不妊手術を学ぶ

西山裕子獣医師より転載許可を頂きました。




西山裕子獣医師略歴

1984年北海道大学獣医学部獣医学科卒業。1986年同大学獣医学部修士課程修了。
東京および北海道の動物病院で小動物臨床に携わる一方で、動物愛護・野生動物保護・イヌネコの 過剰繁殖問題に取り組み、地域の市民グループとともに活動を行う。1989年無獣医村の小笠原島で イヌネコの不妊去勢手術をボランティアで施行する。同島では半野生化して増殖した野良猫を捕らえて 手術し、野生に帰すという「愛護的」な方法で全国的に話題となった。
人間の都合で増やされ、捨てられ、安楽死させられているペットたちの現状を反省する声が高まった。

1990年渡米。1994年までロサンゼルス郊外のウッドランド市で、イヌネコの皮膚科専門病院に 勤務。同病院では副腎皮質ホルモン(ステロイド)や抗生物質が乱用される現代の医学体制を 見直し、正しい食物と体質の改善、ビタミン、ハーブ配合のナチュラルシャンプーを使用した 正しいグルーミングなどの総合的なケアを重視しており、動物や環境に安全な診療体制が高く 評価されている。

1995年アメリカ合衆国獣医師国家試験合格。
現在、アイオワ州立大学獣医大学病院に客員獣医師として勤務中。


初めに


日本人は自分のペットの不妊手術をするかしないか迷う人が多い。
手術はかわいそう、1回くらいは子供をうませてあげたい、オスだから必要ない、メス1匹だけで 妊娠しないから必要ない。あるいは手術の事故で死んだ話を聞いたから、など人によって 理由はさまざまである。

現在、アメリカでは全ての犬とネコになるべく早期に不妊手術を行う事が奨励されている。 実際にアメリカ人は不妊手術に対する認識が非常に高く、普及率も日本よりずっと高い。 アメリカでは、所得が高いほど不妊手術をする人が多いとされており、低所得の人達、発展途上国 から移民してきた人達の間では、不妊手術に対する関心が低い。


不妊手術という言葉について


犬やネコに手術を施し、子を産む事が出来ない、あるいはうませる事が出来ないように する事を総称して「不妊手術」と呼んでいる。 メスの場合「避妊手術」と呼ぶ人もいるが、動物の手術は基本的に永久に生殖不能にするので、 不妊手術と呼ぶのが正しい。人間のピルやコンドームのように一定期間妊娠能力を不能にする もののみ「避妊」と呼ぶべきある。

また、オスに「去勢」という言葉が寛容されているが、この語彙の持つニュアンスが過激である為、 私個人として、この言葉は好きではない。ここでは、オスもメスも「不妊」という言葉を用いたい と思う。


不妊手術が奨励される理由

大きく4つの理由があげられている。

医学的な理由

不妊手術を行う事で、オスもメスもより健康的に長生きする事が出来、多くの病気を 予防できるメリットが医学的に証明されているからである。
メスでは子宮蓄膿症、卵巣ガン、子宮がんといった病気が予防できる。

子宮蓄膿症は子宮内に膿が溜まって、その毒が全身に広がり致死率が 高い病気。また、犬の乳腺腫瘍は50%が悪性で、胸や腹部にガン細胞が 転移して死期を早める。腫瘍が起こると、悪性の場合 を考えて通常乳腺腫瘍全部を摘出する大手術が行われる。

犬が2回発情してから、不妊手術をすると、乳腺腫瘍の発生 率が4分の1になり、1回の発情後では12分の1、また発情がくる前に不妊 手術をすると200分の1まで、発生率を下げる事ができる。

不妊手術後の犬は子を産むことができないので、妊娠出産の 病気も防ぐことができる。妊娠中毒症、難産、帝王切 開、また出産後の乳熱などで命をおとすことがなくなる。

オスでは精巣腫瘍、精巣上体腫瘍、肛門腫瘍といった病気が 予防できる。精巣腫瘍は多くの場合悪性ではないが、 セルトリ細胞というエストロジェンホルモンを分泌する細胞が精巣内で 異常増殖し、過剰のホルモンを生産することで犬に害を及ぼす。 血液を造る骨髄を抑制して、悪性貧血から死に至るこ ともある。

また、不妊手術をしないオス犬の60% は5歳を過ぎると前立腺肥大になる。これは、尿道を圧 迫して排尿を阻害し、慢性の膀胱炎や腎臓感染、残尿感という痛みや不 快感の強い症状を伴う。前立腺肥大症には、女性 ホルモン薬が一時的には効果があるが、長期的に効く薬はない。 その時点で、外科的に精巣を取り除く(不妊手術)の が唯一の治療方法になる。

