わんだふるはうす、森戸海岸線を行く

横須賀から大磯まで、湘南の海岸沿いを東西に走る国道。それがルート134号線。葉山御用邸前から逗子の渚橋まで海沿いを行く森戸海岸線(県道207号線)。湘南でサーフィンする人なら必ず通るこの2つの道路を、2005〜2006年にかけて、ワンダフルハウスが走破しました。このコーナーでは、葉山御用邸から森戸海岸までご案内いたします。


一色海岸

葉山御用邸前
葉山御用邸前交差点を通過。左が御用邸、右が葉山警察署。そう、葉山署には御用邸の警備という重要な任務があるのです。ワンダフルハウスは直進して、海回りの県道207号線(森戸海岸線)に入ることにしました。葉山の山側から御用邸へ抜ける国道134号線が昭和5年に開通するまでは、森戸海岸線が行幸道路でした。 現在の行幸道路・R134は右折して山回りとなります。森戸海岸線とは逗子の渚橋交差点で再び合流することに。天皇ご一家は、横横(横浜横須賀道路)→逗葉新道→134号線のコースで御用邸にご到着。
葉山御用邸
御用邸とは、天皇御一家の別荘のこと。那須(栃木県)、葉山(神奈川県)、須崎(静岡県)に設けられています。葉山と皇室との関わりは、明治時代にまで遡ります。予防医学の見地から、日本に保養の思想を導入し、天皇家の侍医でもあったドイツ人医師エルウィン・フォン・ベルツ。ベルツが「葉山は気候温暖にして風光明美。近代的な保養地として整備すべき」と強力に宮内庁に推奨。これを受けて明治24年に有栖川宮別邸、明治26年に北白川宮別邸が建てられ、明治27年に葉山御用邸が竣工となりました。昭和46年に焼失しましたが、昭和56年に再建。平成18年、葉山御用邸は創設112年目を迎えました。
明治天皇が葉山御用邸をお使いになることはありませんでした。大正天皇は頻繁に御滞在。病気療養のため、大正15年8月10日、葉山御用邸付属邸に行幸されました。 しかし、12月25日午前1時25分、弱冠47歳で崩御されました。13日よりお見舞いのため御滞在中の皇太子・同妃両殿下(昭和天皇・皇后)は、直ちに「践祚(せんそ)」の儀を行われ、同日午前3時10分付属邸において天皇の位を受け継ぎ、昭和と改元されました。昭和の年号は葉山で生まれたのです。現在、この歴史的な「践祚の間」は移築され保存されています。また、葉山御用邸付属邸のあった跡地、現在の葉山しおさい公園入り口には、昭和改元の地を記念して、「践祚の碑」が建てられています。昭和天皇は、葉山の海で海洋生物の研究を熱心にされ、生物学者であった昭和天皇の研究成果は、御用邸近くの葉山しおさい公園に公開展示されています。平成天皇は1〜2ヶ月に1度のペースで葉山を訪問されているようです。
御用邸横の路地から海に向かいましょう。 葉山警察署横にある蕎麦屋「如雪庵 一色」。小麦粉などのつなぎを使わず水だけで打つ生粉打ち蕎麦と、手漉き和紙で3日3晩かけて自然濾過した純度の高い胡麻油で揚げた天ぷらが味わえる生粉打天盛(2100円)がおすすめ(^Q^)
海岸に出ました。ここはもう一色海岸です。御用邸前には小磯と 呼ばれる磯が広がっています。 一色海岸正面。右のマンション群は芝崎海岸。
葉山しおさい公園方面を望みます。 おおっ! これは、ワンダフルハウスが好きな、ラーメンや焼きそばの幟が立つ従来の海の家とは違います。フードメニューやBGMのセレクトにこだわり、時にはライブも行う”ニュースタイル海の家”「海小屋MANA」。オーナーはイベントプロモーター、音楽担当はジャズピアニスト・山下洋輔さんの元マネージャーだったイベントプロデューサー。本格派エスニック料理が楽しめます。海水浴客より、犬の散歩がてら立ち寄る近所の人が多いようです。
一色海岸側に赤い鳥居がある大きな岩が見えます。 天皇・皇后両陛下、皇太子ご一家が散策される小磯の鼻。一色海岸と大浜海岸を分ける岬でもあります。
小磯の鼻の正面にある、恐竜の背骨のような岩礁「葉山スコリア」。スコリアと呼ばれる火山放出物と柔らかい泥岩とが重なってできた地層が、地盤の変動によって隆起し、波に洗われてスコリア層だけが残ったものです。 一色海岸の先にある芝崎海岸。
大浜海岸と長者ヶ崎方面。左の方に見える赤い橋に行ってみましょう。
臨御橋。まるで皇居のお堀にあるような橋で、御用邸にふさわしい風情があります。サーファーが渡ってるのが葉山らしいですね。
下山川に架かる臨御橋から川上を臨みます。 こちらは川下。
この赤い鳥居は何なのか、わかりませんでした。
葉山しおさい公園
森戸海岸線に戻ります。進行方向左側に「葉山しおさい公園」の入口がありました。葉山しおさい公園は1987(昭和62)年6月、葉山御用邸に隣接した旧葉山御用邸付属邸の跡地に建設されました。
葉山しおさい博物館や日本庭園、茶室、黒松樹林などがある。中でも、池と景庵のある日本庭園(写真左)はおもむきがあり美しい。
昭和天皇の御下賜標本を中心とした博物館、茶室、約1000本の黒松、四季折々の花木などがある公園。
三ケ岡山を借景とした日本庭園に噴井(ふけい)の滝、海岸側は黒松林から富士山や伊豆半島が望め、茶室一景庵や潮見亭などの施設もある。
また、敷地内には「葉山しおさい博物館」があり、葉山周辺の海に生息する魚介類や海藻類などの標本や昭和天皇の御下賜標本や深海生物の展示とともに、ビーチコーミングの標本(笑)も展示されている。
石碑がありました。「大正天皇崩御・昭和天皇皇位継承之地」。ここは、大正天皇が崩御され、昭和天皇が皇位を継承された地です。昭和発祥の地として葉山町の史跡に指定されています。
「葉山御用邸附属邸の歴史」
この葉山しおさい公園は、葉山御用邸附属邸の跡地で、昭和62(1987)年6月3日開園し、面積は18000u(約5500坪)ある。 ここはもと、岩倉具定公爵・金子堅太郎伯爵・井上毅子爵の各別荘を、大正6(1917)年7月にお買上げになり、澄宮(現・三笠宮)邸として、大正8(1919)年6月に竣工したものである。
「大正天皇崩御の地」
大正天皇は、葉山御用邸をこよなく愛され、最後の行幸は、大正15(1926)年8月10日、附属邸で御病気のご療養のためであった。当時、たまたま本邸が関東大震災で損傷し、再建中であったため、附属邸への入御であった。陛下には以来、同邸において療養につとめられたが、同年12月25日、午前1時25分、遂に崩御されたのである。時に御年48歳であった。
「昭和天皇皇位継承の地」
大正天皇がが崩御された悲しみの中、旧皇室典範第10条の定めに従って、皇太子殿下(後の昭和天皇)は直ちに葉山御用邸附属邸において天皇の位におつきになられた。
新天皇陛下は、まず登極令(旧皇室令)第1条によって践祚(皇位を受け継ぐこと)の式を行なうため、剣璽渡御(けんじとぎょ)の儀を12月25日午前3時15分より葉山御用邸附属邸において執り行われた。また、宮城(皇居)賢所において同じ時刻に行われた。
第124代の皇位をつがれた新天皇陛下は、徳川侍従長、奈良侍従武官長、一木宮相以下を従え、伊藤式部長官の御先導により、静かに東京に向かわれた。時に御年26歳。尚、付属邸における剣璽渡御の儀式は皇族、政府関係者列席のもと厳かに行われた。
儀式における各役割は宝剣を捧持するもの、原侍従。神璽を捧持するもの、松浦侍従。御璽国璽(ぎょじごくじ)を捧持するもの、松井内大臣秘書官がその任に当たった。践祚の行われた部屋は、昭和56(1981)年11月再建された御用邸本邸の中へ移設されている。
ワンダフルハウスは入園料300円を払って中に入りました。初めに、昭和天皇が収集されていた多くの生物が展示されている葉山しおさい博物館」に入館。入口は旧付属邸の御車寄せを復元した立派な作りです。
御車寄せを入ると、巻貝が置いてありました。「耳に当てると、”しおさい”が聞こえます。」と書いてあります。確かに波の音が聞こえました(^‐^)
あちらの窓の中に展示物の一部が見えます。1階の漂着物の展示は、眼鏡や玩具など実際に海岸に流れ着いた物が展示され、地下に続く階段脇には、寿司種の貝類の展示など。階段を降りると、相模湾や葉山の海岸で生息する生物や昭和天皇御下賜標本として、ご専門であったサンゴなどの腔腸動物の他、ウニ、ナマコなどの棘皮(きょくひ)動物が展示され、様々な種類の海洋生物の姿が楽しめます。 博物館を見学した後は、園内を散策することにしました。博物館の隣に池があり錦鯉が泳いでいます。
公園内は、奥が黒松林、手前は旧附属邸の趣を残す日本庭園になっています。美しく整備されていて見事です。 「一景庵」の入り口。茶室のある一景庵では、庭を眺めながら御抹茶をいただくこともできます。
一景庵の向こうの建物は、1993(平成5)年に皇太子殿下のご成婚を記念して造られた「潮見亭」。中は休憩所になっています。 「噴井の滝(ふけいのたき)」。落差3メートルあり、裏山の三ヶ岡山を借景にしています。
パーゴラテラスに行ってみましょう。 順路に従って、黒松の林の中を通り抜けます。
パーゴラテラスに到着。
パーゴラテラスから見た一色海岸。 次は、しおさい公園隣りにある県立近代美術館に行くことにしました。
三ヶ岡山が近づいてきました。この先のカーブを左に曲れば近代美術館です。 昔懐かしい丸い赤ポストを発見! 葉山には、あちこちに残っています。
「神奈川県立近代美術館 葉山」が見えてきました。2005年7月9日〜8月28日まで展示されていた「アンテスとカチーナ人形〜現代ドイツの巨匠とホピ族の精霊たち〜」
ネイティブ・アメリカンのホピ族が精霊として信じる300を越す神々の姿をあらわしているものがカチーナ。儀式や祭で様々な役割と共にホピの人々によって仮面や衣装をつけて歌い踊られメッセージを伝えてきた大切な存在が人形として再現されているのがカチーナ人形。
このカチーナ人形に魅せられたドイツの画家ホルスト・アンテス(1936〜)のコレクションと油彩や版画などが展示されていました。
神奈川県立近代美術館 葉山
鶴岡八幡宮の境内にあり、1951年に開館した「神奈川県立近代美術館 鎌倉館」は国内で最も長い伝統を誇るモダン・アート・ミュージアム。1951年開館という歴史は国立美術館4館よりも古く、「鎌近(カマキン)」の愛称で親しまれています。年々増えるコレクションと大型化する展覧会企画に対応しきれず、1984年に北鎌倉に別館を開館。2003年、葉山に新館を建設しました。ここは、明治24年に旧有栖川宮邸が建設され、大正2年に高松宮別邸として継承された土地です。 道路を隔てた山側、奥に入った所に山口蓬春記念館があります。日本画家・山口蓬春(やまぐちほうしゅん1893〜1971)の画業を紹介する美術館で、蓬春の晩年の自宅でありアトリエであった土地建物です。
正面入口は建物左側にあります。ワンダフルハウスは、正面入口から美術館へ入らず、屋外彫刻を眺めながら奥へ進み、美術館の建物を回りこむようにして、海側へ抜けることにしました。 階段を上ると、中庭を隔てて左にエントランスホール。右にミュージアム・ショップ、レストランが別棟のように存在します。手前右側と左奥に屋外彫刻が見えました。
彫刻家の毛利武士郎さんは、2004年に死去。81歳。東京美術学校(現東京芸大)彫刻科を卒業。戦後彫刻界の代表的存在の一人でしたが、1960年代に美術界から遠ざかってからは作品をほとんど発表せず、“沈黙の彫刻家”と呼ばれていました。
吾妻兼治郎「YU−4」。代表作「YU(有)」シリーズの一つ。作品「MU(無)」は偶然アトリエの床に崩れて散らばった板の群からの発想であり、作品「YU」は、無の対立概念からの発想により創り出された作品。
エントランスホール。地下1階には、美術図書室があります。レストラン、ミュージアム・ショップ、美術図書室は、展覧会を見なくても利用可能。美術に関心がない方でも、葉山方面にお出かけの際は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。 反対側にあるミュージアム・ショップ。 美術家が特別に作ったオリジナルグッズが販売 されています。
ミュージアム・ショップ隣りにある、全席オーシャンビューの館内レストラン 「オランジュ・ブルー」。左端に散策路に降りる階段があります。
ここから散策路のスタート。階段を降りて海沿いの道を歩きます。 休憩用の東屋(あずまや)がありました。
おっ! 一色海岸のサーファーです!
こんな所に舟が置いてあります。実はこれも屋外オブジェなのです。 ワンダフルハウスは東屋で海を眺めつつ休憩しました。東家を囲む船を型取った西雅秋氏の彫刻作品「大地の雌型から」は、この場所で製作されました。
西雅秋「大地の雌型より」。西雅秋は、大地に掘った溝を鋳型にした作品や、鉄の原型を水中、地中、大気中に放置し、自然の作用によって生じる変化を留めた作品など、自然と深く関わった作品を制作してきました。この作品は、葉山最後の木造舟がコンクリートで抜かれて加わりました。葉山の土地にちなんで、海に生きる人々の生に共感を寄せ、その生活を記憶するために造られたものです。
さらに進むと、三ヶ岡遺跡がありました。美術館の建設に伴い、この地にあった三ヶ岡遺跡が発掘調査され、主に古墳時代から平安時代(4〜10世紀)にかけての集落跡・製塩跡が発見されました。 三ヶ岡山が見えました。美術館正面に周り込んできたわけです。ここにも屋外オブジェを2点発見。
富樫一「ハーモニーU」。 
大磯町在住の彫刻家・保田春彦の作品「地平の幕舎」。右後方に見える大きな石は…
李禹煥(リ・ウファン)「項」。李禹煥は韓国生まれ、日本大学文理学部哲学科卒業。以来日本に在住。彫刻「関係項」シリーズは 石ころと鉄板が同時に置いてある 彫刻シリーズで、原美術館横浜美術館の屋外にも「関係項」シリーズの作品が展示されています。
向こうに見えるのが正面入口。手前に水飲み場がありました。おっと、これも作品のようです。ホセイン・ゴルバの「愛の泉」。ホセイン・ゴルバは、イラン生まれ。イタリア在住の後、現在は東京に在住。フィレンツェ・ボーボリ公園にも水飲み場の作品が設置されています。
ワンダフルハウスは、水を飲むことにしました。このペダルを踏めば、水が出ます。 水の出口に人面が!
水が出ました! 大変実用的な彫刻です。しかし、今は8月。水がぬるくてマズいです。ワンダフルハウスは、口直しにオランジュブルーでアイスコーヒーとランチをいただくことにしました(^Q^)
ORANGE BLEUE
「神奈川県立近代美術館 葉山館」。背後に三ヶ岡山、目前に一色海岸が広がり、モダンな中にも葉山の自然と調和させたデザインが特徴です。併設のレストラン「オランジュ・ブルー」は間近に海を望む眺望の良さが売り。海に突き出すように建てられた、全席オーシャンビューの縦長のフロアはガラス張りで開放感にあふれています。正面に日が沈むロケーションなのでオレンジとブルーを掛け合せた店名になりました。
ワンダフルハウスはレストランの先端にあるテラス席に着席した途端、その景色の素晴らしさに言葉を失いました。目の前の松林と砂浜、背後の芝崎海岸の岩礁を1つの構図の中で観賞できます。この遠近感…全てが絵のように調和して、これこそ自然のアートなのだと思いました。この浮世離れした景色は…そう、ここは以前は旧有栖川宮別邸、高松宮別邸だったのでした。
こちらは御用邸方面。 こちらは芝崎海岸方面。
限定20食のプレートランチがまだありました! ワンダフルハウスは、これに決めました。 おっ、あんな所に1つだけ岩が…。
波が岩を隠し、やがて親子のもとに辿り着く。寄せては返す波を見ていると時の経つのを忘れてしまいます。
いつの間にかパンとサラダが届いていました。
本日のプレートは、サーモンの香草焼きアーモンド風味でした。
芝崎海岸に凄い波が…。あの様子ではマンション前の道路まで波飛沫が飛んできてると思います。 アイスコーヒーとプチケーキ。潮騒に包まれ、なんとも贅沢なひとときが過ごせました(^Q^) ワンダフルハウスは食後の運動のために一色海岸に下りてみることにしました。
近代美術館横の坂を下って、”ロイヤル・ビーチ”一色海岸を見に行きましょう。
葉山の海岸は、北はラ・マーレ・ド・チャヤのある鎧摺(あぶずり)海岸から、横須賀市に入る長者ヶ崎まで。 中でも、一色海岸に三ヶ岡山が迫るこの辺りは、海と山が静かな佇まいをみせてくれる、最も葉山らしい海岸と言えます。
8月の一色海水浴場。 時は流れて9月。海の家が取り壊されています。
御用邸前の小磯の鼻には、海水浴客に替わり、サーファーが戻ってきました。

