとこだったんだしなー」
  和哉 「言ってろ。雪乃さんがそんな人じゃないことくらい、お前の方が一番よく知ってるだろうが」
  真吾 「うんうん。雪乃ほどのいい女は、東京にだっていねぇに違いねぇ」
060 和哉 「……はいはい。ごちそうさまだよ、まったく」
  真吾 「っと、和哉、そっちの道じゃねぇ。こっちだ。そっちは通らねぇ方がいい」
  和哉 「なんだ?こっちの森を通った方が、近いんじゃないか?」
  真吾 「森を突っ切れば確かに近いが、その森は入らねぇ方がいい。鬼に喰われちまう」
  和哉 「はあ?鬼?何バカなこと言ってんだ」
  真吾 「本物の鬼かどうかは問題じゃねぇ。その森に入ったもんは白い館に喰われちまうんだとよ」
  和哉 「白い館?」
  真吾 「…っと、これは言わねぇ方がよかったんだっけ…。

まあ、年寄りどもが言ってるんだよ。あの入らずの森の奥には東京モンの立派な屋敷があるんだが、森に入り込んだ犬や猫はもちろん、イタチや野ウサギ、果ては鳥さえもその屋敷に近付くと、姿を見せなくなる。
村の年寄りがその屋敷に食料を下ろしてたんだが、その爺さんの言うことにはその屋敷の回りには虫一匹もいやしねぇ。不気味だったんだとよ。
で、いつの間にか動物が姿を見せなくなって、他のも寄りつかなくなるから、きっとその屋敷に喰われちまうから近付かないんだろうってな。
まあ、爺さんの言うことだから迷信も入ってるんだろうが、昔からあの森は入らずの森と言われて、誰も入りたがらねぇ所だったんだ。昔はよく子供が入り込んで、そのまま行方不明になったらしくて、神隠しにあっただの、鬼に喰われちまっただのと言われてたんだよ」

  和哉 「その屋敷には人が住んでるんだろ?変な噂立てられて迷惑してるんじゃないのか?」
  真吾 「どうだろうなぁ。そう言うことは一度も聞かねぇし、何より、あの屋敷に住んでる奴らはこの村の誰とも交流持たないしな。屋敷が建てられた時も屋敷に近付くな、我々に関わるなってきつく言って来てたそうだぜ」
070 和哉 「……変わってる人たちだな」
  真吾 「一度森の近くで火事騒ぎが起こってさ、村長とうちの親父が状況を説明がてらそれを謝りに言った時に、『この屋敷には近付くな!命が惜しければ誰も近付けるんじゃないっ!』って偉い剣幕で主人らしき人に怒鳴られて帰ってきたことがあってさ、東京モンの考えることは判らねぇって、親父がぼやいてたよ」
  和哉 「命が惜しければって、それはまた物騒な言い方だな」
  真吾 「だろ。でも、まあ、そんなこともあってそれ以来食料品なんかはあの屋敷の使用人が村まで出て買い求めていくだけで、誰も近付かなくなったんだよ。その使用人も、村のモンとは口も聞きたくないって言うか、口止めされてるみたいで、話もそこそこに戻っちまうしな」
  和哉 「なんか秘密めいてるなぁ」
  真吾 「なんにせよ、あの森には近付かない方がいいってことだ。面倒なことにならないようにした方がいいだろ?」
  和哉 「まあ、そうだが…」
  真吾 「和哉。悪いことは言わねぇから、興味があっても近付くんじゃねぇぞ。白い館に喰われるってのはばかばかしい噂話だとしても、あの森は道が一本しかなくて、それを外れると迷いやすいんだ。
それに、あの屋敷の主人は東京の偉いさんらしいから、問題起こすとまずいことになる。今、この村じゃダム誘致の話が出てきてるからな」
  和哉 「ああ、父がそんな話をしてたな。判った。近付かないよ。遠回りになったが、今日はこのままこっちから帰る」
  真吾 「途中までは一緒だから、そこまでは付き合うさ。明日からは素直にいつもの道を帰ることだな」
080 和哉 「……また女に囲まれて歩きにくい上に、野郎どもに妬まれて絡まれる日々を送れって言うのかぁ。勘弁してくれよぉ…」
  真吾 「あははは…。色男の宿命ってやつだ。ま、頑張れや」
  二人は談笑しながら先を進む。次の分かれ道で、お互い手を振りながら別れた。
真吾と呼ばれた少年が森に添った道を進んで姿が見えなくなった頃、和哉がそっと踵(きびす)を返して来た道を急ぎ足で戻り始めた。
  和哉 『悪いな、真吾。行くなと言われると、行きたくなるもんだよ』
  森に入るというただ一本の道は、その先がどんよりとした暗い淵に落ち込むかのように、先が見えない。
夏の終わりの頃、夕刻とは言えまだ日は高く、じっとしていれば汗ばむくらいなのにもかかわらず、森の中は木々の密集によって日が遮られ、ひんやりとしてこの森だけが違う世界のようであった。
  和哉 『本当に静かだな…。真吾の言う通り、鳥の声1つも聞こえない。それに……時々見つけるあの白い小石や木の枝みたいなやつ…まるで…』
  まるで骨のようだ……と和哉は思う。思うが、そんなことはあり得ない。あんなにたくさんの骨がそこら中に散らばってるなんて…と、自らその考えを否定する。
そうでもしなければ、真吾の言っていた『鬼に喰われる』という言葉が頭の中をグルグルと駆け回り、不安な気持ちになるばかりであったのだ。
  和哉 『ばかばかしい…今の世に鬼だの妖怪だのがいる訳無いじゃないか。昔この森で子供がいなくなったのだって、その頃は人さらいとか、あるいは貧しい家の者が子供を人知れず間引いていたって言うこともあったらしいし…そう言う事実が鬼に喰われたってことで隠されてきたんだろうな』
  和哉の思いとは裏腹に、その白い小石や枝のようなものは、屋敷のある方に向かって次第に増えていく。
時々、明らかに動物の頭と思わしきものも目にとまるが、あえてそれを見ないようにして先を進んだ。
やがて、前方に村の人たちが呼ぶ白い館が見えてきた。
確かにすばらしく大きく、瀟洒(しょうしゃ)な建物である。その時代の贅を尽くして建てられた、以前住んでいた東京にも見られないような西洋風の大きな館。
それが和哉の前にひっそりと、まるで来るものを拒むかのようにそびえ立っていた。

