わんだふるはうす 森戸海岸線を行く

レストラン ラ・マーレ・ド・チャヤ
PART3
熊谷喜八総料理長が1979年に作った伝説のアントルメ

横須賀から大磯まで、湘南の海岸沿いを東西に走る国道。それがルート134号線。葉山御用邸前交差点を左に折れると、逗子・渚橋まで曲がりくねった細い道が海岸沿いに続きます。それが県道207号・森戸海岸線。いかにも葉山らしい風光明媚なこの道路を、2005〜2009年にかけて、ワンダフルハウスが走破しました。このコーナーでは、レストラン「ラ・マーレ・ド・チャヤ」をご案内いたします。

鐙摺葉山港入口
鐙摺葉山港入口交差点。左がフランス菓子店「パティスリー・ラ・マーレ・ド・チャヤ」。奥の白い建物がフレンチレストラン「ラ・マーレ・ド・チャヤ」。右側は逗子湾。目の前の小さい海岸が鐙摺海岸(あぶずりかいがん)です。
2007年7月、ワンダフルハウスは注文したケーキを受け取るために「パティスリー・ラ・マーレ・ド・チャヤ 葉山本店」を訪れました。
ノンノ1979年5月20日号の湘南特集のために
ラ・マーレ・ド・チャヤ熊谷喜八総調理長が作った伝説のアントルメ
(特注品)
「ワンダフルハウス様、このようにお作りしましたが、いかがでしょうか?」「おおっ!これは凄い!熊谷喜八シェフがノンノの湘南特集のために作ったものと同じです!\(^○^)/」
このアントルメを「レストラン・ラ・マーレ・ド・チャヤ」に持ち込んで、ノンノ1979年5月20日号と同じように演出してもらうのです。
1977年、総料理長に熊谷喜八シェフを迎えてオープンした海辺風創作料理店「ラ・マーレ・ド・チャヤ」。南仏のレストランを想わせる白い建物は、自然が織り成す最高の背景と三崎の新鮮な魚介類を活かした料理、そして行き届いたサービスでくつろぎを与えてくれます。オープン以来33年間、湘南界隈で人気随一を誇るレストランです。オープン当時は、エントランスと2F踊り場の突き出した部分は存在せず、正方形の建物でした。
1979年 2007年
左の写真が、オープン当時のエントランスです。ワンダフルハウスが大学3年の時にリフォームされた記憶があるので、このエントランスは1983年くらいまでだったと思います。
今日は2007年7月29日。ワンダフルハウスは、特別ランチをいただくためにやって来たのです。
メニューを見てみましょう。
1Fがカフェ&バー。2Fがメインダイニング。3Fがバンケットルームになっています。
パンケットランチとは、籐のバスケットに帆立貝のお皿を並べ、フルコース料理(アミューズ、前菜2皿、魚料理、肉料理)を盛り付けたラマーレ風松花堂弁当。箸で食べてもOKです。
スープ、パン、デザート、コーヒー(紅茶)付き。料理内容は月替わりで、毎月旬の料理を楽しめます。
ランチコースの他に、プラージュコース(7350円)というのもあります。メニューは、こちらでどうぞ。 ワンダフルハウスは葉山コースに決めました。和牛を葉山牛に変えてもらって、ワゴンデザートに熊谷喜八シェフの伝説のアントルメを並べてもらうのです。
それでは、このアントルメを持って2階のレストランに行きましょう。
「こんにちは!(^O^)/□」「これはこれはワンダフルハウス様…」「このアントルメをデザートワゴンの中央部に置いてください(^O^)つ□」「かしこまりました」
「ワンダフルハウス様、これでどうでしょうか?アントルメは断面が見えるようにカットしておきました」「おおっ!?(^O^)\」
「す…素晴らしい!\(^○^)/」
この中に、熊谷喜八シェフが1979年にノンノの湘南特集のために作った伝説のアントルメが紛れ込んでいます。
フランボワーズのムース。
杏のタルト。
洋梨のタルト。
イチジクのタルト。中はプリンのようになっているので、フランやクラフティに近いです。
カマンベールを使用した風味豊かなベイクドタイプのチーズケーキ。手作り感のある自然な焼目と薄めのタルトの食感がいいですね。なめらかな口どけです。
レストランのカマンベールチーズケーキ パティスリーのカマンベールチーズケーキ
315円
パティスリーのカマンベールチーズケーキとは微妙に違います。パティスリーとカフェをハシゴして両方食べ比べてみてください。
レアチーズケーキ。あっさりしていて、さらっと食べられます。
香ばしいノワゼットのダックワーズ、生クリーム、プラリネクリームを層にしたマルジョレーヌ風のケーキ。これにガナッシュもサンドされていたらマルジョレーヌでした。
「おっ、このチョコレートケーキはカテリーヌと同じでしょうか?」
レストランのチョコレートケーキ パティスリーのカテリーヌ