三ヶ下海岸

ワンダフルハウスは、「神奈川県立近代美術館 葉山」を出発しました。 三ヶ下海岸というバス停を発見。
バス停の下が三ヶ下海岸。とても小さな海岸です。こちらは一色海岸方面。 次は、あちらの芝崎海岸を目指します。

芝崎海岸

左手に芝崎海岸へ通じる道が見えました。しかし、ここは、ご覧のように一方通行。左折することはできません。 一旦通り過ぎることにしました。
右側にペンション風の建物が。看板にご注目。 ミラクルフルーツ! ワンダフルハウスは”不思議な果実”ミラクルフルーツをいただくことにしました(^Q^)   
Pescatore HAYAMA
1985年にオープンした、地元の人たちの間では知る人ぞ知る存在の店。注目すべきはグミほどの大きさの赤い実”ミラクルフルーツ”。他にもカレーやピザなど家庭的な味が好評。 森戸海岸線沿いにありますが、海は見えません。
メニューにミラクルフルーツに関する説明が書いてあります。
「グミのような赤いこの実をなめた後、すっぱいものを食べると…あ〜ら不思議!とっても甘〜くなります。」
「ミラクルフルーツの中のミラクリンという成分が、舌の上の味を感じるところに吸着し、一時的に味覚機能に作用して、すっぱいものだけを甘く感じるようにします。」
実に不思議です。
注文した「フルーツパフェ」(1575円)が届きました。こんなに量があるのに、僅か98Kcalとは驚異的。ノンシュガー&ノン甘味料&低脂肪デザートなのです。「まず最初にミラクルフルーツの効果をお楽しみいただけるように、レモンを食べてみて酸っぱい味を確認してみてください。」と店員さんに言われて、レモンを一口…当然酸っぱくて食べられません(>_<) ワンダフルハウスは一口噛んだだけで、レモンを元の場所に戻しました。 これがミラクルフルーツ(学名Richadella dulcifica)。アフリカのガーナ〜コンゴにかけての海岸地帯に生殖するアカテツ科の植物で、この実を食べてから、酸っぱい物を食べると甘く感じる不思議な働きをする植物です。
いよいよミラクルフルーツを口に入れました。舌先で3分間転がします。テーブルの上には3分を計る砂時計が。ミラクルフルーツ自体にはほとんど味はありません。ワンダフルハウスは3分間パフェの具を眺めていました。グレープフルーツ、ピンクグレープフルーツ、オレンジ、パイナップル、キウイ、苺、リンゴ、プチトマト…結構具だくさんですね。 3分経過し、小さな種を口から出しました。
ワンダフルハウスは、先ほど戻したレモンを再びいただきました。ん ?…甘い!   これは驚きました。まさに奇跡です!\(^Q^) フルーツを平らげるとゼリー、その下に砂糖なしのプレーンヨーグルトが姿を現しました。甘党のワンダフルハウスは、砂糖の入ってないプレーンヨーグルトが大の苦手。ふたの内側に砂糖が入っているものしか買いません。しかも砂糖を全部入れる主義なのですが…あら不思議。無糖ヨーグルトも驚くほど甘く感じます!\(^Q^)/
おっ、何か飾ってあります。見に行きましょう。 ミラクルフルーツの苗木(1575円)。通販でも買えます。これを栽培してダイエットや健康維持に役立てている人もいるそうです。 学校教材としても重宝がられているとのこと。
「エスプレッソ」(525円)。店員さんに「砂糖なしでも甘く感じますか?」と聞いたところ、苦いものは甘くならないそうです。効果があるのは酸っぱいものだけ。効果は1時間くらい持続するので、この後すぐにお寿司などは召し上がらない方が良いと言われました。まさにミラクルフルーツマジック! ワンダフルハウスは不思議な体験をしました。興味を持たれた方はぜひトライを。
この信号を左に曲がって芝崎海岸へ向かいます。