一方、オスもメスも多くの病気が発情やホルモンに関係しているといわれている。 アトピーをはじめとするアレルギー体質は体の免疫機構の異常に 由来しており、性ホルモンの周期的サイクルという「内因性のストレス」 を取り除く事で軽減する。多くの自己免疫性疾患、ア レルギー性皮膚炎、アカラス症、外耳炎、その他慢性の病気、周期的に 発生する疾患は内因性のストレスを取り除くことが、治療の第一歩であ る。

遺伝学的な理由

現在、犬の遺伝病が非常な勢いでクローズ アップされてきている。純血種、特に血統書付きの犬 は、インブリード、ラインブリードという近親交配を続けた結果、生物 学的にのぞましくない遺伝子が顕在化し、さまざまな病気が、いわゆる 「犬種病」として認識されるようになった。1994年にすでに300種類以上の 気が遺伝病と認識され、その数は 毎年急速に増加している。一口に遺伝病と言って もさまざまな形態がある。たとえばドーベルマンのA型 血友病は純粋に遺伝子に」よって伝播されるものであるが、大型犬の股 関節形成不全はその素因が遺伝的に親から伝播され、食事や環境といっ た、2次的な要因によって、症状が多様化する。

また、遺伝病が劣性の遺伝子に乗っている場合には、全く症状を表さな くても、遺伝子の組み合わせにより、その子孫に病気が発症する。 これ らを総括して、犬の遺伝病、犬種病と呼ばれている。 それ故、犬を繁殖に使用する前に厳しくチェックし、子孫に病気 が伝わるのを予防しなくてはならない。遺伝病の事を 考えないで繁殖し続けると、日本中の犬に遺伝病が蔓延してしまう。 生れた時は症状を表さず、数ヶ月から数年して初 めて、遺伝病を持っていいると判明することも多々ある。劣性遺伝子の 場合は病気の「キャリア」と称し2代、 3代と世代を溯って、初めて遺伝病の事実を判明する事もある。 病気が判明した時は既に、多くの子孫を作っており、 数え切れないくらい多くの犬に、その遺伝病が広がっている事も少なく ない。このように恐ろしい勢いで、潜在的な病気が広 まるのである。

股関節形成不全やアトピーのよう な遺伝病を持っているからといって、即安楽死するということではない。 その犬は病気の治療を受けながら天寿をまっとうする事が 出来る。大切なのは、遺伝病を有すると判明した犬を、 決して繁殖に使用してはいけないという事。さらに、 専門家によって遺伝病の調査や診察を受けずに、決して犬に子供を産ま せるべきでない。というのが、現在の獣医師の一致した見解である。 それ故、ブリーダーのように犬の繁殖を専門とし、し かもきちんと遺伝病に精通した人のみが犬の交配繁殖を行うべきで、そ れ以外の一般の人は純血種も雑種も不妊手術をする事が強く奨励されて いる。
「一回くらいは、子供を取りたいわ」と言 って子を産ませると、非常に高い確率で遺伝病が子に伝授される。 誤っ て事故的に妊娠してしまう場合も含め、専門家以外は決して犬を繁殖さ せるべきではないのである。私は、別にブリーダ ーを批判している訳ではない。 実際に、本当にいぬを愛しているブリー ダーの勉強熱心さ、犬に対する愛情、獣医師とのコミュニケーションに は頭が下がる。しかし、残念ながら一部のブリーダー は医学的なことは二の次で外観、容姿、あるいは利益を追求しているの も事実である。本当に犬を愛するブリーダーなら 遺伝病も勉強し、それをもとに繁殖計画をたてなくてはならない。 同時に、獣医師の側にも遺伝病の知識の普及が要 求されている。 遺伝病の診断の仕方、種類、早期発見法方など勉強不足 の獣医師が多いのも事実である。アメリカでは、 30年以上前から、股関節形成不全のレントゲンによる事前診断を実用化 している。大型犬の血統書の発行に股関節の診断が義 務づけられている。 また獣医眼科スペシャリスト達は遺伝性の眼科疾患 の早期診断法を確立し、診断証明書の発行と普及活動を行っている。 遺伝病は早期に食い止めないと、ネズミ算式に広 まってしまう。 それは、犬にとっても飼い主にとっても悲劇で ある。誤妊娠を含めて遺伝病が広まるのを防ぐに は、正しい知識の普及と不妊手術の徹底である。