よく見たら違いました。分厚いガナッシュが3層も挟まれていて、大変リッチなチョコレートケーキです。
甘いマスカルポーネとほろ苦いエスプレッソの取り合わせが絶妙なティラミスは、コース料理の締めくくりにぴったり。
グレープフルーツとオレンジのサラダフリュイ。付け合わせに使います。
クレーム・ランヴェルセ・オ・キャラメル…ひっくり返したキャラメル風味のクリーム…つまり、プリンのことです。ランヴェルセとは「ひっくり返した」という意味で、型からプリンをはずす動作を指しています。
2階、3階レストランのカスタードプリン
葉山コースのワゴンデザート
1階カフェのカスタードプリン
400円
レストランのプリンは角型で、カフェのプリンは丸型だったのです。中身は同じです。
レストランのケーキとカフェのケーキを見比べてみましょう。
ワンダフルハウスは1Fに降りてみました。
「ワンダフルハウスの大好物、1Fカフェのミニケーキです。2個600円、3個800円。3個目からは1個あたり200円なので、たくさん食べるほど、お得なのです」
1階カフェの自家製ケーキ
2個600円
3個800円
4個1000円
(追加は1個あたり200円)
「12個のうち5個はレストランのワゴンデザートと同じでした。タルトは完全に同じですね」
ノンノ1979年5月20日号「湘南・海だより」
葉山 茅ヶ崎
ここで、ノンノ1979年5月20日号の湘南特集「湘南・海だより」を見てみましょう。’79年当時の湘南を代表するお店が載っていて、圧巻なのは、ラ・マーレ・ド・チャヤの熊谷喜八シェフとカフェ・ブレッド・アンド・バター(現在のスポーティフ)岩倉瑞江さんが出てくるところです。
当時の総料理長 熊谷喜八シェフの登場です。右側のチョコレートケーキに御注目ください。
熊谷喜八氏は1946年東京都生まれ。銀座東急ホテルを皮切りに、1969年より、セネガル、モロッコ日本大使館料理長を歴任後、1972年パリ「マキシム・ド・パリ」「パヴィヨン・ロワイヤル」で研鑚を積み、当時ジョエル・ロブション氏が率いていた「ホテル・コンコルド・ラファイエット」ではセクションシェフを務める。1975年帰国後、高樹町「シルバースプーン」料理長を務め、1977年〜1985年まで葉山「ラ・マーレ・ド・チャヤ」の総料理長を務める。1986年に株式会社サザビーと共同出資による株式会社キハチアンドエスを設立。翌年「KIHACHI」を開店。
Gateau au chocolat “LA MAREE”
ガトー・オ・ショコラ “ラ・マーレ”
1979年
Gateau au chocolat “LA MAREE”
ガトー・オ・ショコラ “ラ・マーレ”
2007年
「おおーっ!?同じです!(゚O゚)\」
Gateau au chocolat “LA MAREE”
ガトー・オ・ショコラ “ラ・マーレ”
2007年
特注品
熊谷喜八シェフがノンノの湘南特集のために一度だけ作った特製アントルメが28年ぶりに復刻されました。
「こ…これは凄い!店の名を冠してあります!(゚O゚)\」
側面には砕いたナッツをまぶし付けてあります。中はどうなっているのでしょうか?
「ワンダフルハウス様、テラス席の御用意ができました」 「おおっ!(^O^)\」
潮風が通り過ぎていくテラスの下は海。
「素晴らしいランチの始まりです!\(^○^)/」
1985年、熊谷喜八シェフはラ・マーレ・ド・チャヤを辞めて独立する際に、10年間のラマーレ時代をこのように振り返っていました。
「この店も今年で10年目を迎えますが、10年間常に繁盛している。先頭を切っているということは実に難しいことだとふり返って思います。店を有名にするのは簡単かもしれませんが、それを維持するには何倍もの努力がいるということですね。最初は無我夢中ですから何でもできますが、すぐ中だるみがくる。それを作らないでどんどん進んでいくというのは、そう容易なことじゃありません。
私はこのぐらいの大きさの規模の店ではスターはいらないと思ってきました。スターがいると、その存在がなくなった時にその店の存在感も薄くなるからです。それよりはスタッフの全体が、ある一定以上のレベルにあるということのほうが大切です。ですから私はなるべく前面に出まい、としてきたのです」
「ナイフとフォークの下に置いてあるのは何でしょう?」
「魚の形のナイフレスト!しかもロゴ入りです!\(^O^)/」 ラマーレオリジナルのお洒落なナイフレストはスズキとヒラメがあって、1050円で買えます。帆立貝の灰皿もあり。
「海がバックだと、鮮烈なグリーンのボトルが映えます!」
南フランス生まれの炭酸入りナチュラルミネラルウォーター「ペリエ」。