真名瀬海岸

真名瀬(しんなせ)漁港が見えました。
真名瀬海岸を臨みます。正面に「デニーズ葉山森戸店」と裕次郎記念碑のある森戸神社。裕次郎御用達だった中華料理店「海狼」の入っているマンションも見えます。左に目を転じると、いよいよ逗子が見えてきました。逗子マリーナ、小坪の高台にあるSMAPの香取慎吾邸も見えます。小田和正邸〜松任谷正隆&由実邸〜反町隆史&松嶋菜々子邸が3軒並ぶ”逗子のビバリーヒルズ”披露山庭園住宅、逗子海岸を一望できる高台には石原慎太郎都知事邸も…全て別荘です。 ファミレスとしては全国No.1の偉容を誇る「デニーズ葉山森戸店」。別荘をファミレスにリニューアルしたので、和風庭園がそのままの形で残っています。海に突き出るロケーションと建物のカラーリングが素敵です。葉山には、御用邸滞在中の皇族がお忍びで来店する店がいくつか存在しますが、その中で最も意外な店の1つです。
あの洗濯バサミで吊ってある緑色の物体は何でしょう? あれが「葉山ワカメ」です!
葉山沖では毎年11月から翌年3月までワカメが養殖されています。葉山のワカメは、収穫後すぐに浜で湯通しします。湯通しすることで、味も衛生面も整い、長期の保存が効くのです。写真のワカメは、湯通ししたものを潮風で乾燥させてるところなのです。一番美味しいのは、湯通ししたばかりの生のワカメをしゃぶしゃぶ風にして食べる方法だそうです(^Q^)
「葉山しらす」で有名な「ゆうしげ丸」。「葉山しらす」は、葉山の海で朝捕れたシラスを天然の塩だけで釜茹でし、葉山の潮風と天日で干しあげたしらすです。 毎年1月1日から3月10日まで、しらす漁は禁漁になりますが、在庫は十分確保しているそうです。「天日干ししらす」「釜揚げしらす」「塩わかめ」「タタミイワシ」「ちりめんじゃこ」全て1品500円。こちらで買えます。 左カーブです。裕次郎灯台と名島が見えました!
ワカメの向こうに名島と裕次郎灯台が。この景観は、葉山の海のシンボルとも言えます。 またしても左カーブ。この辺は埋立地なので複雑な地形なのです。

芝崎海岸

スペイン料理店「コスタ・デル・ソル」が見えてきました。 この辺りは裕次郎灯台と名島の正面なのですね。
富士山です! 左から名島、江の島、裕次郎灯台、ミニ灯台。
小さな赤い鳥居の立つ名島(菜島)は葉山沖約500メートルに浮かぶ無人島で、龍神が祭られています。源頼朝は森戸海岸に別荘を建て、よく来遊したと言われています。名島は昔、海岸と陸続きでした。島には頼朝の泉水と言われる井戸の跡が残っています。夏の間は森戸海岸から渡し舟が出ています。海岸中央の赤い旗が渡し舟乗り場で、往復1000円。 名島の右手に見える白い灯台が裕次郎灯台(正式名称は葉山灯台)。逗子海岸の高台にある兄・慎太郎の別荘からも一望に見える位置にあります。ヨットマンだった石原裕次郎さんの三回忌を記念して、1980年から1993年まで日本外洋帆走協会の会長を務めた、兄の石原慎太郎さんが約1億円の基金を集めて建設しました。灯台のプレートには「海の男 裕次郎に捧ぐ 葉山灯台」と刻まれています。対岸の片瀬東浜〜七里ガ浜がハッキリ見えます。
夕陽が今は雲に隠れていますが、もうすぐ姿を現しそうです。 「コスタ・デル・ソル」に到着しました。
Costa del Sol
埋立地の先端にあるために、背後の三ヶ岡山の影が射すことなく、南向きの太陽が1日中降り注ぐ、葉山で最も温暖な芝崎海岸。年間326日の日照日があると言われるスペイン・アンダルシア地方の南にある”太陽海岸”コスタ・デル・ソルにちなんで店名が名付けられました。2階はNPOスクーバミュージアム
白い半円アーチが印象的なスペイン風の門から中に入ります。 左側に美しいディスプレイがあり、しばらく見とれてしまいました。
パエリアです!\(^Q^)/ 珍しいスペインワインもあります。
階段を上がります。
ワンダフルハウスは後ろを振り返った瞬間、この景色に息を呑みました。 小さなベルとスペイン風の白い小窓越しに、ただでさえ素晴らしい景色が更に映えます。
スパニッシュ様式の建築と日本的な風景が見事に調和しています。 ん? 左の小窓からオレンジ色の光が…
太陽が姿を現しました! 「コスタ・デル・ソル」とは、スペイン語で「太陽の海岸」という意味。その名の通りの見事な…実に見事な2006年2月のサンセットです。
日が沈みました。 美しいサンセットを堪能した後は、パエーリャをいただきましょう(^Q^)
スペインの洞窟の中を探険しているような、ムードのある階段を上ると、レストランに到着します。 「ブエナ・ビスタ!」(スペイン語で「素晴らしい景色!」)。店内は個性的な席が多いです。カマレロ(給仕)が「お好きな席にどうぞ」と言うので、ワンダフルハウス一行は、裕次郎灯台と名島を正面に臨めるこの席を選びました。
5250円のディナーコースメニュー
(2005年8月のものです。最新のメニューは、こちらでどうぞ)
本日の前菜
主菜(2人で1品選べる)
・小イカの墨ソース
・牛尾の煮込みアンダルシア風
・地鶏のチリンドロンソース
スープ(1人づつ選べる)
・ガスパチョ(冷製トマトのスープ)
・魚介類のスープ
・あさりのスープ
・にんにくのスープ
サラダ
パエーリャ
・ミックスパエーリャ
・地蛸のパエーリャ
・イカ墨のパエーリャ
わんだふるはうす一行は5250円のディナーコースを注文しました。 本日のデザート
ん? 何かが裕次郎灯台の前を通り過ぎました。 バナナボートです!\(^O^)/ 別名「シーロディオ」とも言い、バナナの形をしたゴムボートをジェットスキーで引っ張ります。みんなでキャーキャー言いながら落ちないように耐える遊びですが、2〜3回落とされます。夏の海水浴シーズンに森戸海岸から1000円で乗れます。
コカ・コーラ(650円)とクランベリー・ジュース(750円)。クランベリーの名前は、1620年メイフラワー号でイギリスからアメリカに渡ったピルグリム(清教徒・ピューリタン)が発見したフルーツの薄いピンクの花が、鶴(crane)のくちばしに似ている事からcran-berryと名付けられたことが始まりと言われています。アメリカではとてもポピュラーな果物で、 フルーツジュースでは、オレンジ、アップルに次ぐ3番目の消費量なのです。心臓病の多いアメリカでは、「コレステロール値が高い」と指摘されたら、スーパーに行ってクランベリージュースを買う、という位、クランベリーが悪玉コレステロールを減らして心臓病予防になるという薬効が認知されているからです。 本日の前菜が運ばれて来ました。オリーブとチョリソーです。 チョリソーはスペインが発祥地でイベリコ豚のサラミです。サラミでは最高の原料が使われています。パプリカの鮮やかな色と風味、カイエンペッパーの程好い辛味が特徴。 噛むほどに肉のコクと旨みが口中に広がり、伝統的な製法で作られた本物の味を楽しませていただきました。パエリアは生の米から作り上げるため、注文してから出来上がるまで40分はかかります。長いと思われがちですが、前菜→主菜→パン→スープ→サラダと食べ進んでいると、あっという間の時間でした。
続いて登場したのは、主菜の「牛尾の煮込みアンダルシア風」。いかにも自家製といった雰囲気で、テールのぶつ切りが、でーんと盛られて出てきました。赤ワインで煮てあって、もんのすごーく美味(^Q^) コルドバ料理のオックス・テール・シチュー(Estofado de rabos de toro)です。toro(トロ)は「牛、闘牛」の意味。オックステールの赤ワイン煮込みで、赤ワインの香りと牛尾肉の旨味が凝縮された一品。日本風に言えば、デミグラスソースに柔らかくじっくり煮込んだ牛テール肉が入ったシチュー。ゴロゴロした ニンジン、ジャガイモ、玉葱が入っていて、仕上げに生クリーム。日本人好みの一品ですね。 こちらのパンは「イベリコハーフバケット」でございます。イベリア半島伝統製法をそのままに再現したスペイン古式パンで、強く香ばしい皮の味わいは、ワインやチーズと相性抜群なのです。
アンダルシア地方の冷たいスープ「ガスパチョ Gazpacho」。キュウリやトマト、玉ネギなどを酢と油と塩とコンソメスープを混ぜ、ミキサーにかけた後、冷蔵庫でしばらく冷やし、その中にクルトンやトマト、パセリ、キュウリなどの、みじん切りを浮かせた暑い夏にピッタリのスープです。
具を入れて、ガスパチョの完成。右の「にんにくのスープ」はマドリッド地方の料理「ソバ・デ・アホ(sopa de ajo)」。ニンニクと玉ネギのスープでボリュームがあり体が温まるので寒い冬には最高です。
サラダはレタス・タマネギ・トマト・オリーブなどを盛り合わせたものに、ビナグレ(酢)・アセイテ(油)・サル(塩)がドレッシングとして、かけて混ぜ合わせてありました。 いよいよ、専用の大鍋でパエリヤが登場しました\(^Q^)/
この取っ手の付いた薄底の丸い鍋は「パエジャーラ」という、パエリア専門の鍋で、鍋の名が料理の名になりました。スペイン料理の中で一番知られていて誰にでも好まれるパエリア(paella)。日本では「パエリア」「パエリヤ」「パエーリャ」「パエジャ」「パエージャ」など色々な呼び方をされてますが、「パエージャ」が正確な発音に近いそうです。スペイン東部海岸地帯、米の産地バレンシア地方の代表料理で、魚介の旨味がしみ込んだ奥深い味わいのパエージャ。素材の旨みが凝縮された、最高の出来栄えでした。お米が色々な材料の味を吸って豪華で香り高い独特の美味しさを醸ししています。スペインには各地にいろいろな名物料理があり、それらを食べ分けるのがスペイン料理店の大きな楽しみの一つですね。
デザートの「クレマ・デ・レチェ 赤い果実のソース」。 アイスコーヒーとアイスティー。外がだいぶ暗くなってきました。
裕次郎灯台に灯が灯りました。 海岸線沿いに続く藤沢、鎌倉、逗子の夜景。国道134号線を走る車のヘッドライトの灯りも綺麗です。
コスタ・デル・ソルは、ドラマ「氷の世界」(1999年10月〜12月フジテレビ系)で江木塔子(松嶋菜々子)の婚約者で青年実業家の久松晧一(及川光博)が経営していた石川県金沢市の海辺のレストランとして登場。ミッチーのキャラに合ったレストランだと思いました。
ワンダフルハウスは「コスタ・デル・ソル」を出ました。堤防沿いの道を進んでいくと、昭和天皇が海洋生物の研究に打ち込まれていた、生態系豊かな芝崎海岸の岩礁に着きます。 左に曲ります。前方にご注目。
芝崎海岸の岩礁です! 400m四方ほどの浅瀬にいくつもの岩礁が見え隠れしています。芝崎海岸は、その良好な自然環境から、1995年、葉山町の天然記念物に指定されました。遠浅の海底地形は湘南屈指のダイビングスポットでもあります。
前方右側に海に下りる階段があります。 干潮時なら、ここから海に下りることができます。この磯は以前は島でしたが、現在では海岸側が埋め立てられてマンションが建設されたため、干潮時には陸続きになって歩いて渡って行けるようになったのです。
干潮です!\(^O^)/ ワンダフルハウスは海に下りて磯を探険することにしました。水が澄んでいます。看板にはこう書かれていました。
相模湾に面した、ここ芝崎海岸は、葉山層群の森戸泥岩層及び、森戸凝灰岩層からなる岩礁を中心とした磯で、転石地帯、砂礫地、砂地等、潮間帯付近ばかりでなく、潮下帯の地形も大変変化に富んでいます。

