わんだふるはうす 森戸海岸線を行く

真名瀬海岸

横須賀から大磯まで、湘南の海岸沿いを東西に走る国道。それがルート134号線。葉山御用邸前交差点を左に折れると、逗子・渚橋まで曲がりくねった細い道が海岸沿いに続きます。それが県道207号・森戸海岸線。いかにも葉山らしい風光明媚なこの道路を、2005〜2006年にかけて、ワンダフルハウスが走破しました。このコーナーでは、真名瀬(しんなせ)海岸をご案内いたします。


ワンダフルハウスはメルズカフェを出て、海岸に下りてみました。季節は変わって冬(2006年3月)。干潮なので、岩礁の先端まで歩いて行けそうです。
あちらの御婦人は何を拾っているのでしょうか? これが葉山ワカメです! 海岸にたくさん流れ着いていました。
こっ、これは!? 御用邸裏の海岸でも見た、恐竜の背骨のような…これが干潮時に見える「葉山スコリア」です! スコリアと呼ばれる火山放出物と泥岩が重なってできた地層が地盤の変動によって隆起し、波に洗われてスコリア層だけが残ったものです。 岩礁の先端に着きました。
左より、名島の鳥居・葉山灯台(裕次郎灯台)・江の島・逗子マリーナ。
手前から森戸神社、葉山マリーナ、逗子の披露山庭園住宅。サブマリンドッグも見えました。 後ろを振り返ると…
あれが佐久間洋之介さんのボート小屋、通称「サクマ小屋」です1989(平成元)年、海辺の家しか扱わない、海の似合う客にしか売らない&貸さない、ポリシーを持つ不動産屋「佐久間不動産」を営む父親が1989(平成元)年に建てました。ここに葉山の海に生きる人々が連日連夜集い、大人の遊びを楽しんできました。そして、ここで様々なアーティストが作品を撮影させてもらい、数多くの雑誌に写真が載りました。
ワンダフルハウスは、メルズカフェの駐車場に戻りました。夕陽がまもなく沈みそうです。 先ほどまで見えなかった富士山が浮かび上がってきました。メルズカフェからの2006年3月の素晴らしいサンセットです。
メルズカフェから佐久間小屋に移動しました。
雑誌「Fine」でもおなじみだった佐久間洋之介さんは、1980年12月6日生まれ。「海洋に之(これ)を介(かい)する」=「国境がない」という願いを込めて命名されました。生後6ヶ月、七里ガ浜で初めての海を体験。葉山の海で釣り、潜りをマスターした後、14歳の時、長者ヶ崎で初めてサーフボードの上に立ち、サーフィンにハマりました。中学時代は波を求めて自転車で湘南中のサーフポイントを移動。16歳の時、初めてのハワイで波のデカさにカルチャーショックを受けました。2000年、ハワイ・オアフ島にある世界有数のビッグウェイブスポット「ワイメアベイ」で12フィートの巨大な波をチャージ。2001年1月、ワイメアで20フィートを超えるビッグウェイブをメイクしたショットが、サーフィン専門誌「サーフィンワールド」の表紙を飾って一躍脚光を浴びました。その後はサーフィンの他にも、サーフスケート、フィルムメイキングなど様々な分野で才能を発揮。海から発信されるカルチャーを牽引する中心的存在として活躍してきました。2005年12月12日、有限会社「YONOSUKE FILM」を設立。これからという矢先、生まれ育った葉山の海で、予期せぬ海難事故に見舞われ、帰らぬ人となってしまいました。2006年1月14日、鎌倉プリンスホテル・バンケットホールでセレモニー「インメモリーオブ洋之介」が行われました。長谷川理恵さんの最愛の男性でもありました
2006年1月2日、ここ真名瀬の海で育った、日本屈指のビッグウェーバー・佐久間洋之介さんが沖合でダイビング中に、不慮の事故により、真名瀬の海に帰られました。
このページを佐久間洋之介君に捧げると共に、ご冥福をお祈りします。
ワンダフルハウスはメルズカフェを出ました。 サクマ小屋を通過。
Ottimo(オッティモ)葉山本店とデニーズ葉山森戸店が見えました。まもまく森戸海岸です。

Denny's 葉山森戸店へ↓

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