久喜市議会議員

石 川 忠 義  いしかわ ただよし


 ここに記載してあることは、私が議員活動をしていく中での基本的な考え方です

政治理念

1. 一部の人にエコひいきする政治を認めません。

2. 政治を任された者として、常に自分の考えや行動を報告し、また、住民のどんな意見にも真剣に耳を傾けて政策にいかします。

3. 妥協の繰り返しが、癒着、馴れ合いの温床です。妥協を逃げ道にした政策実現を許しません。

 
地方議員・議会とはどうあるべきか?

@ 地方議会は制度上、議会・議員は行政のチェック機関です。良いことは認め、悪いことや認められないことは信念にもとづいて、方向修正を求めていきます。
 たまに地方議会において「与党」発言する人がいますが、本来、日本の国会と違って議院内閣制ではない地方議会で与党、野党という考えは成り立ちません。(アメリカ合衆国のような大統領制の国でさえ、与党といっても、議会対政府(大統領)の建前は堅持され、議会が行政を牽制する。)
 議会は法で定められた権限にもとづいて、住民本位の考えに、議員個々の政策的判断を加味して意志を決定し、活動すべきです。
 市・行政との「なあなあ」「馴れ合い」が議会のチェック機関としての役割を低下させ、住民本位の視点からかけ離れていったと考えます。また、何でも反対、反対の「反市長」的な考えだけにもとづいた判断、行動も住民本位とは言えないと考えます。


A 議員になるということは、あくまでも政策を実現するという目的達成のための手段です。私の見た中では、議員になること自体が目的の方々も多くいます。なった時点で目的達成ですから、あまり活動が積極的に見えないのだと思います。
 政策を実現するのが目的です。つまり、目的さえ実現できれば、その時点で後進に道を譲るべきで、私はそうします。また逆に、目的を達成するためには、無謀な選挙であっても出馬し、政策をどうどうとアピールし、判断を仰ぐべきだというのが私の考えです。


B 地方議員の政党所属については、色々な意見がありますが、政党の理論がその地域の実情にあっていないものも少なくありません。また、ある政党では、地方議会にまで中央政党の理論をもって言論を行い、政策決定し、政治活動としています。
 政党に所属し、政党にお世話になっている議員にとっては当然なのかも知れませんが、私は、政党基本主義であり議院内閣制をとっている国政と違い、厳格な二元代表制である地方議会においては、政党基本主義ではなく、地域の実情基本主義であるべきだと考えていますので、無所属で活動しています。

 また、私が無所属ではなく、「完全無所属」と名乗っていたのは、多くの保守系地方議員が自民党の党籍を持ちながら、選挙の時だけに、票を狙って「無所属」を名乗っているので、混同されないために「完全無所属」と名乗っていました。

 ただ、だからといって、政党政治の全てを否定しているのではありません。日本の政治を司るのは政党であり、政党や政党所属国会議員の思想、言論にも重要な意味を感じています。このような事から、私の内心での支持政党、頼りにしている政党はあります。


C 当選したらそれっきりの議員サンが多いのも確か。やることはやっているのに、恥ずかしいのか照れ屋なのか、世間受けしそうなことだけを、その時、その時にビラに書くなどしてPRする議員がいます。
 議員は政策や考えを訴えて当選したのですから、当選してから常に自分の政治的言動を住民に知らせるべきです。
 本来は当選後、きちんとこの報告さえしていれば、選挙運動などしなくても余裕で当選することができるはずです。(上位当選するには、それなりの活動をした上で報告をしなければきつい。)
 私はこのような考えのもと、毎月、「石川ただよし報告」を市内に数千部発行しています。このHPもこのような考えのもと、作成しています。

D 選挙に金は必要ありません。確かに自分流の選挙ができるのは、せいぜい20万人以下の市議会議員選挙かも知れませんが、選挙に金をかければ、やはり、「金のある者」しか立候補ができなくなってしまいます。 また、選挙で使った金をその後の議員活動で”回収”する議員もいたということで、政治腐敗の温床にもなっているのです。
 私は実際に金がないということもありますが、できるだけ、簡素に金をかけない選挙を実践しています。

 
D 議員報酬を引き下げるべきだとか、議員年金はいらないといった風潮がありますが、その意見には反対です。戦後の地方議会のあり方はシャウプ勧告などによって、占領軍が基礎をつくりました。そこでは、戦中までの選挙制度を基盤に、地方議会議員が名誉職化していたものを是正し、真に住民の為に働く議会をつくろうという狙いがあったのです。
 しかし実際には、議員報酬は低く抑えられ、生活保障がないために、地方議会の議席は地元の地主や社長、農業経営者などのいわゆる地域の名士が独占してきたのです。
 そして、決して現在でも、高いとは言えない(政令地方都市や人口20万人以上の市を除く)水準の報酬では、自称を含めて、前述のような地域の名士や資産家しか議員になれなくなってしまうのです。
 せいぜい、人並みの報酬がなければ、社会でバリバリと働いている人が、それまでの仕事を投げ打ってまで、しかも、当落が分からない賭けをしてまで議員を目指そうという人が出てこないのです。
 一部の限られた人しか現実的に立候補できないような制度にすることは反対です。


街づくりの基本的な考え方は?

 すべてが右肩上がりの社会は終わりました。少子高齢化から、高齢化した中での人口減少社会が到来しました。
 このような社会状況を先ず基本として押さえて、将来世代につけを残さない行政運営をすることが必要です。

 現代を生きる我々にとって、身の丈に合い、かつ将来世代の子供達にも継続してこの環境を残せる行政運営を求めていきます。

 人口が多ければいい。増やすことだけが必要だという考えはありません。全国的に人口減少化社会の中でインフラ整備をすることは、維持や管理のそれだけの負担を将来に渡って確保する保障がなければなりません。
 一過性の人口増でインフラを整備するよりも、今の域内人口を大切にし、交流人口などにより、市の財政を豊かにして、住民にサービスとして還元するのが行政の役割だと考えます。
 人口減少、ただそれだけであれば、需要に見合った行政サービスをすればいいのです。全体の人口減少対策は国にまかせて。
 問題なのは、人口減少の中で、少子高齢化が急速に進んでいくことと、今後、加速度的に急激に久喜市を含めた大多数の自治体の人口が減少するということです。このために、従来の社会保障制度などは崩壊しますし、行政のサービス需要に供給が追いつきません。

 単に人口を増加させることだけは求めませんが、少なくとも、現在の人口規模を維持しつつ、急速な少子高齢化や人口減少が起きないような政策を実行し、それぞれの負の面を吸収できる、持続可能なまちづくりを基本とします。

 そして、その上に立って、行政は行政でなければできないことだけを補完性の原則に従って行い、小さな政府を運営し、久喜市ならではの、久喜市でなければならない「街づくり」、「まちづくり」を進めなければいけないと思っています。特色ある自治体であると共に、住民の満足度が高く、しかも誇りをもてる久喜市でなければなりません。
 私の経験からもしても、横浜市民や神戸市民は、出身地を聞くと必ず胸を張って「横浜」「神戸」といいます。世田谷区民もそうです。本当は横浜市や神戸市などの近隣に住んでいるだけなのに、自分では「横浜」「神戸」と自己紹介する人もいます。
 住民が自分の住む自治体名や出身地を他人に言ったとき、誇りを感じたり、多少の優越感を感じるような久喜市としたい。

加筆
平成18年3月1日