ごくりと喉を鳴らし、なるべく家人に見つからないようにと少し離れた所から屋敷の前を回っていく。
屋敷の中はひっそりとして、まるで人が住んでいないかのように静まりかえっている。
しかしどこからか夕餉の支度であろう良い匂いがしてくるし、窓が開いているのか、微かに柱時計のボーンボーンという音も聞こえてくる。

  和哉 『なんだ…別に人が少ないだけでどこかの貴族さまの屋敷と変わらないじゃないか…。相当の人嫌いか、変わり者の人がここに屋敷を建てて、人付き合いを絶っているだけじゃないのか?
それが元からの迷信や出来事と結びついて変な噂が立てられたんじゃ……えっ……』
090 屋敷の西側、来た道とは反対の出口に向かう道に向かっていた時、大きな窓が内側から開かれた。
まるで中に籠もっていた空気が逃げ出すかのように、大きく紗のカーテンが揺らめく。
それが収まった時、そこに一人の少女が驚いたようにこちらを見ているのが見えた。

漆黒の髪を結いもせず背中に流し、赤い西陣織であろうか?華やかな着物を着た人形のように美しい少女。
その少女の日の加減によるものか、赤く光る瞳が和哉を真っ直ぐに見詰めている。

  和哉 「あ、あのっ!すみません!怪しいものじゃないです。近在の村の学生で…その、ちょっと近道しようと思ってきただけです。直ぐに立ち去りますから!」

『なんて綺麗な子だろう……まるで人じゃないみたいな……』

  美奈子 「あなた……」
  少女が何かを言おうとした時、少女の背後の扉が開かれ、一人の男が入ってきたのが見えた。
  「美奈子、少し早いが夕食に……なんだ!お前は!」
  そのきつく咎める声に、ぼうっと少女に見とれていた和哉がはっと我に返る。慌てて二人にぺこりとお辞儀をした。
  和哉 「すっ、すみません!あの、俺っ、いえ自分はっ…」
  「直ぐにここから立ち去れ!美奈子の前に姿を見せるんじゃない!帰って他の者にも言うんだ!ここには近付くんじゃないと!」
  美奈子 「お父様、待って。あの子…あの子は…」
  「美奈子!あの青年を見るんじゃない!君っ!さっさとここから出ていけ!二度と来るんじゃない!」
100 和哉 「あの…っ」
  その時、和哉は見た。見てしまった。
大きく開かれたカーテンの向こう側。部屋一面に飾られている美奈子のコレクション。白い白い、骨ばかりのその物言わぬ生き物たち。
綺麗に磨かれ、光沢を見せるものさえある、不気味なコレクションを。
それらが一斉に和哉の方を、恨めし気(うらめしげ)に見詰めてきたと思ったのは錯覚だったのか。
  和哉 「うわ…あぁ……うわあぁぁぁぁ!」
  美奈子 「待って……待って!行かないで!」
  「美奈子!いけない!あの青年は違う!違うんだよ!」
  和哉 『鬼に喰われる……鬼に喰われる……真吾が言っていたことはこれだったんだ!あの部屋…あんなおぞましい!あんな骨ばかりのっ……!
あの子は人間じゃない!あんな美しい少女があんなおぞましい諸行をするものかっ!鬼だ!あの子は鬼だっ!
白い館に喰われる…白い館には鬼がいる!』
  「美奈子!美奈子っ!落ち着きなさい。あの青年は違うんだよ、あの子は村の人間だ。美奈子には関係ないんだよ!忘れなさい、あの子のことは夢だったんだよ!」
  美奈子 「お父様っ!見つけたわ!判ったの。私には判ったの。あの子よ!あの子が私の足りない物だったんだわ!ねぇ、お父様!あの子なの!」
  「美奈子!!」
  美奈子 「お父様っ!あの子を捕まえて!」
110 森に入ってはいけないよ。
森に入ったら戻れない。
森の奥には鬼がいる。
森の中の白い館に近付くな。
白い館には鬼が住む。

森は静かにそこにある。