Menu de Hayama
本日の葉山
10500円+サービス料10%

Amuse gueule

Delice de tomato en gelee
フレッシュトマトの三段仕立て
「ワンダフルハウス様、アミューズグールの『フレッシュトマトの三段仕立て』でございます」
「塩昆布とトマトとジュレの三段仕立ですね。ひんやり冷えたトマトとジュレが、真夏の暑いテラス席にぴったりです(^Q^)」
「レストラン業というのは食べものを通してロマン売ることだと思うのです。私はその中の料理を作るという部分、ある意味の自己満足を客にまで押し付けてはいけない、と思うんです。あくまでも客が主役で、私たちはその小道具作りである、そういう考えなんです。私が表面に出なくとも、たとえばメニューの中に自分を主張しているわけです。そして、いかに客が喜ぶメニューにするかに心を配るわけです。初めての客でもわかる、誰が見ても食べたいなと思うメニューでありたいですから」
「ワンダフルハウス様、パンをお好きなだけどうぞ。左からクルミ、バケット、オートミールでございます」「私はケーキ派なので、パンはほどほどにしましょう。オートミールだけで結構です」

Hors-d'oeuvrePoisson

Foie gras et conger eel
フォアグラと穴子のミルフィーユ仕立て
「ワンダフルハウス様、『フォアグラと穴子のミルフィーユ仕立て』でございます」
「パンにはバターではなく、バルサミコ入りのオリーブオイルをつけて食べるのがラマーレ流です。パンにオイルがじんわりと染み込んで、何とも美味なのです」
「これはミルフィーユというより、コロッケっぽいですね。セロリとミニにんじんが付け合わせられています」
「濃厚なフォアグラとアナゴのリッチなハーモニーが舌の上に贅沢に広がり、とろけるようです(^Q^)」
「目の前にカラフルな色合いの物体が近づいてきましたよ?」 「赤、黄、青…原色の帆をはためかしたヨットです!\(^O^)/」
「ここで食事をしていると、皿の上に夕陽がかぶさってきます。潮風も入ってきます。ヨットも見えます。こういう自然というものは金では買えないドラマです。このドラマというのが大切だと思うのです。私がシンガポールに行った時、飛行機から降りたとたん、ウワーと熱い。この衝撃、これが必要です。よく熱い国は熱い時に、寒い国は寒い時に行けというでしょう。真っ盛りのすごさを、それを体に感じさせなければいけないと思うんです」
「おおっ!? あれは!?(^O^)\」 「逗子のランドマーク…石原慎太郎邸です!(^O^)\」
1967(昭和42)年、桜山の自宅(デニーズ逗子店があった場所)から散歩に出た石原慎太郎氏は、逗子湾を見下ろす崖の上の土地を気に入り、突然、あそこに家を建てると宣言します。夫人に土地を買うように命じ、新進気鋭の建築家と2人で設計し、完成したのがあの家なのです。当時としては大変珍しいコンクリート打ちっぱなしの家で、芝生の庭、アメリカ製の内線電話、セントラルヒーティングが付いていました。披露山の中腹ですから、日当たりが良くて、とにかく景色がいいのですが、家の容積の3分の1が玄関と玄関ホール、3分の1が石原慎太郎氏のスペース(書斎、寝室、書庫、アトリエ、客用サロン)、残り3分の1のスペースに夫人と4人の子供が住むことになり、家が大きい割には住みにくかったそうです。
1948(昭和23)年、終戦からまだ3年しか経っていない時期に、当時のお金で25000円もした中古のディンギーを父親にねだって買ってもらったのは、石原慎太郎氏が高校1年生、石原裕次郎氏中学2年生の時のことでした。最小型のA級ディンギーとはいえ、泳ぎができるからというだけで乗りこなせるものではありません。ディンギーはエンジンも何も付いてないですから、一度海に出たらもの凄くハードなのです。それはやはり海の近くに住み、季節を超えて海に馴染んでいる者でなければ扱いきれるものでありません。
石原慎太郎氏「自分たちのヨットを手に入れたところで、すぐに船艇を操れるわけもなく、最初は海に投げ出される恐怖心と戦いながら、小さな冒険を繰り返し、技量を磨いていくしかなかった。初めて独りで三浦半島の先端に近い、佐島まで行った時の不安と、無事帰ってきた時の満足感は、今でも忘れられない。もちろん、弟と二人で海に出ることも多く、思い出を挙げていけばきりがない。大人になってからも、船は共通の大切な趣味だったし、あの時代に父がヨットを買い与えてくれたことは、有難いことだったと今でも感謝しています」
「モーターボートです!(^O^)\」