海洋環境については、黒潮の流れによる外洋水の影響を受けるため、潮通しよく、年間を通して透明度がよいといえます。また、黒潮暖流の影響で、真冬でも水温10度以上を保っているため、暖流系生物にとって冬は棲息しやすいところです。

向芝原(岸側中央部にある植物の茂った小高い場所)、その先に広がる岩礁を中心とした周辺水域の自然は残され、ここで観察される海洋生物は、貝類・魚類・海藻類その他多種多様です。
かつて、昭和天皇が幾度か当地へご研究に訪れ、ウミウシ類・ホヤ類・ヒドロ虫類の新種を多数発見された地でもあります。芝崎の岩礁のひとつである鮫島にちなんで「サメジマオトメウミウシ」と命名されたウミウシ類の新種もあります。
このように、芝崎海岸は調和した生物層を示し、海洋生物の宝庫となっています。したがって、芝崎海岸のすべての生物を保護することにより、調和が保たれ、生態系が守られます。そして、保護することによって繁殖したものは周辺海域へ拡散し、葉山海岸全域の海洋生物が豊富になるという広い意味をもちます。」
「黒潮の影響を受ける芝崎海岸の磯や海底は、岩礁、転石(ごろた石)、砂地、砂礫地など様々な地形が広がり、それぞれの環境に適した多種多様な生物が生活を営んでいます。とりわけ、転石地帯の潮間帯下部には、イソギンチャク、ウミウシ、ヒザラガイ、カニ、ホヤなどの仲間が多く、この中には貴重な種類も含まれています。干潮線以深には、アラメやカジメの群落が見られ、魚介類の成育にかかせない場所になっています。また、先端部から鮫島周辺にかけての浅海には、イソバナやヤギ類など、潮通しのより海域を好む腔腸動物の仲間が数多く生息しています。芝崎では、これまでに、海綿動物14種、環形動物(ゴカイ、カンザシゴカイなど)35種、軟体動物(貝、ウミウシなど)300種、棘皮動物(ウニ、ヒトデ、ナマコなど)34種、魚類137種が確認され、カニ類だけでも68種が記録されています。
満潮線と干潮線の間を潮間帯といいます。潮間帯は波の影響を受けたり、潮が引いた時は露出し、夏の炎天下、冬の気温低下など、生物にとって厳しい環境のように思えますが、数多くの生物が適応して生息しています。」
あれが向芝原です。行ってみましょう。 ワンダフルハウスは丘に上って景色を眺めました(^^)\
長者ヶ崎、御用邸方面。 沖合いには名島が大きく見えています。
ワンダフルハウスは防波堤沿いの道に戻りました。 向芝原は、すごく居心地が良い場所でした。
この辺は、波のある日は、防波堤を飛び越えて、マンションの入口付近まで波飛沫が打ち寄せることがあります。 三ヶ下海岸と一色海岸が見えました。
森戸海岸線が見えてきました。 ここを左折して…
森戸海岸線に戻ります。 再びペスカトーレ葉山の前を通過。

真名瀬海岸

先ほどは、ここで左折して芝崎海岸へ向かいました。今回は直進します。 真名瀬(しんなせ)海岸です! 小さな海岸ですが、葉山海岸のほぼ中央部に位置しています。
前方にメルズカフェが見えてきました。 右側に、トリミングとペット用品の店「ペットの家 ハート&ハート」。
MELL'S cafe
ワンダフルハウスはこちらで一服することにしました。 2004年3月にオープン。1階が駐車場になっています。2階のテラスにいる犬がオーナー夫妻の愛犬メル。
駐車場からの眺めが、ピクチャーウィンドウになっていて、見ていて飽きません。 階段を上って2階の店内へ…
テラス席もありますが、今は夏(2005年9月)。冷房の効いてる店内のカウンター席に座りました。
裕次郎灯台と名島が正面に見えます!
ワンダフルハウスは”本日のケーキ”「バナナシフォンケーキ」とアイスティーをいただくことにしました。 マスターの話によると、今日は台風が近づいているので海水が濁っているけど、普段は澄んでいるそうです。
サーファーがいました! ワンダフルハウスは葉山出身の世界的サーファー・佐久間洋之介がいないか探しました。メルズカフェの隣りは、佐久間洋之介さんの海小屋なのです
アイスティー(680円)とバナナシフォンケーキ。バナナをたっぷり使用して風味豊かに焼き上げたしっとりとしたシフォンケーキ。バナナ好きのワンダフルハウスも大満足の味でした(^Q^)
佐久間洋之介さんは、この真名瀬の海から世界に飛び立ちました。2001年1月、20歳という若さで、ハワイ・オアフ島にある世界有数のビッグウェイブスポット「ワイメアベイ」で20フィートを超えるビッグウェイブをメイクしたショットが、サーフィン専門誌「サーフィンワールド」の表紙を飾り、一躍脚光を浴びました。
室内からテラスに出てみました。真名瀬漁港が一望できます。ワンダフルハウスは海岸に下りてみることにしました。
ワンダフルハウスはメルズカフェを出て、海岸に下りてみました。季節は変わって冬(2006年3月)。干潮なので、岩礁の先端まで歩いて行けそうです。
あちらの御婦人は何を拾っているのでしょうか? これが葉山ワカメです! 海岸にたくさん流れ着いていました。
こっ、これは!? 御用邸裏の海岸でも見た、恐竜の背骨のような…これが干潮時に見える「葉山スコリア」です! スコリアと呼ばれる火山放出物と泥岩が重なってできた地層が地盤の変動によって隆起し、波に洗われてスコリア層だけが残ったものです。 岩礁の先端に着きました。
左より、名島の鳥居・葉山灯台(裕次郎灯台)・江の島・逗子マリーナ。
手前から森戸神社、葉山マリーナ、逗子の披露山庭園住宅。サブマリンドッグも見えました。 後ろを振り返ると…
あれが佐久間洋之介さんのボート小屋、通称「サクマ小屋」です1989(平成元)年、海辺の家しか扱わない、海の似合う客にしか売らない&貸さない、ポリシーを持つ不動産屋「佐久間不動産」を営む父親が1989(平成元)年に建てました。ここに葉山の海に生きる人々が連日連夜集い、大人の遊びを楽しんできました。そして、ここで様々なアーティストが作品を撮影させてもらい、数多くの雑誌に写真が載りました。
ワンダフルハウスは、メルズカフェの駐車場に戻りました。夕陽がまもなく沈みそうです。 先ほどまで見えなかった富士山が浮かび上がってきました。メルズカフェからの2006年3月の素晴らしいサンセットです。
メルズカフェから佐久間小屋に移動しました。
雑誌「Fine」でもおなじみだった佐久間洋之介さんは、1980年12月6日生まれ。「海洋に之(これ)を介(かい)する」=「国境がない」という願いを込めて命名されました。生後6ヶ月、七里ガ浜で初めての海を体験。葉山の海で釣り、潜りをマスターした後、14歳の時、長者ヶ崎で初めてサーフボードの上に立ち、サーフィンにハマりました。中学時代は波を求めて自転車で湘南中のサーフポイントを移動。16歳の時、初めてのハワイで波のデカさにカルチャーショックを受けました。2000年、ハワイ・オアフ島にある世界有数のビッグウェイブスポット「ワイメアベイ」で12フィートの巨大な波をチャージ。2001年1月、ワイメアで20フィートを超えるビッグウェイブをメイクしたショットが、サーフィン専門誌「サーフィンワールド」の表紙を飾って一躍脚光を浴びました。その後はサーフィンの他にも、サーフスケート、フィルムメイキングなど様々な分野で才能を発揮。海から発信されるカルチャーを牽引する中心的存在として活躍してきました。2005年12月12日、有限会社「YONOSUKE FILM」を設立。これからという矢先、生まれ育った葉山の海で、予期せぬ海難事故に見舞われ、帰らぬ人となってしまいました。2006年1月14日、鎌倉プリンスホテル・バンケットホールでセレモニー「インメモリーオブ洋之介」が行われました。長谷川理恵さんの最愛の男性でもありました
2006年1月2日、ここ真名瀬の海で育った、日本屈指のビッグウェーバー・佐久間洋之介さんが沖合でダイビング中に、不慮の事故により、真名瀬の海に帰られました。
このページを佐久間洋之介君に捧げると共に、ご冥福をお祈りします。
ワンダフルハウスはメルズカフェを出ました。 サクマ小屋を通過。
Ottimo(オッティモ)葉山本店とデニーズ葉山森戸店が見えました。まもまく森戸海岸です。

