わんだふるはうす 森戸海岸線&R134を行く

デニーズ逗子店

横須賀から大磯まで、湘南の海岸沿いを東西に走る国道。それがルート134号線。葉山御用邸前交差点を左に折れると、逗子・渚橋まで曲がりくねった細い道が海岸沿いに続きます。それが県道207号・森戸海岸線。いかにも葉山らしい風光明媚なこの道路を、2005〜2009年にかけて、ワンダフルハウスが走破しました。このコーナーでは「デニーズ逗子店」をご案内いたします。

デニーズ逗子店は2009年9月28日閉店しました
ワンダフルハウスはフランス茶屋を出ました。
鐙摺葉山港入口
森戸海岸線を逗子方面に進みましょう。
鐙摺海岸正面に建つ、海の見える結婚式場アフィーテ葉山が見えました。
ここから逗子市。
前方に山が見えます。 山の切り通しに入ります。
山の切り通しを通過するとデニーズ逗子店の看板が見えました。 デニーズ逗子店の手前にフェンスで囲まれた謎の空地があります。
ここに石原潔氏邸がありました。石原慎太郎氏と裕次郎氏は、ここを拠点にして遊び回っていたのです。
「おー! 海が近いですね!(^O^)\」
家の隣が山だったのです。石原慎太郎氏の私小説「弟」によると、9歳の時に小樽から逗子に転居してきた裕次郎少年は海と模型飛行機作りに熱中したようです。自宅近くの山の頂上から飛行機を飛ばしたら、遥か遠くの市街地まで飛んで行ったシーンが出てきます。
家の向かい側の崖に、県の天然記念物に指定された鐙摺の不整合があり ます。上下に重なる二つの地層の堆積時期が、地殻変動などの影響を受けて大きな隔たりがあるとき、地質学では 「これらの地層は不整合である」といいます。ここは、そうした不整合を観察できる絶好の場所なのです。
三浦半島は、古い方から鴨川層(嶺岡)群・葉山層・三浦層群・上総層群・相模層群と呼ばれる地層から構成されています。これらは、ほぼ東西方向に帯状に分布しています。逗子市の位置する三浦半島北部の地層は、主に三浦層群の逗子層と池子層からなりますが、ここでは、より古い葉山層と逗子層とが形成する不整合を見ることができます。

ここは三浦半島でいちばん古い層の上に、これより若い逗子層が傾斜不整合の関係で重なっている露頭で、「鐙摺(あぶずり)の不整合」として、古くから知られているところです。右下方から、左上方に向ってみとめられる凹凸に富んだ不整合面を境として、逗子層は北に緩く傾いているが、葉山層はほとんど垂直に近い傾斜を示していることから、葉山層堆積後、逗子層堆積前に大きな地殻変動のあったことがうかがわれ、関東地方の生いたちを知る上で貴重な資料とされています。不整合面のすぐ上には、葉山層の砂岩・泥岩などの礫からできている基底礫岩がみとめられ、ミウラニシキその他の貝化石が多数含まれています。

これは防空壕の跡です。
石原潔邸の隣には川地民夫さんの実家がありました。慎太郎さんと裕次郎さんが家に遊びに来ると、川地さんの父親と酒盛りになり、まだ高校生だった川地さんは酒を買いに行かされたそうです。しかし、裕次郎さんが推薦してくれたから、俳優 川地民夫は日活からデビューできたのでした。
昭和32年頃、「太陽の季節」の印税や映画化権料が入った石原慎太郎氏は、料亭の女将さんの家を買いました。ここデニーズ逗子店の場所がそうなのです。
2005年8月 2006年3月
「おっ、いつの間にか看板が変わりました」
2005年9月1日、デニーズジャパンはイトーヨーカ堂、株式会社セブン-イレブン・ジャパンと共同で、株式移転により持株会社「株式会社セブン&アイ・ホールディングス」を設立し、その完全子会社となりました。
何本か残っている木だけが石原慎太郎さんが住んでいた頃の面影を残しています。
デニーズ逗子店。ここに1967年まで旧石原慎太郎氏邸がありました。玄関は冠木門。一年中、庭のどこかに花が咲いている純日本的な粋な家で、敷地は320坪、蔵もありました。藪が多くて真夏でも暗く、海水は今より綺麗で、海に面した庭には蟹がいて、家の中にも入ってきたそうです。海を隔てた披露山には作家 堀田善衛氏の家が見え、1950年代は深夜までこの2軒の灯りが灯っていました。
「こんにちは!(^O^)/」「いらっしゃいませ!デニーズへようこそ!」
今夜の花火大会の準備のため、昼間はテラス席は使えないそうです。
「おおっ!?(^O^)\」
「バナナボートです!(^O^)\」
定番のキウイフレッシュとミニチョコサンデーをいただいてデニーズを出ました。
134号線渚橋交差点が見えました。森戸海岸線は、ここで終わりです。
渚橋
ampmと炭火焼肉「万葉」が見えました。
2005年12月 2006年3月
「おっ、いつの間にか万葉がレッドロブスターに変わっています」
海を眺めながら炭火焼肉が食べられた「万葉 逗子店」は2005年12月に閉店しました。
渚橋交差点を左折して134号線を江ノ島方面へ向かいます。
渚橋を渡ると海が見えてきます。
逗子海岸です!
「太陽が生まれたハーフマイルビーチ」は逗子海岸のキャッチフレーズ。
1マイルは約1.6kmなので、ハーフマイルだと砂浜の端から端まで約800mあることになります。
これは田越川の河口です。
石原慎太郎氏と裕次郎氏が父親に買ってもらったヨットは田越川に係留していました。
海とは反対側、田越川の上流を見てみましょう。
田越川といえば石原裕次郎氏です。彼は物陰に隠れて通行人が来ると川に落とす遊びを好んでやっていたそうです
C=(つ^O^)つ\(゚O゚:)/川
この朱塗りの橋は、京都の五条大橋を模して架けられた「富士見橋」です。橋長35m。1988年に完成しました。旧木橋は昭和30年に架けられましたが、最初に橋が架けられたのは明治時代であり、当時は田越川に架かっていたので田越橋と呼ばれていました。
デニーズ逗子店
2007年
石原慎太郎氏邸
1958年
あそこに石原慎太郎氏邸がありました。わずかに残った木だけが当時の面影を伝えています。 左側の建物が母屋で8畳と10畳の和室がありました。その奥は蔵と台所と風呂場。右側の建物は2部屋あって、手前は石原氏の部屋(8畳)で奥は書斎(12畳)。写真には写っていませんが居間(8畳)とお手伝いさんの部屋(6畳)、トイレ、井戸、車庫もあったそうです。
庭が広いといっても藪が多かったので真夏でも暗く、子供には薄気味悪かったそうです。

134をさらに進むと、標識の横に金色に光る物体が見えました。
2005年7月 2005年12月
ここには以前は、海岸へ降りる階段しかなかったのですが…
2005年11月23日、小説「太陽の季節」誕生50周年を記念して、逗子海岸の東浜に文学記念碑「太陽の季節」が出来ました。地元の熱心な石原慎太郎ファンを中心に、逗子市の各種団体の代表者が一堂に会して文学記念碑建立のための実行委員会が結成され、企画、設計、施工総てに関与して完成されました。
記念碑が建つステージは逗子海岸の浜辺と一体になっていて、海のイベントのステージや表彰台にも使われています。
「太陽族」という言葉を生み出し、社会現象を巻き起こした石原慎太郎氏は鮮烈なデビューを飾り、この作品で芥川賞を受賞したのです。
続く

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