「小説『太陽の季節』が映画化されてから、湘南の若者の風俗が太陽族ともてはやされたけど、確かに“東京の田舎者”とは比べものにならないくらいオシャレだったね。当時、流行の先端をいっていると自認していた映画界の連中も、『太陽の季節』や『狂った果実』の撮影で湘南に来て、モーターボートを見て、目を丸くしていたくらいだから」
「クルーザーです!(^O^)\」
「クルーザーを見て『寝床のあるヨットがある』と驚いていたのはおかしかったな。情報も少ない時代だったから無理もないけど、あのころの湘南には、これから始まる日本の消費文化を予感させるものが既にあったんだ」
1957年頃
「ほぅ、これが石原兄弟のディンギーですか。おっ、お揃いのアロハシャツを着ていますね(^-^)\」
「ファッションでも、当時、アメリカ映画を観ていた僕たちは、自分たちで工夫して、アメリカの風俗を真似たりして楽しんでいたけど、東京の人たちには、そんなことは思いもよらなかったみたいだよ。弟と二人して女物のプリント生地を買い込んで、洋裁のできる女の子に頼んでアロハシャツに仕立ててもらい、着ていたりしたからね。湘南の温暖で明るい気候が、開放的で自由な気質を育むのかな。僕たちの若い頃は逗子の町といっても、喫茶店が2軒(そのうちの1軒は1950年創業の珠屋)あっただけで、オシャレな店なんぞなかったね」
Salade de poisson cru
磯魚の刺身風サラダ
「ワンダフルハウス様、磯魚の刺身風サラダでございます」
ラマーレ名物「鮮魚のお刺身サラダ」。その日入荷した魚によって内容は毎日変わります。基本的には三浦大根と葉山シラスのシャキシャキサラダの下に白身魚の刺身が敷かれています。
「葉山シラスをカリッと揚げて、その油でドレッシングを作ってあります」 「今日は真鯛のカルパッチョです!プリプリとした歯ごたえとジワ〜ンと広がる真鯛の旨み…さすがにラマーレのスペシャリテです!(^Q^)」
その点、東京のレストランにはドラマがないんじゃないかな。それなりに旨いし、きれいだし、インテリアもサービスもいい。文句のつけようがない。でも全然面白くないんですね。2〜3日で行ったことも忘れてしまうし、料理なんてまったくふっとんじゃう。
たとえば、スズキが一匹入るような鍋を作って鍋ごと客の前にポンと置いて、自分たちで取ってもらう。そうした驚きが、強烈な思い出となって客の中に残るんですよね。
ラマーレのお隣は葉山港。鐙摺(あぶずり)港とも呼ばれ、日本の近代ヨット発祥の地としても知られており、港の中には、ヨットと漁船が仲良く泊まっているのを見ることができます。映画「太陽の季節」や「狂った果実」はここで撮影されました。左奥には葉山新港もあって、石原伸晃氏のヨット「ビスコンティーナ号」が係留してあります。
舘ひろし氏が所有する黒いヨット「バロネス号」は逗子マリーナに係留してあります。
逗子海岸方面を見てみましょう。あの建物は逗子市浄水管理センターです。入口に看板が付いていないのは、映画やドラマのロケに貸し出しているからです。ロケでは警察署や消防署として使われることが多いようです。
逗子海岸沿いは、御覧の通りマンションが乱立してしまいました。写真継ぎ目のあたりに伝説の「なぎさホテル」がありました。
7月なので海の家が建ち並んでいます。左端のファミレス「夢庵」の場所に1989年まで「なぎさホテル」があって、太陽族ブームの頃は日活の俳優たちが常宿にしていたそうです。ワンダフルハウスが学生の頃は伊集院静氏が住んでいました。当時は作家ではなく、マッチの「ギンギラギンにさりげなく」を書いた作詞家として知る人ぞ知る存在でした。夏目雅子さんと結婚する直前まで住んでいたのです。
Poele de merou sauce poivron rouge
ハタのポワレ ソース・ポワヴロン・ルージュ
「ワンダフルハウス様、ハタのポワレ ソース・ポワヴロン・ルージュでございます」
ハタは白身であっさりしています。赤パプリカのクーリーソースがいいアクセントになっています。
「おっ、テンプラが載っています!(^Q^)」 「花オクラのフリットです。中に手長海老を詰めてあります」
ある時、ここに来るのにバス停を一つ間違えた客がいたんですね。冬の寒い時に真っ暗な道をトボトボ歩いて来たら、向こうにボーッとラマーレが見えたんだそうです。たどり着いて店に入ったとたんワーッと人がいるというわけです。これはドラマですね。それからの全ての食事が光り輝いてくるんですね。食べた料理がみんなおいしく感じる。こういうことが大切じゃないでしょうか。フランス料理でいえば、シャンソンが聞こえて黒服のギャルソンがいて…。こうじゃなきゃいけないということにこだわりすぎていると思うのです。