森戸海岸


むむっ、渋いオレンジ色のお洒落な建物が現われました。 こちらは、Ottimo葉山本店でございます。
地中海創作料理の店「Ottimo(オッティモ葉山本店)」。お酒や駐車場問題のため、送迎バスがあるのが便利です。JR逗子、京急新逗子、JR鎌倉駅前からOttimo間と、予約で逗子、葉山、鎌倉、横須賀一部地域の自宅までの無料送迎サービスあり。 看板がピクチャーウィンドウになっています! どんな景色が見れるのでしょう?
す…素晴らしい! 行列のできる地魚料理店「魚佐」。地魚が12種類乗る海鮮丼(1575円)が美味(^Q^) 入口は左奥になります。
デニーズに到着しました。ここが、海に面したテラスのあるデニーズとして、同じ森戸海岸線にある逗子のデニーズと双璧を成す「デニーズ葉山森戸店」です。 和風庭園のある豪華別荘をリニューアルしたので、そんじょそこらのファミレスとは格が違います。入口にアプローチするまでの優雅さを堪能してください。
デニーズ 葉山森戸店
ワンダフルハウスは階段の踊り場で足を止めて、周りを見回しました。
階段から庭園越しに真名瀬海岸が見えました。 サクマ小屋とメルズカフェです。
これが、ファミレスには不釣合いな日本庭園。 それでは、”皇室御用達デニーズ”に入ってみましょう。
季節は冬(2006年3月)から→夏(2005年8月)に変わります。
ワンダフルハウス一行は、店内を一周した後、暑いのを我慢して、テラスに座りました(:^-^A ご覧の通り、高い位置から海を見下ろす素晴らしいロケーションです。  桃のフレッシュジュース(季節限定)と、定番のキウイフレッシュジュース。デニーズの生ジュースは美味過ぎます〜(^Q^) ワンダフルハウスの一押しは、さくらんぼのフレッシュジュース(季節限定)です。 
葉山のデニーズの裏は海。別荘の名残で、海までボートを降ろす線路のようなものが残っています(写真左端)。 ワンダフルハウスは、デニーズを出ました。
デニーズから森戸海岸線を50mほど行くと、森戸大明神(森戸神社)の看板と鳥居が見えました。左折して神社に行ってみましょう。 左が駐車場、右の鳥居をくぐると本殿でございます。
森戸神社は、葉山町の総鎮守として、土地の人たちから「明神様」と呼ばれ親しまれています。森戸川の河口に突き出た森戸岬にある、三方を海に囲まれた見晴らしの良い境内の神社です。神社の由来は、源頼朝が伊豆で挙兵した際に、三島明神(現在の静岡県・三島大社)に参詣して戦勝を祈願し、その加護により旗揚げが成功したため、1180年、鎌倉に近い景勝の地葉山に三島明神の分霊を歓請し、社殿を造営したのが起こりといわれています。
ワンダフルハウスは駐車場に入りました。 おや、あれは?
石碑です! すごい数です。 こちらは、明治天皇と昭憲皇太后が葉山をテーマに詠まれた御歌でございます。
明治天皇 海辺雪 歌碑
「海人ばかり すむとききつる くれ竹の 葉山のうらは ひらけけるかな」
照憲皇太后 里神楽 歌碑
「くれ竹の 葉山の宮に きこゆるや 森戸あたりの かぐらなるらむ」
左は昭和天皇の即位50年を記念し、昭和50年に建てられた 記念碑。右は詩人・堀口大学の詩碑。「花はいろ 人はこころ」の詩が刻まれています。ワンダフルハウスは、この短い詩に感銘を受けました。町制50周年を記念して建てられたものです。 「マルチーノ公使  ベルツ博士 記念碑」。マルチーノ公使とベルツ博士は葉山が黒潮の影響で、冬は暖かく夏は涼しい温暖の地で、風光明媚であるということに注目し、保養の地として最適であると皇室に進言し、明治27年に葉山御用邸が造営されました。こうした両氏の功績を讃え、昭和11年に建てられた記念碑です。
二・二六事件で暗殺された高橋是清の歌碑。「堪忍の 股からのぞけ 富士の山」 海に向かって立つ源頼朝公別野跡。
これらの石碑の右側に、森戸神社で最も有名な石碑が、静かに佇んでいました。
森戸神社裏の海岸入口に、湘南で青春を過ごし、この地をこよなく愛した石原裕次郎さんの記念碑があり、今も多くのファンが訪れています。石碑には裕次郎さんを偲ぶ文字が刻まれています。
石碑には裕次郎のブロンズ像、石原慎太郎氏自筆の詩が刻まれています。
「夢はとおく 白い帆に のって
消えていく 消えていく 水のかなたに
太陽の季節に 実る
狂った果実たちの 先達
石原裕次郎を 偲んで」
石碑左手には 、葉山を愛してやまなかった 裕次郎の3回忌を記念して、平成元年 「葉山灯台」=通称「裕次郎灯台」 が建てられました。
真名瀬漁港と芝崎海岸方面を臨む。バーベキューをやっています!(^Q^)
逗子マリーナ、葉山マリーナ方面に目を転じます。海に突き出た岩山の頂上に生えている枝振りの良い松、あれが「千貫松」です!
駐車場横にある、この鳥居をくぐって石段を上ると「森戸大明神のビャクシン(柏槙)」があります。
「森戸大明神のビャクシン」かながわの名木100選。葉山町指定重要文化財天然記念物。昭和43年2月29日指定。和名:イブキ(ヒノキ科)。源頼朝が当地に伊豆の三島神社を勧請した際、そこの若木が飛来し岸壁に根付いたものといわれている。古木が海上にのり出した姿は珍しい。樹高:15メートル。胸高周囲:4メートル。樹齢:約800年(推定)。
イブキはビャクシンとも言い、東北南部から九州の海岸に生える常緑高木で社寺や庭園によく植えられるほか、生け垣などに用いられる。樹高27m、胸高周囲8m、樹齢約1500年に達するものもあるといわれている。
「御神木 飛柏杉」と書かれた石碑がありました。左の木が「ビャクシン」です。1184(元暦元)年、源頼朝が森戸神社を参拝した折に、三島明神から飛来し発芽したものと伝えられ、森戸神社の御神木となっています。向こう側に見えるのは森戸海水浴場です。
左手に、岩上に切り立つ「千貫松」が見えました。枝ぶりが見事です。源頼朝公が衣笠城に向かう途中、森戸の浜で休憩した際、岩上の松を見て「如何にも珍しき松」と褒めたところ、出迎えの和田義盛は「我等はこれを千貫の値ありとて千貫松と呼びて候」と答えたと言い伝えられています。
ワンダフルハウスは海岸に下りてきました。水が澄んでいます。 ビャクシンを海岸から見上げます。古木が海上に乗り出した姿は非常に珍しいですね。根元も樹も、倒れないように頑丈に補強されています。
「裕ちゃん灯台」と名島。
石原裕次郎記念碑を海岸から見上げます。 石碑の横に「裕ちゃん灯台」。裏には「平成元年7月17日 石原慎太郎」の文字が。この記念碑は灯台と一緒に造られたもののようです。
江の島が見えました。この日は曇りがちでしたが、少し夕日が差してきました。”森戸の夕照”が拝めるかもしれません。
千貫松越しに見る2005年8月のサンセット。まさに千貫の値ありです。 さぁ、裕次郎記念碑越しに”森戸の夕照”を見に行きましょう。
人がたくさん集まっています! 残念! 夕日が雲の中に隠れてしまいました。
シーカヤックが通り過ぎました。この4ヶ月後、ワンダフルハウスは完璧な”森戸の夕照”を見ることができます。
2005年12月。4ヶ月ぶりに石原裕次郎記念碑を訪れました。夕陽がまもなく沈みそうです。
ここから眺められる夕景は「森戸の夕照」と言われ、言葉を無くすほど綺麗です。「森戸の夕照」は「かながわの景勝50選」にも選ばれています。
夏にはバーベキューをやっていた浜辺も、千貫松の岩場も冬は誰もいません。
裕ちゃん記念碑の左に富士山と江の島が姿を現しています。
空が茜色に染まりました。裕次郎灯台、名島、富士山をも包み込んでいます。
これが「森戸の夕照」…言葉を失うほど見事な2005年12月18日のサンセットです。
太陽が沈みました。
どこからともなく人が集まってきています。
境内から「みそぎ橋」が見えました。ワンダフルハウスは森戸神社を出ました。
鳥居の向こう側に「カフェ・マニマニ」が見えました。ワンダフルハウスは、こちらで「ロコモコ まにまに風」をいただくことにしました(^Q^)
森戸神社の鳥居の前に2002年にオープン。お母様の夢だったお店を娘さんと一緒に始めた「カフェ マニマニ」は、昭和30〜40年代の雰囲気が色濃く漂う、家庭的なカフェです。
ここは、元は車庫だった所で、床は土間になっています。入口の木戸は民家の古材をリサイクル。古い箪笥をディスプレイ台に…かなりのこだわりが感じられます。 おっ、これはお洒落な丼ですね(^-^) こちらは、上の娘さんで、陶芸家つちやまりさんの作品なのです。店内のあちこちに作品が陳列されていて、店でも実際に使われています。もちろん、気に入った食器は買うことができます。
ワンダフルハウスは、鳥居の目の前の席に座りました。
おっと!w(゚O゚)w 席と道路との距離が近いです! 腰越海岸のピッコロ・ボスコを超える近さです。
お冷やが、つちやまりさん作の器で運ばれてきました。 様々な食材にまで、こだわりが感じられます。
ケーキやパンが置いてあるコーナーがあります。見に行ってみましょう。 このダイヤトーンのスピーカーは、かなりの年代物です!\(^O^)/ ワンダフルハウスは学生の頃、晴海のオーディオフェアで見たことがあります。
ワンダフルハウスは、ケーキもいただくことにしました(^Q^) バナナシフォンケーキと…タンポポコーヒータンポポティーも珍しくていいですね。 ウォールナッツタルトとパン。どちらも朝焼いた自家製で、生地から作っています。パンは左から無添加の粒餡がたっぷり入った「あんぱん」(150円)。中はカカオ90%のビターチョコを使用した胚芽生地の「チョコレートパン」。右は、バター・黒砂糖・無農薬粉を使用した「本日のパン」。卵は入っていません(小100円、大200円)。
「ロコモコ まにまに風」(単品1000円)。ご飯は五穀米です。昔ながらの智恵「医食同源」を実現してくれる五穀米は、栄養価の高い九種の穀物(玄米、丸麦、はと麦、大豆、小豆、黒豆、あわ、ひえ、きび)をバランス良く配合。美味しく食べながら健康にも良い、理想の食材です。 五穀米の上にトマトのスライス、肉と豆腐と野菜を使ったハンバーグが乗り、半熟卵がトッピングされています。ハワイのロコフードであるロコモコには、本来はグレービーソースをかけますが、マニマニでは豆腐入りハンバーグに合わせて、醤油ベースのソースにしてあります。
豆腐が入っているので、ハンバーグがフワッとした感じに仕上がっています。モチモチ感と香ばしさがある五穀米がハンバーグとマッチしていて美味です(^Q^)
