富士山

 

山登りを始めた1999年にこの山に チャレンジした。8月29日、夏休みの終り頃であり人が少なく、自分の今の体力で簡単に登れると思い、自信を持って向かった。

 

五合目までは車で行けるので、頂上まで標高差で1200m位、だから大山に登る程度と考えていた。

8時に五合目へ着いたが駐車場は満杯だった。仕方が無いので元来た道を戻った。

四合目まで戻ってやっと路肩に止められた。

後で考えると結果的にはこれが良かったのかもしれない。

8時20分に登り始めた。

9時に5合目に到着したが、その辺りに止まっている車は殆どが前日か未明に到着した車のようだった。毛布等が車内においてあった。

そこ迄しなればこの場所は取れない。人気の凄さにビックリする。

少し登ると頂上の観測所のレーダーが見えている様に思えた。

これは楽勝である。

しかし、下山してくる人の顔を見ると一様に楽しげではなく、苦痛に充ちた人が多かった。

六合目位の売店で高山病予防に酸素缶を1本購入した。後々記念になるので調度良いぐらいに思っていた。

この山の道標は行けども行けども六合と七号が続いた。さっき六だったのにまた六号、やっと七号になったと思ったらまた七号で先がどれほどあるのか分からなくて不安になった。

八号目辺りで気持ちが悪くなってきた。いよいよ酸欠になってきた。休憩時間を長めにとった。

先ほど購入した酸素缶を空けた。回りもこの辺りで高山病の症状が出ている人が多かった。部活の延長で来ているようなユニホームの若者もいた。

下界には雲が広がっているがここは雲上で直射日光が痛い。

太陽光と酸欠との闘いが続いた。

それでも、鳥居を潜るともう目の前に頂上があった。しかし、ここからは20mも進むと呼吸が出来なくなってしまう。不整脈に拍車がかかる。

いっそ下山しようと思ったが、定年を迎えた先輩達が登って、自分がギブアップはできない。

最後の急な登りになるともう殆ど止まっている時間が長かった。数メートルの頂きまでの高度が一気に登れない。情けなくなった。

結局、13時にやっと到着した、5号目から4時間も掛かった。普通なら2時間チョットで上れる高度であった。

頂上で弁当を食べ、水を飲んでホッとした。

頂上小屋で買い物をしようと思ったが、閉店の準備をしていて慌しかったので入らなかった。

お鉢巡りをするほどの心臓を持ち合わせていなかったので少し辺りを歩いた。風が吹くと手が直ぐにかじかんだ。

記念写真を撮り下山した。

下山中も少し早く進むと酸欠になるのでセーブして下りた。4合目から歩いた分、高所になれたのでこの程度で終ったと思った。

下山して暫くはもうあんな山登りたくないと思ったが、しかし、1ヶ月もたつともっと楽に登れる方法があるのではないか?自分も体力がついてきたのでもっと早く登れるのではないか?と考えるようになり、また登ろうと思った。

やっぱり山馬鹿な自分だった。

その翌年5月の連休に奥さんと五合目まで車で行った。雪が残っていた。

奥さんを残して一人で登りはじめ7合目まで登り雪の富士山をチョット体験してから、鬼になって待っている奥さんの所に急いだ。

新田次郎作の小説『蒼氷』は極寒期の富士の美しさが描かれていて、山男なら2月に登ってみたくなります。しかしながらその技術。体力とも持ち合わせて折らず、いつか登りたいと夢を見つづけている。

最近は噴火の話題とかあったりで行っていないが、また是非登って見たい山である。