Poisson

Calmar grille sur la croquant de risotte sepia
めとう烏賊のグリエ イカ墨リゾットのカリカリ焼添え
「ワンダフルハウス様、めとう烏賊のグリエ イカ墨リゾットのカリカリ焼添え でございます」
夏から秋にかけて市場に入荷する「めとういか」は、三浦半島での呼び名。漁獲してすぐは体色が赤く、少し置くと白くなることから、山陰では「しろいか」、千葉県などでは「あかいか」と呼ばれています。めとう烏賊は、イカの中でも特に甘みが強くねっとりとしてます。
「イカ墨リゾットのカリカリ焼き…これは、南仏の海辺風焼きおにぎりです!(^●^)」
「フランス料理店の本質をふまえて、それを崩せばいいんです。ところが本質を知らずに崩すと、慇懃無礼になってしまう。本質を知ってて、しかも自由に遊んでいる。そこが大切なところじゃないでしょうか。
まず普通の客に来てもらうこと。ポケットマネーで気楽な格好で食べられる店。こうしたことはよく言われますが、実践している店は意外と少ないと思います。私たちはそれを意識的にやってきたつもりです。日常の食事の延長のような料理、一人の客も心地よくさせてしまうレストラン」
ペリエが残り少なくなってきたので、ノンアルコールカクテルを注文しました。
「先ほどのモーターボートが出航しました!(^O^)\」
「あの大きなヨットは、石原裕次郎メモリアルレースにも参加したことがある江ノ島の雪風6世号です。かなり賑わっていますね(^-^)\」
雪風ヨットクラブの人たちが海に入って訓練をしているようです。 雪風6世号の向こう側、海中に立っている石碑は不如帰(ほととぎす)の碑です。
ヨットの真後ろに見えるお寺は浪子不動(高養寺)です。あそこから披露山(ひろやま)の頂上に登るハイキングコースがあって、帰りは石原慎太郎邸の横を通って下りるコースがあります。ワンダフルハウスもこれから登るのです。徳富盧花の小説「不如帰」の舞台に、あの不動堂の周辺が用いられてから、小説のヒロイン「浪子」の名が転化して、浪子不動と呼ばれるようになりました。昭和8年、伊藤町長が町民に呼び掛けて寄付を募り、同年の11月に碑を建立。碑の下には盧花が用いた筆と硯が納められています。石は佐賀の大名 鍋島氏が江戸城修築のため運んできたもので、嵐にあって船が沈没し、沖に沈んでいた物を用いたと伝えられています。潮が引いた時には碑の所まで行くことができます。
先ほどのモーターボートがボートを牽引して戻ってきました。 「ワンダフルハウス様、ヴァージン杏ダイキリでございます」
ヴァージン杏ダイキリ
940円+サービス料10%
「杏のソルベを溶かしたような冷たい食感が魅力のフローズンノンアルコールカクテルです(^Q^)」