バナナシフォンケーキとタンポポコーヒーが運ばれてきました。完熟バナナの豊かな香りが…〜(^Q^) こだわりの放し飼い有精卵と国産無農薬小麦粉の生地に完熟バナナをふんだんに練り込んだ香り豊かで、しっとりふわふわのシフォンケーキ。バナナ好きのワンダフルハウスが太鼓判を押す美味さです。
ん? あの花は? タンポポです!\(^O^)/ タンポポコーヒーはタンポポの根っこを丁寧に焙煎したコクのあるコーヒー。マニマニでは、富山のメーカーから粉を取り寄せているそうです。
こちらのカップ&ソーサーも、つちやまりさんの作品。ポットも豊富に揃っています。店名は「万葉集」の「波のまにまに…」から。ノンカフェインで、美味しくヘルシーなタンポポコーヒーで、波がゆらゆらと揺れるように、ゆったりしたリラックスタイムを過ごさせていただきました。森戸神社の鳥居を見ながら食事ができる「カフェ マニマニ」。営業日は、木・金・土・日の4日間です。
「カフェ・マニマニ」を出ると、右手にサーフショップ「YTM ボードセイリング ショップ&スクール」があります。日本初のプロウインドサーファー石渡兄弟が経営するウインドサーフィンショップで、店名の「YTM」は三兄弟の頭文字を組み合わせています。残念ながら、その三兄弟の中で、”T”の常原さんは、2003年4月20日に胃癌のため逝去されました。石渡常原さんは、ウインドサーフィンが初めてオリンピックの公式種目となった、1984年第23回ロサンゼルス大会のプレ・オリンピックであった、1982年第9回アジア大会ウインドグライダークラスで金メダリストになり、その後も日本のウインドサーフィン界の中心にいました。石渡さんの弟子であり、世界的プロウィンドサーファーであり、ライターでもあった飯島夏樹さんの小説神様がくれた涙」の主人公のモデルとしても知られています。飯島夏樹さんのドキュメンタリー番組「天国で逢おう」でナレーションを務めた女優・宮崎あおいさんが、この小説を絶賛しています。
飯島夏樹さんは、1966(昭和41)年、東京都生まれ。ワールドカップに8年間出場し続けた世界的プロウィンドサーファー。2002年5月肝臓ガンと診断され、2004年6月余命宣告を受けた時に、初めて「自分は生かされている」と体感、病床で始めた執筆活動に生き甲斐を見出しました。小説「天国で君に逢えたら」(新潮社)はベストセラーとなり、8月ハワイに家族で移住。「最期の時まで物書きを続けたい」と、ネット連載「今日も生かされてます」で精力的に執筆を続けていましたが、2005年2月28日逝去されました。逝去後に発売された「ガンに生かされて」(新潮社)も大きな反響を呼び、現在はハワイ在住の夫人の飯島寛子さんブログを引き継いでいます。
左手に「海狼(かいろう)」が見えてきました。ワンダフルハウスは、こちらで中華料理をいただくことにしました(^Q^) 向こう側の入口にメニューが置いてあります。 メニューがありました。
右がランチメニュー。3500円の季節のランチコースは、お手頃でいいですね(^‐^) では、早速店に入りましょう。
ここにもメニューがありました。 これは、本格的です!\(^O^)/ (メニューは2005年8月のものです)
わんだふるはうす一行は店に入りました。
おおっ! これはシーラカンス!? 素人目にも高価な物であることがわかります。一体これは?…
こちらは、幸せを呼ぶという、ROYAL COPENHAGENの焼き物でした。
『1775年デンマーク王室擁護の下に設立されました。以来「真に良いものしか生み出さない」という思想に基づき、芸術品とも呼ばれるほど格調のある製品を創り続けてきました』
ふむふむ、カップ&ソーサーやイヤープレートでお馴染みのロイヤルコペンハーゲンが、このような美術工芸品も作っていたとは…
『おおよそ3億5000万年前より生息していたと言われる「シーラカンス」は、化石の上のものとして、数千年前に恐竜と共に死滅したとされていました。しかし、1938年12月に南アフリカ東海岸でグーセン船長の魚網にかかった1尾がシーラカンスそのものでした。このシーラカンスは、学名を「ラティメリア・チャルムナイ・スミス」とつけられました。その名は、グーセン船長からラティマー女史、さらにスミス博士へと幻の魚を現実のものにしていった人達と捕獲場所チャルムナ河口沖に因んでいます。東アフリカ沖のコモロ諸島の人々の間では、古くからこれを「ゴンベッサ(幸運)」と呼び、幸福をもたらす縁起の良い魚だとの言い伝えがあります。彫塑家ジャンヌ・グリューは、このシーラカンスから強烈な印象を受け、青の釉(うわぐすり)を用いた陶器でこれを表現し、「ブルーフィッシュ」として発表しました。この作品は、素晴らしい未知のものに対するロマンを呼び起こします。1972年(昭和47)秋、昭和天皇・皇后陛下が訪欧された際、ロイヤル・コペンハーゲン社を見学され、記念としてこの「ブルーフィッシュ」と同じものが陛下に献上されました』。
幻の魚が現実のものに…男のロマンです!\(^○^)/ このような素晴らしい品をコレクションしたこの店のオーナーとは何者なのでしょうか? 
あの黄色いのはマンゴープリン?(^Q^) こちらは、お土産用のマンゴープリンと杏仁豆腐でございます。たいへん美味しゅうございます(^Q^)
目の前に森戸海岸が…わんだふるはうす一行は、海側の席に座らせていただきました。右隣りの席と、写真では切れてしまいましたが、左の奥まった席は、石原裕次郎さんが好きだった席だそうです。
アイスウーロン茶(420円)とジンジャーエール(420円)。ジンジャーエールは濃厚な味でした。 前菜盛り合わせ。
干し貝柱とほうれん草のスープ。天日に干すことで旨味を凝縮した帆立の貝柱は中華料理には欠かせない高級食材で、中国では「乾貝(かんべい)」と呼ばれています。有名なXO醤も貝柱が主な材料となっています。江戸時代から、干し貝柱は「俵物」として取引されていました。当時は長崎の出島まで運ばれた後、上海などの港に運ばれていました。現在でも中国で使用される干し貝柱のほとんどが日本からの輸入物です。この干し貝柱は、水揚げしたホタテを、鮮度が良いうちに塩茹でし、太陽のもとで乾燥させたもの。天日干しにされた帆立の貝柱はカチカチに身が締まり、アミノ酸などのほたての旨味がぎゅっと濃縮されています。弱った肝臓を回復させてくれる「アラニン」という成分が多量に含まれていて、健康的な食材でもあります。 大海老の香味飾り焼き。
「本日の飲茶」は肉まんと餃子でした。餃子は海老餃子でタケノコも入っていました。
牛肉と茄子の炒め巣篭り風。具が乗ってる網状の物体は、カルビー「サッポロポテト バーべQあじ」の大型版です。グリーンはほうれん草の色ですね。シソ味のザーサイとメンマをつまみながら全部食べてしまいました(^Q^) 
ふかひれあんかけご飯。オイスターソースと醤油で煮込んだ、とろみのあるあんが…ほっぺたが落ちる美味さです)^Q^( 次に来た時は石原裕次郎が好きだった「ふかのひれ醤油味姿煮」をいただきたいものです。フカヒレの原料となるのは「鮫のヒレ」で、中華料理の高級食材として知られていますが、コラーゲンを豊富に含む美容食材でもあります。 
デザートとコーヒー。タピオカ入りココナッツミルクです。タピオカとは、熱帯地方のキャッサバの根茎から製造した澱粉。通常、タピオカと言われているのは、その澱粉を粒状に加工したタピオカパールのことです。乾燥品で売られているので茹でて使います。タピオカの滑らかでプチプチとした感触を楽しませていただきました(^Q^) こちらは、お土産もあります。
ん? 旗の向こう側を横切ってるあれは? コスタ・デル・ソルからも見えた、森戸海岸名物「バナナボート」です!\(^O^)/ 4人乗りのバナナボートをキャプテンがジェットスキーで引っ張ります。安定して乗っていられるのは低速走行の直線のみ。ちょっとスピードを出すか、曲がるかですぐに”撃沈”。あの黄色い旗の下から1000円で乗れます。食後に海岸に下りて、見に行ってみましょう。
2006年5月、ワンダフルハウスは、再び海狼を訪れました。ウェイティングルームから森戸橋と菊水亭が見えます。 それでは、席に案内していただきましょう。
正面(窓際一番左)の席は、昨年の夏、ワンダフルハウスが座った席です。 おや? 何か展示されていますね。
「海狼」の前身は、葉山御用邸が開設された明治27年に創業した「鍵屋旅館」。1978(昭和53)年、中華料理店「海狼」に生まれ変わりました。ここに展示されているのは、料理をお届けに御用邸に出入りし、御用邸の鍵を預かるほど格式高い割烹旅館「かぎ家」だった頃のゆかりの品々。現在でも、天皇陛下は葉山御用邸滞在中に海狼から料理を運ばせているようです。
『晩年の勝安芳伯爵(勝海舟)は、湘南地方を好み、しばしば旅館「かぎや」に静養のため滞在しました。主人のすすめに応じて筆をとり、日清戦役の事後処理をはじめ、当時の政府官界に対する公憤をこの画帳に揮毫しました』
…ほぅ、これは凄い! しかし、達筆すぎて何が書いてあるのかわかりません(^-^;)
この茶碗とお皿は、大正5年2月に当時の主人・山本熊太郎氏が大正天皇と貞明皇后から拝領したものです。実際に葉山御用邸で御使用の御器でございます。
ワンダフルハウスは、こちらの席に案内されました。 「ココナッツミルク抹茶あずき」!(^Q^) デザートは、これに決めました。
右奥の海が見える席、あそこは石原裕次郎が海狼で一番好きだった席です。  向こうの部屋(右側のスペース)の窓際、手前はワンダフルハウスが去年の夏に座った席。奥が石原裕次郎が海狼で二番目に好きだった席です。
これが裕次郎が愛した景色です。
ディンギーです! 慎太郎&裕次郎兄弟が父親にねだって買ってもらったヨットは、あれと同じタイプ。昭和23年当時のお金で25000円。慎太郎高1、裕次郎中2の時でした。エンジンも何も付いてないので、操縦は、もの凄くハードです。 望遠鏡があれば、この席から裕次郎灯台を見ることができます。裕次郎記念碑は、角度的に厳しそうですね。
「太陽の季節」は、海狼の目の前の海で撮影されました。当時、流行の先端をいってると思っていた東京の映画界のスタッフ達が湘南に来て、太陽族がアメリカ風のファッションに身を包み、モーターボートやクルーザーを乗りまわしてるのを見て腰を抜かしたそうです。 対岸の逗子マリーナが見えました。