行動学的な理由

不妊手術をすると、オスもメスもその行動 に変化が生じ、おとなしくて飼いやすい犬になるという特典もある。 オスもメスも、縄張り意識が減少し、来客に吠えたり噛み付いたりことが少なくなる。

家の中に排尿していわゆるマーキングの匂いを残す、というような行為も予防できる。 闘争心が和らぐ為、公園や道端で出会った他の犬と取っ組み合いのケンカを始 めるような事も少なくなる。

特に住宅が密集している地域に住む住人は、犬の吠え声は近所迷惑になり、 隣人の苦情からやむなく犬を保健所へということも珍しくない。

不妊手術は犬の夜の遠吠え通行人に向かって吠える行為を抑制する効果がある。 また、人間の足や柱にしがみついてマスターベーションをする行為も予防できる。

道路に飛び出して交通事故に遭う犬は圧倒的にオス犬が多いが、 その80%は不妊手術されていないという結果が出ている。

メスの場合は発情がなくなるので、周期的な出血がなくなる。 発情期は人間の生理の時と同様に気分にムラができ、急に子供や来客にかみつく という事故が発生しやすくなる。

日本でもアメリカでも、毎年何十万匹という犬が保健所に持ち込まれる。 成犬の場合、飼い主自ら自分の犬を持ち込む場合がほとんどである。 その理由の第一は犬の行動に理由がある。

子供に噛みついた、来客に噛みついた、吠えてうるさい、近所から苦情 が出た、など。人間社会で一緒に生活する以上、犬も最低限のマナーを 守れないと生きていけない。健康で活き活きとした若い犬が自分の性的な 本能に従った、と言う理由で安楽死されるのはあまりにも悲しい。

不妊手術をすることで、このような悲劇を減らすこと が出来る。但し、性的に成熟した犬は、性的な本能から発展して大脳で学習して、 さまざまな行為を学ぶ。一度遠吠えの習慣がついてしまった犬、テリトリーの意識 を学習してしまった成犬は、不妊手術後も行為を続けることが多い。
性的に成熟する前、吠えるというような行為が習慣づく前に、不妊手術を するのが望ましい。

社会的な理由

現在、日本でもアメリカでも犬が過剰に余っており、毎年おびただしい 数の犬が「誰ももらってくれない」という理由だけで安楽死されている。
アメリカでは約5300万頭犬が飼われており、毎年約500万から900万頭の健康な犬が、 貰い手が見つからずに安楽死されている。(The Fund for Animalsの1993年の資料に よる)
日本では、約981万頭の犬が飼育され、年間約41万頭が保健所で殺処分されている。 (1996年動物実験の廃止を求める会による)。残念ながら、日本では直接保健所に 持ち込むをためらい、神社や山に捨てたり川に流す人もいると推測され、実 際の不用犬の数はこの数倍にも跳ね上がると予想できる。

有り余っている動物達。
これはMIX犬のことだけを話しているのではない。保健所で安楽死される犬の中 には、立派な純血種がたくさん含まれている。 せっかくこの世にうまれてきても 誰ももらってくれない、というだけで健康そのものの可愛らしい犬が、 年間何十万頭と、殺処分されている。 これは大変な社会問題である。
犬は一回の出産で複数の子を産む。一回だけ子犬を出産させたとしても、 2頭(父親と母親)という人口から倍になる。 通常、犬は年2回妊娠し、数年続けて仔犬を仔犬を産むことができるのだ から、いかに犬の人口をコントロールするのが大変か理解できると思う。
例えば、一回だけ出産させ、5頭の仔犬が産まれ、里親を探し て一頭残らず、仔犬がもらわれたとする。 自分で保健所に持ち込んだわ けではないので、犬の人口過剰問題は関係ないと思うかもしれない。 し かし、あなたから仔犬を引き取った人は、保健所に行って安楽死される 運命の犬を救うことができたのである。 41万頭という数字は一人が作っ たのではなく、一人一人の身勝手な繁殖が積み重なってできたものであ る。

不妊手術は獣医師が社会的に貢献しなくてはならない責務 である。 不妊手術を奨励し一頭でも多くの犬に手術をすること以外に、 この人口過剰の悲劇を救う方法はない。一方、手術すると犬が 太るという理由で手術を拒む人がいる。 確かにホルモンの影響がなくな るので、必要摂取カロリーが以前より減少する。 しかし、犬の肥満は食 餌と運動量に原因している。 手術をしたから太るのではなく、手術後に 正しい食事と運動を怠った結果、肥満が発生するのである。 正しい食餌 と適度な運動をつづける限り、肥満を心配することはない。


