わんだふるはうす 森戸海岸線を行く

旗立山

横須賀から大磯まで、湘南の海岸沿いを東西に走る国道。それがルート134号線。葉山御用邸前交差点を左に折れると、逗子・渚橋まで曲がりくねった細い道が海岸沿いに続きます。それが県道207号・森戸海岸線。いかにも葉山らしい風光明媚なこの道路を、2005〜2009年にかけて、ワンダフルハウスが走破しました。このコーナーでは旗立山(はたたてやま)をご案内いたします。

極細麺では日本一かもしれないというユーミン一押しのラーメン店「しなそば 小浜」を過ぎたら…
ここから先には、日本最高の食文化ゾーン“チャヤ”の名店がひしめいています。その日本料理部門「日影茶屋」に到着しました。
左手の山を御覧ください。
葉山町指定文化財「旗立山」です。鐙摺山(あぶずりやま)とも呼びます。源頼朝挙兵の際、頼朝に加勢した三浦義澄がこの山に旗を立てて気勢をあげたことから「旗立山」の名が付きました。ここには鐙摺城というお城もありました。鐙摺の名は、源頼朝がこの城を訪れた際、道が狭くて馬の鐙(あぶみ)を摺(す)ったことに由来しているそうです。
伊豆蛭ヶ小島に配流されていた源家の嫡流頼朝が、治承元年(1177)、三浦微行(びこう)の折り、鐙摺山城に登るとき、馬の鐙(あぶみ)が地に摺れたのでこの名が付いたと言われる。源平盛衰記では、石橋山に旗上げした頼朝に呼応した三浦一族の三浦党は、この鐙摺の小浜の入江から援軍として出陣したとしている。
この合戦で頼朝は敗走するが、三浦党も酒匂川畔まで行き、敗戦を聞き引き返す途中、小坪あたりで畠山重忠軍と遭遇したとき、お互いの誤解から合戦になるが、この時、鐙摺山城にいた三浦党の絵師三浦義澄はこの様子を望見し援軍を送ったが、和解が成立し、再び軍をこの鐙摺山城に引きかえした。
鐙摺山城を旗立山(はたたてやま)と呼ぶのはこのためである。
また、曽我物語では、伊豆伊東の豪族伊東祐親は、頼朝配流中は、頼朝の暗殺を図ったため、鐙摺山上で自刃、現在その僕養塔が山上に祀られている。
また、吾妻鏡には、頼朝の籠女亀(かめ)の前(まえ)が、小坪飯島にかくまれていたのを、北條時政の妻牧(まき)の方(かた)に見つかり、牧の方はこれを頼朝の御台所政子に告げたため、憤激した政子は、牧の三郎宗親に命じて広綱はいち早く亀の前を大多和義久の鐙摺山城へ逃亡させ、事なきを得た。
そのあと、頼朝は、鐙摺山城を訪れ、牧の三郎宗親を呼び「お前の主人はこの頼朝か政子か」と迫り、宗親の元結(もとゆい)を切った。このため、義父の北條時政は怒って伊豆へ引き揚げるという一幕もあった。
歌人佐佐木信綱によれば、建保5年(1217)源実朝はこの地に観月し、「大海の磯もとどろに寄する波 われてくだけてさけて散るかも」と詠んだと言われる。
階段を上ってみましょう。 おっ、葉山らしい景色です。
左側の建物が日影茶屋。真ん中の白い蔵は、昼は和菓子屋、夜になるとバーに変身します。
ワンダフルハウスは頂上を目指すことにしました。
日影茶屋の後ろは、ずいぶん山深いですね。
まもなく頂上です…あの上には、素晴らしい景色が広がっているのです!
おおっ!? 何にもありませんよ?(゚O゚)\
あそこに、源頼朝暗殺を企図して失敗し、ここで自害したという伊東祐親の供養塚があります。
伊東祐親には、娘が四人あった。長女は相模の三浦義澄の妻になり、次女は、はじめ工藤祐経に嫁いだが、のち取り帰えされて、土肥遠平に再縁した。三女と四女は、まだ父のもとにいた。
源頼朝は既に十三歳のとき、伊豆の国へ流されたが、伊東・北条の両人を頼みに暮らしていた。三女は美人の名が高かったので、頼朝はそれを知って、つれづれのなぐさめとして、ひそかに通ううち、男子が生れた。頼朝はおおいに喜んで、その男子に千鶴御前という名をつけた。
伊豆は、源氏にとっては祖先が往来した地であり、かつて部下が住んだ国である。平家全盛の世に、雌伏している頼朝ではあったが、このたび男子が生れたことは、流人の身に、ひとしおうれしく感じられた。千鶴御前・三歳の春、伊東祐親入道は、大番勤めを終って、京から伊東へかえった。しばらくは千鶴御前の事を知らされませんでした。
ある夕方、庭苑の築山で遊んでいた、千鶴御前の姿を見て、妻に尋ねた。頼朝が通った三女にとっては継母だったので、いい機会とばかりに愚かしい言い方で、伊東祐親入道に頼朝と三女との間の子で、貴方の孫御前ですと告げた。伊藤祐親入道は大いに腹を立て、
「娘が多すぎて置き場がなければ、乞食にでもやるが、源氏の流人を婿にするなどは、まっぴらだ。もし平家におとがめられたら、なんとしよう。毒虫は頭をくだけ、かたきの子は殺してしまえ、とは古語にもいっていることだ」
こうして郎党をよびよせ、千鶴御前を誘い出し、伊東の松川の上流の溜りに芝漬けにしてしずめた。しかも、その三女を奪って、同じ伊豆の江間の小四郎に嫁がせた。さらにそのうえ、頼朝を夜討ちにしようとして、郎党どもをあつめた。しかし、伊東祐親入道の二男・九郎祐清が事情を話し、ひそかに北条の方に逃れるよう進言した。
源氏の時代になってから、伊東祐親入道は、かって頼朝に不信をはたらいたかどで、ついに生けどりになって、婿の三浦介義澄にあずけられた。三浦介義澄は、伊東祐親入道の長女を、妻にしていたのである。前の罪をのがれがたく、伊東祐親入道は、三浦の鐙摺というところで、首をはねられた。
植え込みに囲まれ、こんもりと盛り上がった所に「伊東祐親入道供養塚」がありました。
しかし、供養塚の上から見える景色は極上ですね。
おおーっ! 素晴らしい展望です!\(^○^)/
芝崎と真名瀬海岸。 葉山マリーナ。
裕次郎灯台。
名島。
全てが幻想的な美しさです。
江ノ島から逗子の伊勢山トンネルまでR134を一望できます。
ワンダフルハウスは旗立山を一気に駆け下りました。
森戸海岸線は狭くて危ないので、この石の裏側を通って日影茶屋へ向かうのです。
実は今日はお正月なのです。
日影茶屋で新年の会席料理をいただきましょう(^Q^)
続く

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