Viande

Entrecote de boeuf “Hayama” sauce raifort
葉山牛ロースのグリエ 西洋わさびソース
(+1570円)
「ワンダフルハウス様、葉山牛ロースのグリエ ソース・レフォールでございます」
1570円追加して、和牛(この日は岩手牛)を葉山牛にチェンジしてもらいました。
添えられているのは万願寺唐辛子とアーリーレッドとトウモロコシ。アーリーレッドはレッドオニオンとか赤玉ねぎなどと呼ばれたりもするタマネギで、通常の玉ネギより甘みがあります。万願寺唐辛子がいい味出していて、見事に葉山牛とマッチしています。トウモロコシはちょっと焼いてあり、香ばしく甘く、季節感がありました。 これがフランスのワサビといわれるレフォール(ホースラディッシュ)を使った西洋わさびソース。日本のワサビのようにピリっとしているわけではありません。
年間150〜200頭ほどしか出荷されず、“幻”といわれる三浦葉山牛のステーキがカットされました。
「ものすごく脂がのっていて、口の中ですぐ溶けます!(^Q^)」
丁寧に焼かれたステーキは、ミディアムレアの状態で、葉山牛本来の旨さが生きているラマーレだけの味です。「葉山牛」は、正式には「三浦葉山牛」といいます。三浦半島酪農組合連合会に加盟する三浦市、横須賀市、葉山町の酪農家14軒と、横浜市などで経営する準組合員農家3軒が生産する但馬系(黒毛和牛)の雄牛。肉は質によって15等級にランク分けされ、三浦半島で生産される牛のうち、上位4等級だけを、「三浦葉山牛」に認定されるのです。
「夏と冬とに一日だけのパーティーを毎年開いていますが、そのパーティーを盛り上げるのも私たちです。私たちが気取っていたんでは客も遊べない。私たちが楽しんじゃうからこそ、客が心から楽しんでくれるんですね。レストランは楽しむための場所でありたいし、客を楽しませてあげるのが私たちの役割です。ところがどうしてもシェフが主役だったり、メーテルドテルが主役だったり、はたまた店のインテリアが主役だったりするところが多いんですね。それに日本のグルメの中には悪いくせがあって、店の親父に怒られるのが好きな人なんかもいますからね(笑) まあ私たちの商売、金を払ってもらって頭を下げさせるんだから、大変なものですよ(笑)」
「デザートが運ばれてくるまで石原慎太郎邸を覗いていましょう(∞\」
「石原慎太郎都知事も、こちらを覗いています!(゚O゚)∞」
石原慎太郎都知事が双眼鏡で見ている景色は…眼前に逗子湾、向こう岸はラマーレと鐙摺葉山港。その向こうに葉山の海が広がり、森戸神社の石原裕次郎記念碑、裕次郎灯台、名島の赤い鳥居まではっきりと見ることができます。
石原慎太郎氏「ラマーレのワゴンデザートは相変わらず凄いな(∞\」
石原慎太郎氏「おっ!あのケーキは凄いぞ!(∞\」

