竹の恩恵 の1

 
 故郷の家の敷地は、ウナギの寝床のように細長い形状をしていた。古い街並みにあったが広くはない。しかし、庭が二つあり、真中の庭には竹も植えてあった。小さい庭で、棹は 僅かしかなかった。

 母の実家は農家で、ここは広かった。母屋の前に庭があった

 

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富士竹類植物

京都の竹の途
しかし、庭園には程遠く、木が何本か植わり、大きな石が置いてあるぐらいで、築地松が囲んでいた。家屋の後ろには斐伊川の土手の高さまで、ぎっしりと竹林が伸び広がっていた。

 家主はこの景色に馴染んでいた。孟宗竹と思うが、春は筍

で潤い。夏には竿と化して、秋には稲を干す”はでば”になり大活躍をする。冬は、火であぶり曲げてスキーの板に化ける。大人は酒を入れてお燗にも用いる。 そしてわが家の細い竹も七夕では大活躍で、家族の願い事を沢山届けてくれた。

 竹は絵心のない私でも、描くのも簡単だった。万年筆で半円を二つ書き、それを人差し指で軽く押さえて上に伸ばすようにすると竹の節が出来る。

 そんな絵を年賀はがきに使ったりした。就職で関東に来て、

竹との生活が全く無くなった。しかし、定年近くに始めた森林インストラクターで、「竹細工」の講師をすることになり、竹への興味や、竹への思いを見直す キッカケとなった。竹は成長の早さ、弾力性、直進性、美しさ等の利便性が豊富だ。

小机城址公園