茨城を旅する(偕楽園と袋田の滝)

映像で何度か見せられた景観は、それ程心が動かなかった。単に水が流れているだけで、豪快さなどは感じなかった。ところが、トンネルを抜けその滝の広がりと落差のある流れに感激してしまった。3月25日、昨年末頃から女房に連れて行けと言われていた『袋田の滝』に向った。私の車は、4輪駆動ではない。冬場は自殺行為だと思っていたので、ジーと彼女の言葉を滝のように流し ていた。

5時に自宅を出発する。高速道路は年度末の所為か、仕事帰りか、大型トラックがやけに多かった。車載ナビが無いので、”au”の『助手席ナビ』に案内を任せた。事前にインターネットで調べていたが、町名を見て、見慣れた漢字で思い込んでしまった。てっきり、『太子(たいし)町』だと思ってナビ検索したが、出てこない。少し走ると道標に『大子(daigo)町』と書かれていた。

袋田に近づくと案内の標も多く、携帯は不要だった。ここ迄で携帯の蓄電マークは、残り2本になっていた。 この辺りは巫女の神楽鈴の形をした、枯れた実を残した木がいたるところで見えた。女房に、『あの木は何か知っている?』と聞く。分からないようなので、『あれは桐』と教えると、通り過ぎる度に『これは桐』、『これはキリ』、そのうち『これっきり』と喜びだした。

袋田に着いたが駐車場が決まらず、出来るだけ滝に近い方に行こうと進んだ。しかし、行き止まりになり、滝に入るトンネルが上に見えた。みやげ物屋の人が『そこに置いて行って、大丈夫です』と店先の駐車場を指した。言葉に甘えて 、そこに置いてトンネルに向った。トンネルに入ると気化熱のためか、更に寒かった。ジッパーを上げ、暖気を逃さないようにした。

三つ目の口を曲がると水の流れが見えた。先客たちがカメラを構える。ここまでは映像で見たものと同じだった。更に、足を進めた。テレビでは分からなかった、滝の大きさが目の前に広がった。三段になった滝は巾50mもあろうか。一段目は滝全体に水が流れ、二段目は左右に分かれ、目の前でまた全体に水が 流れ落ちていく。

その大きさを見て、来て良かったと思った。 またまたここを指定した女房に感謝をする。吊橋を渡り、右にあった自然観察路の”たかーく続く"階段を登る。女房は下が見えるので怖いと引き返した。滝の一番上まで登ってこの滝は更に上に段差があるのを知った。

少し緩やかな落差であるが、これも滝である。下り始めると崖をくり抜いた場所にお堂があった。『袋田の滝』、ここも修験者達が開いた聖域だった。鰐淵寺の蔵王堂、三朝の投げ入れ堂など、どれも凄い建物である。そのエネルギー と技術に驚くばかりである。

しかし、残念だがここのお堂は朽ちていた。さて、滝はそこまで行くのに時間は掛るが、修行をする訳ではないので滞在時間は短い。その地に観光客が落とすお金は滞在時間に比例すると聞いたが、我家はお土産にこんにゃくを2袋購入し 、町に貢献する。

そんな訳で滝だけでなく、今が旬の水戸偕楽園に梅の花を見に行く事を、女房には言わないで決めていた。”助手席ナビ”で検索すると、暫くは通信アンテナがないのか交信できず、出来たと思ったら反対方向を案内し始めた。

久慈川の沈下橋を渡り、反対の川岸に案内されて間違いに気が付いた。 橋を戻り水戸に向って走った。再度検索すると、今度は間違いはなかった。しかし、蓄電量は僅か一本を示していた。

女房が持参していた携帯発電機を使い充電をするが、中々蓄電量が増加しない。それでも、なんとか偕楽園に到着した。大きな駐車場は一杯で車があふれていた。民家に千円で 停めた。

