仏果山の言われ

この山名の由来は京都にいた高僧が南北朝時代に混乱を避ける為にこの地に住み、仏との出会いを意味して『仏果』と名づけたそうです。清川の人々はその仏果禅師が修行していた山を『仏果山』、坐っていた石を『坐禅石』と呼んで語り継ぎました。 尚、半原側にその呼称はなく、「おおとんがり」との俗称で言われていた。

仏果禅師和尚は、その後に煤ヶ谷の正住寺を開山されました。尚、その寺には 三益合戦の際の落ち武者の墓があるそうです。また、この山は昔、煤ケ谷の人々は南麓と呼び,半原越えから仏果山周辺までを南山と呼んだそうです。

この石は土山峠から宮ヶ瀬湖に向って進んだ道の湖畔際にあります

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