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視力1.5は「いい目」なのだろうか?

イチロー選手に見るいい目とは?

私たちは視力検査をした結果、1.0だとか1.5というふうに数値の高いほうをよい眼だと思っています。視力とはつまり、遠方や手元の、どれだけ小さなものや文字が見えるかということによりますが、それは眼の部分的な能力に過ぎない、と言えるかもしれません。
いちばんわかりやすい例をあげると、イチロー選手の眼がそれだというのです。マリナーズに行くまでイチロー選手のビジョントレーナーをしていた田村氏の発言ですがが、驚いたことにイチローは決して視力も動体視力も並みのプロ選手に比べて優れていたわけではないというのです。

にもかかわらず、彼はだれよりも的確にボールをバットに当て、打球をコントロールし、ヒットを量産しました。この話は、視力や動体視力のような部分を数値化したものでは、ほんとうの眼の能力は測れないことを教えてくれています。

では視力に代わるほんとうによい眼とは何か。田村氏は「外の世界を、正確に楽に早く見て、感じて、行動するという、眼と心と身体が一体になった「実践で使える眼L」を提唱しています。

そして、ビジョントレーニングは、「時間や回数で行うのではなく、内面や身体を感じながら磨いていく方法です。それも日常生活に組み込んで行うこと、を推奨しています。

眼と心の一体感とはどのようなもの?

例えば、眼球を動かすビジョントレーニングがありますが、眼と身体の一体感は椅子に座っているだけではつかみにくいものです。そこで片足立ちで別の誰かに目の前にボールを動かしてもらい、眼で追うトレーニングをしてみる。試しにやってみると、かなりやりづらく難しく感じます。

つまり身体の動きのなかで「使える眼」になっていないというわけです。これだけでも眼球運動は、眼の動きによって身体の動きが変わることが体感できます。

眼と心の一体感というのは、こういうことです。眼は決して勝手に動いているのでなく「あれはなんだろう? 見たい、知りたい」あるいは「危険があるから注意して見ておこう」といったように、心が動かしているのです。

そのとき左右ふたつの眼を目標に向けるのですが、両眼を向ける筋力や揃え方の癖は、視覚情報センターのおこなう両眼視機能検査というもので数値として測定できます。眼と心のl体感も測定によって裏づけられるようになってきています。

部分的な視力回復方法の弊害についても警鐘を鳴らしています。

例えば、老眼の回復方法として、親指を前・万に伸ばし、片眼をつぶり、爪をにらみつけながら、前方10cmほどに近づけて、もう片一方の眼でも同じことをし、最後は両眼を開けて同じことをするというようなものです。それだけでも、読みにくかった近くの文字が見やすくなることはあるそうです。しかし、この視力回復術が眼球に強い圧力をかけ、ストレスを溜め込んでいることが多いと指摘します。はっきり見えたとき満足するのは脳であって、眼の筋肉、つまり身体側が満足しているとは限らないのです。こうした強いストレスをかけ続けた結果、眼球や身体の健康を損ない、様々な病気につながる可能性もあるというのです

たまには眼にも栄養たっぷりのアサイーベリーなんかが必要かもしれません。

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