常陸神社を抜けて東門に到着する。人が多いが、梅は満開でそれ以上に多い。昼前で、屋台から流れるイカ焼の匂いが食欲をそそる。御成門まで周遊の道を進む。色々な名前の梅があった。ガイドブックには100品種と書かれている。

つい最近まで『しだれ○○』という木の種類が大きらいだった。なんとなく”だらけ”ていて美しいと思った事がない。この種類は本来木々が有している上に伸びる力が弱いらしい。しかし、この間、風に 吹かれたしだれ桜を見ていると、揺れる枝に咲く桜が、滝を流れ落ちる花をイメージさせた。それ以来、私には『流れる○○』である。

時折風にのって甘い香りがした。これだけの梅があっても、香りとなるとイカに負けてしまっていた。円を描いた梅があり、ガイドの人が説明をしていた。そういわれないと分からないほど 私は梅にも無知である。

この庭園の入園料は”ただ”と聞くと、その気持ちに感謝してしまう。『偕楽園』とは”皆が楽しむ遊園”として名づけられ、その考えに従って無料になっているのかもしれない。

好文亭

御成門まで行って左に曲がると、竹林があった。ここは梅だけではなかった。桜、ツツジも楽しめるようである。

その先の『好文亭』という建物があった。ここは有料だったが、女房に金を出してもらい、中に入った。

ツツジの間

それ程期待はしていなかった。庭園には黄色いサンシュが咲いていた。花は盛りだった。奥御殿(おくごてん)から廻るが、部屋は何れも狭い。

ごろっと横になり、手を伸ばすと壁にあたりそうである。昔の人は小柄だったから、これでも良かったかもしれない。また、ここは陽のある時間を楽しむところなのでこれで良いのかもしれない。

太鼓橋

太鼓橋

各部屋の襖絵は淡い色使いだったが、”ツツジの間”は障子を通った白い光の中で真赤なツツジが印象的だった。

太鼓橋は竹で格子をつくり、外壁も竹を打ってあり、窓が分からない工夫がされていた。光も程ほどに通している。

水戸黄門一同

先日も千葉の古民家を訪れたが、やっぱり日本家屋は心が落ち着く。その理由の一つに縁側がある。近所の人と気兼ねなくそこで会話ができ、手仕事もそこで出来る。老後はこれだと思う。

関心しきりで、『好文亭』をでると水戸黄門達が梅林に居た。目指すは”由美かおる”である。しかし、年齢はわかいものの、そのふくよかさは幾分本物と違っていた。 がっかり。

がっかりついでに、梅園にはロープが張られ、木の下に入らないようにしてあるが、無視して食事をしている無神経な人達の多い事に驚いた。下草がもっと青々していたら、梅の花は更に引き立つのに残念である。職員も注意を全くしない、これにも驚いてしまった。

常陸神社にお参りして帰ろうとしたが、そこの楠の樹齢をみて成長の早さに関心した。凡そ根回り5mもあるそれが、樹齢は僅か160年と書かれていた。楠の成長の早さにビックリである。記念に出店で娘と同じ名前の庭木(シャクナゲ)を購入して帰路に着いた。

恋瀬川という淡い雰囲気をもった名前の川を渡る。女房は自宅が近くなると安心し、それまでと違い強気の発言が目立つようになった。そんな帰りも”助手席ナビ”が頼りである。女房は汗をかきながら発電機のハンドルを一生懸命回すが、充電量の確認で画面を明るくすると 、直ぐにピーピーと鳴り始める。首都高が渋滞し、ここでも活躍をしてもらう為、ハンドルを回すが充分に充電できない。蓄電がなくなり、再度立ち上げると車の向いている方向が判断できないのか、同じところをグルグルとまわされてしまう。それでも、渋滞の首都高より気持ち早く帰れたのかもしれない。月間315円であれば充分な機能だと思った。

さて、茨城の旅は偕楽園と袋田の滝だけでなく、『弘道館』、『西山荘』等の見所が沢山あるらしい。またいつか行きたいと思っている。尚、茨城の石下はTOP頁の瞬見諸歩』で少々記載しています。