でもやっぱり、かわいそう


「でも手術はかわいそう」、と思うのは飼い主として当然の感情であろう。 残念ながら100%完璧な手術というのは存在せず、ごく少数の動物は手術の 事故で命をおとしているのも事実である。

外科手術に代わって内科的に、例えば注射一本で不妊あるいいは避妊することが できるのなら、もちろんその方法がベストであろう。 現在、非外科的な不妊方法が研究されつつある。 しかし、多くの場合ホルモンを 使用する事になり、ホルモンの長期使用はいずれも危険な副作用が高い確率で 発生する為、どれも長期的には奨励されていない。

ホルモン薬の埋め込み方など一部実用化もされているが、その安全性は完全には 証明されていない。
何より、不妊手術は全世界で過去何百万頭という犬に行われ、もっとも安全度が 高いと臨床的に証明されている方法なのである。 安全で副作用のない不妊注射の開発されるその日まで、手術以外の方法を求めるのは かえって危険であるといえよう。

不妊手術で死亡した犬の話をおそらく聞いた事があると思う。 しかし、不妊手術の失敗率、麻酔事故率は年々低くなってきている。 また、獣医師の腕にもよるし、使用する麻酔や器具の種類によっても大きく異なって くる。 それ故、正しい獣医師選びが重要なポイントになってくる。 一般には手術の費用や執刀する獣医師の年齢や人柄が、必ずしも手術の腕前と 一致するわけではない。

近年、日本もアメリカも医療に関わる誤解やミスにより、訴訟にまで発展する ケースがふえてきている。それ故、インフォームドコンセントと称して獣医師と 飼い主がきちんと事前に話し合い、獣医師は医療行為(不妊手術)について正確に 説明し、飼い主の質問に関しては隠さず全て答えることが、日常的に行われるよう になった。

飼い主は手術の細かい部分まで質問する権利があり、獣医師はその質問に 対して分かりやすい言葉で説明する義務がある。
獣医師に不妊手術の質問をする時、次の事項を参考にするとよいと思う。


不妊手術はどこを切る手術か


メスの場合、卵巣だけとるのは20年前の方法。
子宮と卵巣を全部摘出するのが正しい。 腹部の真ん中を切るのが、もっとも痛みの少ない方法とされている。 オスの場合は陰嚢を避けて、付け根の全部を切ることになる。
切開線の大きさは、小さければよいというものではない。 特にメスの場合は最低でも4センチは切り、腹部を大きく開いて手術する べきだというのが最新の見解である。
小さい切り口だと内部がよく見えず、出血している血管を見逃したり子宮や 卵巣を一部取り残して、後遺症が出ることが心配される。 特に、子宮はほんの少しでも取り残すと、晩年子宮内膜症や腫瘍の発生が頻発する。 小さい切り口を誇る獣医師は時代遅れといえよう。

手術の切り口は、非吸収性の糸やワイヤーで縛った場合、10日後に抜糸が 必要である。 吸収性の糸で埋め込み方法で縫合すると、抜糸の必要はない。 外科用のホッチキス、あるいは外科用の接着剤やテープも近年頻繁に用 いられている。
どれを用いるかは、獣医師の好みであり、どれが勝っているともいいがたい。 しかし、どの方法でも必ず滅菌消毒された新しいパッケージのものを使うべき である。 経済的な理由のために複数の動物で共有するのは、モラル的にも受け入れられない。


手術をする年齢について


前述のように早いほど不妊手術のメリットは高い。
アメリカでは生後3.5ヶ月から、遅くても6ヶ月までというのが一般的で、 特に最近では早期手術といって生後8週齢の仔犬でも行われている。 手術自体も行いやすい。

獣医師に不妊手術の最適年齢を尋ね、「初回発情が来てから」という20年前の方法を 答える獣医師は、手術方法も20年前のものと考えたほうが良い。


手術前後の絶食について


麻酔の進歩に伴って、手術の絶食時間も劇的に短くなってきた。 特にガス麻酔に気管チューブを使うのが常識化し、術中の嘔吐の心配が軽減 している。
手術前12時間の絶食はもう10年前の話。 現在では6時間前後の絶食で、 水は飲んでもよいというのが獣医師の一致した見解である。 特に、若い犬は絶食時間が長いと、低血糖症が発生する。