Avant Dessert

Compote de peche en gelee aux epicese
桃のコンポート スパイシーなゼリー寄せ
「ワンダフルハウス様、桃のコンポート スパイシーなゼリー寄せ でございます」
シナモン、ナツメグ、クローブ(チョージ)、ピンクペッパーなどのスパイスと白ワインで煮た桃を使った贅沢なアヴァンデセールです。
「スパイスの香る桃とゼリーが夏らしくとても爽やかです!(^Q^)」

Dessert

熊谷喜八シェフが1979年にノンノの湘南特集のために作ったガトー・オ・ショコラ“LA MAREE
特注品
「ワンダフルハウス様、熊谷喜八シェフが1979年にノンノの湘南特集のために作ったガトー・オ・ショコラ“ラ・マーレ”でございます」
「おおっ!? この断面は!?(゚O゚)\」
ガトー・オ・ショコラ “ラ・マーレ”
特注品
カテリーヌ
420円
「カテリーヌと同じです!(゚O゚)\」
「このアントルメは、フランス茶屋が1972年の創業以来初めて作った丸型のカテリーヌだったのです!(゚O゚)\」
カテリーヌと違うのは、ナッツをまぶした側面だけです。
熊谷喜八総料理長
1979年
風間支配人と神成勇夫総製菓長
1977年
熊谷喜八シェフと神成勇夫シェフ。この二人の経験とノウハウが融合して生まれたのが、「LA MAREE」の名を冠した丸型のカテリーヌなのです。
「ワンダフルハウス様、ワゴンデザートの盛り合わせとプティフール、エスプレッソ・アイスコーヒーもどうぞ」「これは凄い!お菓子だらけです!(^Q^)\」

Cafe Glace
エスプレッソ アイスコーヒー
濃くて苦いラマーレ独自のアイスエスプレッソ。氷は入っていません。ケーキの甘さを引き締めてくれます。
葉山コースのワゴンデザート
葉山コースのデザートは、ワゴンから好きなものを好きなだけ選べます。
プリンやレアチーズ、ムースなど軽いものを選びました。
タルトからも1種…イチジクを選びました。
暑さでチョコとバタークリームが溶けて、食べ頃になっています(^Q^)
「これからのレストランは、パパママ的な店か大きな店しか残っていけないのではないでしょうか。そこで料理長に求められているのは優秀な組織者ですよ。自分の思い描いていることを完璧にするためには、自ら全てやってはいけない。自分一人の能力なんて微々たるものですからね。
そうした意味ではポールボキューズなんて偉大ですね。今でいえばジョエルロビュションですか。
彼とは一緒に働いたこともありますが、今の彼の才能は当時は半分ほどしか感じませんでした。ボキューズは、あれほどスターでなければ、今のように店にいないといって非難はされないと思いますね。彼の料理の水準は高いものですから」
Mignardise
ミニャルディーズ(プティフール)をいただいて、歴史的なランチが終了しました。
「フランス料理も時代とともにいろんなモードがありました。私もそれを感じながら走ってきましたが、これからでしょうね、問題は。これでいいんだと思ったらだめで、常に『私は切り込み隊長だ』という気迫で前に進むしかないでしょう。この気迫があるから、若い人たちも私についてきてくれるんだ、と思っていますね」
またしても大きなヨットが通り過ぎました。
2007年7月 2005年9月
あそこに、黄色い2階建バスのホットドッグ屋さん『サブマリンドッグ』があったのです。
釣り船「たいぞう丸」が葉山港に戻ってきました。
「おっ!大物が釣れたようです!(^O^)\」
「たいぞう丸」親方の鈴木太一船長は、海に出て50年以上たつ経歴の持ち主。もちろん相模湾の現役船長の中では最長老。これまで数々の大物俳優や大物政治家までも楽しませてきた腕前は今も健在です。
「歴史的なランチのフィナーレにふさわしい人物は、やはり、この人しかいません(∞\」 石原慎太郎氏「ラマーレに飯でも食いに行くか…」
ワンダフルハウスはラマーレを出ました。
「フランス茶屋でケーキをいただきましょう(^Q^)」

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