「紅焼排翅 ふかのひれ醤油味姿煮 Braised Shark's Fin(Whole)」(5800円)が運ばれてきました\(^Q^)/ これが、裕次郎が好きだった「ふかのひれ醤油味姿煮」。以前は8000円でしたが、最近5800円に値下がりしました\(^○^)/ フカヒレ料理の総称を中国では「魚翅(ユイツー)」と呼んでいます。「排翅(パイツー)」とは、扇の形をしているヒレの事で、姿煮用に使われています。鮫の背びれと尾びれが使われています。
海狼のフカヒレは、気仙沼産の最高級品だけを使用。見た目に美しく、独特の歯ごたえがしっかり楽しめます。裕次郎は、いつもワインで楽しんでいたそうです。とろけるような食感…ほっぺが落ちてしまいました)^Q^(
フカヒレ自体には食感はあっても味がないので、決め手はフカヒレを煮るソースの旨さ。オイスターソースと醤油でじっくり煮込んで味を含ませてあります。一口すすります…やばい…この汁だけで、ご飯が丼2〜3杯はイケます(^Q^) 「割包 饅頭(蒸しパン) Steamed Bun」(158円)。
ここは品良く、蒸しパンをちぎってスープに浸していただきましょう。お店の方に聞いたところ、この食べ方は邪道ではないそうです。
「上海炒麺 海狼風シャンハイ焼きそば」(1575円)。ワンダフルハウスが、普段、縁日の屋台や海の家で食べてるやきそばと比べて、対極にあるやきそばの登場です。蟹肉が入っていて、品のいいお味です(^Q^) 他の具は椎茸、人参、玉ねぎ、キャベツ、ニラが入っていました。
「ココナッツミルク抹茶あずき」(525円)。何杯でも食べられる美味さです!(^Q^) 今度は違うデザートをいただきましょう。「芒果布甸」がいいですね。
「マンゴープリン MANGO Pudding」(525円)。広東語で「芒果布甸」。高級感のあるお味です。マンゴーの豊かな味わいと、トロリとした食感が口の中に広がります(^Q^)。紫のハートのマークはブルーベリーソース。
「タピオカ入りココナッツミルク」(368円)、「まんごーぷりん」(420円)、「杏仁布甸」(368円)は、お土産用もございます。 中華デザートの王様「杏仁豆腐」。 口の中に入れれば、杏仁の爽やかな香りを放ちながら滑らかに溶けていきます(^Q^) アーモンドパウダーと干し杏を隠し味に使ってるようです。
ワンダフルハウスは、食後のお茶をいただきました。ん、この香りは?〜(^Q^) これは、ジャスミン茶です。ジャスミンの花の香を付けて作られる、目の覚めるような澄んだ香りと、爽やかな味わいに富んだお茶です。烏龍茶とブレンドしているので飲みやすく、香りも自然で嫌味がないので、これまで「ジャスミン茶はちょっと苦手…」と思っていたワンダフルハウスも美味しくいただきました(^Q^) 口中をさっぱりさせるので、食後のお茶としては最適です。
さて、海狼の先代のオーナーですが、太陽族元祖会の初代会長であり、石原裕次郎の親友であり、石原慎太郎の芥川賞受賞作「太陽の季節」の主人公のモデルになった山本淳正さん(謙一さんから改名)です。1955(昭和30)年、一橋大学在学中だった石原慎太郎氏は、かぎ家旅館に泊りながら「太陽の季節」を書き上げました。この小説は翌年、日活で映画化され、長門裕之が演じた主人公が山本淳正さんの役です。石原裕次郎は、当時の”若者言葉”の監修役でしたが、ルックスを買われて、ボクシング部員の脇役で映画デビューしました。石原慎太郎氏も、サッカー部員のチョイ役で出演しています。山本さんは、湘南中学(現在の湘南高校)から慶応義塾高校に転学し、野球部に入部。バスケットボール部で活躍していた裕次郎と知り合いました。当時、2人の交友関係を、大人のモラルに反する若者群像として、慎太郎氏は乾いた文体で「太陽の季節」で描写したのです。横浜にあった伝説のナイトクラブ「ブルースカイ」や海辺のホテルでのダンスパーティーのシーンなどに、当時の2人(山本さんと裕次郎)の放蕩ぶりが窺い知れる映画です。山本淳正さんは、2005年1月4日に逝去されました。
裕次郎は月に1度は海狼に来店し、このテーブルで海を眺めながら山本淳正さんとの会話を楽しんでいまいた。山本さんは1996年、裕次郎との思い出を綴った「友よ 太陽族 裕次郎の素顔」(星雲社 絶版)を上梓、2004年には「ベストフレンド 裕次郎 青春のレクイエム」(青萠堂)を上梓しました。山本さんも当時では珍しいヨットを持っていて、裕次郎さんと森戸海岸で遊んでいました。 戦後の日本といえば、閉鎖的で暗いイメージですが、進駐軍の保養地になった逗子・葉山は、アメリカナイズされて開放的で、まるで別の文化圏のようでした。 太陽族は、1964年から流行したアイビーファッションの流行先取りで、レイバンのサングラス、トップサイダーのデッキシューズ、スクールセーター、アロハ、リーバイスのジーンズなどを1950年代から、かっこよく着こなしていたのです。
それでは、石原裕次郎が愛した森戸海岸に行ってみましょう。
ワンダフルハウスは「海狼」を出ました。 森戸川に架かる「森戸橋」を渡ります。
ここが森戸海岸への入口。左に曲ります。 右側の黄色い建物は、パスタやピザがカジュアルに食べられるイタリアンの「菊水亭」。
森戸川を挟んで左側に「海狼」、右側に「珠屋(たまや) ザ・テラス」があります。ここは、逗子の銀座通りにある「珠屋洋菓子店」発祥の地。夏は海の家、他の季節は大学のヨット部員の溜まり場になっています。当時「海狼」の前身が「かぎや」と名乗っていたため、花火の屋号になぞらえて「たまや」と名付けたそうです。
こちらは、JR逗子駅前・逗子銀座商店街にあります珠屋洋菓子店」でございます。店舗改装のため、2006年6月21日〜12月中旬まで半年間も休業するそうです(T0T)/~~ ケーキ全種類のカタログと通販はこちら。インターネットでの注文は2006年6月10日で停止。再開は12月下旬から。買いたい方は早めにどうぞ。「珠屋」は、逗子市内に入ってから詳しく紹介いたします。
店内に喫茶コーナーがあり、ケーキやお食事もいただけます。メニューは、銀の楕円形のお皿に盛られた、ケチャップのナポリタンなど超レトロ。珠屋のケーキは、石原ファミリー御用達で有名です。石原裕次郎さんも買いに来ていました。石原慎太郎都知事は、逗子の別荘から東京に帰る際に立ち寄っておられます。この2つのケーキは、石原良純さんがテレビで紹介してから全国的に有名になった「ピーチロール」(左 230円 ホール1660円)と「ザバロール」(右 220円 ホール1370円)。外側からクルクルを解きながら食べて、最後に内側のクリームの塊を食べるのが良純流だそうです。やばい…フォークを使わずに指でくるくるを解く食べ方、ワンダフルハウスも子供の頃にやってました(^‐^:) 人気No.1の「ピーチロール」は、ふわふわのスポンジで生クリームと黄桃を巻き込んで、仕上げにパウダーシュガーを振りかけたもの。「ザバロール」は、ココアスポンジの中に珠屋特製バタークリームが入ったチョコレートロールケーキ。子供の頃に食べたような…懐かしい昭和40年代の味がしました(^Q^)
ここが森戸海岸…おっ、いきなり、バナナボートです!\(^O^)/ 森戸海岸は、湘南の中でも一番綺麗な水質とロケーションを誇るビーチの1つです。砂浜は広く海岸線は長く、冬の晴れた日には江の島も富士山も伊豆半島もくっきり見えます。 こちらは、葉山マリーナ方面。
こちらは、森戸神社方面でございます。♪〜おや? どこからかボブ・マーリーの歌が流れています。 竹とトタンで作られた建物の中で、お洒落な人達が、ゆったりとくつろいでいます。一色海岸のブルームーン海小屋MANAと並ぶ”葉山三大ニュースタイル海の家”「オアシス」です。ジャマイカっぽくて、お洒落です(^‐^) ”海の家”というより”カフェ”ですね。「やきそば」は、タイ風と中華風の2種類あります(^Q^) 毎年7月1日から8月31日まで営業。夜はライブがあり、演奏料は寄付、投げ銭方式です。
OASISの歴史は、海の家としては驚くほど長いのです。初めてオアシスが建てられたのは1981年。ワンダフルハウスも大学1年の夏休みに訪れました。それ以来、オアシスは毎年少しづつ形を変えながら、毎年夏の2ヶ月だけ森戸海岸に現れています。オアシスのスタッフから生まれたレゲエバンド「ホームグロウン HOME GROWN」は、レゲエの本場・ジャマイカのサンフェスに出演するほどになりました。
オアシスの右側に赤い橋が見えます。 森戸川に架かる赤い橋「みそぎ橋」を渡ります。
こちらは、森戸神社方面。 こちらは、海狼方面。
橋を渡ると、カフェ・マニマニの先、森戸神社の境内に出ました。 海岸に戻ります。鎌倉時代には森戸海岸で、お祓いやみそぎが行われていました。それで、この橋は「みそぎ橋」と名付けられたそうです。「みそぎ」とは、重大な祭事の前に海水を浴び、罪や汚れを払いのけて、身を洗い清めることをいいます。
おっ、いい雰囲気ですね。あそこに行ってみましょう。 森戸川河口のテトラポットの上を歩きます。
森戸川河口から眺める「飛柏槇(ヒビャクシン)」。裕次郎記念碑、千貫松、裕次郎灯台。
バナナボートです!\(^O^)/ ワンダフルハウスは、歩き回ったのでお腹がすきました。菊水亭でランチをいただくことにしました(^Q^)
菊水亭(きくすいてい)は1910(明治43)年、別荘族のための食堂としてオープン。1980(昭和55)年、イタリア料理店「菊水亭アンティパスト KIKUSUITEI ANTIPASTO」にリニューアルされました。1998年、森戸海岸線の拡幅工事のために休業。2001(平成13)年、現在の黄色い建物にリニューアルされて再オープンしました。
店内から森戸海岸線と森戸海岸入口が見えます。「菊水亭」という店名は、明治時代の店の創設者の曾御祖母様のお名前である「菊」さんと、店が水辺にあることから名付けられました。
ワンダフルハウスが訪れたのは週末でしたので、ランチタイムもオープンしていました。土・日・祝のみランチタイム(12:00〜14:00)も営業しています。現在の菊水亭は、イタリア帰りのオーナーが、ローカルが集う路地裏の酒場をコンセプトに創った店なので、平日は17:00〜26:00まで夜だけの営業(木曜休)。夜は地元のヨットマン、サーファー、ウィンドサーファーで賑やか。後ろに見えるのは、彼らがボトルキープしている焼酎や泡盛です。 おっ、「ゆうしげ丸シラスピザ」というのがあります。
すぐ近くの真名瀬海岸「ゆうしげ丸」から直送された新鮮な「葉山しらす」を使ったピザが食べられるのです!\(^Q^)/