同様に手術後も、「今夜は何も与えないでください」というのは時代遅れ。 覚醒の早いガス麻酔を使う限り手術後は素早く回復し、逆に栄養価の高い、 吸収のよい食餌を、なるべく早く与えるのがよいとされている。


手術後の薬について


医師、獣医師による抗生物質の乱用が社会的な問題になって久しい。 抗生物質を多用すると、イタズラに耐性菌を増やすばかりか、本当に重度の 感染症の時に効果がなくなる。

不妊手術は健康な動物に対して行うので、現在アメリカでは不妊手術に抗生物質は 一切使われなくなっている。 ただし、完全に滅菌消毒した器材を使用し、縫合糸など個別に滅菌包装された 使い捨てのパッケージを使用するのが原則である。
もし、手術後に抗生物質を家で服用するように言われたなら、手術器具や材料の 滅菌方法を疑ってみることである。 逆に、手術後に痛み止めの薬を、必要に応じて処方する獣医師が増えてきている。 ペインマネッジメントと称して痛みを考慮すると、手術後の回復も早くなることが、 医学的に証明されている。


事故死について


麻酔の事故、あるいは手術中の事故は、どうしても発生する。 が、その数はまれである。 また、事故の発生頻度も獣医師の所有する器具、手術前の診察、手術方法などに より大きく異なるのも事実である。
手術前の動物をよく診察すると、例えば心臓音、腹部の触診、あるいは眼の異常を 認めると、精密検査を行って隠れた病気を発見できる。 簡単な血液検査を行ってから不妊手術をする獣医師も多い。

ろくに動物を診ないで、いきなり麻酔をかけると思いがけない病気のために、 死亡する場合が出てくる。
不妊手術のために来院した時、既往症やアレルギーの有無、食餌や運動量、 住んでいる環境などを詳しく聞かれないとしたら、動物の診察を丁寧に行っていない 可能性があるだろう。


手術をしないで飼う場合


犬は人間と違って本能で繁殖を行う。 それ故、発情期があり、その時以外は交配は行わない。 発情期のない人間は逆に、繁殖以外の目的で娯楽としてセックスを楽しむことが できる。 人間にとって繁殖(セックス)は、もはや本能ではなくなってしまった のである。

本能とは、生きるか死ぬかという限界の状況でも、持ち続けるものである。 人間の本能に 「食欲」があるが、餓死寸前の人間はセックスはしなくても、 他人を押し退けてでも食物を口にしようとする。
犬の発情を人間の食欲と同様に考えていただきたい。 発情期の犬を交配させないというのは、近所からにおってくるおいしそうなにおい を嗅ぎながら、独りじっと耐えることである。 空腹状態で目の前の豪華な料理を眺めるだけ、という状況を想像していただきたい。

不妊手術をせずに交配させないのは、犬の本能を考えると手術よりもずっと 過酷であり、拷問に近いと言えないだろうか。 犬と人間は根本的に違うというのを認識してほしい。

人間はもう数千年も前に犬を家畜化し、そしてペットとして一緒に暮らすようにした。 それが良いか悪いかは別として、その時以来、人間には犬の世話をする責任と 義務が生じてしまった。
犬が野生であった時代には、8頭生れた仔犬のうち成犬になれたのは、 おそらく2頭程度であったろう。 犬の寿命もせいぜい5年程度で、乳ガンを心配する前に死んでいたに違いない。
しかし、犬は現在、人間と生活して狩りに出ることもなければ、 外敵に襲われる心配もない。 生れた仔犬は皆元気に成長する。 ホルモン異常やガンをはじめとする高齢の病気、更に遺伝病の心配をしなくて はならなくなった。

不妊手術は確かに自然ではない。
しかし、犬をペットとして飼う限り、その犬の健康と幸せを維持する義務 がある。 不妊手術は犬の幸せのために行われているものである。 不自然だからかわいそうだから、と思うのは人間の方であり、そもそも野生動物を ペット化してしまったのが、不自然の始まりであろう。

動物病院の診察室では時々、とても悲しい事実に出遭う。 遺伝病のために1歳で両方の視力を失った犬、交通事故で血を噴きながら 死んでいった若いオス犬、乳ガンで命を落とした犬。 不妊手術さえしていれば予防できた病気に出遭うたび、私は心の中でそっと 手を合わせて犬に謝るようにしている。
不妊手術がもっと普及して1匹でも多くのペットが、健康に幸せに生きられることを 心から願っている。

(西山 ゆう子)