店内には、舵や方位磁石など、船のアンティークパーツが飾られています。
コーヒーが運ばれてきました。 このマークは、菊と水の流れをイメージしています。
ゆうしげ丸の釜揚げしらすをたっぷりトッピングした「ゆうしげ丸しらすピザ」(940円)。
薄い生地と特製のチーズと新鮮なしらす。釜揚げしらすは、釜茹でしたしらすを天日で冷ましただけの水分の多いふっくらとしたしらすです。マヨネーズも効いていて美味です!(^Q^) テラス席もありますね。しかし、今は1月。さすがに寒くて外には出られません。
菊水亭ができた明治中期、葉山は森戸海岸線沿いを中心に別荘ブームを迎えました。年号が大正から昭和に変わり、モボ・モガ(モダンボーイ、モダンガール)の時代になると、東京のモボ・モガたちが、このテラスにボートで乗り付けて、かき氷を食べながらビリヤードをするのが粋な遊びでした。 こちらは、ワンダフルハウスが学生時代に通った1982〜83年頃の「菊水亭アンティパスト」のテラス席。壁面に大書された「HAYAMA JAPAN RISTORANTE ITALIAN KIKUSUITEI ANTIPASTO」のロゴは、今見ても強烈。想い出深い店の一つです。
ワンダフルハウスは、菊水亭でピザを食べた後、2月の森戸海岸を散策しました。さすがに冬の海は綺麗です!
江の島がクッキリ見えます。ウィンドサーファーがセールアップしています。
ウィンドサーフィンのベストシーズンは、冬。風は強いし、波もある。冬は最高…と言いたいところですが、やっぱり寒そうですね。 ここからだと、逗子マリーナも葉山マリーナも両方見えます。
逗子湾をはさんで対岸にあるリビエラ逗子マリーナ こちらは葉山マリーナ
金子さんもファッション写真の撮影で訪れたことがある「葉山マリーナ」が近づいてきました。背後にある逗子湾をはさんで、左に見える黄色い2階建のバスは、ホットドッグ屋「サブマリンドッグ」。その上に建ち並ぶ豪邸は、披露山庭園住宅。山頂には披露山公園。右側の高台には、石原慎太郎さんの別荘も見えます。あそこからだと、裕次郎灯台もよく見えますね。
ヨットがこちらの方に向って来てます。
ワンダフルハウスは、海狼でフカヒレの姿煮を食べた後、5月の森戸海岸を散策しました。この時期の珠屋は、大学のヨット部員の詰所になっています。 風が強く、空気が濁っています。右に見えますのは、関東学院大のヨットです。
海岸から海狼を臨みます。石原裕次郎さんは、あの窓から森戸海岸を見ていたわけです。手前は慶応、奥は学習院のヨットです。 左のボート小屋は、貸ボート店「小松ボート」。名島の先まで曳き船もしています。そろそろ、森戸海岸線に戻りましょう。
ワンダフルハウスは森戸海岸を出ました。菊水亭の隣りにシャープなデザインのグレーの建物が見えます。あちらが「カフェなぎさ」でございます(2005年8月)。
時は流れ2006年10月…「菊水亭」と「カフェなぎさ」の間の空地にマンションが建っていました。1978年オープンの「スナック渚」を、2000年にカフェにリニューアルした「カフェ ナギサ cafe nagia」。建築家・大友晃毅さんの作品です。
ワンダフルハウスは、こちらでランチをいただくことにしました(^Q^) 本日のランチ(850円)は4種類あります。1000円のコーヒーセットにしましょう。
ドアを開けて中へ…このテーブル席が気に入りました。
こちらはカウンター席。家庭的な雰囲気のキッチンです。マニマニと似ていますね。。 りんごジュース(300円)。
早くもランチセットが並べられました。ワンダフルハウスは、スピーディーな調理に脱帽しました。自家菜園や葉山の海で今朝採れたばかりの自然食材を豊富に使った創作ランチメニューです。 ポークのデミグラス煮込み。ジューシー豚肉に奥深いデミと自家製のバジルソースを絡めた一品。壮大な深い旨味が広がります(^Q^)
左から胡麻ドレッシングを絡めた春菊とレタスのサラダ、エノキダケと卵とネギのスープ、お新香ともやしのナムル。完璧な副菜です!\(^Q^)/ スープが特に美味でした。えのきだけには、発芽玄米などでお馴染みのギャバが多く含まれています。ギャバは、脳内に存在するアミノ酸の一種。神経の興奮を抑え、腎臓や肝臓の働きを活発にする働きがあり、血圧安定、精神安定に役立つといわれています。
アイスコーヒー(これはランチのコーヒーセット。単品だと400円) 本日のケーキ(300円)は、かぼちゃ・チーズ・バナナの3種類で全て手作り。これは見た目も食感もカボチャの煮っころがしに似ていますが、味はちゃんとしたケーキで、ものすごく美味です)^Q^(
この中に建築時の写真や設計図の入ったアルバムがあるので見せてもらいましょう。
こちら側の壁面全体が収納庫になってるみたいです。 おや? あの1段高くなってるスペースは何でしょう?
家具のギャラリーのような…ここは、パーティールームとして設計されたスペース。さすがにアイディアのある建物ですね。
葉山で生まれた魔法のスパイスユカズチョイスなんでもたれ」の登場です。Yuka's choiceは、葉山〜逗子〜鎌倉で料理教室を開いていたフードコーディネーターの堀口裕加さんが厳選した、健康に優しい食材を揃えた食のセレクトショップ。圧倒的な人気商品が、料理教室の生徒さんからの強い要望で商品化した、この「なんでもタレ」。現在口コミで全国に人気が広がっています。通称「なんタレ」は、数種類の唐辛子と野菜などをベースに作られた無添加の調味料。何につけても美味しい事から生徒さんが「なんでもタレ」と呼び始めたのが由来だそうです。「なんでもタレ みそ」、「なんでもタレ エスニック」も発売されています。「カフェなぎさ」では、2ヶ月に1度くらいのペースでYuka’s Choiceと共同で、「Yuka’s Choice in Nagisa」という夕食を楽しむコラボレーションイベントも行っていて、堀口裕加さんオリジナルのとっても美味しいメニューが登場しています。
ワンダフルハウスは、ケーキのお代わりをしました。今度はバナナのパウンドケーキ。粗くつぶしたバナナたっぷりの、ほんのり甘い優しい香りのパウンドケーキです。これだけ食べても全部で1900円。内容の割には値段がリーズナブルです。さぁ、森戸海岸線を先に進みましょう!
カフェなぎさ向い側にあるピンクの塀に「海辺のレストラン ラ・プラージュ」という文字が見えました。ワンダフルハウスは、こちらでランチをいただくことにしました(^Q^)
イルカに導かれるように、ここを左折します。 左側が駐車場です。
ラ・プラージュは、左奥… このリゾートマンションの1階にあります。
La Plage
メニューがありました。 この3150円のコースがいいですね。
オードブルとデザートは、この中から好きなのを1品選べます。しかも種類が多いです\(^O^)/ 店に入りましょう。ん?この景色は?
海水浴客で賑わう森戸海岸が目の前に! 2006年8月の森戸海岸海水浴場です。
裕次郎灯台、名島も見えます。素晴らしい眺めです。 飲み物は、レッド・オレンジジュース(840円)にしました。
店内は落ち着いた雰囲気。知る人ぞ知る、隠れ家的な店で、かなり居心地がいいです。 濃くて美味い(^3^) とても上質なブラッド・オレンジジュースです。
まず、温かいパン…続いて「シラスとポテトのタルト仕立て Tarterette de sirasu et pomme de terre」がサーヴされました。
日の出とともに海に出て、網で捕まえて、生きているうちに氷で冷やし、すぐに浜に持ち帰り、浜茹でして、浜干しする…太陽と潮風から旨みをもらった、森戸海岸・真一丸のシラスの登場です。ポテト、トマト、薄くてカリカリのバター味のタルトとシラスの組合せは最高に美味)^Q^( これぞ葉山のフレンチって感じです。
クルーザー、ヨット、ディンギー、モーターボート、ジェットスキー、ボードセイリング、釣り船、海水浴客で賑わう真夏の森戸海岸。
シーカヤッカーもいました。 モーターボートが3艇のボートを牽引しています。
「トマトのポタージュ(温製)」。ほんのり酸味があって、週末の昼下がりにちょうどいい味です。
メインは「仔羊肉のグリエ」と「イトヨリのポワレ」から選べます。 東京では肉を選ぶワンダフルハウスですが、葉山ではやはり魚を…というわけで「イトヨリのポワレ」。黒いのは「魚介類のソーセージ仕立て イカスミ風味」。 イトヨリは、ご覧の通り、ピンク色の綺麗な魚で、身が軟らかく、関西では真鯛の代わりに使われる白身の高級魚です。淡白な味で、少し甘さも感じます(^Q^)
デザートの「リュバーブのコンポート」がサーブされました。リュバーブ日本名は食用大黄(ショクヨウダイオウ)、別名「西洋フキ」とも呼ばれるシベリア原産の野菜で、赤みを帯びた茎(葉の平らな部分と茎をつなぐところ)を利用します。 アンズに似た香りと、青リンゴより強い酸味が特徴。食物繊維とカリウムを豊富に含むので、むくみや便秘に効果があり、女性向きの食べ物と言えます。 フランスをはじめヨーロッパではとてもポピュラーな食材で、主にジャムやデザートの材料に使われます。日本へは明治初期にアメリカより入ってきましたが、当時は一般には普及しなかったようです。最近になって「ロミ・ユニ・コンフィチュール」などのコンフィチュール屋でお馴染みになってきました。 サイの目状にカットしたリュバーブを砂糖と赤ワインで煮込んで、とろみのあるジュレをかけています。自然の色を最大限に保つように、細心の注意を払いながら作られたコンポートです。筋まで柔らかく煮込んであり、とろとろに崩れ甘酸っぱさが夏向けで、とても美味(^Q^) リュバーブの爽やかで繊細な食感を堪能させていただきました。繊維質たっぷりで体にも良さそうですね。
コーヒーを飲みながら海を見ていたら、沢山の人が乗った釣り船が到着しました。
あれは、「幸進丸」という名島渡しです。今日は、風も波も無く名島日和でしたね。
あちらに見えます、テラス席に座って、上半身裸でビールを飲んでる紳士達は、このリゾートマンションの住人でした。ワンダフルハウスは、海岸側の出入口から店を出て、砂浜に降りてみました テラスと左側の席は、ピザやスパゲティやケーキなどの軽食客専用。右側のカーテンがかかった部屋は、コースとアラカルト料理の客専用に分かれています。「ラ・マーレ・ド・チャヤ」と並ぶ、葉山を代表するフレンチレストランです。

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